アウェイク・ザ・スネーク/一杯の珈琲
「ほら母さん。叶ったよ」
「昨日の今日じゃないか! いやはや驚いたな」
次の日のことである。
電車の中で睡眠不足を解消し、タクシーを拾って。なんとか母さんの所にたどり着いた。ユダは今日はいないみたいだ。
どうだ驚いたか。やると決めたらボクの行動は早いんだ。
「で……紅黒。何の用?」
「神官が来ています。早く退避してください」
「狙われる理由、なんかある?」
「また怪しい研究をしているんでしょう、狙われては困ります」
「大丈夫だって、強い護衛雇ったし」
「その護衛はどこに?」
「今日は休み」
ダメじゃないか。休憩中とかじゃなく、休みだなんて。
今回の研究はバレるわけにはいかない。万が一が起こったら、母さんは命の危険さえある。
何せ研究は誰にも見せていないのだから、ここで口封じされれば誰も引き継ぐことが出来ない。
「あーあ。そういう反応するって思ったよ。だから――」そういって、ポケットからUSBメモリを取り出して。「――ヒロキに研究内容を預けようと思う」
机の上に置かれたメモリを見て、ボクらは黙った。
その価値を知っているのは、紅黒と春原。嫌な予感がして、ボクは黙った。
見かねた母さんは、二ヘラと笑って言った。
「なんてね。まだ纏め終わってないし、未完成だから。ヒロキには預けようと思ってるけど、もう少し先の話さ」
なら、と紅黒。
「完成まで私たちが。ドクター、貴方を守りましょう」
「うん……ありがたいんだけどさ。あんまりべったりされると研究もやりにくいと言うか……」
「ボクでもダメ?」
「ダメだね、ダメだよ。うん」
どうやら、余程見られたくないと見える。しかしボクらの意思も硬い。藤高も使える戦力になりつつあるし、何か起こったとしても何とでもなる。
なにせ、ボクらは神官を退けた実力を持っている。そこから更に強くなっているのだから。
ボクらを一人ずつ見て、母さんはため息をついた。
「仕方ない、か……近くに泊まれるよう手配しておこう。今日はゆっくりするといいよ」
諦めたようにそう言って、それから。
「ああ、そうだ。コーヒー飲むかい?」
美味しいコーヒーの提案があった。
◆ ◆ ◆ ◆
「呼び出しとは随分だな」
「ほぼ電車移動だろ。文句言うな新入りクン」
「……走ってきた」
「ヒャハ! マージかよバッカでー」
「人目に付くのを避けたんだ」むしろ褒められてもいい。「いつ戦闘になるか分からんからな。同じ電車に乗るわけにはいかん」
「いやいや、懸命な判断有難く受け取るぜェ?」
そう言いながら、エクスはなおも望遠鏡を覗く。
「で……聞きてェことがあんのよ」
「俺に答えられると?」
「だから呼んだ。早めにな」
今までの、ふざけきった空気感が一気に冷たく張り詰める。
「なんで人外が二人もいんの?」
「……一人は蛇だろ」
「そりゃ分かるがよ。……違うぜ。二人いるからややこしいわけよ」
そう言って、僕にも望遠鏡を見るよう促す。
「見えるか?」
「ああ。全員いるな」
高田さんと紅黒。春原と藤高。それから……白衣の……
「なるほどな」
……白衣の女、か。
「二人。紅黒がそうだと?」
「うんにゃ、女じゃねぇ。男の方さ」
なに?
「男?」
「ああ」
「なぜそう思う?」
「分かんだろ。人間の気配じゃねぇよ」
「根拠は」
「魔力をよく見てみろ。オレらに近いだろ」
言われてから、良く目を凝らす。
疑いの目を向けて見る。疑って見た。そんなはずはないと。
しかし、見れば見るほど、その違和感は浮き彫りになっていく。
二人。二人、か。
これで家族を名乗っているとは、なんとも歪な関係だ。
「……蛇は俺が捕らえよう」
「お、んじゃオレっちが紅黒チャン買い?」
「そうなる。くれぐれも殺すなよ」
「死なねぇ程度にぶっ殺すさぁ」
欠伸をかまして、エクスはぐっと伸びをした。
「ウ――ッシ。夜になったら起こしてくれ。オレっちは寝る!昨日からストーキングしっぱなしで疲れちまってなぁ」
「ああ。助かった、ゆっくり休んでくれ」
ヒラヒラと手を振って、エクスは別室へと消えていった。
大きく大きく息を吐いて、僕はまた望遠鏡を覗いた。
レンズに映るその人の、その仕草をよく知っていた。嫌になるほど知っていた。僕がきっかけで練習したであろうその一連の仕草を、本当に、うんざりするほど知っていた。
「……第二の眼」
小声で呟いて、いつぞやもらったものを起動する。
第二の眼、セカンド・アイ。眼とは名ばかり。その実態は、同じように第二の眼をつけた者と、魔力による通信を可能とする装置――早い話が、テレパシー用デバイスだ。ジェノンはそう言っていた。他にも色々使い方があるが、今はいいだろう。
(ジェノン、聞こえるか?)
心の中で語りかける。魔力を乗せて。
(ああ、よく聞こえるよ)
返ってきた。
どうやら、個人的に頼んだ確認が終わったらしい。
(やつはいたか?)
答え次第で状況は変わる。僕は一縷の望みもなく、ジェノンの答えを待った。
丁度白衣の女がコーヒーを淹れ終わる頃、答えは返って来た。
(居なかったよ。部屋のどこを探してもね)
そうか。
そうか、そうか。
やっぱりか。
(ありがとう。そのまま俺の部屋に戻ってくれ。指示が必要になったらまた繋ぐ)
(O・K。何も言わないことを祈ってる)
おそらく、僕の予測は当たっているだろう。
さて、夜になったら作戦開始だ。
◆ ◆ ◆ ◆
その日は丁度新月で、黒い服を着ていたから潜入は簡単に済んだ。
誰もいないのは確認済みで、だからこそ正面から行くのはやめておいた。
コソコソと窓を壊し、音を立てずに入り込み。
研究室へと忍び込む。
明かりが着いていた。
白衣の女は眠くなるような様子もなく、いそいそと研究に勤しむ。
入ってきた僕を気にかけることはせず、ひたすら計算式を書き続けている。
そうか、コイツ、やっぱり科学者なんだ。なんてことを思って、しばらく見ていた。そういえば、自分は科学者だと言うのが、コイツの談だったな。そんな風に、少しだけ前のことに思いを馳せた。
しばらく、女の様子を見ていた。
どうやら答えが出たらしい。
フゥと大きくため息をついて、女は僕のことを見もせずに言った。
「待たせたね。ずいぶん久しぶりじゃないか」
「居なくなったのはお前だろ」
「お、調べたんだ? 偉いじゃないの」
僕も大きく息を吐く。
できれば嘘であって欲しいと思う。違うのだと。この女は本当に無関係で、昔、覚えていないほど昔、ほんの少し関わったことがあるだけなのだと、そう言い聞かせたい。
「ま、つもる話もあるだろうけどさ」
けど、無理だ。
僕は誰よりも知っているから。その香りを。その仕草を。
「とりあえず、コーヒー飲むかい? 落ち着く。この世界ではそう言われてる」
僕は誰よりも知っているから。
その珈琲の味を。
「上手くなったな、ドクトル」
「褒めるなよ、らしくもない」
女の姿をしたまま、彼は否定もせずに言った。