エゴ
「おや、もうこんな時間だ」
「泊まっていい?」
「すまないねぇ、ベッドが無くて……私はソファで寝てるけど、広希の分が無いんだ」
「ちゃんと寝なよ」
「分かってる分かってる」
ニコニコと笑いながら、またコーヒーを飲んだ。
そういえば、母さんはあんまり飲まないんだな。もう数時間話してるのに、コーヒーはまだ一杯目だ。そういうものだろうか、いや……
「聞きたかったことがあるんだ」
「なに? 内容によっては答えてあげよう」
「母さんって、人間なの?」
その質問に、母さんはニコリと笑った。
「NSにしては、感情が豊かすぎないかい?」
「神官かも」
「フハ! いい推察だ。でも、母さん、能力なんて持ってないから」
まったくこの人は。神官のことまで全部知ってるんじゃないか。敵わないな、一生追いつけそうにない。
「じゃあ、ボクは帰るよ。終電に間に合わせないと」
「ユダを呼んでこよう」
「ありがと。でも電車は一人で乗りたいかな」
「フフ……狭かったんだね」
「そりゃあもう」
二度とごめんだ。筋肉自慢なんてされたくもない。
それに、今日の余韻を邪魔されたくない。
「あのさ……」
「なあに。どうしたの」
「また、会いに来ていい?」
ふっと、微笑みを帯びた表情で、母さんの目から光が消えた。
「叶うなら」
この感情は知っている。
「なんでそんなこと言うんだよ」
これは、怒りだ。
「ボクは寂しかったんだよ。久々に会えて本当に嬉しかった。せっかく場所も覚えたんだ。また会いに来たっていいじゃないか」
何が、叶うなら、だ。
叶えるんだよ。ボクには今それだけの力があるし、仲間もいるんだから。
「なんで急にいなくなったの? ボク一人だけ残して……そりゃ、数ヶ月だけだって思うかもしれないけど」
その数ヶ月が余りにも長いんだ。ボクの一日は伸びたり縮んだりしないから。
ただ一日が始まって、同じだけの速さで過ぎて行く。母さんが帰ってくる日を指折り数えてただ待つには、この数ヶ月は長すぎた。
本当に色々なことがあった。甘えたい日だってあったし、あんまり美味しくない母さんの手料理だって食べたかった。失敗しちゃった、なんて言って笑う母さんを囃しながら、皿はボクが洗うんだ。その後二人でゆっくりテレビでも見ながら、スポーツやバラエティに文句を言いながら、そろそろ寝なさいなんて言われて。
滅多に母さんが帰ってこない家に毎日ただいまなんて言って、共に食べる相手のない食事を作って、誰のためでもなく皿を洗って、ただやかましいだけのテレビを眺める日々の、なんと虚しきことか。
そうだ。ボクはこの人の子供なんだ。血の繋がり? それがなんだって言うんだ? 怪しい? 人道から外れた研究? それがなんだって言うんだ。
「一緒に帰ろうよ、母さん」
一緒にいたいよ。
一緒に暮らそう。
また逃げ出したいならついて行くから。ユダや、春原や、紅黒なんかじゃなくて。
ボクがついて行くから。
「ごめんね。まだ仕事があるんだ」
母さんはそう言って、ただ切符を差し出した。
「帰りなさい。明日も、明後日も、そのまた次の日も。私は君を待ってるよ」
ボクは、切符を。
「なんで」
切符を――
「母さんなんて嫌いだ」
――グシャッと、力の籠った手で奪い取った。
◆ ◆ ◆ ◆
「撫でて」
「え」
「頭。撫でて」
「えぇ……」
ホテルに戻ったのは夜遅くだった。
部屋でカップ麺を啜る藤高を見て、ボクは最初にそう言った。
音を立てながら口に吸い込まれる麺になんだか腹が立った。
「お前、飯はちゃんと食えよ!」
「疲れたんだって……そっとしとけよなぁ」
「鞄も開けたまんまだし、は!? なに、 靴下とかは真っ先に洗濯――」
「広希、誰と話してんの?」
スープを飲みながら、ボクを見る藤高。
「オレ、お前の家族とは違うけど?」
なんだかイライラし通しだ。
椅子を藤高の隣に持ってきて座った。
「撫でろ」
「はいはい仰せのままに……」
呆れた顔が、鏡越しにボクを見ていた。
ねめつけてやると、仕方ないと言いたげに笑うのだ。
「なんか久しぶりだこれ」
「うるさいよ」
「はいはいよしよし」
家族が近くにいないから。
慰めがここにしかない。
本当に欲しかったものを、藤高を使って埋めている。
父親もいないし、母さんはあんなで。ボクは家に帰ったら独りぼっちだ。
感情を押し殺す日々が増えて、でも時折こうやって爆発してしまう。
泣きたい日もある。
ボクはまだ、高校二年の子供だから。許されてもいい。
「たまにすっげぇ子供だよな広希くんは」
「いいだろ別に」
「悪いとは言ってねぇよ」
涙に濡れた目が、鏡の向こうでボクを見ている。
情けない顔。
頼りない子供。
それがボクだ。
家族と一緒にいたいだけの、ただのこどもだ。
「……そろそろ落ち着いたかよ?」
「まだ」
「ああもうマジかよ、結構恥ずかしいぜ」
「誰もいない。構うもんか」
なぁ藤高。一人は寂しいよ。
ボクには今仲間がいるけど、家族は遠く離れているんだ。
血の繋がりもない、ただの言葉だけれど。ボクにとって、ずっと一緒にいてくれた人はとてもとても大きいんだよ。
「普段もこれくらい可愛げがありゃな」
「うるさいって」
「春原あたりが見たら驚くんじゃね?」
「絶対に見せない。あれに見られたら終わりだ」
あんなチビに誰が見せるもんか。
良し……落ち着いた。
「もう大丈夫 」
「ホントかぁ?」
藤高の傍から離れて、残った温もりを感じながら、しっかりと自分を強く持つ。
深呼吸して、フィボナッチ数列を数え。
「母さんはまだ帰らないって」
「ああ、それでね……どうする? しばらくこっちにいる?」
「うーん。どっちにしろ、社長に話もあるし。滞在日数は伸びそう」
「オッケーオッケー。オレはしばらくシゴキを受けてりゃいいわけね」
首と肩を回しながら、藤高は言う。
「そういえば、武器の方はどうなの?」
「ああ、それがちょっと時間がかかるみたいで――」
ベッドに横になって話を聞いていると、突然部屋の扉が開いた。
「帰ってきたんですね高田君。話がありますお時間頂きます」
入ってきたのは紅黒だ。
ラフな格好で……うわっ傷跡やば。
「なんだよ紅黒。惚気なら藤高に言ってくれ」
「違います。重要な話です」
寝転がるボクの手を掴んで。
「神官がいました」
「……いるだろ、そりゃあ」
言うなり、顔色を変えた。
「知っていたんですか!?」
「予測しただけだよ。ボクらの動きは見られてる可能性があるからね」
ユダを通して見られているかも、とは考えた。そもそもアイツが敵を差し向けるとは思えないが。
「だけど、こちらもあっちも戦う理由がないだろう? 紅黒のことだって、無闇に捕まえようとはしないはずだ」
紅黒は小さく首を振った。
「神官が仕掛けてきたんです。今日! 新芽とのデート中に! 由々しきことです!」
ボクは大きくため息をついた。
「惚気は向こうが聞くって」
「やだ。オレも聞かない」
「真面目に聞きなさいっ」