紅骨
痛みが頭で転げ回る。
ドラム缶が鳴るような痛み。パニックになりそうな心を深呼吸で宥めつけ、なんとか前を見た。
背の高い女。
不釣り合いなリボルバーと、スラリとした体つきによく似合う、美しい太刀。
刀身は四尺程か。
振れるか否か……構えに余裕がある。随分扱い慣れているな。
余裕がない。仕事が立て込んでいる。藤高に回復の気配はない。放っておいてもいい。
高田さんに絶望を。
この女を倒せばあるいは。
魔力は残り少なく――否、今は完全に使えない。
銀を撃ち込まれた。
ユダが銀剣で斬られた時のことをよく覚えている。あの時ユダは魔力で防御を張っていた。にも関わらずということは、魔力を無効化するという銀の特性は伊達ではない。
痛みは脚。脛の辺り。骨が砕かれているかもしれない。取り出すには時間がいる。
つまり、絶体絶命だ。
深呼吸をする。
深呼吸をしようと。
呼吸を。
「……クソ!」
落ち着かない。
痛みと焦りで集中できない。
何でこうなったんだ。
何がいけなかったんだ。
どこで間違えた。
何を間違えた。
勝てるはずの戦いに、何故負けねばならないんだ。
魔力がもうない。痛みも酷い。血を流しすぎてる。
なぜ次から次へと増援が来るんだ。
人数はずいぶん削ったのに。
藤高にしろ、また新たに現れたこの女にしろ。
太刀をかわしながらそんなことを思う。
うまく避けられない。
皮一枚程度の傷で済んでいるが……遊ばれている。
何かを試すような視線。踊るような余裕の振る舞い。
秘めているな、まだまだ奥に。
リボルバーで撃ってこない。心臓に狙いを付けるほど器用ではないのか。それとも単純に弾切れか?
いや、撃てないわけでは無さそうだ。
銀の弾丸を温存している。
今のままでは好転しない。
最善手を。
「ほらほらどうしました? さっきからかわしてばっかり! そんなに私が嫌いですか!」
「女、は、苦手だ」
息を落ち着けている暇はない。
近付けないのは太刀の振りが早いせいだ。
やることは決まった。
不安定な脚で立つ。
剣を片手に、正中線を捉える。
下から切り上げる動作を見せ――反応した。
一秒。サトリの中、ぼやけて見にくいが……確かに太刀を振り下ろしてくる。
紙一重で躱す。
過ぎ去っていく太刀の峰を裏拳で叩き。
地面に刺さった切っ先を、さらに踏みつける。
猶予は三秒。
一気に息を吸い、止め。
間合いを潰し。
脇に構える。
横凪ぎ一閃。確かに捉えた。
この一撃は当たる。
一秒後、直撃を予見して――
「正直な子は好きですよ」
――刃が何かに弾かれる。
強烈な手応えだった。回転する何かに当たったような感触だ。
がら空きの胴。しかし太刀は封じた、この状況なら打つ手は限られる。
銃を撃つか直接殴るかの二択だ。ここまで限定すれば予知は容易い。
銃口がこちらを向く。
刀を持った左手で、僕より外側へ――
「ガッ」
また、弾かれるような痛み。
撃たれる前に距離を取る。
触れることができない。
攻撃を試みても、その全てが弾かれる。
魔力ではなさそうだ。力の正体を見極めなければ。
思考を巡らせる。
近寄れるだけの体力はまだある。相手の力さえどうにか出来れば攻撃だって入るだろう。
有効な一打。まずはそれが入ればいい。
「鬱陶しいな……」
更に距離を。
追ってこない。間合いを詰めるのは得意ではないらしい。
呼吸が落ち着いて来た。
「お前の力、看破してやる」
「どうぞ出来るなら」
覚悟を決めろ。
ここで勝つ。
方舟に、また新たな仲間を引き入れるためだ。
背に腹はかえられない。
自分の脚に、自分の刃を突き立てる。
弾丸があるのは脛だ。
細かい位置が分からない以上、斬り裂いて摘出することはできない。そんな時間もないだろう。
ならば、取れる手段は一つだけ。
「お前を倒す!」
自分の片足の、膝から下。
関節を狙って、刃を引く。
脛を体から切り離す。
無くすといけないから、鍵を使って部屋に自分の脛を送る。
もしミカエルがいたら驚くだろうな。
なんせ、いきなり血だらけの脚が送られてくるんだから。
とにかく、これで魔力が戻ってきた。
痛みも目眩も吐き気も酷いものだが、使えないよりはマシだ。
全く使わなかった分、少しだけ魔力量も増えている。
脚は後で治せばいい。
「……二分だ」時間を決めろ。「二分で決着を付ける!」
全身に魔力の鎧を纏わせる。痛みにじんわりとした温もりが宿った。
動ける確信を得た。杖のように刀を地面に立て、キッと相手を睨む。
「素晴らしい……!」
「少しは怯め」
「そこまで覚悟を持った人には初めて会いましたよ!」
目に走った魔力が、相手の正体を映し出す。
「……その力、どこで手に入れた」
なるほど、これは厄介だ。
傷口を塞ぎながら考えた。
女は赤いオーラを纏っている。
ルシフェルがいつしか見せた、あの赤いオーラ。一瞬使えるだけの僕とは違い、この女は使いこなして見える。
「おや、貴方はこれの使い手と関係があるのでは? 習わなかったのですか?」
「悪いがソイツとはついこの前まで喧嘩していたんだ」
ルシフェルを知っている。
戦世の出身か。
さて、どう攻略していくか。
とりあえずは、正面から行って反応を見る。
片足で踏み切る。
突撃はないと踏んでいたのか、女は驚いた表情で防御に回る。
間合いは潰した。
相手に全体重を乗せ。
片足で跳ぶ。
「武神流――!」
うまく使えない確信はあった。発勁は撃てないだろうという確信。
だからこの宣言はフェイクだ。
「――獅子頭!」
警戒して正中線をズラした相手の首に、残っている脚を引っ掛ける。
そのまま地面に手をついて、回転に任せて投げ飛ばす。
刀を杖にして立ち上がった。
「どうだ。効いたろ?」
「いやはや……ドッキリがお好きなようで」
女に対して効いた様子はない。
ここに来て、実力者が相手とは。
なんて日だ。ついてない。
「失礼、自己紹介が遅れました。ワタクシ、魔力反転循環機構――通称『紅骨』の検体番号96番。紅黒とお呼び下さい」
少しでも痛みを和らげよう。
そのためなら、自己紹介だってしてやる。
「俺はスサノオ。所属は政世。階級は神官。種族は――」
少しだけ、苦い味のする紹介だけど。
「――人間」