ステイ・アウェイ・ミー/次への期待
呼吸が聞こえる。
車の上で目を閉じて、中の音を聞く。
狙うは藤高一人だ
他の命は今はいらない。とにかく戦力を削る。
車内にいるのは三人。高田さんと藤高。それから見知らぬ女。
藤高には期待などしていないが、これは見せしめだ。
方舟を敵に回すとどうなるか。
それを思い知らせなければ。
◆ ◆ ◆ ◆
「撃て! 撃て撃てって! 何やってんスか!」
「オレェ!? 冗談じゃねぇ当たんねぇよ!」
さて、落ち着こうか。冷静に考えよう。
スサノオは上に乗っていて、車の速度は現在時速54キロ。現在地から逆算して――
「混雑状況から予測して、5分も走れば高速の入口に着く」
「へぇ!?」
「春原、そこ右。速度を62キロまで上げて。それで信号にひっかからずに済む」
高速に乗ったとして、目的地まで着くには――
「高速に乗る瞬間は速度が緩む。20キロ以下でないと通れない。藤高もその速度域なら撃てるだろ? とにかく息を整えろ」
端末を取り出して、登録したばかりの番号をタップする。
「勝つぞ。この状況を乗り越える」
もう一度、スサノオが天井を突く。
「藤高、ボクの隣に来い」
ボクもろとも殺すことはしないはずだ。
やつの弱みは存分に使おう。
「春原、ここから直進。速度を早めて」
「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう! こんな所で死ねるか!!」
言われるがまま、速度を上げながら。
「藤高くん! 銃貸せ!」
「なに!?」
「藤高、言う通りに」
助手席に銃を投げた。
アクセル踏みながら、銃を構える春原。
「もう少し左。そのまま五度上」
「私は出来る、私は出来る、私は出来る……!」
呪文のように呟いて、春原が撃った。
攻撃が止む。
「落ちたァ!?」
「それはないな」どこにも姿が見えない。「だが当たったはずだ。回復には時間がいる」
高速道路の入口が見えた。
「春原、ハンドルを左に!」
「やってやるぜオーライ!!」
速度域をそのままに、空いた道を駆け抜けていく。大したテクニックだ。相当走り込んだんだろうな。
高速道路は目前だ。
時速64――今だ。
「ブレーキ!」
「やってやらぁ!」
急制動に車内が揺れる。春原が拳銃をこちらに投げて、するりと入口を抜け――
「藤高」――がボクから離れ――「そこだ」
寝そべる形になった藤高の少し上に、突き刺された刀。
「ぶちかませ」
空気を押し出すような音が三度。
車の上で何かが転がる。
アクセルが踏まれ。
車が加速していく。
バックミラーを覗き込み。
「時速50kmで吹っ飛べ。幸運を祈るよ」
後ろに向かって、中指を立てた。
◆ ◆ ◆ ◆
幸いしたのは、スサノオがあれ以降追ってこなかったことだ。
銃弾をものともしないはずの回復力を以てしても、高速道路に投げ出されるのはキツかったらしい。
不確定要素の多い博打。だが、ボクらは勝った。
「さすがの高田……」
「よせやい」
「いや、ホントよくやったスよ。私も焦ってたし」
ゆっくりと呼吸しながら、治まらない鼓動の上に手を置く。
よくやったと褒めてもいいが、たった一度の勝利――いや、たった一度の撃退。
なぜだか、あいつを倒せた気がしなかった。
「運が良かった」
その一言につきる。
「一つも実力が入ってない」
偶然スサノオに会えた時からきっと、この幸運は始まっていたのだろう。
今更になって冷や汗をかいてきた。
自分でも驚くほど冷静になれた反動だろうか。
「……ちょっと寝る。組長には電話したから。春原、あと頼むね」
「えっちょっと高田くん車の天井代――」
◆ ◆ ◆ ◆
……。
…………。
………………。
「面白い」
道路の上に着地しながら傷を塞ぐ。
まさか直接姿の見えない僕を。
しかも下から。
正確に撃ち抜いて来るとは。
面白い……!
体の中で銃弾が走り回るのを確かに感じた。肩から二発、腹から一発、銃弾が抜けていったようだ。
本当に面白い。未知の体験だ。
なるほど、体を通ると銃弾は曲がるのか。それにしたって、鉄の板を経由して僕の体に入ったと言うのに……。
「……無意識か」
あの銃弾には魔力を感じた。
藤高 友也。
どうやら、今潰してしまうには惜しいようだ。あのまま育てば好敵手になるだろう。
向こうの手札も整いつつあるようだ。
次会った時にどれほど楽しませてくれるのか……。
「っと……ジェノンを迎えに行かないと」
治癒が終わった体に再び魔力を流し、高速道路から飛び降りた。
◆ ◆ ◆ ◆
夢を見ている。
またあの夢だ。方舟の夢。
毛布に包まれながら、誰かに抱えられている。
毛布の隙間から、ボクを抱える誰かが見えた。
細い指。高めの身長。メガネ――ぼんやりとした輪郭――懐かしい陰。
ボクは確かにその人を知っている。
今はもう少し老けているし、髪も長いけれど。
でも、一目見れば分かる。
「母さん」
「は〜いママでちゅよ〜早く起きろクソガキ〜」
薄らと目を開けた。
「ドア閉めろよ」
「着いたって言ってんスよこのガキ!」
春原がボクの寝顔を覗き込んでいる。
車は既に停まっていた。
どうやら随分長く眠っていたらしい。
「組長は?」
「藤高くんの特訓中だよ」
「そう」
車から降りて屋敷に入る。
「調子はどう?」
「良さげな感じッス。今日のことでなんか掴んだっぽいね」
今は瞑想中、と付け加え。
「魔力の使い方、ボクも習った方がいいのかな」
ボクの言葉に驚いて見せた。
「本気で言ってる?」
「ボクはだいたい本気だよ」
「はぁー……いや、悪くないと思うッスよ」
うーん、と軽く唸って。
「ただ、指揮官が覚えて意味あるかってなるとねぇ」
と返した。
「春原も使えるんだろ?」
「ま、多少はね? 教える人が上手かったからさ」
「ああ…… 今度の作戦の」
「そうそう」
おさらいしておこう。
「名前は『紅黒』だったか」
救出予定の仲間、その名前は紅黒。奇妙なことに、それ以外の名前はなく――つまり、紅黒には苗字がない。
この世界ではまずないことだ。徹底的な管理を施された現状で、人の名前は確実に姓と名、二つを持っている。
その名前は、不気味なほどの孤立を表して見えた。
「確か……この世界、つまり政世の出身じゃあないんだよね?」
「うん。本人曰く戦世の帝国出身だって」
「怪しいもんだ。他の世界だってNSの手が入ってるんだろ」
だとしたら、どう足掻いても紅黒にはもっとまともな名前があるはずなのだ。
捨ててしまったのか、敢えて名乗っていないのか。ほかの世界へ渡ることができない現状、確かめるには本人に聞くしかない。
「ボクらは後方支援だったよね」
「うん。君と藤高くんはそう」
「……春原は?」
「私は現場」
「マジか……戦えるの?」
「舐めてんなぁ! 私の射撃見たっしょ?」
「酷かったよ」
「三年連続チャンピオンの少年と比べんなバカ!」
藤高と比較するのは酷か。
「それに、私だって一通り訓練はしたからね。探偵やってて襲われたことも何回かあるし」
「その度入院?」
「うんにゃ、仕事の納期守りたいからそうはならないようにしてた」
「怪我はするんだ……」
「そりゃ、ね。暴力沙汰は苦手だし」
そんな人が今回は現場に混ざるのか。
「不安だな、この作戦……」
今更愚痴愚痴言っても仕方ない。
決行は、三日後に迫っていた。