立場
勝手に話が進んでいる。僕はまだ納得出来ていないのに。
ジェノンが僕を見る。
今度は怯えが見えない。観察するような目。
こいつの目、綺麗な緑色だな――
「オイ」
突然襟首を掴まれた。
ジェノンにだ。
殺意は感じられないから、好きなようにさせてみよう。
「お前、何を見てる?」
ジェノンを見てると答えてみると、不満そうに眉を顰めた。
目の前に指を持ってきて、何度か振る。何を確かめているんだろう。
動きを目で追った。
「…………なんだこれ? なんの時間だ?」
視界の端に映ったドクトルは肩をすくめて、お手上げだと言いたげだ。
何度も同じように目で追う内、つい動きの先に目を置いてしまう。
いつもの癖だ。それにしても分かりやすいな――
「……3秒程度か、その未来予知」
「な――」
「呼吸か? それとも筋肉の動きか、もしくは能力……いや、でも魔力が動いた感じはしなかったしな……ってことは単純な技術……ふむ、そうだとしてどんな訓練を……」
「おい」
まさか、まさかだ。あの僅かなやり取りでサトリを見抜いたというのか。驚きだ。まるで戦えないように見えたのに、もしかするとジェノンは中々やるのかもしれない。
「お前、戦えるのか?」
「ハァ? 戦闘なんてゴメンだね。ぼくは頭脳労働が好きなんだ」
それでもサトリを見抜いたということは、よほど鋭いのか、あるいは――
「予知能力者は何度か見たことあるよ。呼吸を見てるやつは初めてだけど」
――サトリを知っているか。
「割といるんだな、サトリを使うやつは」
「そりゃ、ただの技術だからねぇ」
からかうようなドクトルを思い切り睨む。
ありふれたものと言われて、いい気はしない。今は普通に使えるものだけれど、僕にとってサトリは努力と才能の証明だ。まるで、どこにでもあるものと言われるのは腹が立った。
「安心してよ。君の年齢で使えるやつは見たことがない」
ほんの手慰みを加え、ドクトルが続ける。
「ジェノンを匿ってあげなって。今ならいくつか特典つけるから、さ」
きっと自分は今渋い顔をしているだろう。
僕にも色々事情がある。
「……ジェノン。シャワー浴びてこい」
「えっ」
「ドクトルと二人で話がしたい」
シャワーの方向を手で示し、ドクトルが行くように促してくれた。
ジェノンはおずおずと歩き出し、ドアの向こうへと姿を消す。
さて、話をしないと。
「なんかあったの?」
「…………ノア様とゼウスに怒られた」
「フハッ! そりゃあご大層な」
からかうな、と牽制しておいて。
「問題は、何に対して怒られたか、だ」
「そりゃそうだ。で、原因は?」
「人間を二人取り逃がした。手引きしたやつの目処は着いてるぞ」
「恐ろしいねぇ、裏切るようなことするやつ、方舟にいるの?」
お前が作ったのはそういうやつだろ。そう言いたいのを必死に堪える。
「また人間を匿って、同じように逃げられたら敵わん。困るのは俺だ。折角手に入れた居場所なんだ、手離したくない」
「いざとなったら僕んとこがある」
「……それは嫌だ」
ドクトルには頼らないと決めている。
恩を増やしたくないというのもあるが、そもそもドクトルのことが信用ならないのだ。ルシフェルやゼウスのことを、こいつは最後まで黙ったままだったから。
こいつと関わり続けて、何かあってからでは遅すぎる。そう感じていた。
「君はもっと、人を頼ることを覚えるべきだな」
「魔力の使い方だって一人で覚えた。助けはいらない」
さて、本題に戻ろう。
ジェノンを匿う、だったか。
「正直、できるできないの話ではなくなってる」
「ずいぶんややこしくなったもんだねぇ」
頬杖をついて、ドクトルは退屈そうに息を吐く。
「そういうのを抜きにできたとしたら、どうなの?」
「……正直、やぶさかではない話だ」
立場さえ無ければ手を組んでいただろう。
興味が無いと言えば嘘になる。サトリを見抜く観察眼に、鋭い物言い。仲間としてそばに置くには楽しいだろう。
何より、一人で方舟へと渡ってくる才能。
僕にはない強さだ。
「バレないようにしたいわけねぇ」
「出来るか?」
「ん。こっちで手を打とう。少し時間をいただけるかな、神官殿?」
「やめろよ……」
なんだか照れ臭い。
さて、このまま流されて頼るわけにはいかない。
「何か欲しいものあるのか?」
「おいおい勘弁してくれよ、取引しようって言うのかい? 君が? 僕に? 冗談きっついな」
出来るわけない、とドクトル。
「知っておきたまえよ。慣れないことをしたって、誰かに利用されるだけさ」
空になったマグカップに並々コーヒーを注ぎ、ドクトルはそう言った。
相変わらず、コーヒーは苦かった。
ケーキが欲しいな。甘いヤツが。
「それにしたって、もっと怒ると思ってたけど。君ってばやっぱり優しいやつだね」
「冗談だろう?」
「さて、どうかな」
コーヒーから昇る湯気をくゆらせながら、意味もなく、ドクトルの言葉を、込められた意味を考える。
「妹にもよく言われた」
「あれさ。なんでやったんだい?」
「あれ、とは?」
「件の学校のことさ」
「ああ……?」
そういえば、話してなかったか。
僕の過去――はどうでもいいだろう。話したって仕方ない。
「復讐だ。それだけだよ」
「妹のため?」
「そうだな」
ドクトルはしばらく考え込んだ。
「……これはお節介なんだけど」
と、言って指さし。
「誰に見られたか、よく考えた方がいい」
えらく真剣な表情で言うものだから、なぜか僕が怯んでしまう。
しかし、ドクトルのことだ。僕には及びもつかない手札があるのだろう。まだ秘めているだけで、いざと言う時は切ってくれるはずだ。
この部屋からは巣立ったはずなのに、未だおんぶに抱っこだな。
「やはり必要みたいだね。ジェノンはいいブレインになるよ」
「結局、その話か……」
「そうそう、特典の話なんだけど――」
ドクトルが白衣のポケットをまさぐった。すると――
「ない! ないぞ! 何も! 無い! ナニもない!!」
――脱衣場の方から悲鳴が聞こえてきた。
「……行ってくるか?」
「やだね。スサノオが行きなよ」
「はぁ」やなこった、とは言えない雰囲気。「分かった。俺が行く」
これだけ、と言って、ドクトルが何かを投げてきた。
片手で受け取る。小さな箱だ。
中身はコンタクトレンズだろうか?
表面に薄く、模様が描かれたコンタクトだ。
「そいつは第二の眼。同梱の説明書を読んで、用法用量を守って使ってね」
「これが特典か?」
「そうなるね。中々便利なもんだよ」
後で試してみるとしよう。
今はとりあえず、野次馬になってみるか。