何の用だ
目がチカチカする。
前まで真っ黒だった方舟の空にはいつの間にか、時折七色の筋が走るようになっていた。
それが突然視界に入ったかと思うと、光を放ちながら地平の彼方へ過ぎ去っていく。最初のうちは問題なかったが、何度も繰り返し見るうちに、どうやらそれが、目が眩む原因だと気づく。
ふと疑問に思うのは、方舟の空を覆って見えていた、そして今は時折走る、七色の光は一体なんなのだろうということだ。
もしかすると、あれが魔力だったりするのだろうか? いや、それはないだろう。今見えているこの光がそうなら、あの化物と遭遇した時だって、身に纏った七色の光が見えたはずなのだ。
これは魔力ではない。そうでなければなんなのか、は分からないが。
そもそも情報が足りないというか、経験が足りないと言うか――とどのつまり、僕は頭が悪いのだった。与えられた情報では足りず、かと言って、経験したことだけでは考える材料に出来ない。ならばもっと戦ってみるべきだが、今は異形に会いたくないのだ。
魔力の扱いは依然として分からない。
あの勝利をたまたまとは言いたくないが、次また勝てるかと聞かれると怪しい。僕はあれで精一杯だったし、次の相手はもっと強いかもしれない。それはそれで楽しみであるが……
なんと言うか、要するに。そんなどうでもいいことを、足りない頭で考え出すほど、僕は随分長いこと歩き続けていた。
もう何時間かになると思う。方舟の景色は見たままで、黒い空に平坦な地面が延々と続いている。印をつけるようなものもなければ、そもそも足跡も着かない。どこまで歩いたか分からないならまだいいが、自分がどこにいるのかさえも分からない。
いや、地図があっても読めないのだが。
正直こんなことになるとは思ってもみなかった。前回はすぐあの異形と出会ったのだから、今回だってすぐだ。そう思っていた。
疲労は感じないものの、進むのが億劫になってきた。目のチラつきが酷くなっている。
時折走るだけだった光は今は一度に数本まで増え始め瞬いている。僕は太陽を見上げるように目を細めて空を仰ぐ。
見ていられない。僕は堪らず目を伏せる。
ここが限界だろうか? いや、そんなはずは。まだ歩けるはずだ、体力には余裕がある。魔力だかなんだか知らないが、ここまで慣れたのだ。もうしばらくすれば、このグラグラした感覚からも開放されるはず。
息苦しい。
膝をつく。
不味い傾向だ。今のうちに行けるところまで進まなくては。いつまで経ってもドクトルの元から離れられない。
あいつは良い奴だが、ずっと近くにいてはいけないような気がする。
これは一種の予感だが。ドクトルは何か企んでいる。もう巻き込まれているのかもしれないが、だからと言って、簡単に乗るつもりはない。僕には今、やらねばならないことがある。
そうだ、やらねばならない。あの男の元まで。
辿り着かなければ――一歩でも近くに。
「…………!」
眩しさが止んだ。
一歩踏み出した途端だ。
明確なイメージを思い浮かべたからか――と考えたが、どうやら違うとため息をつく。
散々だ。
方舟の一歩に常識は通用しないとつくづく思い知る。
たった一歩だ。
それだけで、ここまで距離を詰められたのか? 否、と一人否定する。
なぜ視線や呼吸を感じなかったのか分からない。だが、確実に言えることがあった。
結論に至ると同時、ドクトルの言葉が頭を過ぎる。
方舟における遭遇は。
「俺になんの用だ?」
決して偶然足り得ない。
散々だ、ともう一度思っておこう。
刀の柄に左手を置き。
願いましては……物言わぬ人型が十五体。
僕が進もうとする先に、壁のようになって立ち塞がっている。
おそらくこいつらが、ドクトルの言っていた「ノアシード」だろうか。視界の端から端までじっくり観察してみると、全員が戦場にでも行くのかという格好をしている。そのせいか、顔や体に個体差があるのかがはっきりと分からない。
詳しく確認するのはまた後か。
こっそりと生唾を飲んで、視線を正面に戻す。
セーラー服を着た女がいる。
僕の前にだ。
見たところ、身長は僕より幾分か低い。
顔立ちは幼く、髪は濃い茶。栗色とか言うのだろう。それが肩あたりまで伸びている。
視線を僅かに落とす。
肩の力は抜けているようだ。その華奢な体からは、信じられない程に力みというものを感じ取れない。
さらに視線を落として。
一番に目を突くのは、右手から提げられた剣だ。
刃渡りと女の胴体は、どうやら同じ程度と見ていい。
その刃は分厚く黒く、切っ先は尖らず平坦だ。
長い長方形の剣。
鍔はあたかも盃を模した台のようで。
振れるわけがないと思う。
もう片方の手に備わった、半身を覆うだろう丸い盾を見ればなおさら。
まだ抜くな、と言い聞かせた。
目の前にいるのはセーラー服の女。
戦うような格好ではないし、その体格で扱いきれる装備でもない。
それは分かっている。
だから分からない。なぜここまで自信に溢れているのか。
自信があるのか。
勝てるという自信が。
「今日こそ逃がさないから」
その女は、その容姿によく似合う声で言った。
置いただけの手に力が入る。
「いやー、ホント大変だった! どれくらいかかったっけ? ノア様から通告があったのが確か……えーと……二週間くらい前だっけ?」
同い年くらいの容姿に同い年くらいに感じる声。それがまるで、親しい誰かに語りかけるようにして、僕に向かっている。
そこに、隠す気のない敵意を混ぜて。
「あーもう、ホント」
女が俯いた。
来――
「手こずらせてくれたよねッ!」
――何かが僕の体に激突し――体が数メートル後ろに飛び――女が剣で僕の方を指してい――る。
遅れて感じた、あまりの衝撃に咳き込む。
「よォーし、囲め! 今日で片付けるんだから!」




