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夕景のじゃれあい

作者: 奥田暁

 とある県立のN高等学校は、進学校としてそこそこレベルが高いが、ガリ勉と落ちこぼれの二極化が進んでいた。落ちこぼれは授業のペースについていけなくなった者で、それらが集まって遊び人のグループを形成している。よく生徒指導の目を盗んで、茶髪にしたりパーマをかけてファッションに拘ったりして、非行に走ったりするあの連中である。しかしそれらの落伍者は意外といい味を出しており、学級内、他クラス、他学年と範囲を広げていき、学校全体で落ちこぼれ組の派閥のようなものができあがっていた。

 とある休み時間に、廊下を歩いていた野球部の三年生が、後輩の二年生に声をかけられた。

「先輩、こんちわ」

「おう」

「いつもネクタイがきまっててかっこいいですねえ」

 後輩は先輩に声をかけるなり、なめらかなシルクのネクタイを掴んで、すりすりと頬ずりした。

「ちっ、こらっ、やめんかバカタレ」

 叱責と同時に、後輩は素早く先輩から離れ、駆け足で逃げて行った。

「まったく……」

 このようなじゃれあいは、成績が下がれば下がるほど多かった。進学校にふさわしくない鬼ごっこや、ほうきと雑巾でやる野球ごっこは日常茶飯事であった。

 佐野昌和は、そんな落ちこぼれ組の一人だった。昌和は、いわゆるエロマニアで、学校の授業はおろか理性を保った進学校生の威厳すらなかった。彼は大柄でおとなしい性格だが、陰でこっそりエロを楽しむむっつりスケベであった。授業では寝ないでしっかり目を開けているが、昌和は昨日観たビデオのことで頭がいっぱいだった。

 そんな彼はアダルトビデオを隣のクラスの遠藤優輝に貸していた。貸すまでは良かったが、それを見終わって返す時、頭の悪い優輝はよからぬ事を考えた。むっつりスケベの昌和に羞恥心を与えるため、女子生徒もいる皆の前でアダルトビデオを返したのである。ごくありふれた、二時限目と三時限目の間の休み時間だった。昌和が一人で自分の席に座って、次の時間の数学の教科書を机の中から出していた時だった。突然教室の後ろ側のドアが開いて、優輝は大声で、「佐野ー! 借りてたエロビ返すわあ!」と言って昌和にアダルトビデオを渡してすたこら逃げて行った。昌和の悪友たちは笑いをこらえて、「おいー、佐野ー。なに貸してるのよー」とか、「はっはっは、大丈夫ゥ?」とか、フォローになってない冷やかしの言葉を投げてきて、女子たちはくすくす笑っていた。ちょうど、クラスの男子間で馬鹿にしているデブっちょの女にも笑われて、昌和はたまらなく恥ずかしい思いをした。ビデオテープのタイトル欄にはすぐ十八禁のそれだとわかるピンク色のシールが貼られている。タイトルは「マイ・キューティー・ワイフりょう二十一歳」。せめてそのシールだけでも貸す時に剥がしておけば、エロビデオと思われずに済んだかもしれないと思ったが、後の祭りだった。昌和はみんなに笑われながらもビデオを素早く自分の鞄にしまった。そしてちょうど授業開始のチャイムが鳴った。先生が教室の前側のドアから入ってきて、生徒たちは各々自分の席について、授業が始まった。

 昌和はいつか仕返ししてやろうとはらわた煮えくり返っていた。勉強はそっちのけであらゆる策を考えた。自転車をパンク、靴を隠す、ノートに落書きをする……しかしどれも陰湿ないじめでやるようなことばかりで乗り気がしなかった。アダルトビデオを皆の前で返す、という行為は、もちろんされる側にとっては嫌なことだが、どこかユーモアを含んでいて思春期だからこそ感じる、青春独特の嫌がらせではないかという気がした。それに対抗できる策はないか、昌和は考えた。

 数学の授業中しんと静まり返った教室内で先生が板書している。クラスメイトは皆無言でそれをノートに写している。写しながら、どうせ俺のことを変態だの気持ち悪いだの格好悪いだの思ってるんだろうなと昌和は思いながら、策を考えた。しかし良い策は思いつかず、結局この授業中では優輝を陥れる仕返しの一歩は決まらなかった。

 三時限目が終わって休み時間になった時、昌和はクラスの悪友にからかわれた。

「なあ、あのAVどこで手に入れたのよ?」

「俺にも貸してくれよう」

 自分の席に近寄ってくる悪友たちをかわして昌和は席を立った。トイレに行って小便をしながら考えた。優輝はどんな性格か。同じ落ちこぼれ組だが昌和と違い性格は陽気だった。だから皆の前でアダルトビデオを返すなんてゆう行為ができるのだ。体はでかいけど陰気な性格で陰でこそこそするような昌和とは大きく違っていた。また、体は小柄だが容姿がいい優輝は、女子からモテた。昌和と優輝、一見共通点がないように見える二人だが、お宝ビデオを共有するという点では親友だった。

 トイレで用を済ませた昌和が教室に戻った時、決定的なアイデアが頭に思い浮かんだ。クラスメイトが早弁(はやべん)していたのである。昌和はこれだと思った。優輝の弁当を、早弁で食ってしまえばいいんだと思った。〈早弁作戦〉だ。これなら陰湿ないじめみたいじゃないし、青春の一ページとしてしまっておいてもおかしくない思い出になりそうだと思った。自分の弁当を早弁されて(くや)しがる優輝を想像した。頭を抱える優輝と半分ギャグとして受け取る周りの連中……、人の弁当を早弁する行為は憎みたくても憎めない、どこか可愛げのある嫌がらせに違いないと昌和は思った。

 四時限目に入った後も、昌和は、明日優輝の弁当を早弁する態を妄想してほくそ笑んだ。授業などそっちのけで、優輝の弁当を何時限目の休み時間に早弁してやろうか、弁当箱を開いたらまず、おかずを食べ切るかそれともご飯を食べ切るか、などを考え、ニタニタ笑っていたのだった。

 四時限目が終わり昼休みが始まって、何事もなく昼食を取って、五、六時限目を終了した。昌和は早めに下校して自分の考えた〈早弁作戦〉を誰にも言わないで水面下で進めた。「やっぱり二時限目の休み時間に早弁して、おかずを食べ切ってやるのが一番だな……」と独りごちて、今ごろ優輝は俺のことを馬鹿にしているだろうなと思いながら、煌々と復讐心を燃やした。

 翌日の火曜日、アダルトビデオの恨みを晴らすため、昌和は優輝に対する〈早弁作戦〉を実行した。二時限目が終わり、昌和はまず廊下に出た。隣の優輝のクラスもちょうど授業が終わって、教師やトイレに行く生徒たちが廊下に出てきた。すると優輝を取り巻いている落ちこぼれの連中たちも出てきて、次いで優輝も廊下に姿を現した。彼らは水飲み場でだべってシャドー・ボクシングのまね事などをしてじゃれあっていた。昌和はいまがチャンスだと思った。優輝が教室の席を外しているいま、ミッションがスタートした。優輝と取り巻きの連中に見つからないように廊下を歩き、隣の教室に後ろ側のドアから入った。教室内はガリ勉タイプの生徒が多く、わりと静かだった。昌和は優輝が座っている中央の一番前の席に座り、机の中から優輝の弁当を取り出した。布に包まれた弁当箱は、そんなに大きいサイズではなかった。優輝は少食だった。昌和は早速包みをほどいて、弁当箱を開け、付属の箸で、まだ何も手つかずの奇麗な彩りのおかずたちをバクバク食べた。卵焼き、プチトマト、ミートボール、金平ごぼうを次々と放り込むように食べている時、優輝のクラスの人に何をしているか訊かれた時の口実も考えていた。単に、教科書を忘れたから借りに来たのだ、といえばよい。人の弁当にがっついているのは暗黙の了解で訊かれることはないだろうと踏んでいた。現に、人の弁当を早弁している昌和に話しかけてくる人はいなかった。落ちこぼれは相手にされないというむなしさが、食への欲求を高まらせた。

 しばらくして優輝が教室内に入って来て、昌和が勝手に弁当を早弁しているのを見つけた。

「――おい、やめろって」

 優輝が駆け寄ってきて食べるのを止めた。昌和はすぐに立ち上がって一目散に逃げた。逃げながら、後ろから「いや弁当食われた」という声が聞こえた。昌和はざまを見ろと思った。

 三時限目が終わった次の休み時間、昌和は優輝の様子を見に隣のクラスに行った。優輝は自分の弁当が早弁されたのを悔しがった。

「いやおかず全部食われたべやァ」

「米だ、米を食え」

〈早弁作戦〉は成功した。優輝は自分の弁当が食われて悲しんでいたが、「こいつ俺の弁当食ったんだぞ」と周りに言いふらして、ギャグのネタにしている。その表情は笑っていて、昌和を憎みたくても憎めない態で話しているのであった。昌和は、(すき)を見てまた優輝の弁当を早弁してやろうと思った。大食漢の昌和にとってはうれしい追加食だったし、〈早弁作戦〉が思ってた以上にうまくいったので調子に乗っていたのだった。


 木曜日になった。おとといの〈早弁作戦〉第一回目が成功してから、昌和はしきりに優輝の弁当を早弁する機会を伺っていた。昨日の水曜日は優輝の弁当箱を机の中から取り出すまでは良かったものの、そこで本人に見つかってしまい、食べる事までは出来なかった。今日の二時限目は理科の移動教室である。優輝を含む隣のクラスの生徒たちは皆、否応無く理科室に移動していた。優輝たちが理科室から自分たちのクラスに戻ってくるまでの間に確実に早弁ができる。昌和は自分の二時限目の授業が終わった後、即座に優輝のクラスに忍び込んだ。中央の一番前の優輝の席に座り、机の中に手を突っ込んで手探りで弁当箱を探した。しかし、弁当箱は入ってなかった。

 ――場所を変えたな。

 昌和は冷静だった。すぐに机の横に掛けられている優輝の(かばん)の中をあさった。落ちこぼれの非行癖がある彼の鞄の中にはプリクラ帳やタバコ、音楽プレーヤーなどが入っており、弁当箱も一緒になって入っていた。弁当箱を取り出し、例によって昌和は優輝の弁当を早弁した。ウィンナー、卵焼き、ほうれん草、ハンバーグなどのおかずを三分程で全て平らげた。そして理科室での授業を終えた優輝のクラスの人たちがちらほら教室内に戻って来た。昌和は優輝の弁当箱を急いで閉じていた。そして優輝が教室内に戻って来た。

「おい、お前またッ」

「おう、頂いてるよ」

「おいー、おかずだけ全部食うなやあ」

 優輝はあきれて笑いながら、おかずが空になった弁当箱を覗いた。

昌和も笑いながら「米食え、米」と言いながら、白いご飯だけになった弁当箱を覗いた。そして昌和は閃いた。今度、ご飯に指を突っ込んでやるのも楽しそうだなと思った。優輝が楽しくお昼の弁当を食べている時に、何食べているのと駆け寄っていき、「何これ!?」と言って白いご飯に指を突っ込んでやると、ギャグとしてウケるのではないかと思った。

 そうこうしてるうちに理科室から優輝のクラスの人たちがどんどん戻って来て、人が増えた。休み時間が残り三分程になった時、教室のドアから教師の顔が覗いた。優輝のクラスの担任であるその教師は、

「おーい、次の時間は抜き打ちで持ち物検査するからなあ」

 と皆に告げた。教室内にいた生徒はどよめいた。優輝も小さな声で昌和に、

「やばい、俺タバコ持ってる」

 と困惑した表情で言った。休み時間は残り二分を切っていた。今さら策を考えても到底間に合わない。

「弁当箱に隠せ」

と昌和は言った。そう言って、時間が無かったので彼は自分の教室に戻って行った。チャイムが鳴り、三時限目が始まった。昌和のクラスは地理の授業だった。どうやら抜き打ちの持ち物検査は優輝のクラスだけらしい。優輝は落ちこぼれ組の中では調達役の一人であった。補導されそうな危険を冒してタバコを調達する役だ。その分バックマージンが入る。皆で出しあったお金で手に入れるので、結果として、彼はタダでタバコが吸えていた。そしてそのタバコの管理も任されていた。なので彼の鞄には、いつもタバコが一、二箱入っていた。

 昌和はどうか優輝が無事にタバコを隠し通せますようにと願った。もしタバコが見つかってしまったら、芋づる式に昌和や落ちこぼれ仲間が検挙されてしまう。どうか、どうか、無事に持ち物検査をすり抜けられますようにと願った。しかし優輝は教室中央の一番前の席である。正面には教師のテーブルがあり、四方八方から一番注目があたる位置にいるので、大丈夫か心配になった。昌和は授業そっちのけで、優輝がタバコを弁当箱に隠し通せますようにと切実に願った。


 放課後、昌和と優輝たちは堤防の上を歩いていた。彼らは持ち物検査をすり抜けていた。持ち物検査の後、三時限目が終わった休み時間、昼休み、五時限目が終わった休み時間と、昌和にはどれも音沙汰なかった。つまり、誰も(つか)まらなかった。通常、持ち物検査や生徒指導で引っかかるとすぐ噂が広がって隣のクラスの昌和の耳にも入るのだが、なにも音沙汰なかったのでうまくすり抜けたのだと彼にはわかった。昌和は優輝に話しかけた。

「なあ、今回は危なかったよなあ」

「間一髪で弁当箱に隠せたよ」

 優輝はそう言って、余裕の笑みを見せていた。彼は、

「河川敷に下りようぜ」

 と言って、四人は堤防から河川敷に下りた。昌和と優輝の他に、取り巻きの中島と小野がいた。

「さあ、タバコですよ」

 と言って優輝が鞄の中から弁当箱を取り出して、フタをカパっと開けた。中にはマイルド・セブンのソフトケース一箱とライターが入っていた。

「あはは、油でギトギトじゃねえか」

「大丈夫だ。中のシガレットには()みてない」

 優輝はつまむようにマイルド・セブンの箱を取り出すと、透明の包装を剥がして捨て、ケースを中指ではじいて真っ白なシガレットを取り出して昌和たちに配った。日が暮れ始めた河川敷から太陽に向かって、ライターでタバコに火をつけた。

「誰か来るかな?」

 と中島が言った。

「ここは誰も来ねえよ」

 と優輝が自慢げに言った。

 四人は夕景の陽が差し込む河川敷の中でタバコを吸った。そのタバコはとても旨かった。やってはいけない事を陰でやって、それが成功した時の快感は大きなものだった。特に今日は抜き打ちの持ち物検査という関門をすり抜けることに成功したので、快感はひとしおだった。中島と小野は火のついたタバコとライターで河川敷の雑草を燃やして遊んでいた。昌和と優輝は夕日を見ながら会話していた。

「よく思いついたな、弁当箱。俺、お前に早弁されてなかったらタバコ見つかっておじゃんだったわ」

 と優輝が昌和に言った。

「ふっ、俺に感謝しろよ。タバコ一箱でよかったなあ。二箱学校に持って来てたら、弁当箱に入りきらなかったぞ」

「その通りだな。カートンで家にあるから、一箱ずつ学校に持って来るわ」

 そう会話しながら、これからは早弁必須だとか言って、けらけら笑いながら昌和たちはタバコを吸った。

 ふと脇に目をやると原っぱの雑草から煙が上がっていた。

「やばい! 火がついた!」

 小野が声を上げた。火遊びをして雑草に火がついて燃え広がったのである。四人は(あせ)った。川の水を汲んで来ようにもバケツは無かったし、水道なども近くに無かった。足で踏んだりして消していたのもむなしく、日はどんどん燃え広がり、五十坪程が炎と煙を上げた。

「やばい、やばい」

「消防車呼ぶか?」

「消防車呼んだらバレるだろ、近くの民家に助けを求めるか?」

「いやそうは言ってもだなあ」

「とりあえず、タバコを川に捨てるぞ」

 と小野は言った。それはいい手だと昌和は思った。証拠隠滅になる。優輝はタバコとライターを川に思いっきり投げ捨てた。火は一向におさまらず煌々と燃え広がり、夕景の陽射しよりも強く、熱気と赤みを帯びて彼らを圧倒させていた。

 そうこうしているうちにどこかの民家から消火器を持ったおばさんが出て来て、火を消してくれた。同時に橋の上を自転車でパトロールしていた警察官が、河川敷の炎を見て急いで現場にやって来た。警官が現場に着いた時、火は完全に消し止められていた。

 昌和たちは、火を消したおばさんと一緒に、警官から尋問を受けた。この河川敷で何をしていたのか、第一発見者は誰か、住所、名前、連絡先など、若手の警察官は手帳にたくさんメモしていた。

「君たちはどこの学校だい?」

「N高校です」

「おお進学校じゃん。こんな所でなにしてたの?」

「夕日を眺めて川に石を投げてました」

「川に石投げねえ、ふうん」

若い警官は昌和たちを半分疑いながらメモを執った。火を消したおばさんにも質問をいくつか投げて会話していた。一通り訊き終ったら「君たちも気を付けるんだよ」と言って自転車をこいで現場を去って行った。消火器を持って来たおばさんは「命拾いしたね」と言ってその場を去って行った。昌和たちはぽつんと現場にとり残された。

「あっぶねー。タバコ吸ってるのバレるとこだったな」

「てか、学校に連絡入らねえか? 入ったらホームルームとかで先生に言われるぞ、河川敷が焼けたって」

 中島と小野が喋っているのを聞きながら、学校に連絡は入らないでくれと昌和は願った。優輝は、暗い表情で、こう言った。

「あのおばちゃん、命拾いしたねって言ってた。俺らが河川敷焼いたの、知ってるんだ」

「だろうな。でももうどうしようもできねえよ。おばちゃんが学校にチクらないことを願うだけだ」

「そうだな」

「いやァーしかしびっくりした。あんなに燃え広がるとはな」

「晴れて乾燥した日だからなおさらだね」

「タバコを川に捨ててよかったな。警官にバレるところだったぜ」

「ありとぅーす! 助かりました!」

「ぎゃはは、よせやい、当然ってもんよ」

 優輝が小野に礼を言って、馬鹿笑いが夕景の中に響いた。濃厚に煌めく夕陽は、落ちこぼれ組の背中をあたたかく照らした。


 金曜日になった。昨日の木曜は抜き打ちの持ち物検査があったので、さすがに昨日の今日ということもあってか、学校によからぬ私物を持って来る者はいなかった。しかし、裏の裏をかいて、優輝は学校にタバコを持って来ていた。昌和は、もう優輝の弁当を早弁することはなくなった。優輝は、いつ抜き打ちで持ち物チェックされてもいいように、一時限目が終わったら早弁を始めて、二時限目からはいつでもタバコを弁当箱に隠せるようにした。それだと一時限目に持ち物検査が入ったらアウトだが、それをどうするかが今後の課題だった。ただ、さすがに前日持ち物検査で翌日の一限目も持ち物検査というふうにはいかないだろうと彼の中で踏んでいた。現に今日金曜日の一限目は抜き打ち検査ではない通常の授業だった。

 今日は六時限目まで何事もなく進んでいった。放課後、昌和、優輝、中島、小野の四人は堤防の上の小道を自転車で帰っていた。彼らは、喫煙する場所を変えた。いつもの所より足を伸ばして、学校から少し離れた、市の総合体育館やテニスコート、弓道場がある近くの河川敷でタバコを吸うことにした。

 ちょうど高体連の季節で、総合体育館側では、部活動の高校生が多く人目につきやすかった。しかし堤防をはさんで河川敷側は人が少なく、閑散としていた。ゲートボール場にちょっとした遊具があるくらいで、散歩している人がたまに通りすぎるくらいだった。昌和たちはコンクリートで整備された河原に下りて、どっかりと腰を下ろしてタバコを吸うことにした。

「さあ、タバコですよー」

「さすがに昨日の場所ではタバコ吸えねえよな」

「うん、警官がパトロールしてるかもしれんしな」

「…………」

 昌和は他の三人の話を黙って聞きながらタバコを吸った。彼らは整髪料のワックスのことについて話していた。タバコと同じように調達役を決めていた。

「俺はタバコの管理で忙しいから無理だわ」

「俺は……なんもしてねえけど無理っぽいわ」

「おっ、びびってんのか? ワックスをパクるの」

「…………」

 小野がビビりの中島をからかうように言った。優輝もそれに乗っかった。

「おいなにビビってんのよ? ワックスなんてタバコより楽だろ? 持ってても補導されねえし」

「いや、パクッてる時に捕まったら停学だろ」

「はっはっは、そんなのタバコも同じだろ。ははっ、ビビりがいるぞここに。昌和どう思う?」

「……まあ俺がやってもいいよ」

 昌和は川の流れに目をやりながら一服してそう言った。

「さっすがわかってるゥ。じゃあ昌和、お前が調達役な。中島、男は度胸が必要なんだよ」

「…………」

「なァにふてくされてんだよ。――よし、行くぞ」

「……帰りますか」

 昌和はそう言って、吸っていたタバコを指ではじいて川に捨て、よっこらせと立ち上がった。残りの三人もタバコを吸い終わって川に捨て、おもむろに立ち上がり、各々停めていた自転車にまたがった。

「じゃあちょっくら高体連にでも顔出しますか」

 四人は自転車をこいで堤防越しの総合体育館側に向かった。四人はタバコ臭かった。だがそれが不良の証しだとも言わんばかりの態であった。制服姿の男子高校生が、タバコ臭い、というのは一種のステータスであった。すれ違うとぷうんとかおるヤニのにおい、大人のエチケットで見ればよろしくないことだが、彼らから見れば、早い段階で大人の嗜好品に手を染めているかっこいい男、というイメージであった。ヤニのにおいをまき散らしている四人は、テニスのラケットが入っている鞄を持った生徒たちの前を通り過ぎた。真面目に部活をやっている連中から「タバコくせえ」と陰口を言われながら弓道場の前にさしかかった。

 昌和が、

「俺、いいこと思いついた」

 と言った。

「なに?」

 と優輝は訊き返した。

 弓道場ではちょうど大会の閉会の儀式をやっている最中で、生徒たちが整列して場内はしんと静まり返っていた。誰かが叫べばそれは全員の耳に入ることになる。

「今から俺、カミングアウトするから」

 と得意げに昌和は言った。

 昌和は女性器の名前三文字を、甲高い声で叫んだ。

 淫猥な言葉は空高く上がり、閉会の儀の最中の弓道生に響いた。

「逃げるぞ、逃げるぞ」

 昌和は一生懸命自転車をこぎだした。優輝たちも昌和を追いかけるように自転車をこいだ。

「おい、何言ってるのよ」

「絶対弓道のやつらに聞こえてたって」

 と言いながら優輝たちは笑った。

 一方、閉会の言葉を述べていた教職員と弓道部員たちは昌和の叫び声を聞いて一瞬笑った。隣町のむっつりスケベな弓道部の主将は、しばらく笑いをこらえていた。

 真面目なことをしている人はむっつりが多い。そのむっつりを開花させた昌和たちは普段何気ない所にも笑いが潜んでいることをおしえてくれる。天の邪鬼たちは、降り注ぐ夕陽に包まれて、今日もどこかでじゃれあっては人々を笑わせてくれているのであった。

 ――夕景のなか燃えている河川敷の炎を、忘れることが出来ない。

(了)

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