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アンティークショップ

作者: 天野眞亜

 チョコレート色の木枠に、読めない看板。

 相当に近づかないと中を窺うこともできない不思議なガラス窓。いや、窓よりも壁と呼んでしまった方がしっくりくる。枝を這うツタをイメージしているのか、細かな装飾の入った木枠はうっかり触れるのも躊躇われた。

 瀟洒な佇まいは、シャッター街の一角にある。

 カフェではなく骨董品を売る店(アンティークショップ)だと思ったのは、はて何故だったろう。記憶力はそこそこ、最初に店を見つけたのも遠い昔のことでもない。

 なのに、本当に何故だろう。

 随分昔から知っているような気がするのだ。

「いらっしゃいませ」

「ああ」

 可愛らしい囀りに、嘆息めいた声が出る。

 扉を開ければ呼び鈴が鳴るように、りんりんと軽やかな声が出迎えてくれた。彼女はいつだって店の真ん中、大きな大きな椅子に行儀よく座っている。くるくると巻いた金の髪、きらきら輝く青い瞳、赤くて小さな果実のような唇、ふっくらと柔らかそうな頬。薄暗い店内でぼうっと光って見えるくらいに肌は白く、手足は折れそうなほど細かった。

 長い睫がパサパサ動いて、どこかがキイキイと音がする。

「初めてまして? こんにちは? ふふ、会えて嬉しいわ。驚かないで聞いてね、ワタシはこのお店で唯一非売品のお人形さんよ」

「知ってるよ」

「まあ、そうだったの。じゃあ、アナタに会えたのは何度目かしら。素敵な紳士のお客様。二度目? 三度目? 驚かないで聞いてね、ワタシの足はご主人様に捧げたの」

 ぷらり、と一本しかない足を揺らす。

 確かに赤い靴は一つきりで、たっぷりとフリルを使った鮮やかなドレスの中は窺い知れない。どこから「捧げ」られたのか、どこまで残っているのか。

「おさわりは禁止よ、ごめんなさいね」

「それも知っているから、大丈夫。安心してほしい」

「そうなの。そうだったのね、助かるわ。ワタシに触れると、ご主人様がとっても怒るから。そんなに大事なら奥にしまっておけばいいのに、こうして店番をさせるのよ。信頼されているの」

「責任重大だね」

「ええ、ええ、そうよ。とっても大事なお仕事だもの」

 嬉しそうに、本当に嬉しそうに彼女は笑う。

 小さな両手を合わせ、ほんのりと頬を染めて。

 たったそれだけで、彼女がどれだけ「ご主人様」を想っているのか知れた。夢見るようにうっとりと目を細め、閉じるのを忘れたかのように唇がわななく。二人の関係がどんなものかは分からないが、他人には理解できない絆がある。

 羨ましいとは、思わなかった。

 誰かのために体を欠損させてもいい、と思えなかったから。




 ある時、彼女は片腕をなくした。

「だって仕方ないわ。ご主人様のためだもの。ワタシの体はご主人様のモノだから、ご主人様に捧げるのは当然のことよ。ああでも片腕じゃあ、半分しかお役に立てないわね」

 残念だわ、と急変した天候を語るように呟いた。

 そして彼女は右目をなくした。

 右足、右腕、右目の欠けた状態ではバランスが難しいらしい。ちょっとだけ傾いた体に金の髪がくるくると巻きながら覆っている。こうしてみると、かなり髪が長かった。立ったところなど見たことはないが、踝くらいは届くだろう。

 結うなり、飾りをつけるなりすればいいのに。

「ダメよ。それはいけないわ。ご主人様に叱られてしまうもの。ワタシの髪の毛一本からつま先に至るまで、ご主人様のモノなの。ねえ、見て? 今日はキモノを着ているわ。背中で見えなくなるから結び目を前に回したんですって。素敵ね。長い袖と裾の絵柄を重ねると、少しだけ不思議な感じがするわね」

 赤い着物がとても気に入っている。

 彼女のそんな気持ちが透けて見えるような長台詞に、ついつい相槌を忘れた。パサパサと揺れる睫の下は、キラキラと美しい青い瞳だ。くるくると巻いた金の髪で隠れてしまった右頬も、今はほんのりと紅潮しているのか。

 着物に合わせた黒い鼻緒の草履が視界の端で揺れた。

 彼女の「ご主人様」はおそろしく衣装持ちである。来るたびに衣装が変わり、一度も同じ服を着ていた試しがない。あるいは来られない日に、見覚えのある服を着ているだけかもしれない。

 小道具だってセンスがいい。

 ちゃんとワンセットになっている。

 衣装の良し悪しが分からない人間でも、それは明白だった。だからこそ、金のヴェールのようにくるくる巻いている髪に飾りを付けないことが不思議に思えた。せめて店内が明るければ、眩しくない照明器具の一つや二つあってもいいだろうに。

「ワタシに会いに来てくれたのね、嬉しいわ。初めてかしら。こんにちはかしら? この店にはいろんなモノが置いてあるの。どれでも触っていいけれど、ワタシへのおさわりは禁止よ。ごめんなさいね」

「知ってるよ」

 彼女はパチパチと瞬きをした。

 そうして片方しかない手を上げて、恥ずかしそうに微笑む。

「ああ、そうだったわね。そうだったの。ワタシはお店の案内はできないけれど、お店のモノはどれでも見ていって。気に入るモノがあれば、連れていってね。素敵な紳士のお客様」

「気に入るものがあるといいな」

「ええ、きっとあるわ。そうだといいわ。だってそれは、とても素敵なことだもの。想像するだけでわくわくしてくるでしょう。どきどきしてくるのよ。きっとご主人様も喜んでくださるわ、きっとよ」

 二言目にはご主人様。

 彼女はいつだってそうだ。

 どこか可笑しな調子で囀る声は、いつまでも聞いていたくなる。だから何度も足を運んでしまうのだろう。来る度に彼女は体の一部を失っていく。空っぽの袖を垂らして、ぺったりと潰れた裾を揺らして、今日も豪奢な椅子にお行儀よく座っている。




 とうとう彼女の手足が失せた。

 両目もない。

「いらっしゃいませ、素敵な紳士のお客様」

 がらんどうの両目に、長い睫がパサパサ動く。

 今日はどこかの民族衣装だろうか。着物も日本の民族衣装だから、それ以外について知らないだけだ。彼女に聞けば色々教えてくれると思ったものの、くるくる巻いた金の髪に縁どられた白すぎる肌に言葉を飲み込んだ。

 ごくり、と喉が鳴る。

「初めまして、こんにちは。ワタシはご主人様のために、店番をしているの。お店のものは何でも触っていいけれど、ワタシにおさわりは禁止よ。ごめんなさいね?」

「大丈夫、大丈夫だ。知っているとも」

「そう、そうなの? だったら安心ね。きっと安心できるわ。ご主人様ったら、とても心配症なの。大丈夫と何回言っても悲しそうなのよ。ワタシ、そんな顔は見たくないのに。どうしたらご主人様は笑ってくださるのかしら。ご主人様のためなら、ワタシはいくらでも捧げるのに」

「もう捧げるものなんか、ないじゃないか」

「いいえ、いいえ。あるのよ。あるんだわ。あるに違いないわ。だって、ワタシはご主人様のために存在しているの。それがお仕事なの。大事な、大事なおつとめなんだもの」

「……店番は?」

「え? ああ、そうね。それもそうね。うふふ、素敵な紳士のお客様。ワタシの心配をしてくださるなんて、ご主人様の次に心配性なのね。初めて知ったわ。素晴らしい発見ね。今日はとっても稀有な日になるかもしれない。ああ、ああ、胸が高鳴ってどうにかなってしまいそう!」

「そ、そんなに興奮しなくても」

 いいんじゃないかな、という呟きは音にならない。

 どこかで「バーン」とか「ジャーン」とか「ガーン」とかいう、何か凄まじく大きな音がして飛び上がったからだ。漫画だったら確実に十センチは飛んでいる。猫ならリアルに跳ねている。

 こつこつこつ、と音がする。

 杖で床をノックするようにも聞こえたし、革靴でタップするようにも聞こえた。とにかく誰かが近づていることは明白で、それが彼女の言う「ご主人様」であろうことは容易に想像できた。

「あら」

 彼女の驚く声がする。

「や、やめろおおお!!!」

 誰かの叫ぶ声がする。

 ふわりと翻ったのは、くるくると巻いた金の髪。

 小脇に抱える、なんていう無作法なことはできなかった。両手で攫って、全身で抱え込むように隠して、一目散に走る。もちろん、ツタが巻きついた装飾のチョコレート色っぽい扉の向こうへ。




 今日も今日とて、その扉をくぐる。

「いらっしゃいませ」

 金の髪はくるくると巻いて、椅子の下までこぼれていた。

 キラキラと輝く青い瞳はパサパサと動く睫で、見えたり隠れたりする。白いフリルと白レースだらけの黒いドレスには、何故か革製っぽいベルトがいくつも巻かれていた。まるで彼女を椅子に縛りつけているかのようだ。

「初めまして! ね。こんにちは! かしら。ようこそ、素敵な紳士のお客様。このお店に来ていただけて嬉しいわ。驚かないで聞いてね、ワタシはこのお店で唯一非売品のお人形さんよ」

 キイキイと音がする。

「ああ、知っているよ」

 何もかも知っている。

 彼女は頬を染めて様々なことを語ってくれるが、そのほとんどを暗唱できるくらい「知っている」のだ。ほんの少しずつ違っている台詞の一つ一つは、録音されたデータを再生しているだけ。

「本当に美しい自動人形オートマタだね」

「あら、ありがとう。ご主人様も、いつも褒めてくださるわ。可愛いエリー、愛しいエリザベータ、ぼくだけの小鳥。どうか、その鈴のような歌声を聞かせておくれ」

「あんまり似ていないな」

「そうかしら。そうかもしれないわ。だって、ワタシはご主人様のモノだもの。ご主人様のために存在しているの。お店の番をするのだって、大事なお仕事なのよ」

「そうだね」

 相槌を打ちながら内心で首を傾げる。

 全てが録音されたデータだって? 一言一句違わずに?

 はたして本当だろうか。確かに「ほぼ」同じ台詞を聞かされている。彼女が語ることは「ご主人様」と「店」のことだけだ。客の名前を問うこともなければ、何度も同じ客が来ても「初めまして」が先に来る。

 人間らしい所作はどうやって生み出されるのか。

 世間では、やっと二足歩行のロボットが完成したばかりだ。自分で考えて話せる機能プログラムも発表されたが、どうやって人形が頬を(・・)染める(・・・)のか!

 しかもハッキリ思い出せる。

 あの日、あの時、この手で攫おうとした。

 制止の声は「ご主人様」だろう。それで立ち止まっていたら、あの恐ろしい出来事を体験せずに済んだかもしれない。だが結局、扉に向かっていった。腕の中に囲っていたモノは甲高い悲鳴を上げて飛び散った。

 いきなり爆発したのだ。

 扉から外へ出た瞬間か、出る直前か。

『ああ、ああ……なんということを。何ていう愚かなことをしてくれたんだ。また作り直しだ。また最初からだ。可哀想なエリー、私の愛する娘、いつになったら一緒に過ごせるんだろうな』

 老人のしゃがれた声が脳裏にこびりついている。

 エリザベータという人形、エリーという娘。

 これ以上奪われまいとして、心奪われた人形を持ち去ろうとした非は自覚している。そのせいで彼女は一度、失われた。

「一度?」

「おさわりは、禁止よ」

「あ、ああ……すまない。大丈夫、何もしない」

 美しい自動人形。カラクリ仕掛けとは思えない精巧さ。

 一方通行の会話を繰り返し、一方的に思慕を募らせ、そうしてまた扉をくぐるのだろう。奪われ、捧げ、欠けていく彼女に見かねて攫おうとして、また失うのだろう。

 それでも、それでも店に通わずにはいられない。

「いらっしゃいませ、素敵な紳士のお客様」

「うん、また来たよ」

 いつか彼女に「顔」を覚えてもらうまで。

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