うんちメンタル
うんちが飛んでくる。道行く人々の間を縫うようにではなく、上空を飛んでくる。
臭いはうんちのそれだとはっきり分かる程の強さだが、すぐ傍にある感じはまだしない。遠くから、飛んできている。
臭いを嗅ごうと強く息を吸うと、まるで僕とうんちを繋ぐ糸を鼻から吸い込んでいるような感じがする。分かっている。うんちが近付いてくるのは、分かっている。
僕は、うんちを待っている。いや、来ないほうがいいのかもしれない。けれども、来る。そして、今の気持ちのままなら、うんちが来ても大丈夫だと思える。意識を、集中しろ。
アナウンスが鳴り、僕の名前が呼ばれる。僕はアップを脱ぎ、テニスシューズの紐をしっかりと締めてから、コートへと歩き出す。
たくさんの人を避けながら進むうちに、ラケットを握る手の平から汗が出てきた。舞い上がっているのか、頭がうまく働かない。人ごみを避ける動作が不自然になった。できるだけゆっくりと息を吸う。芝と土の混ざった匂いがする。
うんちは、どこだ。落ち着け。もうすぐ始まる。あるんだ。飛んできている。茶色い物を想像しろ。うんちだ。うんちが、空を飛んでいる。もううんちからは僕が見えているかもしれない。臭いを嗅げ。よし、ある。臭いがする。うんち、うんちうんちうんち――うんちよ、ずっとそこにいろ。僕の頭の片隅に。
コートを囲む観客の数は、昨日の準決勝の三倍はいた。相手選手は既にコートの中で待っている。もうここからは、一度も失敗はできない。僕は金網の扉を開け、コートの中へ入った。あとは主審が来たら、始まる。気を抜くと肩が上がり、体がびくびくと震えだしそうだったが、僕はただ懸命に頭の中でうんちを思い描いていた。
大会本部のある方向から、スコア表とボールを持った主審がやってきた。うんちは僕のほぼ真上まで来ている。相手選手がコートの中央へと歩き出した。主審がコートへ入る。僕はラケットを握る力を緩め、ネットと相手選手を漠然と見据えながら、コートの中央にうんちを落とした。よし。試合が、始まる。