第91話 探索部隊
※冒険者ギルドが放った斥候PT視点
主人公が森へ霊芝を探しに行く前の晩の話
「……どうなってんだこりゃ」
ベイルで30年以上冒険者稼業をやってきたその男は、目の前に広がる異常事態に絶句した。
このような光景はここより遠く離れた東の山の中、ドワーフ王国などではよく目にするという。
活発な活動を続ける活火山が、地下からの有毒ガスを大地の裂け目より噴出させる――
だがこの森は火山でもないし、地下から有毒ガスが吹き出たという報告は、少なくとも冒険者ギルドの歴史の中には存在しない。
「ここで50箇所目だ。これほどの高濃度の瘴気が、このような浅い場所で……」
火山地帯に噴出する有毒ガスのように、現在ザッハカーク大森林のあちらこちらで高濃度の瘴気が噴出していた。
濃度の高い瘴気が大森林で観測されるのは、それほど珍しいことではない。
詳しい条件はわかっていないが、朝靄のように森を覆い、魔物たちの進化と成長を促すらしい。
冒険者ギルドではザッハカーク大森林での異変を素早く察知するために、多数の斥候を放っている。
多くは2~3人のパーティーで、それぞれの持場を確認し異常が起きていないか調査するのだ。
彼らもそんな探索部隊の1つであった。
「こんなふうに地面からガスみてえに瘴気が溢れ出てるなんて、初めてみたぜ」
髭面に短く刈り上げた髪を撫でながら、男は訝しげな視線を件の場所に送った。
瘴気は魔素が視認できるほどに、濃度が高くなったものとされている。
魔素は人はおろか、あらゆる生命に必要な要素の1つである。しかし濃すぎる魔素、瘴気はときに生命に害を及ぼすのだ。
「そろそろ薬草の効力が怪しい。暗くなってきたことだし、一度砦まで帰還しよう」
革製の軽鎧に身を包み腰に曲剣を差した男は、鞄から取り出した砂時計を眺めながら髭面の男に提案した。
髭面の男は「そうだな」と提案に頷き了承した。
彼らはまるで鳥の嘴を模したような革製のマスクを被っている。
目に当たる部分は硝子板が嵌めこまれ、革のマスクは後頭部にあたる部分でベルトで締め具合を調節する仕組みになっていた。
嘴にあたる部位に薬効の高い植物を詰め込んでいて、これにより魔素を中和させている。
これは必要以上に魔素を体内に取り込むのを防ぐためだ。
彼らのように高濃度の瘴気に長時間身を置かなければならない者達には、必須の装備だと言える。
髭面の男が懐から小さな何かを取り出すと、マスクを一旦外して唇に当て勢い良く息を吹き入れた。
だだ空気の漏れる音だけが聞こえる。
実際には彼らには聞こえることのない笛の音は、彼が使役する下僕たちへの合図である。
犬笛と言われるこの魔導具は、犬系の魔物を使役する際には無くてはならない必需品だ。このように離れた下僕に合図を送る魔笛と総称される魔導具は、獣使いが扱う魔導具の中でも最も代表的なものの1つであった。
髭面の男は獣使いと称される、獣を使役するに特化した職業だ。
しかし全ての獣を使役できるというわけではない。調教しやすい種、しにくい種、その個性は様々である。
彼は6匹の犬系の魔獣を従えていた。それぞれ若い個体でも、10年以上彼が我が子のように手塩にかけて育てた自慢の下僕である。
「……遅いな」
6匹の魔獣を我が身の如く操り、広範囲を探索するのが彼の斥候としての強みだ。
探知系のスキルで探りきれない、細やかな部分も暴きだす彼の仕事には定評があった。
今回のような高濃度の瘴気が発生している地域などでは、いつもの感覚で魔術やスキルが使えない場合もある。そんな状況下でも魔獣である犬たちであれば、その影響は小さいため、十分に探索が可能なのである。
現在近くに魔物がいないか警戒の最中である下僕は、それほど遠くまでは離れていないはずだ。
帰還命令の笛の音が聞こえないはずがないし、1匹でもこのあたりに出没するゴブリン程度なら楽に殺せる戦闘力は有している。
無論勝てない相手には逃げるように調教している。そもそも戦闘を目的とした下僕ではないため、積極的に戦うようなことはないのだが。
「犬も遅いがアイツも遅くないか?」
「まぁ女の小便は時間がかかるんだろ」
この探索部隊は3人組である。
獣使い、斥候、魔術師。この3人で行動するようになって20年以上になるだろう。
それなりに気心の知れた仲だとは思ってはいる。
今森は危険な状態で、そうでなくとも森のなか要警戒中に小便だとしても一人になるのは危険だ。というのが本音ではあるものの、流石に気心の知れた仲間とはいえ、女に俺たちの目の届く範囲で用を足せとは言えるはずもない。
「だが少し遅すぎないか?」
斥候職の男が不安の色を見せる。
「小便のついでに大便も済ましてるんじゃないか?」
髭面の男の言いぶんは酷く下品なものであったが、そんな彼も流石に遅すぎるなと感じ始めていた。
女の行動の遅さはともかく、我が下僕は自ら調教し育てた信頼できるものだ。その正確さ、機敏さには自信があるものだが、今の状況は不安にさせる要素が多すぎた。
時間が経てば経つほどに、その不安は心のなかで大きなものとなっていく。
しかし、我が子のように思っている下僕の犬たち、長年付き合ってきた女魔術師を置いてこの場所から撤退する選択肢はない。
自分らが動いて探しに行くのも危険だろう。入れ違いになる可能性が高い。であればどうするか……
そうして悩む彼らの目の前に1つの影が姿を現した。
「……なっ」
そこに現れたのは、血まみれになった下僕の1匹。一番年若い犬であった。
動きがおかしい。ひょこひょこと足を庇うように歩み寄り、不器用な様子で、今にも力なく倒れそうである。
よく見れば口に何かを咥えていた。
「……おい。そんな馬鹿な」
犬が咥えていたものは、血に濡れた鳥の嘴を模したマスクであった。
沈黙が流れた。髭面の男が犬に駆け寄り、その状態を確認しつつ我が下僕が咥えていた品を確かめる。
犬は何か凄まじい力によって、硬い何かに全身を打ち付けられた。そういった感じだと悟った。半身の至る所に骨折等の痛ましい傷が見える。
「一体何が……」
一体何が。とは言うものの、二人の胸中にあったものは、おそらく同じであろう。だがそれを口にすることはできないかった。
考えがまとまらず、行動が遅れた。それが彼らの明暗を分けることになったのだ。
「……ナニガ?」
「バカナ?」
「いタイ……な二?ヴァ?」
「ばカナ」
「アナバ……」
「イナ……ヴァ?ゥあ?」
暗く静かな森のなか、不気味な声がどこからともなく響いてくる。
そして気付いた。いや気付いてしまった。ずっと前から自分たちが多数の巨人に囲まれていたことに。
「なッ!?」
周囲の木の影、暗がりから徐々に姿を現す巨大な人影。1体1体が3~4メートルはある若いサイクロプスだ。
自分達からの距離はそれぞれ20メートルも離れていない。ここまで接近されるまで気付かなかったなど、例えここが高濃度の瘴気によって汚染された地域だとしても斥候として絶対にありない事態であった。
深い緑色の肌は分厚く剣も槍も通さず、頭部に備えた特徴的な単眼は非常に目がよく、遠く離れた獲物も見逃さない。
丸太のように太い腕は、竜さえ絞め殺す程の怪力を生むという。
それがざっと見渡しただけで6体。絶望的な数だ。まだ1体なら何とかなっただろう。少なくとも逃げることはできた。彼らは強靭な肉体を持ってはいるものの、動きは機敏とは言えない部類なのだ。
だが既に囲まれたこの状況では……
冒険者となって長い時を過ごした。死ぬような目にも両手じゃ足りないほど経験している。今更死ぬのは怖くはないし、無様に取り乱したりもしない。
だが自分たちの知り得た情報だけは、何とかギルドに届けなければ……それは使命感か、またはある種の矜持か。
それにしてもこの巨人たちは妙だ。脳みそが鶏並みに小さいサイクロプスは、凶暴かつ馬鹿力で恐れられている。だが人の言葉を話すというのは聞いたことがない。
それに数だ。サイクロプスは通常群れない。1体で行動するのが常である。無論例外はあるが。
ボリボリボリッ……不気味な音が響いた。何かが砕かれ咀嚼される音。確認したくはないが、せざるを得ないそんな状況だ。
そして見た。絶望の権化を。
深い、何処までも深い黒い体色のサイクロプス。黒ではなく闇といったほうがしっくりくる印象。
周囲を囲むサイクロプスの背後にそれはいた。
骨太で分厚い印象である通常のサイクロプスとは違い、ソレは細かった。しなやかさと強靭さを兼ね備えた、鞭のような体であった。
「希少種だと?嘘だろ……巨人の希少種なんて、そんなもんが」
黒い巨人は手に持つ何かを齧りながら、俺たちを見てニヤリと笑ったような気がした。
汗が止まらなかった。立ち向かうという選択肢はない。規格外にもほどがある。これは俺達のようなレベルが相手にするやつじゃない。英雄と呼ばれる人外どもが相手をする輩だ。
あまりの異常な事態に鑑定筒を取り出すのも忘れていた。
鑑定筒というのは、遠見筒といわれる遠くを見る事が出る筒の形をした魔導具に、鑑定スキルを加えた魔導具である。
自分たちがギルドから支給された魔導具はC級だ。任務が終わればギルドに返還し、万が一失うことがあれば自腹で賠償しなければならない希少なものだ。そうなったら10回は命を捨てるような任務を達成しなければならないだろう。それを考えると絶対に失くすわけにはいかなかった。
「……しかし返還は無理そうだな」
C級の鑑定はレベル30代までの魔物を調べることができる。
サイクロプス 妖魔Lv24
サイクロプス 妖魔Lv22
サイクロプス 妖魔Lv23
周囲を囲んでいるのはサイクロプスの子供のようだ。
成熟した大人だと40近いのも珍しくない。落ち着いて見ればサイクロプスの中では、体格的にまだ小柄な方だろう。だからといってこの状況を覆せる妙案は浮かばないのだが。
奥に潜む黒いサイクロプスを鑑定してみるも弾かれる。
鑑定を阻害する能力か、単純にレベル40以上かどちらかだ。両方かもしれないが。
探索のプロである俺たちを欺き接近できる隠密系の能力、姿を隠したまま俺たちを殺せたはずなのにわざわざ姿を晒すということは、たぶん遊んでいるのだろう。
サイクロプスの子供ではよくある生態らしい。人を食うために襲うのではなく、人の子供が遊びで悪戯に虫などの小動物の命を奪うように、彼らもまた遊びで人の命を奪うのだ。
そこにあるのは同族を殺された復讐や怨念といったものではなく、単純で純粋なただの暴力である。
あの黒いヤツはそういった残虐性に加え、仲間に囲わせ自分は安全な位置にいるという用心深さも備えている。
徐々に狭まる巨人の包囲。
髭面の男は犬の頭を撫でた。
「酷い怪我をしてるのに、悪いがもう一働きしてくれ。頼むぞ」
「オンッ」
男は懐に忍ばせておいた秘蔵の魔法薬を、手のひらに出して下僕の犬に与えた。
いざという時のための薬だ。瞬時に傷が治るといったものではないが、疲労や痛みは和らぐだろう。
「死ぬ時は花街で腹上死と決めていたんだがな……」
髭面の男は呟いた。むさい男と一緒に巨人に嬲られる最後とは、これ以上思いつかないほどの最悪の死に様だと嘆いた。
「くそっ、俺は鹿鳴亭のマリアちゃんともう少しで上手く行きそうだったんだぞ!畜生!」
斥候の男が慟哭した。
「……鹿鳴亭ってギルドの近くの店か?」
「ああ!」
「その娘って、金貨1枚で相手してくれる娘か?」
「!?」
宿に食事のできる酒場が併設された店は、ベイルでは珍しくない。
ときに酒場で働いている給仕の娘などは、そのような交渉に応じる場合もあるというのはそう珍しいことではなかった。
無論全ての店がそうとは言えないのは当然であるが。
「こんなときに、そんな話聞きたくなかった!!」
「すまん」
斥候の嘆きの声が、静寂の森に響いた。




