第75話 ささやかな幸福
なんだかドタバタした1日が終わった。
リザもシアンもその日は羞恥心からなのか、頬を赤く染め俯くのみであった。
「薬のせいで錯乱していただけであって、まともではなかったのだ。気にする必要はない、早く忘れたほうがいい」
それっぽい助言を送っておいたのだが、彼女達の心に届いたかどうかは定かではない。
とりあえずその夜に彼女達が俺の部屋へと訪ねてくることはなかった。
しかしあんなことがあったせいか、気が高ぶって眠れない。
丁度今夜は独り寝のようだし、荒ぶる精神を落ち着けるための儀式を執り行うことにした。
この儀式を執り行うのはこちらへ来て初だが、どうやら遂行するに支障はないようだ。
翌日いつもの様に日課をこなして家に戻れば、いつもにようにリザが出迎えてくれる。
どうやら吹っ切れたようで、変な緊張感はもうないようだ。
彼女が作った朝食をいつもの様に頂く。
いつもの平和な日常だ。
思えばこの世界に来た当初は生き残るのに精一杯で、まさにサバイバルだったが、最近、特にこの都市に腰を落ち着けてからは、この世界のなりの日常に浸り、この生活にも慣れたような気がする。
「今日はどうされますか?」
「そうだな……」
森は巨人のこともあるし、少し様子見でもいいだろう。
アルドラの話でも、普段とは違った違和感のようなものを感じているようだし、もしかしたら魔物の異常発生の兆しかもしれない。
そうなればギルドから何らかの通達があるだろう。
特別森に行かねばならないという理由が無ければ、待機でいい。
リザにそのような考えを伝えると――
「でしたら、お買い物に付き合っていただけませんか……?」
彼女はおずおずと、俺の様子を伺いつつ訪ねてくる。
もちろん断る理由はない。
快く了承すると、昼頃までは調合の下準備があるらしく出かけるのはその後に、という話でまとまった。
リザとの約束の時間までは、地下遺跡の空間で剣術や魔術の訓練をして時を過ごした。
最初の部屋は植物で埋め尽くされていたはずだが、今はもう綺麗に片付いている。
砕かれた木片はアルドラの収納で上へと運んだらしい。
どうやら薪として利用されているようだ。
「しかしお主は覚えが早いのう。軽く教えた型もだいぶ様になってきたようじゃ」
アルドラは今まで弟子というものを持ったことがないらしく「教え方などわからん」とボヤいていたが、それでも実践を通して言葉少なくも教えてくれた。
本人自体が得意な得物が大剣類ということもあって、実際に教えられることには限界があると言っていたが、剣を持ったのも初めての俺からすれば基礎の基礎でも十分に有り難く勉強になった。
聞くのも体験するのも初めての事というのもあるのだが、とにかく初体験というのは楽しいのだ。
まるで自分の世界が広がっていくような感覚である。
「ミラさんは大丈夫かな?」
昼になり、食事のためにリビングに皆が集まる中にミラさんの姿はない。
「ええ、お母様は少し気分が悪いそうなので私達で先にいただきましょう」
リザの口ぶりから、それほど深刻さは感じられないので問題ないのだろう。
ミラさんの体調が良くないと言っていた話を思い出す。
何かの病気なのだろうか。
リザが付いているのだし、俺から何かいうことも無いが少し心配だ。
「ありがとうございます。でも大丈夫です、少し体力が落ちているだけだと思うので」
そう言ってリザは笑顔を見せた。
「兄様、姉様いってらっしゃい」
「にゃー」
シアンとネロに留守を頼み、俺とリザは用事を足しに商店街へと足を向けた。
アルドラはというと「若い二人を邪魔する趣味はない」と言って、幻魔石へと戻り鞄に収まっている。
亀の甲より年の功である。
空気の読める大人であった。
どちらともなく手が触れると、何も言わずとも気付くと手を繋いでいた。
自然と指を絡める。
リザは少し気恥ずかしそうにしているが、嬉しそうでもある。
そんな様子を視界の端に捉え、何か心の中が温かいもので満たされるような感覚を得る。
何か久々に感じる、擽ったいような感覚。
幸福感ってやつだろうか。
俺はそんなことをぼんやりと考えながら、石畳の道を彼女の歩幅に合わせてゆっくりと歩いた。
「ジン様よろしいのですか?2つともジン様が使われたほうが利用価値が高い様に思えますけど……」
俺は今まで使っていた冒険の鞄をリザに譲った。
現在俺の腰には祠で手に入れた魔術師の鞄が装着されている。
「便利な道具だし、リザも素材採取や道具の収納なんかで用途は幾らでもあるだろう?これからも魔法薬の作製など頼りにしているし、その魔導具が役に立てるなら使ってくれ」
もちろん俺が2つ装備するのも有効だろうが、今のところ収納数が少なくて困っているわけでもないし、リザに持たせて素材の採取用に役立てたほうが利がありそうだ。
この先で何か状況が変われば、その時また考えればいい。
リザもそういうことならと納得してくれたようで――
「ありがとうございます。大事にしますね」
そう言って嬉しそうに俺が使っていた鞄を抱え込む。
うん、やっぱり返してとはもう言えないな……
魔術師の鞄に収納されていた道具は、使えそうなものは手元に残し、使わない売れそうなものは売り払うことにした。
既に素材の類などはリザに判断してもらい、分別してある。
「ここは何の店なんだ?」
何件か巡って必要な買い物を済ませた。
処分する荷は処分し、今日の用事もだいたい終わりだろう。
そんな中で最後にと立ち寄った店は、戸が固く閉じられていた。開店しているといった様子は見受けられない。
掲げられた木製の看板を見ると、ダイヤマークみたいな模様が彫り込まれている。
「魔導具の店なのですが……やはり開いていませんでしたか……」
リザは少し残念そうに呟いた。
なるほど魔導具を扱っている店か。
魔導具を扱っている店は数は少ないものの他にもあるそうだが、品質や店員の接客の良さから何か買うときはこの店でと決めているらしい。
ただ魔導具は安定して生産供給できるものではなく、買いたいものがあっても入荷未定ということは良くあることのようだ。
魔導具というのは、魔力を持った素材を用いて職人によって作成される道具全般を指す言葉である。
強い魔力を秘めた木材を用いて作られた椅子は、特殊な能力を備える。
これもまた魔導具であるという。更には魔力回路を組み込んだり、求められる能力にするために素材を変えたりと、話を聞く限り大量生産に向かない品であるようだ。
「素材の魔力を十分に引き出すには優れた技術はもちろん、熟練の感覚が必要らしいので良い魔導具を作れる職人の数というのはそう多くないそうです」
彼女の望む魔導具は今直ぐ必要な物でもないそうなので、取り敢えず今は諦めるそうだ。
これでリザの用事も終わったそうなので、俺たちは家路にと足を向けることにした。
途中大きな店を見かける。
外観を見れば随分と凝った作りの立派な建物だ。
掲げられた木製の看板には、楓の葉を模した彫り込みが成されている。
俺がそれを見上げていると、隣に立つリザがそっと体を重ねるように寄り添ってくる。
握られる手に力が入る。
「リザ?」
ふと見えた彼女の顔は悲しいような、険しい様な微妙な表情に変化していた。
「帰れ!帰れ!ここはお前らみたいな半端者が来るような店じゃないんだよ!」
店の中から怒号が聞こえる。
その声に押されるように、店から若い獣人の男が2人飛び出した。
「何だよ!金ならあるって言ってるだろうが!」
納得行かない様子の若者は、おそらく怒号の主である店員の男に掴みかかろうとする。
「ハッ!どんな手管で手に入れた金かは知らないけどな、そんな汚え金で買えるほどウチの商品は安くないんだよ」
店員の男は若者に向かって嘲るように笑う。
その表情、その態度は相手を完全に見下しているのだとハッキリと見て取れた。
俺には関係ない話だが、あんなものを見てしまっては気分が悪い。獣人族は一部の人族から軽んじられる傾向にあるという話を聞いたが、こういったあからさまな現場を見かけるのは意外と少ないのだ。
不穏な空気に気分を害していると、リザの俺の腕を掴む手により一層の力が込められる。
「大丈夫だ、他人の喧嘩に無闇に手を出すほど俺は血の気多くない」
そう言ってリザに苦笑して見せた。
「何を騒いでいる。店の外だぞ」
どこからともなく一人の人族の若者が現れた。いやそう若くもないか。二十代後半くらいだろう。
黒い革の手袋、革のロングコート。
その中に着ている服も洒落ていて、高級そうだ。
「こ、これはラファエル様。申し訳ありません。下賤の者が店で騒ぎを……」
ラファエル・ヴァレン 薬師Lv52
金髪の短髪に青い瞳。
スラリと背筋の伸びた高い身長。整った顔立ち。
堂々とした立ち振舞に非常に高いレベルを見ても、それなりの立場にある人物だとわかる。
下賤の者という侮辱の言葉を受けて、若い獣人が苦々しい顔を向ける。
店員の男がこの場の状況を説明した。
「なるほどな。おい」
ラファエルが顎で店員に指図する。
店員の男は驚いた様子で戸惑いながらも、その指示を受け入れた。
「悪かったな君たち。この店はC級以上の冒険者を対象とした店なんだ。最近は魔法薬の材料も品薄でね、できれば全ての冒険者に十分な量を行き渡らせたいのだが、そうも行かないのだ。それ故に仕方なく上位階級を優先している次第だ。わかってくれないか?」
ラファエルは「上位冒険者の活動が滞れば、それがどんな結果をもたらすのか理解してくれ」と熱く語った。
若者たちの肩を叩き、その手に魔法薬を渡す。
「いえ、俺達の方こそすいません……」
視線を合わせて真剣に語るラファエルに絆されたのか、若者たちは魔法薬を受け取りおとなしくなった。
「わかってくれるか。ありがとう」
ラファエルと若者たちは固く握手を交わして別れ、その場で血が流れるようなことはなかった。
「しっかりせんか馬鹿者が」
ラファエルは革の手袋を脱ぎ捨て、店員の男の顔に叩きつける。
「……申し訳ありません」
「捨てておけ、汚らわしい」
「はっ」
ラファエルは険しい顔を貼り付けて、その場を足早に去っていった。




