第57話 エルフの秘薬1
いつもと変わらない朝。
まどろみの中に手をやると、彼女の雪のように白い体に手が触れる。
「おはようございます。ジン様」
いつもの薄手のワンピース姿で毛布に包まれている。
彼女の髪に手を触れると、何の抵抗もなく滑らかに指が通る。
「おはようリザ」
この静かで平和な時間を好んでいるのか、彼女は自然な笑顔を見せた。
昼夜を問わない冒険者の活動に合わせて、夜に灯火が消えることはない街ではあるが、昼の喧騒と比べれば静かな時間であることは言うまでもない。
特に朝方、夜明けの頃はこれから活動する者達が目覚める時間。
この街がもっとも静かな時間で、今時期は特に清涼な空気が流れる頃合いだ。
窓を開けると、朝の新鮮で冷たい空気が部屋に侵入してくる。
だが苦痛なほどの冷気でもない。
心地いい朝だ。
日課を済ませて家に戻った。
いつの間にか戻っていた幻魔石に魔石を押しこみ魔力を補充する。
そしてアルドラを顕現させた。
「にゃー」
ネロが足元に擦り寄ってくる。
猫に懐かれた記憶は無いが、こうしてみるとやはり可愛いものだ。
喉を撫でるとゴロゴロと嬉しそうな音を出す。
「ずいぶん疲れた様子だな」
椅子にもたれ掛かるアルドラは、何時になく疲れた表情をしている。
魔力で出来た体は、肉の体とは違って、人の身に付き纏うあらゆるしがらみから開放されているという。
だが彼の顔を見ると、疲れたサラリーマン、日曜日のお父さんを思い起こさせる。
俺は両親を早くに亡くしているので、そんな父の姿を見た記憶はないのだが。
今のアルドラの姿は、まったくしがらみから開放されたようには見えない。
アルドラはマグに注がれた水を一気に飲み干す。
「女っていうのは、ようわからん生き物だな……」
アルドラは何処を見るわけでもなく呟いた。
3人で朝食をとっていると、不意に玄関のドアが勢い良く開け放たれる。
「おはよう!さぁ行くわよ!」
リュカだった。
アルドラの襟首をむんずと掴むと、有無を言わさず引きずっていく。
子供バージョンのアルドラは軽々と連れ去られた。
「何じゃリュカ!?どんな了見じゃ!」
アルドラは抗議の声を上げた。
引きずると言うより、襟首を掴まれ既に中にぶら下げられている。
まるで母猫が子猫を咥えるかのように。
「何よ?昨日言ったじゃない久しぶりに稽古つけてくれるって」
そう言うリュカの表情は、とても晴れやかで嬉しそうだ。
「まて、言ったかそんなこと?」
アルドラは苦い顔を見せ狼狽した。
ジンを鍛えるために森へ行くから忙しいと訴えるも――
「何いってるのよ、自分で鍛錬くらいできるでしょ。四六時中見てやるわけでもなし、久しぶりに会ったんだから私に付き合ってくれてもいいじゃない」
アルドラの訴えは、にべもなく却下された。
「一週間や二週間、借りて行ってもいいわよね?」
リュカの鋭い眼光が俺に突き刺さる。
顔は笑っているが、目は笑ってない。
彼女には有無を言わさぬ迫力があった。
「はい。問題無いです」
「そう。ありがとう」
俺は一拍も置かずに了承した。
アルドラの抗議の声が聞こえた気がしたが、今の俺に彼女を止める術はないだろう。
リュカが満足してアルドラを無事に解放してくれるのを待つことにする。
突然の嵐の様に現れた彼女は、嵐のように去っていった。
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リュカとアルドラを見送った俺達は、装備を整え家を出た。
ベイルは数万人が暮らす大都市であるために、門の数も多く12箇所以上あるらしい。
一般市民がそのすべての門を利用できるというわけでもないが、冒険者であれば利用できる箇所も多いようだ。
普段は森へ行くのに一番近い西の門へ向かうところだが、今日は北へ目指して歩みを進めている。
「おお、でかいな」
北の門へと差し掛かるここら一帯には、旅人を泊める安宿や安酒を提供する酒場、旅の足である馬を預かる馬屋、または貸馬屋などがひしめいている。
これから出立する者達であろう。大きな馬体を揺らしながら、門外へと出て行く一行を見送った。
大きな体に太い脚。見た目は馬だが、魔獣と言っても差し支えない力強さがある。
まぁ確かに魔獣なのだが。
普通の馬もいるようだが、大半は魔獣の馬のようだ。
魔物となった生物は、その多くが強靭な生命力、体力を有し、生物として強力な力を得る。
だが同時に凶暴性も発揮するわけだが、中にはそれほど凶暴化しない魔物もいる。
その1つが馬の魔獣である。
すべての馬の魔獣が大人しい訳ではないが、穏やかな性格の種族が多く調教もし易いらしい。
貸馬屋の魔獣も人によく懐くように調教された種のようだ。
店の前に来ると、ざっと見ただけでも多くの種がいることがわかる。
「いかがですか旦那。うちの子たちはよく調教されていて乗りやすいですよ。そこらの魔物にだって、慌てて驚いたりもしませんから安全です」
俺がそっと手をかざすと、スッと顔を寄せて頬を摺り寄せてくる。
馬もなかなか可愛いな。
ライドホース 魔獣Lv18
茶色い毛並みの小柄な馬である。
しかし俺には騎乗スキルはないのだ。
「ジン様、スキルが無くても馬には乗れますよ」
リザの話によると騎乗スキルは主に馬上戦闘に必要なスキルと言われている。
高い技術を必要とする戦闘術であるために、スキル補正が重要と考えられているようだ。
また騎乗できる生物には飛竜や走竜など、馬とは比べるまでもなく難度の高い騎乗技術が必要な種もいる。
騎乗スキルはそれらを乗りこなすために、必要なスキルでもあるらしい。
「馬は人に懐きやすく、従順な性格の個体が多いです。スキルが無くとも移動手段として利用するくらいには、何の問題もないかと思います」
俺は貸馬屋に2頭分、1日のレンタル料200シリルを支払い出立した。
俺達はそれぞれの馬にまたがり北へ移動している。
「リザは乗り慣れているようだな」
背筋は伸び、上体も安定していて無理がないように見える。
「いいえ、数える程度にしか乗ったことはありません。ジン様こそお上手でしょう」
「いや、俺も似たようなものだ」
牧場で何度か乗ったことがある程度だ。
技術などまったくない。
となると馬が優秀なのだろう。よく調教されていると言うのは本当のようだ。
馬の背から見える景色は、遠くまでよく見渡せ気持ちがいい。
バイクなどの機械とは違い、生物の騎乗というのは一体感を感じて不思議な感動がある。
アルドラ達が去った後、今日の予定を考えリザの採取の仕事を手伝うことにした。
ある馴染みの客からの依頼だそうで、素材の調達に難があるために断っていたそうだが、俺の魔眼で何とかなりそうだという。
「申し訳ありません。ジン様のお手数を煩わせてしまって」
リザが恐縮した様子で顔を伏せる。
「いや、リザが俺の為に尽くしてくれるのと同じように、俺もリザの為に何かできることがあれば嬉しい」
リザの頬が赤く染まる。
「あ、ありがとうございます」
彼女の表情は嬉しさを隠せない様子であった。
ベイルより北へ進むと、ほぼ平坦な地形がずっと先まで続いている。
草のあまり生えていない荒れ地のような大地と、膝下ほどの短い草がひしめく大地が交互にその領土を広げているようだ。
大森林のような大きな木々は見えず、時折背の低い若木が目につく程度であった。
馬で2時間弱の道程を進むと、幅1メートルくらいの小川が見えてきた。
「確か目的地は川だったよな?」
川の周辺には、今までとは系統の違う種類の植物が繁茂している。
川底は小さい砂利のような石が大半で、片手で余るくらいの大きめの石もよく見られた。
「はい。でもここではなく、目的地はもう少し先になります」
俺達は馬に水を飲ませ休ませた後、北へ向かって再び歩みだした。
川を乗り越え、しばらく進むと地面の様子が変わってくる。
硬い水分の少ない荒れ地のような大地は、柔らかく水気を含んだ地面へ変わってきた。
やがて水溜りが見えるようになり、スポンジのような弾力のある地面が現れる。
足元は不安定になり、馬の蹄がズブズブと地面に沈み込む。
水を多分に含んだスポンジを踏みつけたように、水が染み出してくるが分かった。
「もうすぐ川が見えてくるはずです」
リザが指し示す方角に俺の乗る馬を進ませる。
ここまでの道程でだいぶ乗り方がわかってきた。
乗っているというより、乗せてもらっている感が強いのは否めないが。
「それにしても道中1匹の魔物にも出会わなかったな。やはり森でなければ魔物はそれほど現れないものか?」
探知にも反応しなかった所を見ると、この辺りには魔物自体がいないのかもしれない。
「そうですね、少ないと思います。ですが全く居ないわけでもありません」
魔物が現れない原因の一つに、魔除けの護符があるのだと言う。
「なんだそれは?」
魔道具の1つで鞍か何処かに密かに忍ばせてあるらしい。
弱い魔物を退ける効果があるのだとか。
強力な魔物には効果が無いが、この辺りを移動する分には十分な効果があるようだ。
「他にも虫除けの護符、盗賊避けの護符などもあります」
「へぇ、それは便利なものがあるのだな」
完全ではないにしろ、そういった厄介事を退けられるのはかなり役立つだろう。
持つことのデメリットが無いなら、何かに使えそうだし幾らか持っておきたいところだな。
「私の知っている魔導具屋なら案内できます」
「じゃあ、時間のあるときにでも案内してもらおうか」
「はいっ」




