第44話 デート
朝になった。
俺はリザを起こさないように、寝床から這い出る。
手早く着替えを済ませると、朝靄の街を走り軽く汗を流した。
人気のない広場で、冷たい井戸水を頭から被る。
熱を帯びた体を冷ますには丁度いい。
俺は周囲に人が居ないことを確認して、懐の幻魔石へ魔力を注いだ。
幻魔石には魔晶石だった頃と、同じような性質が今も残っているようだ。
魔石が乾電池だとすると、魔晶石はバッテリーというところだろう。
予め魔力を蓄えて置けば、使いたいときに利用できる。
だが只のバッテリーでもない。
放っておいても空気中の魔素を勝手に集めて魔力を蓄えることが出来るし、余裕のあるときに自前の魔力で補充することも、魔石で補充することも可能な自由度の高い便利アイテムである。
幾らかの魔力を注ぎ込んで、俺はアルドラを顕現させた。
幻魔石へ補充された魔力は十分ではないので、魔力消費を抑えた子供バージョンでの登場であった。
「今日はまた早くからの呼び出しじゃのう」
「ほう、石になってる間も時間の感覚はあるのか?」
「何となくじゃがの。石になっている状態と言うのは寝てるというか、夢現と言ったような状態でな、ハッキリと周囲の状況が把握できるとは言えんが」
「んー、わかったような、わからんような」
俺は昨日別れてからのことを聞き出した。
アルドラはあの後も水没した通路を進み続け、遂には通路は完全に水没したそうだ。
更に進むと部屋の入口に辿り着いたため、その内部に侵入。
部屋は最初の部屋とほぼ同じ形状だったという。
部屋内部も天井近くまで水で満たされている状態で、よく見れば天井の亀裂から水が滲み出しているのが見て取れた。
アルドラは魔力体であるため息継ぎを必要としない。
また寒さも関係ないので、その辺りを考慮せずに調査を続ける事ができるのだが、そこで邪魔が入った。
ウォーターリザードの群れである。
何処からとも無く現れた大量の魔物が、襲いかかってきたのだ。
「息継ぎは問題ないが、だからと言って水中戦が出来るわけではない。まともに剣も振れんし、動きも鈍くなる。そもそもわしは泳ぎが苦手なんじゃ」
魔物は大した強さでは無かったそうだが、数が多く最後には魔力が切れて、帰還となったそうだ。
「じゃが、わかったこともある」
水没した部屋には侵入した入り口を除いて、他に2つ入り口があったそうだ。
「わしらが最初に入ったあの部屋にも、他にまだ隠された扉があるやもしれんな」
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俺は家に戻って、リザの作ってくれた朝食を頂いた。
ギルドへ向かうために支度をしていると、
「ジン様、これを」
ライフポーション 魔法薬 D級 ×5
マナポーション 魔法薬 D級 ×5
キュアポーション 魔法薬 D級 ×5
栄養ドリンクほどのサイズの硝子瓶に収まった、魔法薬の数々であった。
「こんなにたくさん?持って行っていいのか?」
魔法薬の相場は知らないが、ここしばらく高騰しているというのをギルドでも聞いたような気がする。
俺が使うより、売っちゃったほうが良いような気もするが、本当に貰っていいのだろうか?
「もちろんです。そのために作ったのですから。でなければ困ります」
俺はリザに礼を言って、有り難く使わせて貰うことにした。
正直に言えば有難い。実際使ったことの在る使用感として、これほど便利なアイテムも無いだろうと思えるほどだ。
実際治療魔術が使えない俺には、無くてはならないアイテムの1つだろう。
「何か礼の1つでもしたいところだけど」
と俺が言いかけたところで、
「でしたら、1つお願いがあります」
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冒険者ギルドは、いつもと変わらず賑わっていた。
様々な人種、格好の者が彷徨くギルドホール。
やはり人族の国であるからか、人族の冒険者がもっとも多いようだ。
子供のように若い者から、還暦を等に過ぎたと思われる年配の者までその幅は広い。
獣人族は若者が中心のようだ。
人族に次いで多い。
後はちらほらと見かけるドワーフの戦士。
エルフは街なかでは、まだ見かけていない。
この街でエルフを見たのは、ギルド職員とミラさんくらいなものだ。
ギルドには俺1人で来ている。
アルドラは家に残り、探索の続きをと言って地下へ潜っていった。
講習ではスキルや特性について学び、午後からの実習では弓術について学んだ。
話を聞いているだけなので、特に問題もない。
受講完了の札を受付に提出し、俺はギルドの門を出た。
「お疲れ様です、ジン様」
ギルドの門を出た直後、聞き慣れた声に呼び止められる。
「大したことしてないから、疲れてもいないけどね」
フードとストールで顔は隠れているが、その声と背格好で誰かは一目瞭然である。
だが今日は1人ではない。
一回り小柄な人物が、リザの影から現れ軽く会釈する。
「街へはあまり出ないと聞いたが」
「一緒に来たいと言うので連れてきました。ダメでしたか?」
「そんな事、あるはずない」
フードとストールで顔は隠されているが、印象的な青い瞳がその奥に見える。
「では行こうか」
「はいっ」
3人で向かった先は、薬草の類を専門に扱う店舗が集まっているという商店街である。
ここでは大森林から得られる薬草類から、遠く離れた国から集められた珍しい薬草まで幅広く取り扱っているそうだ。
青空市場でもこの手の店はあるが、その多くは売れ筋の商品のみを扱う業者が殆どである。
そこで市場での流通量の少ないニッチな素材は、常時幅広く素材を扱っているここの商店街に来れば入手できる可能性があるというわけだ。
「これと、これと、あとそれも10ずつ下さい」
何軒もの店を跨いで素材を購入していく。
素材は乾燥させた植物の根であったり、植物の種であったり、木の皮であったり様々である。
買った素材は麻袋などに詰めて貰うが、量も多いため端から冒険者の鞄に放り込んでいく。
実に便利な魔導具だ。
手際よく買い物を済ませていくリザは、物の量こそ多かったが思いのほか時間は掛からなかった。
「ジン様ありがとうございます。私の買い物はこれで粗方済みました」
「これくらいの事なら、いつでも付き合うよ」
荷物持ちにはこの上なく便利であるしな。
「シアンも居ることだし、古着で良ければ見ていかないか?」
どうも聞いた話によると新品の服、つまりオーダーメイドで作ってもらうような服屋は紹介状などが無いと入れないような高級店らしい。
時間があるときにでも、彼女達にどうかと思っていたのだが金さえ有れば気軽に作れるというものでもないようだ。
「はい、ぜひ!」
シアンの方を見ると、コクンと頷いた。
声は聞こえなかったが、興味はあるようだ。
古着屋へと向かう道中に本屋を発見した。
この街では初めて見かける。
「ちょっと覗いていかないか?」
「え?ジン様ここは本屋ですが」
リザが少し気後れしたような顔を見せたが、俺は構わず店に入る。
中に入ると本がズラリ……とは並んでいなかった。
まるで宝石店か何かか?というほどに1冊1冊が厳重に保管されている。
客の手に届くような場所には置いて無く、店のカウンター奥などに幾らか展示されている様な具合だ。
店の本、全てを合わせても100冊も無いだろう。
店に入った途端に、店主であろう男にジロリと睨まれる。
まるで犯罪者に向けるような、侮蔑にも近い眼差しだ。
「リザ、そういえば俺字が読めなかった。どんな本なのかタイトル読んで教えてくれる?」
リザは一瞬驚いた顔をしたものの、直ぐに了承してくれた。
俺も思ったが、字が読めない奴が本屋に来るなよって話だ。
でもシアンに借りた魔物図鑑のように挿絵付きなら、けっこう楽しめるのだ。
後で日本語に翻訳してもいいのだし。
売っている本の大半は魔導書であった。
特別な魔力を込められた紙に、特別な魔力を込められたインクで魔術文字を書いて作製されるらしい。
読むことで文字に込められた術が体に浸透して、魔術を扱えるようになるんだとか。
浸透させるまで何度も繰り返し読まなくてはならないらしく、覚えるのはかなり大変のようだ。
また適正のある術でなければ何度読んでも覚えることは出来ないそうだ。
ここに売っている魔導書は、彼女達の適正には合わなさそうなので、魔導書の購入は見送った。
薬草図鑑、魔物図鑑、鉱石図鑑
売っているもので気になったのはこの辺だろう。
「本の中身を確認したいんだが、可能か?」
そう店主に問うも、聞こえていないのか、聞こえなかった振りなのか返答はない。
俺がもう一度と口を開きかけると、
「あのな坊主、本の値段を知っていて店に入ってきたのか?俺は冷やかしに付き合うほど暇な商売はしていないんだ」
カウンターに金貨を重ね置く。
「本の中身を確認したいんだが、可能か?」
「あぁ……」
「本って、けっこう高いんだな」
薬草図鑑を2冊、魔物図鑑を5冊、鉱石図鑑を1冊、購入した。
1冊平均、銀貨3枚ほど。
総額24000シリルとなった。
これでも本の中では安いほうらしい。
希少な魔導書ともなれば、桁が違うようだ。
「ジン様、あのような振る舞いは危険かと」
大金を見せびらかす様な行いは、悪感情を呼び寄せる。
隙あらば騙し、奪い、唆そうとする輩が近づいてこないとも限らないという。
「不味かったか。……もしかしてボラれてたか?」
「いえ、今回のは適正価格だったと思います。今回たまたまあの店の主人がまともな人物であっただけで、他の店ではどうかわかりませんので、お気をつけ下さい」
気をつけよう。あまり不用意なことをするものじゃないな。
というか買い物はリザに交渉してもらったほうが、いいかもしれんな……
「とりあえず本は2人に預けておく。適当に読んだら俺も見せてもらうから」
「よろしいのですか?」
「あぁ、俺自身は字が読めないしな。むしろ君らに読んでもらうのがいいだろう」
シアンは嬉しそうに買ったばかりの本を抱きしめ、
「ありがとうございます」
と小さく呟いた。
その後、リザとも行った古着屋や下着屋を巡る。
シアンもやはり服には興味があるようで、リザと2人であれこれと話しながら品を吟味している。
彼女達には「値段を気にせずに自由に選んで」とは伝えてあるが、それでも無駄な買い物はしないとばかりに、その目は真剣そのものだ。
俺はそんな彼女達のやりとりを店の端に置いてあるベンチから眺めていた。
その後の女2人の買い物には、それ相応の時間が必要になったことは言うまでもない。




