第24話 貧民街
「ありがとう、助かったよ」
俺は老人に別れを告げ、リザとミラルを荷車から降ろす。
高さ10メートル弱はあろうかという立派な石壁が、先が見えないほど長く続いている。
俺達は門へと続く行列の1つに並んだ。
街へ入るには城壁門で、入市税を支払わなければならない。
荷車や馬車の者と、手荷物で徒歩の者とは税の額も違うので別の列になっているようだ。
門へ続く列はそれなりに長く続いていたものの、そう待たされることもなく順番が回ってきた。
俺は門番に事情を話しミラルを引き渡した。
「そうか、それは難儀だったな」
ミラルは特に抵抗する様子も見せず、足取りは重いものの門番たちに連行されていった。
後のことは彼らに任せよう。
それにしても城壁を見ただけでも感じるが、相当大きな都市の様だ。
ガロではゆっくり街の見物もしなかったし、しばらくここで暮らすことになりそうだからあちこち見て回りたいものだな。
「それじゃ調書を取るから付いて来てくれ」
あー、そうかそうだよな。
俺達は事件の被害者だ。これから詳しく事件の経緯を説明しないといけないのか。
面倒くさいがしかたない。
俺は諦めて門番の後に追従した。
衛兵Lv25
あたりにいる軽鎧を着込んだ兵士達はおおよそレベル20~30程だ。
その立ち振舞を見れば、それ相応の訓練を受けた兵士といった様子である。
装備も統一されているので、彼らはベイルの治安もしくは守備に携わる組織の者なのだろう。
俺達は門番たちの詰所で、調書を取らされた。
まぁ、起こったことの経緯を話して文書にして残すという作業だ。
冒険者まがいの盗賊に襲われた経緯と魔獣について。
リザは薬を盛られたこともあり、そのあたりの記憶が曖昧となっているため俺が細かく説明することになった。
それにしても目の前で人死を見たというのに、嫌悪感や恐怖といったような負の感情はあまり沸かなかった。
いや、全くないとは言えないのだが、後になってふと思うと目の前で死の瞬間を初めてみたというのに、あぁこんなものかとしか思わなかったのだ。
よく考えれば人が獣に食われるという凄惨な現場だったはずだが、事は一瞬だったこともあってかトラウマになるようなことも無さそうだ。
この世界にやってきて、精神や記憶は俺のものだという自信はあるが、肉体は元の世界の姿から変化している。
もしかしたら精神にも、何らかの影響を及ぼしているのかもしれない。
ともかく今回のことで、善人を装った悪人もいるのだという事を思い知らされた。
あまり甘い考えで行動していると、いつか大切なモノを失ってしまう日が来てしまうかもしれない。
そうならないためにも、もっと俺自身が気を引き締めなければならないのだと痛感した思いであった。
最後に『証言した内容に虚偽はない』という文言の誓約書に署名を求められた。
俺ではこの世界の文字は読めないため、リザに確認してもらう。
「ベイルには何用で来た?観光か?商売か?」
中世くらいの文化レベルかと思ってたが、観光っていう概念もあるのか。
ということは遊びで旅行したりする人もいるってことなんだな。
「いや冒険者になろうと思ってね。森も活動期だって聞いたからさ」
俺は軽い調子で答えた。
「ほう、そうか。この街はいつだって冒険者になろうって奴を歓迎してる。俺達はアンタを歓迎するぜ」
「そりゃよかった」
冒険者の街というくらいだ。
成り手は歓迎されるようだ。
「普通なら都市内に住むには市民権がいるが、ベイルなら別だ。この街は平民でも仕事さえしてりゃ、壁内に居場所がある。アンタも真面目に働いて、追い出されないように頑張れよ!」
「あぁ、わかった」
バシバシと肩を叩いてエールを送る男に、俺は愛想笑いで対応する。
そうこうして俺達は詰所で規定の入市税を支払い、やっとベイルの中へ入ることが出来たのだった。
俺はリザの案内で、彼女の住む家に向かっている。
リザは母と妹と3人暮らし。
父親はすでに故人となっているらしく、生前は冒険者だったというのを前に聞いた。
うむ。
そんな家に転がり込むのかと思うと、少々緊張してきた。
何処の誰とも分からない身元不明の俺を、受け入れてくれるだろうか?
普通に考えれば、警戒する。いや家に上げるのでさえ躊躇うだろう。
あんな犯罪者が普通に彷徨く世界だ、それほど治安がいいとは思えない。
俺だったら身元も素性も明らかではない奴などと、一緒に住もうなどとは思わない。ましや女性だけの家庭だ、尚更である。
リザには良くしてもらったし、ここまで連れてきてもらった恩もある。
そんな彼女の家族に、煙たがられるようなことは避けたい。
まぁ、リザもいるしいきなり辛辣な言葉を浴びせられ、追い返されるってことは無いだろうと思うが……
ベイルの街には幅の広い水路が流れている。
幾つか差はあるが、5~10メートルほどもあって、船が荷を運んでいる姿も見えた。
水路を利用して物資を運搬しているらしい。
青緑色の石材を組み合わせて作られた水路は、その損傷具合から年季を感じさせる。
おそらくかなり古くから存在している、歴史あるものなのだろう。
歩きながら道行く人のレベルを見てみると、そのレベル幅にはかなりのバラつきがあるようだ。
若者、子供は一桁代の者が多い。
全体を見ると10前後が多いように思う。
レベル30以上は、滅多に見かけない。
街に入ってからレベル40以上の者は、今のところ見ていない。
それに一番気になるところと言えばスキルポイントである。
スキルポイント15/18
スキルポイント14/16
スキルポイント10/12
持っているスキルポイントを全て消費しているという者が、思ったよりも少ない。
レベルを上げてスキルポイントを得て、そのポイントを消費してスキルのランクを上げるのが、自身の能力を伸ばす1つの流れであるのだろうが、スキルポイントという概念がこの世界の者には無いようなので、ポイントの消費は無意識化で行っているようだ。
そのために効率よくポイントを消費するという考え自体が無いので、ポイントを余らせているのかもしれない。
俺達は幾つか橋を渡り、その先にある住宅街へ入っていった。
「あの……ジン様」
リザがちらりとこちらを振り向く。
「ん?」
「あまり、そのように視線を泳がせますと田舎者だと思われ、邪な者に付け入られますので……」
自分でも無意識のうちに、物珍しさか周囲を落ち着きなく見回していたらしい。
傍から見ればお上りさんに見えるか。
そういった浮足立った人達が、スリなんかの犯罪被害に遭うのはどこの世界も同じなのかもしれない。
「悪い、ちょっと物珍しくてな」
住宅街に入ると、道幅は狭く入り組んでいて、場所によっては大人が3人並んで歩くのがやっとという道もあった。
ほとんどの住居は木造で、3階建も珍しくなく、非常に密集した地域だ。
通りを歩く人種は、獣人族と人族半々くらいだろうか。
建物は年季の入った古いものが多く、通りを歩く人の姿を見てもあまり裕福な地域とは思えない場所だ。
そうこうしている内に、リザがある建物の前で立ち止まる。
3階建の古い家だ。
家の前には少女が1人しゃがみ込んで、何かを眺めいた。
「シアン」
リザがそう呼びかけると、少女は顔を上げ立ち上がり、リザの元へ駆け寄ってきた。
やや緑みの明るい青色の髪とアクアマリンのような青い瞳を持つ小柄な少女だった。
「お帰りなさい、姉様」
鈴の音のような綺麗な声が響いた。
リザが彼女の緩くウェーブの掛かった髪を優しく撫でる。
リザは翡翠のような輝く緑色をしたストレートのロングヘア。
シアンは緩くふんわりとしたボブカットといったような髪型だ。
パッと見た印象はだいぶ違うが、よく見れば顔のパーツはよく似ている。
リザをもっと幼くしたような感じだ。
「ジン様、紹介致します。彼女が私の妹のシアンです」
ずいっと俺の前に押し出されるシアン。
誰コイツと言った視線が痛い。
あきらかに警戒している。
「よろしく。ジン・カシマだ」
俺は努めて平静を装い、握手を求めた。
差し出した俺の右手は華麗にスルーされる。
シアンはリザの背後をへ回り込み、リザを盾にして隠れた。
「……誰?」
シアンのその顔には、あきらかに警戒の2文字が浮かび上がっていた。
「えっと、話は中で母様も一緒にね?」
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俺は家の中へ通された。
1階はキッチンとリビングか。
20畳以上はありそうな広さで、建物は古いが部屋の中は綺麗に掃除が行き届いてある。
まるでアンティークのようなクックストーブが設置されている。
だいぶ年代物のようだが、よく手入れをされているようだ。
俺は待っている間、部屋の中を見ているだけでも十分に楽しめた。
「……ジン様?」
部屋の中をジロジロと見ていると、いつの間にか戻ってきたリザに不思議そうな目で見られた。
「初めましてジンさん。私がエリザベスの母、ミラ・ハントフィールドです」
身長はリザより少し低いくらい。
蜂蜜のように輝くブロンド。
緩いウェーブの掛かった腰ほどまでありそうな長い髪を後ろで軽く纏めている。
リザによく似た翡翠色の瞳。
リザをより大人に、ちょっとアンニュイな様子にした落ち着いた美女といった感じだ。
「初めまして。ジン・カシマです」
ゆったりとしたワンピースに、肩からショールを掛けた彼女は、なんとも言えない大人の色香を漂わせている。
それはまともに直視できないほどだが、直視できない理由は他にもあった。
ゆったりした服に隠されてはいるが、その彼女の胸は相当にでかい。
おそらくリザよりも一回り、いや二回りはでかいだろう。
うむ。ものすごい質量だ。
「そんなに見つめられると照れてしまいます」
「あっ、すいません」
思わず凝視していたのが、バレてしまった……
ミラは気にしていない様子で、くすくすと笑っている。
男の視線を集めるのは、おそらくいつもの事なのだろう。
これだけの迫力である。
見るなと言う方が無理である。
ふと視線を移すと、リザとシアンのジト目が俺に突き刺さっていた。
「なるほど、事情はわかりました。このような粗末な所でよろしければ、自由にお使いください」
ミラはあっさりと滞在の許可を与えてくれた。
シアンは納得していないようだが、彼女が口を挟むことはなかった。
「ありがとうございます。お世話になります」
「いいえ、もし追い出してしまったなら、リザも一緒に付いて行ってしまいそうですしね。それに女だけの家では不安な夜もありますから、ジンさんが居てくれると助かる場合もあるということです」
おそらく俺が気兼ねなく滞在できるように、気を使ってくれているんだろう。
俺のためではなく、リザのためなのだろうが。
俺が目配せすると、リザは嬉しそうな表情を見せていた。
「ジンさんは2階の部屋を使ってください。今は物置になっていますが、片付けて掃除すれば使えると思います。今日は狭いでしょうが、リザの部屋でお休みください」
ん?
リザを見ると頬を染め、俯いてしまった。
「えっと……」
「あ、もしかしてまだでした?まぁリザは嫌では無さそうなので問題ないでしょう」
え?いや、問題あるよね?
というか、まだって何が?
シアンさんもめっちゃ睨んでるんですけど?
まぁ床に寝袋敷いて寝ればいいか。
そろそろ夕食の支度を、ということだったので荷物を部屋に置かせてもらうことにした。
俺は2階へ上がり、リザの部屋に入れてもらう。
リザの部屋は仕事場を兼用としているらしく、物で溢れていた。
女の子の部屋というより、研究所兼仮眠室といった様相である。
色気も何もない。
何やら種類別に梱包された荷が、所狭しと存在している。
如何せん量が多く、部屋の収納力はとうに限界を超えていいた。
ベッド周辺はかろうじて、その場所を確保されている。
しかしどう見ても、床に寝袋を敷いて快適な眠りを確保するのは無理そうだ。
「すいません、散らかっていて……」
リザが申し訳無さそうに、小さくなって呟いた。
「すごい量でびっくりはしたが、それだけリザが熱心に仕事をしてるってことなんだろう。その勤勉さは俺も見習わないといけないな」
リザは「そんなことありません」と困った様子でいたが、彼女の部屋の様子を見れば真面目で几帳面な正確が垣間見えるというものだ。
梱包された荷の多くは、薬草などのいわゆる調合素材のようだ。
彼女は薬師として、ここで様々な薬を調合し家計を支えているらしい。
念の為に俺が自由にして良いという、物置となっている部屋を覗いてみた。
同じように梱包された荷で溢れている。
リザの部屋の物量以上である。
この部屋で寝るのはどう見ても無理がある。
となると廊下で寝るか、リビングを借りるか……
廊下はちょっと邪魔になりそうなんで、リビングを借りようか。
そんなことを考えていると――
「一緒に寝るのは駄目ですか……?」
俯きながら、そうリザが訴えてきた。




