第253話 羨望
「こいつ、どうしようか」
「捨てておく訳にもいかんじゃろう」
背後には何らかの組織の存在もあるようだし、生かしておけば貴重な情報源となる可能性も考えられる。放置するという選択肢はないか。
アルドラに言わせれば、元は人間だった者を魔人にさせられたという話だ。となると彼も被害者と呼べるのかもしれない。
マジックパンツ 魔導具 B級
男が唯一身につけている装備は魔導具らしく、形状から隠せるはずのない大量の魔法薬を取り出していた。おそらく冒険者の鞄と似通った性能の品とみて間違いない。
アルドラに腕を切り落とされているので、意識を取り戻したとしてもパンツから何かを取り出すというのは難しいかもしれない。だが相手は未知の存在である魔人だ。
何か驚異的な再生力か、もしくは俺たちの知らない奥の手のような何らかの手段があるとも限らない。ここは用心して装備を奪っておいた方がいいだろう。
うつ伏せに倒れる男から、唯一の装備品であるパンツを脱がしに取りかかった。
「あれ、ちょっと待てよ……何で俺がおっさんのパンツ脱がしてんだ? アルドラが倒した相手なら、アルドラがやればいいんじゃね?」
俺は手を止めてアルドラに視線を向けると、彼はわざとらしく目を背けた。
「いや、聞いてないふりとか無理だから」
「そこまでやったのなら、最後までやればいいじゃろう」
魔人、もとい気絶したおっさんはパンツを下げられ、周囲に半ケツを晒していた。
「冷静に考えたら、こんな汚いパンツとか触りたくないし。あぶねぇ、だまされるところだったわ……」
「どうでも良かろう、そんなことは」
とは言うもののアルドラも、仁王立ちから動こうとはしなかった。
というか、メルキオール様に肉体の制御権は渡したはずなのに、ナチュラルに戻されてるんだけど。
『僕は汚物に触れたくない』
メルキオール様って魔導具の研究者ですよね?
時空魔術はアールヴしか使えない魔術らしいし、これもメルキオール様の手に掛かった品なのでは。
『そんな悪趣味な魔導具を作ったお覚えはないよ。人族が時空魔術を扱えないのは、制御が他の魔術に比べて段違いに難しいからだ。ただ魔導具の能力としては一部伝わっているはずだから、後世の人族が作り出した品かもしれないね』
アルドラはやる気無いし、結局のところ俺がやるしかなくなった。まぁ、別にいいけどね。死ぬわけじゃないし。おっさんの汚いケツを、できるだけ見ないようにして脱がせよう。
それにしても何というか、このパンツ不思議な肌触りだな。やたら伸びがいいし。
パンツは謎素材で作られていて、適度な硬さと強い伸縮性があるようだ。魔人が魔法薬の効果で巨大化したことを思い出す。あのようになっても破れないとは、それだけ切り取っても優秀だと言えるのではないだろうか。何か他にも利用価値はありそうだ。魔人はパンツ一枚で彷徨いていたけど、自分が利用するなら普通に服着ればいいのだし、普通に収納系装備として便利だろうな。
思いがけずパンツの利用価値に思いを馳せていると、不気味に足下が歪んでいく感触を得た。
波打つようにたわむ地面。それは瞬く間に波紋のごとく広がっていく。天も壁も同様で、この異様な光景の世界が崩れようとする前兆かに思えた。
「勘弁してくれ。これ以上、何が始まるんだよ……」
全ての元凶ともいえる存在。不意に現れた人影。アルドラに合図を送ると彼も既に感じ取っていたようで、自分の得物を取り出し臨戦態勢となっていた。
嫉妬の悪魔
およそ人の物とは思えない、白磁を思わせる白すぎる肌。ブロンズ像のように冷たい人形の顔に、べたりと張り付く髪。不気味な青白い光を湛える瞳。
小柄な少女を形作っているが、そこに人が感じるような愛らしさはない。あるのは奇妙な不快感だけだ。
「ぬう、何じゃあれは……」
アルドラも一目見て、ただならぬ気配を感じたようだった。
「たぶん、アレが混沌の本体だ。少なくとも特別な存在には違いない」
「そのようじゃな。さて、どうするか。叩き潰せば良いのか」
同じ場所にまっすぐに立つのが困難なほど地面が激しく脈動する。気づけば脈動に合わせるように、異様な世界を形作る肉が変色し変化し、有象無象の化け物を生み出していた。
異形の神話を思い起こさせる、生物とは掛け離れた化け物。いや、中には生物に近しい存在もいる。それどころか人の姿も。
『あれは混沌が今まで取り込んだ物を再現しているのでしょう。君たちが見覚えのない魔物は、既に滅んだ魔物の種なのかもしれません』
「どちらにせよ、近づくのが困難になったのう。やれやれ、こりゃ数え切れんぞ」
空間は時間と共に徐々に広がり、広がった分だけ魔物の数が増えていった。地面に飛び出した肉片は、命が宿ったかのように蠢き変化し魔物に姿を変えていく。
目に見える範囲だけでも数百の魔物が蠢いていた。しかも、その数は時間が経つごとに益々盛況に増えていくのだ。
「アルドラ、魔人が――」
地面の脈動に飲み込まれるように、地中へと姿を消そうとしている所へ手を伸ばした。
魔人の意識が回復したわけではないようだ。嫉妬の悪魔が魔人を取り込もうとしているのだろう。
パンツに指先が引っかかり、引き千切れんばかりに伸びたが、沈みゆく体を支えきれずに魔人はそのまま肉の中へと消えていった。
「あ、あぁー」
「仕方あるまい。今はそれどころではない」
魔物は数を増していくが、今のところ襲いかかってくる様子はない。
俺は混沌に飲み込まれ意識を失っていた際に垣間見た、夢のような情景を思い出していた。
「ちょっと待て……もしかしたら、敵対するつもりは無いのかもしれない……好奇心というか、憧れ、人の持ってる物を羨んでいるだけなのかも」
「ほう、共鳴で見た情景と言う奴か。ジンにはアレが話の通じる相手に見えるのか?」
俺にも話が通じるような相手には到底見えない。とはいえ、混沌は広範囲に被害を及ぼす可能性がある。もしも大人しくさせることができるとしたら――――
「可能性があるのなら、やってみる価値はある」
『そのような相手ではないと思いますが』
アルドラは武器を収納し、魔物の群れに分け入っていった。驚くことに近づいても魔物はアルドラを攻撃する気配がないようだ。
魔物とは言っても、それぞれの個体に自我のような物はないのだ。あくまで操っているのは混沌だ。
「ほれ見てみい、武器を持っていないぞ。わしは安全じゃ。お前の敵ではない。わしの言葉がわかるか?」
魔物の群れが開かれ、混沌の本体とおぼしき人形、嫉妬の悪魔へと続く道ができた。
言葉通じてるのかな。
何でもやってみるものだ。悪魔などと冠しているが、向こうからしても人間は未知の存在なのだろう。接触し、情報を得たいと考えているのかもしれない。
「怖くないぞ。わしは何もせん」
アルドラが悪魔の眼前にまで迫る頃合い、それは起こった。
吹き付ける嵐のような魔力の波動。空間全体を震わせ、時化のように荒れ狂う膨大な魔力の渦。
魔力に憎悪を練り込んだような邪悪な波動が体を突き抜けた。
魔物の群れが一斉にアルドラに襲いかかる。彼を中心に築かれた肉の山。さしものアルドラも身動きのとれない状況のようだ。
『嫉妬の悪魔……羨み、妬み、嫉み、憎む。人ならざる物が、人に憧れ、人を求め、人を拒絶する。持たざる者が、持つ者に求めるのは破滅。それが、この時代にまで残った忌まわしき混沌、嫉妬の悪魔の本質なのでしょう』
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