第251話 憑依
見上げる空は何も映さず、一片の色さえ付いていない無垢な世界。
ここには土の匂いも草の匂いも何もない。それどころか温かさも冷たさも何事の存在もなかった。
現実味のない真っ白な光景。だが自分という意識はある。
上手く説明はできないが既視感のようなものを覚え、俺はこれが夢なのだと結論付けた。
遠くから聞こえる甲高い子供の声。地面と呼んでいいのか難しい、ただ白く存在の曖昧な場所から体を起こす。
気が付くと視線の先、離れた場所に複数の子供の姿を見た。人種は様々で金髪の白人ぽいのから、アジア系の顔立ちもいる。エルフとかドワーフはいないようだ。
5、6人、いや7人かな。積み木なのか木製の玩具を囲うように輪になって集まっている。子供たちのはしゃぐ声。ずいぶんと楽しそうだ。
俺は何を感じるわけでもなく、その光景をぼんやりと眺めていた。
しばらく見ていると、何時の間にか子供たちの間で口論が始まった。どうやら玩具の取り合いのようだ。1人の髪の長い子供が輪から弾き出され、6人で取っ組み合いの喧嘩になった。
子供ながら激しい殴る蹴るの諍いに、俺はどうすることもなく驚いて見ていると、髪の長い子供が俺の傍へと寄り添っているのに気が付いた。
『いいな、いいな。私も欲しいな』
冷たく抑揚のない声。人形のような生気の全くない作り物の顔に、硝子玉のような瞳から青白い光を放っている。
ぞくりと背中に冷たいものが走る。
咄嗟に距離を取ろうとするが、既にそれは俺の体を捉えるがごとく羽交い絞めにしていた。
『ちょうだい、ちょうだい。私にもちょうだい』
まるで体が凍り付いていくかのような寒気を感じる。耳元で囁かれる不気味な声。固く冷たい手が俺の体を這いまわる。
ぶちぶちと嫌な音が耳を掠める。この不気味な人形が俺の髪の毛を引きちぎっているのだ。夢だからなのか痛みこそ感じないが、その不快感は筆舌しがたい。
服の隙間から差し込まれる手に、まるで直接心臓を掴まれているような感覚を得た。何も感じない夢のはずなのに、今は息苦しさや頭痛、吐き気を感じる。
眼前に迫る人形のような幼子の能面に、不気味な笑みが浮かんだ。
『ジン! ジンッ! ジン・カシマッ! 起きろッ! 君はこんなところで寝ていられるほど暇では無いはずだぞ!!』
頭の中に響く怒号で、意識を覚醒させる。
「メルキオール様」
『やれやれ、やっと目覚めたか。僕もずいぶんと胆が冷えたよ』
「起こすのなら、もう少し優しく起こしてくれませんかね」
『そんな軽口が言えるのなら心配はいらないだろうね』
目の前の亡霊メルキオールが、やれやれと天を仰いだ。
聞けば長い時間、俺は意識を失っていたようだ。その間、彼は俺の傍に寄り添い精霊に呼びかけ守護してくれていたらしい。よく見れば深い海のような青い光を放つ塊が、いくつかメルキオールの傍を浮遊しているのが見える。
「亡霊は現世に干渉できないものと思っていましたが、そうでもないのですね」
『たぶん普通の亡霊には無理かもしれないね。僕は昨日今日亡霊になったわけじゃないから。それでも僕にだってできることは限られる。守護したとはいっても些細な力だよ』
右腕が失われている。自切スキルを使用した際にどうやら装備も一緒に失われたようだ。貴重な装備だけに報告するのちょっと気が重いな。
見渡すと薄紅色の肉壁が周囲を覆っていた。まるで心臓の鼓動のように、静かで力強い脈動。漂ってくる生臭く温かい空気。光源があるようには見えないが視界は確保されている。薄暗いが魔眼であれば問題は無い。
足元に溜まっているのは赤黒い液体。充満する高濃度の魔素。夢ではないようだが、得体の知れない場所であることは同様のようだ。
「アルドラの存在を感じます。それほど距離は離れていないようですね」
『眷属の契約をしているのだね。他の者はどうだい?』
「いえ、眷属にしているのは彼だけですので」
『そうなのか。傍から見ると皆、君の眷属なのかと思ったよ』
メルキオールによると眷属化の契約は難しくはないそうだ。お互いの了承があれば、誰でもできる簡単な魔術契約で行えるという。その辺りの話は聞いたことがないので、少なくともベイルでは一般的な技術ではないのだろう。
簡単に行えるなら便利だし後でリザとでも契約しておくか。互いの居場所が知れた方が、何かと都合がいいしな。
「とりあえず腕を回復させたいところですが、魔力残量が心もとないですね。魔法薬で回復するにも即時回復とは行きませんから。少し余裕がある時にでもしますか」
まずはアルドラと合流しよう。たぶんアルドラが先にこの場所に辿り着いているのなら、何かしらの情報を持っているはずだ。これからどうするか考えるのは、その後だな。魔術は手のひらでなければ使えないというわけでもないので、魔術主体の戦闘であれば即座に致命的な問題とはならないだろう。
『魔力吸収で回復すれば良いではないかな? 触媒なら足元にいくらでもあるのだから』
メルキオールが指し示すのは足元に溜まる赤黒い液体。生臭い錆びた鉄のような臭い。まるで何かの血液のような――
「確かに、この辺りはずいぶんと魔素が濃い。これなら生物でなくても十分に魔力は奪える?」
『当然だろう』
スキル構成を変更して闇魔術S級に。魔力吸収で魔力を回復しつつ、光魔術S級で欠損した右腕を再生させた。
「おお、凄い。ここなら魔術も使いたい放題ですね」
喜んでいると隣でメルキオールが難しい顔をしているのに気が付いた。
『君は何というか……魔力制御に難があるな』
メルキオールの何か残念なものを見るような視線。
「ええ? いや、何か問題ありました? あー、いや、そうですね。そうかな」
言われて納得というか、なんとなく理解してしまった。
思い出してみれば魔術に詳しい師匠的な人が今まで身近にはいなかった。アルドラは生前魔術が使えなかったこともあって興味がないようだし知識も最低限しかない。
リザやミラさんはある程度はあるけど一般レベル。ダリアさんは魔術師の大先輩だが、忙しさもあって指導してもらったことはほとんどない。最初から雷魔術が何となく使えていたから、あまり考えたことなかったな。
俺の能力だと次々にスキルを覚えるので、新しく覚えたスキル検証するのでも忙しい。いや、ものによっては、ほぼ未検証というのも……
『なるほど、君に必要なのは優れた魔術の師というわけか。まぁ、師を持たずに高度な魔術を扱うという点だけで言えば、優秀と言わざるをえないけど』
「ははは、どうも」
『僕は魔術は専門じゃないけど、知識と経験は君らの誰よりもあるだろう。今は時間がない。少し乱暴になるが、感覚を掴むには丁度いいかもしれない』
そういうとメルキオールの半透明の亡霊の体が、俺の体に重なるように滑り込んだ。
「メルキオール様?」
『君が許可してくれないと上手くいかないからね。大丈夫酷いようにはしないから』
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