第248話 嫉妬の悪魔
「……消えた。探知スキルを使っても魔力が濃すぎてわからん。アルドラ、何か感じるか?」
魔人を飲み込んだ塊は溶けるようにして姿を消した。
混沌が解放された瞬間、封じ込まれていた異質な魔力が一気に溢れ出した。充満する不快な邪気が感覚を邪魔するので、誰がどこにいるか正確な位置がわからないのだ。
「いや、わしにもわからんな。この酷い状況では鋭敏な感覚を持つ者ほど感覚を狂わされるじゃろう」
アルドラの直感は当てにならないか。
『アルメリア様、大丈夫ですか? 俺はどうすればいいですか?』
彼女に呼びかけ反応を待つ。
『私の目的は変わりません。混沌を討ちます』
アルメリアは自らの意思を押し通すように強く答えた。しかし、なし崩し的に始まった流れには嫌な予感しかしない。
背後に僅かな魔力反応を捉え、即座に振り向く。そこには半身を氷漬けにされ足を引き摺るグールの姿が。
アルドラが剣を構え、俺は手にした魔導石を鞄に戻そうと一歩引いた。
揺れる地面。アルメリアの作りだした氷の世界に亀裂が入る。目の前にあった巨大な氷塊が砕け、質量を備えた破片が重力に引かれて落下した。
衝撃に砕かれた破片が周囲に撒き散らされる。思いがけない揺れに、たたらを踏んで態勢を整えた。
「ふむ、いったん下がった方が良さそうじゃな」
地面から染み出すコールタールのような黒い粘度の高い液体。この異質の感じ、これが混沌か。
「亀裂から……そこら中から上がって来るぞ」
目の前でグールが黒い液体に取り付かれ、緩やかに飲み込まれていった。あれに触れると吸収されるのか。あんな短時間で消化吸収されるとは考えにくいが、得体のしれない相手だ何が起こるかわからない。見た目だけで能力を図るのは危険だ。ともあれ、グールの様子を見ると簡単には引き剥がせない代物らしい。ここにいたら、襲われるのも時間の問題だな。
「捕まると厄介じゃな」
グールを飲み込んだ塊が標的を俺に変えた。体積の増えた身体を重そうに揺らしながら、さながら巨大なスライムのように向かってくる。
「少し試してみよう」
火球 S級
動きの鈍い混沌に火球をぶち込んだ。グールを取り込んだ混沌は火球をも取り込み、そのまま爆ぜるかというほどの膨張を見せたが、一瞬動きを停止させると黒煙を上げながら表面の至る所から火を噴きだした。
「どうやら火には弱いようじゃな」
「うーん、それなら何とかなるか……」
火に焼かれた混沌は炭化したのか、グズグズになって崩れた。
『仰る通り、混沌は火に弱いのです。焚火のような小火では無意味ですが、高度な魔術による大火なら混沌さえも再生させることなく焼き尽くせましょう。ですが、完全に滅するには核となる部分を破壊せねばなりません』
核か。たしかスライム系の魔物には核と呼ばれる器官があるんだったな。スライムにとって核は心臓であり頭脳。それと同様の物が混沌にもあるということか。しかし、探知スキルがまともに使えないと探し出すのは不可能に近いんじゃないか。
結界の崩壊を感じさせる強い揺れ。時間がない。
魔導石を取りこぼし、がらがらと音を立て坂になった地面を転がっていく。
「くそッ、しまった」
亀裂から染み出す混沌、思わず手を伸ばすのを躊躇う。
「わしが行こう。取り込まれても帰還で戻ればよいからな」
「ああ、悪い。頼む」
アルドラは躊躇なく混沌が地面から湧く荒地の中を進んでいった。
長年の経験に記された無駄のない俺には真似できない動きだ。
接近すると反応し鞭のような触手に変化する混沌の破片だったが、その動きを短時間のうちに完全に見切り回避し瞬く間に目的地へと到達した。
アルドラが魔導石を拾い上げようとすると、彼の元に火の雨が降り注いだ。
「むっ」
咄嗟に魔導石を庇う様にしたので、アルドラは背中に直撃を受けた。
崩れた氷塊の上に人影が見える。
「ぶしゅるるるる……結界をぉ、解除したはいいが……このような罠が仕掛けてあったとはな……なかなかに用心深いぃ……まぁ、いいぃ。……少々驚いたが、目的は果たせたぁ……ひひひ」
空気の漏れ出るような話し方。見えたのはゴブリンのように小柄な男だった。ローブが剥ぎ取られ、体には霜が降り一部は氷に覆われている。アルメリアの魔術が完全には解除されていないのだろう。
ガミジン 魔人Lv46
人族 76歳 男性
特性:魔眼 統率 変異
スキル:火魔術S級 風魔術C級 水魔術C級 魔力操作S級
古代魔術B級 探知C級 軽業C
理性のある魔人。
いるのだろうと予測はしていたが、まさかこのような場所で出くわすとはな。口ぶりからすると、混沌が目的ではなかったのか。あのパンツの魔人もあっさり混沌に飲み込まれていたし。連れてきたグールも飲まれていた。
混沌の対処を想定してきたとは思えない。こいつらの目的は何だ?
「お前らの目的は何だ? 結界の破壊が目的なのか?」
俺が叫ぶと小柄な魔人はくくくと笑った。
「ずいぶんと直接的な物言いだな……俺は馬鹿は嫌いだが……度を超えた馬鹿はもっと嫌いだぁ」
魔人が杖を掲げると、辺り一帯に火の雨が降り注いだ。
火の雨が氷世界の崩壊を加速させる。氷塊が音を立てて崩れ、地面に新たな亀裂が走り、亀裂から混沌が溢れ出た。
「ぬっ、収納できん」
魔導石を拾上げたアルドラが声を漏らす。
混沌の一部が魔導石に付着している。見る間に混沌の黒い粘液がアルドラの体を覆った。
「アルドラ、帰還を使えッ」
俺の声に応え、幻魔石に姿を変えて戻ってくるものだと思っていたが、アルドラの幻魔石は一向に俺の元に戻って来なかった。アルドラを包み込んだ黒い塊は、溶けるようにして姿を消した。
「そんな、まさか……」
アルドラならばと油断していたのか。いや、そうではないはず。そうではないはずだ。思わぬ展開に動機が高まる。
いや、アルドラの事だ、彼がどうにかなるなんて考えられない。大丈夫だ。きっと大丈夫に違いない。俺の中にある眷属の絆が彼が無事だと訴えている。
「ぶしゅるるるる……次から次へとキリがないぃ……魔力供給が無くなったいま、ここを焼き尽くすのは無理かぁ……」
火の雨で混沌を焼き尽くしても、すぐさま亀裂から湧きだしてくる。魔人はこの場の制圧を諦めたのか、踵を返してその場を立ち去った。
魔人の情報はギルドに提出するべき案件だろうが、現時点では構っている暇はなさそうだ。
ひとまず、みんなと合流しよう。
俺が退くことを決めた瞬間、目の前の亀裂から混沌が湧き上がり、柱のように立ち上ると俺の右腕を捉えた。
「うおおおおッ、マズイッ――」
黒いドロリとした液体。それが見る間に変化していく。これは触手か、違うな、まるでこれは人の手のようだ。手のひらの小ささ、腕の細さ、それはまるで少女の細腕だった。
コールタールで作られた黒く小さな指先が、肉に食い込み骨を軋ませる。簡単には振りほどけない。ならば火球で焼き切るしかない。
湧き上がる液体が徐々に増え、それはいつの間にか腕だけでなく、一人の少女の姿を形どった。
――混沌とは一体何なんだ?
べったりと張り付く髪、ブロンズ像のような冷たい作り物の顔。こちらを見上げる瞳から不気味な青白い光がこぼれる。
嫉妬の悪魔 渾沌Lv詳細不明
ぞくりと背筋に冷たいものが走った。
自切スキル発動。自らの意思で右腕を捨てる。痛みはない。ちょっと気持ち悪いが、既に治癒を修得しているので欠損部位の回復も問題ない。
こいつはダメだ。近づいてはダメな奴だった。こうして対峙してみるとわかる。わかってしまう。味方には成りえない絶対的な敵。人とは相いれない存在。それが混沌なのだ。
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