第234話 揺らぎ
※巫女視点
『海神祭まで残り僅かとなりました。ルー、貴女に与えられた巫女としての使命、よもや忘れてはおりませんね?』
生まれ育った屋敷の一室、普段は立ち入りの憚れる女王の私室に私は呼び出された。
『はい。お母様。もちろん忘れることなどあり得ません。私はその日のために日々を過ごしてきたのですから』
私は女王の問いかけに表情を変えることなく答えた。
『貴女が巫女となった日から、いえ、私が女王となった日から、私たちは母娘の縁を断ちました。私のことは女王と呼ぶように何度も申したはずです。……いえ、それは今はいいでしょう。巫女の役割を自覚しているのなら、それ以上いう事はありません。私の受けた苦渋の日々、それも貴女が役目を果たすことで払拭される。頼みましたよ、ルー』
『はい。巫女は海人族の女にとって最大の誉。与えられたお役目、必ず果たして御覧に入れます』
現ミスラの女王である私の母もまた、若かりし頃は巫女の役目を与えられた女の一人だった。
というのも、巫女の役目というのは海人族の中で特に魔力総量の多い女児が選ばれ、巫女となるべく教育を施したものを指す。
母の代には今代と違って複数の巫女が存在した。対外的に正式な巫女は一人とされるが、不測の事態に備えて予備が存在したのだ。
巫女となった者は海神に見初められ、海底の神殿で飢えることも病めることもない、永遠の平穏を過ごすのだという。
そうなれば再び地上に戻ってくることは無い。
もちろん、それはあくまでも言い伝え……実際の意味するところは……
怖くないといえば嘘になるけど、私の決意が揺らぐことは無い。私は今までそのために生きてきたのだから。
巫女は 巫女に選ばれるという事は、海人族の女にとって最大の誉。家族の中で娘を巫女として送り出せば、残された家族は巫女を産み育てたとして賞賛と褒賞が与えられる。
しかし、候補どまりで正式な巫女に選ばれなかった場合はどうなるのだろう。最初から候補にすらならなかったのならまだしも、正式な巫女を神殿へと送り出し地上に残った選ばれなかった者。
彼女たちに向けられた視線は屈辱の物があった。死ぬまで選ばれなかった女だと、陰で言われ続けることになる。
とはいえ、私が巫女としての役割を受け入れたのは何も母の屈辱を晴らすためなどではない。
私はこの島が好き。島に住むミスラの皆が好き。レヴィア諸島を吹き抜ける潮風。冷たいけど穏やかな海。豊漁の約束された漁場。古代の歴史を感じさせる海底遺跡。
もちろん未練は無いわけではないけど、決心はできている。私の役目がミスラの未来の為になるのなら、惜しむことは無い。
幼いころから敷地以外へと出ることを禁止され行動を制限されてきたけど、海神祭も近いからか少しくらいの我儘は許して貰えるようになった。
制限されていたお菓子も、自由に食べれるなんて凄い幸せだし、帝国から取り寄せたお菓子はどれも甘くて美味しい。お菓子に合うお茶を自分で入れてみようと、帝国式のお茶の入れ方も挑戦してみたけど随分上手くなった気がする。
初めて行ったミューズの市場は海人族の他にも、話に聞いていた外国の人たちがたくさんいた。
見るものすべてが新鮮だった。
楽しいな。世界には私が見たこともない種族がたくさんいて、聞いたこともないようなお菓子がたくさんあるんだ。
一瞬だけ、いつか行ってみたいだなんて思ってしまったけど。馬鹿な考えだった。私には何時かなんてないのに。
私の決心が揺らぐことは無い。ぜんぜん揺らいでない。ミスラの未来の為に、この身を捧げる覚悟はできている。
人族の中でも帝国の冒険者というのは、粗暴で島でも問題を多く引き起こしている人たち。帝国に属する人間なので、女王様も強く文句は言えないらしい。
と思ったら絡まれた。やっぱり冒険者というのは乱暴者の集まりらしい。氷魔術で蹴散らしてやろうかと思ったら、侍女に止められた。そうだった今はお忍びで来てるんだった、私が巫女なのは内緒だった。
あれ、若い男の子が助けてくれた。見た目が少し違うけど、彼も人族なのかな。海人族ではないようだけど……
『ルー、待ちなさい、私の話を聞くのだ。今、レヴィア諸島は変革の時期を迎えている。巫女が必要な時代は終わったのだ。お前が全てを背負うことは無いんだよ』
『止めてください、お爺様。私はお爺様を嫌いになりたくない……発言力のあるお爺様がおっしゃることは、ミスラ全体を混乱させます』
私の決意は揺るがない。私の居場所はここしかないんだ。私は私の与えられた役目を全うする。それが一番の幸せ。それ以外を望んじゃいけない。望むべきではない。
『巫女である前に君は私の孫娘なんだ。海神などという得体のしれないものに大事な君を差し出すことなど――』
お爺様の苦痛に滲む表情。私は皆の為に……
ギラン、あの乱暴者が護衛にだなんて信じられない。
お母様が許した? そんなことは無いはず。彼の力は優れているそうだけど、信頼はされていない。毎晩酒を飲んで若い戦士団の少年を連れまわしているような人で、屋敷の侍女たちも彼の素行の悪さを噂しているほどだった。それを私の護衛にだなんて……
ジン。ジンが私の護衛に?
そう、そうなの。自分の身くらい自分で守れる。護衛なんて必要ないのに……でも、ジンに護衛されるなら、それもいいかも……
あの夜の彼は素敵だったし……あ、でも、ジンは迷惑じゃないのかな。それに海人族の青い肌は人族には気味悪がられるって侍女が話していたのを聞いちゃったし……
ジンには嫌われるのは少し嫌かも……
あ、でもでも、海人族の御伽噺に出てくる海人族の姫と人族の船乗りが結ばれる話、そんな異種族間の恋愛も憧れないわけじゃない……もし、ジンが嫌じゃなかったら……
だめだめ、私にはお役目があるんだから……そんな夢みたいなこと望むべきじゃない……望んじゃいけないんだ……
ジンの奥様、リザさん。凄い綺麗な人。そうか、ジンには奥様がいたんだね。……肌も白くて綺麗だし、髪も艶やかで海人族の固い髪とは全然違う。それにスタイルも凄い素敵……
初めてあった私にも親切にしてくれて……そうか、この人がジンの愛してる人なんだ……うん、彼女だったら納得できる。種族は違うけど、同じ女の私から見ても綺麗な人だもの。
リザさんのお母様のミラさん。彼女も同様に親切にしてくれた。私の傍にいて気遣ってくれるのがわかる。それに彼女には年齢を感じさせない若々しさと美しさがあった。
これが森人族という種族らしい。私も初めて見たし、ミスラ島には森人族という人たちはいないと思うけど、年齢を重ねても若いままでいられるなんて、ちょっと信じられない不思議な人たちだ。世の中にはこういう人たちもいるんだね。
凄い。信じられない……海鳥の卵と牛乳と砂糖で、こんな美味しいものが出来上がるだなんて……帝国から取り寄せるお菓子でも見たことがない。こんな素敵なお菓子初めて見た。
ジンは不思議な人だ。年齢は私とそれほど違いは無いというけど、すっごい強い。それに料理だけじゃない色んな知識があるし、あの夜に見た魔術の腕は御伽噺の英雄のようだった。槍を振るえば戦士団のギランでも敵わない。魔術も武術も一流だなんて、それこそ御伽噺の英雄みたい。
あの乱暴者のギランが子供みたいにあしらわれるなんて……信じられない。お爺様もジンの事を凄く気に入っているみたいだし……本当に不思議な人。もっとジンのことを知りたい。帝国よりもずっと遠くの王国という場所から来たらしいけど、彼の故郷は更に遠くにあるらしい。どんなところなんだろう。プリンみたいな不思議なお菓子、もっと他にもあるのかな。
ああ、ダメだ。余計なことを考えちゃいけない。私にはお役目があるのだから……
そろそろ出発だというのに、ジンの姿が見えない。もしかしたら何かあったのかと心配になり、周囲の様子を窺ってみると――
少し離れた岩陰にジンとリザさんの姿があった。そして二人は……あぁぁぁ。大変なことになっていた……
で、でもでも、二人は夫婦だというし、私は話に聞いたことがあるくらいだから、よくわからないけど、普通のことなんだよね。そ、そう、愛情表現って奴だよね。
ああ、でも、凄い……あんな風に……えぇ、そこまでしちゃうの……もしかしたら、見ちゃいけないのかもしれないけど、こんなの目が離せないよ……
え? あれ? ミラさん? え? リザさんのお母様はミラさんで……あれ? ミラさんの目の前で? ええ?
あれあれあれ? リザさんの次はミラさんと? えぇ?
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