第184話 ロゼリア・ミッドナイト
「なぜだ……こんなことは、ありえない」
まるで自問自答するかのように呟く。
認識阻害の効果のためか男女の区別さえつかないが、その口調から狼狽する様子は隠しきれていなかった。
「何者だ貴様は……精霊使いだとしても、人間には強すぎる魔力……こんなことは、ありえんッ!!」
魔術師が声を荒げると、甲板に漂う冷気が渦を巻く様に上空へと集まっていく。
ただの冷気ではない。魔術師が魔力を持って生み出した魔術だ。
1つに収束された魔力は、やがて巨大な氷塊を作り出した。
「おお、でかいな」
氷塊は不安定なのか、ふらふらと微妙に揺れている。
今もなお魔力が集まり巨大化しているようだが、もしかしてアレを俺に目掛けて落そうとしているのだろうか?
普通に考えてあんな物を落としたら、この船沈むんじゃねぇの。
「ふふふ、これほどの術を人間ごときに止められるかなッ!」
スキル変更――
火魔術 火球 S級
右手に収束された魔力が、まるで小太陽の如き輝きを生み出す。
輝きと同時に凄まじい熱量を周囲に発しているようだ。その影響は甲板の氷を見る間に溶かしていった。
だが携帯している術者本人には影響がないようで、こうして超高温の火球が傍にあっても焼き尽くされることはない。
俺はその火球を、いつ落ちてくるかもわからない氷塊へと放った。
爆裂 熱風 轟音
火球は一瞬にして氷塊を巨大な水蒸気に変え、甲板上空からその姿を消滅させた。
「………何なのだ貴様は」
魔術師の身には床から競り上がった氷礫が集まり、1つのうねりを生み出している。
微細な氷の集合体が氷の蛇を生み出し、輝く鱗が月光を反射して幻想的な光景を実現させていた。
「何なのだと言われてもなー」
1体の蛇が解き放たれ氷蛇が俺の元へ飛び掛かる。
妨害
妨害の指輪に込められた魔術が効果を発揮する。
氷蛇が体に取り付くその刹那、見えない力に押し返されるように弾かれ空中で礫となって霧散した。
初めて使ったが、これはいい。実に便利だ。ただ自在に使いこなすには十分な修練が必要だとも思う。要練習だな。
自分に向けられた魔術効果を弾いて無力化する指輪。自分がその効果を認識し対応する必要があるようだが、それを差し引いても強力な効果である。
こういったものがあるならば、探せば攻撃魔術自動防御なんてのも何処かにありそうだな。なければ自分で作るとか……魔導具職人を訪ねるのもいいかもしれない。ベイルに帰ったら忙しくなりそうだ。
魔術師は甲板を走り回りながら、無数の氷球を撃ち放ってきた。
魔力探知によりその発動の瞬間や軌道を予測できる。氷球の軌道は直線的で速度も大したことは無いので避けるのは難しくない。
冷静さを欠いた攻撃は単調で危険を感じることは無かった。俺には氷耐性があるので、そもそも氷魔術でダメージを負うことは無いだろうが。
身に届く氷球は妨害で弾き掻き消す。練習には丁度いい。
妨害自体は魔力の消費が少ないようだが、打ち消す対象となる魔術次第では消費量も増大するようだな。
魔装具の質が良ければこの辺りの魔力効率も良くなるのかもしれない。
氷球の攻撃が衰えたところで、お返しにと火球を撃ち出してみた。
S級の火球では威力が強すぎるので、B級あたりまで加減してある。
「ああああああッッ!!」
魔術師が奇声を発しながら火球へ向かって氷球を撃ちまくる。
相打ちを狙ったのがどうかは不明だが、放たれた氷球が火球を止めることは出来なかった。
火球に触れるか否かと接近した氷球がは瞬時に水蒸気に姿を変えて消失してしまう。
おそらく威力差があり過ぎるのだろう。魔力探知で察知できる魔力量もそう多くはない。燃料切れだ。
肩で息をする魔術師へと火球が到達する。
魔術師は身にまとっていた氷蛇もろとも爆炎に飲み込まれた。
甲板上に火柱が立ち、舞い上がる火の粉が夜の空を明るく照らした。
船員たちのレベルから推測するに、この魔術師は船内にいたブラックと同程度かそれ以上の実力者のはずだ。だとすれば妨害の指輪か、もしくはそれ以上の何かを持っていたとしてもおかしくはない。
様子見も兼ねた攻撃だったのだが、本当にネタ切れだったようで火球を撃ち返すこともなく、魔術師はそのまま身で受け止め火達磨と化した。
シェリル・ブラッドベリ― 魔術師Lv59
エルフ 124歳 女性
特性:夜目 直感 促進
スキル:氷魔術A級
風魔術B級
魔力操作C級
探知C級
空間認知E級
燃え尽きたローブを払い除け、青白い髪の女が姿を見せた。
あのときロゼリアの傍にいた人物の1人だろう。
こちらをギロリと睨みつけるが、すでにまともに立つ体力もないのか、その場に座り込んでしまった。
やっと大人しくなったかと安堵したのも束の間、腕に足に赤く細い紐が絡みついた。
「……またか」
周囲の魔力変化には気を配っていたつもりだが、それでもこう容易く捕まってしまうのでは逃れる術は簡単ではない。とはいえどうするか。細く頼りない紐ではあるが、その強度は並みの斬撃を跳ね返すほどだ。
甲板に散らばる氷柱の残骸を隠れ蓑に、赤紐を周囲に忍ばせていたのか。
どうしたものかと思案しているところへ、強大な魔力の存在を上空に感じた。
視線を上げると、そこには月光を背負うかのように黒鳥の如き大翼を広げた桃色の髪の女がいた。
「もう帰り支度か?つれないではないか」
吸血鬼にして帝国最大人員を誇るクラン凶鮫旅団の頭目、ロゼリア・ミッドナイト。
特徴的な桃色の長髪。切れ長の瞳に長い睫毛。白い肌を包む黒いドレスは所々が大きく開かれ、その秘めたる妖艶さを際立たせている。
彼女は無音のままに翼を畳み、俺の眼前へと降り立った。黒翼は見る間に小さく縮みその勢いのまま消失した。
「シェリルめ。勇み足で仕掛けたうえに、軽くあしらわれるとは」
ロゼリアは背後にいる彼女へ一瞥することもなく落胆の声を放つ。
その言葉にシェリルは思わず顔を伏せた。
まぁ、軽くでは無かったのだが。氷耐性があったこと、魔術の相性、俺の魔力量がシェリルのそれを遥かに上回っていることが勝敗を分けたのだろう。
シェリル、ブラック、他多数で囲まれたら流石にどうにもならなかったと思うが。
「その様子ではブラックでも相手に成らなかったのだな。素晴らしい。まだ成長しきっていないうちから、これほど私を楽しませてくれるとは……ぜひとも私の手で育てたい」
獲物を見定めする獰猛な獣のように、ロゼリアの視線が俺を射抜いた。
絡みつく赤紐が食い込み、腕も足も動かせない。
視線を彼女から離せない。これが魅了の効果なのか。
ざっくりと開かれた胸元、そこから見える白い肌が眩しい。
ブラックのような巨大な質量ではないが、小さすぎず大きすぎずと、絶妙なバランスである。端的に言えば完璧な美しさだ。完成度の高い芸術品だ。
ロゼリアが1歩、また1歩と近づいてくる。
揺れる髪、その仕草、視線に目が離せない。自分でも理解できるが、目を反らそうにも反らせないのだ。これほどまでに強力な能力だとは。
触れるか触れないかまでの距離。甘い香りが漂ってくる。
「そう固くなるな。何も取って食おうとは思っておらん」
ロゼリアの指先が体に触れる。
特別なことは何もされていないが、防御反応なのが身を縮ませる思いがした。
「何をする気だ?」
何とか意識を保ち声を出す。
俺の必死さをあざ笑うかのように彼女はくすくすと笑った。
「わらわの物になれ、カシマ・ジン。忠誠を誓い、跪くのだ。そうすれば此度の事の全てを許してやる。お前の仲間にも手出しさせぬよう計らってやろう。お前が、お前1人が頷けば、全てがまるく収まる。どうだ妙案であろう?」
ロゼリアの顔が近い。
吐息が顔に掛かるほどに。
「断ると言ったら?」
俺は彼女に視線を合わせないように言い放った。
「断れやしまい。なに直に良くなる。わらわに身を委ねるがよい」
ロゼリアはゆっくりとその身を寄り添う様に近づける。
密着。薄い布ごしに彼女の感触を感じる。絡みつかれる腕に気が付くと外套を剥ぎ取られ、服の中に彼女の白魚のような指先が侵入してきた。
直接触れる肌。鼓動が否応なしに高まる。
「無駄な我慢はよせ。わらわの神器“愛奴の呪鎖”の快楽に抗う術はない」
動けぬ状態のまま、ロゼリアに首筋を舐められた。思わず背筋に電撃が走る。
マズイな。体の奥底に眠る欲望が爆発しそうだ。蠱惑的な声色と香りにやられて眩暈がしてくる。
思わず身を委ねそうになる気持ちを察したのか、背骨に強い衝撃を受ける。いや、受けた様な気がした。文字通りの電撃だ。無理矢理筋肉を引き延ばされたような感覚。
この感覚は雷精霊か。姿を見せた訳ではないが、まるでしっかりしろと窘められた思いがした。
「わらわを拒むかのか。強情なやつめ」
赤紐がまるで生き物のように変幻自在に動き、腕が足が俺の意思とは無関係に動かされる。俺の体はロゼリアに支配されているようだ。
床へと強引に膝を突かされ、頭を下げられた。
おもむろに俺の頭を手に取り押さえつける。
顔を近づけ額と額が接触する。
「止めろッ」
理屈はわからないが危険を感じた俺は思わず叫んだ。
「止めぬ」
強力な魔力が直接、俺の中へと注がれる。
幻夢は相手を強力な催眠状態する種族特性。
効果自体は短いが、その威力は極めて高い。この身に直に受けて、それが理解できた。
「暫しの夢を見るがいい。目覚めたとき、お前はわらわなしには生きられぬ奴隷となる」
催眠状態にある俺を前にして、ロゼリアの甲高い笑い声が闇に響いた。
俺は――
一体どうしたんだっけ―――
『ジン様、どうかされましたか?』
不意に呼び掛けられる声に振り向く。
『リザ?』
『はい』
いつもと変わらないリザの笑顔。
『どうしてここに?』
だけど妙な違和感を覚える。
『リザはいつでもジン様のお傍におります』
そういって彼女は俺の胸に飛び込んできた。
俺は優しく抱きしめる。暫しの抱擁。この感触は忘れるはずがない。
『なんか夢見てた気がする』
『夢ですか?』
周囲を見渡す。そこにあるのはベイルにあるリザたち親子と一緒に暮らすいつもの家。俺の間借りしているいつもの部屋だ。
『ああ、なんか強力な魔物が暴れててさ。だいぶ疲れたけど、まぁ、なんとか倒せたよ』
『そうでしたか。お怪我はありませんか?』
そういってリザは俺の体を触って確かめる。
『大丈夫だ。魔力をほとんど使ってしまったから、疲労があると言えばあるけど』
『私をお使いください。私の全ては貴方のもの。ジン様が望めば何時でも如何なるものも、全て貴方に捧げます』
リザは静かに身を寄せ、顔を上げて目を瞑った。
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