第183話 氷結の魔術師
甲冑を着込んだ女が、触手に全身を締め付けられ空中へと持ち上げられる。
徐々に強まる圧力に鎧の軋む音が響き、女の肉が骨が悲鳴を上げた。
「くっ、ああああああッ――」
肺が潰され叫びと共に残った酸素が無理矢理押し出された。もはやこれまでかと女の脳裏に死の影が浮かぶ。
全身を締め付ける魔物の拘束は時間と共に強さを増す。逃れる術はない。握力さえも失われ、握られていた剣は手から滑り落ち、床へ音を立てて転がった。
助けを呼ぶ声も、死を嘆く声も既に出すことは出来ない。
どうにもならない。どうにもできない。そう女が諦めたときの事だった。
魔力探知で船内に存在する巨大な魔力を探した。既にクラーケンの魔力は一度確認しているので、人間のそれと間違えることはないだろう。
まぁ、クラーケンで混乱している今なら脱出も容易だとは思うのだが……
船内の連中を見て回ったが、それほど悪党という訳でもないし、普通の若い女の子も多かった。
レベル的に見てもクラーケンを処理できる戦力はこの船には居ないような気がする。応援ってやつがどの程度かは不明だが、急がないと船ごと沈められそうなくらいにはクラーケンは強そうだ。
別に彼女たちを助ける義理はないが、魔石やスキルは俺にとっても美味しいのでついでに他のクラーケンも頂いておくことにするか。
別に情けを掛けようという話ではない。自分の利益のためだ。
上層階に2体のそれっぽい動きを察知したので向かうことにした。
クラーケンを発見すると何人かの船員と交戦中だったが、既に船員側は満身創痍といった様子であった。
雷魔術 雷蛇
俺の元を解き放たれた雷蛇は周辺で倒れている船員を躱しつつ、天井、壁、床と縦横無尽に走り抜けクラーケンへと殺到した。
「グアアァァァァァッッッ!!」
雷蛇がクラーケンの触腕を麻痺させる。
魔物の動きが鈍っている間に鞄に収納してあったムーンソードを取り出すと、触腕を切り落として船員を救出した。
雷魔術 雷撃
クラーケンが再び動き出す前に、雷撃を放ち止めを刺しておく。轟音と共に放たれた巨大な閃光が、一瞬にして魔物を飲み込んだ。
「おい、大丈夫か?生きてるか?」
鎧が激しく変形し体を圧迫しているのだろう。溶解を駆使し、鎧を破壊して脱がせることにした。
「ライフポーションだ。飲めるか?」
「……あ、あぁ」
立派な胸が押しつぶされて、さぞ息苦しかったことだろう。ポーションを飲ませたことだし、顔色もだいぶよくなったので、とりあえず命の危険は脱したはずだ。
鎧も衣類も溶解で溶かしてしまったので、目のやり場に困る状況になってしまったが致し方ない。医療行為だしな。
大勢の声が近づいてきたので、俺はその場を離れることにした。魔石も忘れずに回収しておく。B級ともなると金貨20枚、20万シリルくらいにはなったはず。
できれば2、30匹くらい出てきてくれれば借金も一気に返せるところなのだが……いや、そうなると魔力がもたないか。
もう1体いるはずのクラーケンを探していると、廊下の突き当りから声が聞こえた。
「この先は資料室だぞ、何としても奴の動きを止めろ!」
「雷魔術だ、奴には雷魔術が有効だ、ありったけの魔力を込めて撃ち込んでやれっ」
「既にやってます。ですが魔力が持ちません。あんな化物を仕留められるほどの魔力だなんて、この場にいる全員の魔力を寄せ集めても不可能ですよ!」
「ギイイイイイイイィィィィィィッッッ!!!」
歯ぎしりにも似た不協和音が廊下に響き渡る。
あまりの絶叫、あまりの恐怖に誰もが委縮し腰が引けた。
「さっ、さがれ!一時退却だッ!」
誰かが言ったその言葉でクラーケンと対峙していた船員たちは、蜘蛛の子を散らすように踵を返して走り去っていった。
俺は身を隠して様子を見守っていた。
どうやらクラーケンを置き去りにして、この辺りの者は立ち去って行ったらしい。
「ギッギッイィッ!」
3mはある巨体に肩口から4対の長い触手。異形の頭部からは長大な牙が異様に伸び、絶え間なく粘液を吐きこぼしている。
雷撃 S級
こちらの存在を感じ取られる前に即座に雷撃を放つ。
巨大な閃光がクラーケンを貫いた。
両肩伸びた触手は根元から千切れ飛び、巨大な胴体は衝撃に耐えきれずに吹き飛ばされ、背後の扉を突き破って止まった。異形の口からごうごうと黒煙が噴き上がる。
魔石 素材 B級
クラーケンの体から魔石を回収。同時に魔石に内包された闇魔術黒煙を修得した。
自身の周囲に自在に煙幕を張る闇魔術。視覚と同時に魔力探知も阻害するので、俺の持つスキルとの相性も良く近接戦闘で力を発揮してくれるだろう。
クラーケンが打ち破った場所は固定された本棚がいくつも並ぶ特殊な部屋だった。
本棚には羊皮紙の束がぎっしりとまとめられ収まっている。
一部は扉を破壊した衝撃で崩壊しているが、細長い部屋の奥の方は健在のようだ。
床に散らばった羊皮紙の一部を手に取って目を通してみる。
俺も大陸で使われている文字は読めるようになったし、魔導書で使われるような魔術文字もかなり読めるようになってきたので、この手の書類もだいぶ読めるようになってきたつもりだ。
“魔導機関の仕組み”
“氷霊石の利用法”
“魔導炉設計図面集”
“レヴィア諸島周辺航海図集”
“ミューズ要塞建設図面”
さらっと目を通しただけなので何とも言えないが、重要機密文書っぽいのがあたりに散らばっている。
流石にここにある資料を全部持ち出すことは不可能だが、特に目に付いた価値のありそうなものだけ抜き出して拝借していこう。
シフォンさんに報告して指示を仰ぐか、もしくはヴィムあたりに渡せば、面白いものを作ってくれるかもしれない。
いや、場合によってはゼストに渡して書類の価値によっては借金帳消しになるかも……
のんびりしていては人が集まってきてしまうので、手早く資料を抜き出した俺は適当に鞄へと詰め込みその場を後にした。
盗賊の地図で現在地を確認。
甲板へと繋がる通路を発見したので隠密、隠蔽、黒煙を駆使して進んでいく。
船内はクラーケンが大暴れしてくれたお陰で混乱の最中にあった。これなら人の行き交う船内でも何とか行動できるだろう。広域探知を使い活動状態にあるクラーケンが船内に存在しないことは確認済み。いまのうちに甲板まで一気に脱出しよう。
「急げ!船内でクラーケンが暴れ出したら、幾らも持たんぞ」
武器を手にした男たちの集団が廊下を駆け抜けていく。仲間が増援に着た様だな。狭い廊下でかち合っては隠密も解除されてしまうので、ここは上手くやり過ごそう。
甲板までくると久しぶりの外の空気を大きく吸い込んだ。
少し肌寒い夜風が気持ちいい。先ほどまで船内で魔物が暴れていたとは思えない静寂があたりを包んでいた。
地球の月によく似たものが淡い光で夜の闇を照らしている。
船は湾内に停泊しており陸地からかなり距離があるが、水魔術の遊泳と潜水があるので何とかなるだろう。
氷耐性も修得しているのでレヴィア諸島の冷たい海水も耐えられるはずだ。試しもなしにいきなりの本番だが脱出のためやるしかない。
スキルを設定し終わると、不意に強烈な冷気を感じた。
いや、正確に言えば耐性があるので苦痛はない。だが、強い圧力と共に吹き付けられる冷気を不思議と理解できる。妙な感覚だ。これが耐性による効果なのだろうか。
流れ込んでくる魔力感覚。ただの冷気ではない。これは魔術によって生み出された術者の意思の込められたものだ。
見る間に甲板の表面が氷で覆われていく。
まるで北国の地吹雪を思わせる風があたりを吹き抜けた。微氷を含んだ極寒の地吹雪。並みの人間なら冷気で体が縮こまり、露出した肌は見る間に凍傷になるほどの烈風。
氷耐性の効果で冷気による苦痛は感じないが、顔に直撃する微氷が鬱陶しいことには違いはなかった。
思わず目を守るために腕を盾に防御する姿勢をとる。
その直後、図ったかのように凍り付いた甲板から、津波のように姿を変化させる氷が俺の体を飲み込もうと動き出した。
自在に変化する白氷のうねり。生命を与えられた微氷の集合体は、俺の体に絡みつき包み込もうと範囲を広げる。
「なんの騒ぎかと来てみれば……鼠が逃げ出したか」
声の方へと視線を送ると誰もいないと思っていた甲板に人影がある。
フード付きのローブを深く被り、顔こそ見えないがそこから流れ込んでくる魔力の強さから、この現象を引き起こしている張本人なのは明白だった。
その者を中心にして猛烈な吹雪が渦巻いている。認識阻害の装備か。この状態では魔眼で能力を探ることは難しそうだ。
まとわりつく鬱陶しい氷を手で払うと何事もなく氷は霧散した。氷耐性は氷魔術全般にも作用しているようだ。
「……私の術が弾かれただと?」
魔術師は驚きからか僅かに声が上ずる。
「ああ、今の何かの術だったのか」
何の抵抗も感じなかったので、大したものでも無かったのだろう。
「図に乗るなよ小僧」
俺の言葉に魔術師は憤慨したように声を荒げる。
俺を中心に周囲に魔力の高まりを感じたと思った瞬間、周囲に氷柱が伸び一瞬で氷の壁が形成された。それはまるで動物を閉じ込めるための檻だ。
「どうやって抜け出したかは知らんが、大人しくしていて貰おうか」
「どうやってって、こうやってだけど」
水魔術 溶解で氷壁に触れると、まるで最初から壁など存在していなかったかのように一瞬で消滅。
普通に触れるとまるで金属かというほどの強度だが、溶解を防ぐには至らなかったようだ。
「……馬鹿な!?」
どうやら相手を更に怒らせてしまったらしく、ムキになった術者が大量の氷柱を形成し始めた。
あたりには俺を取り囲むように大きな氷柱は生えまくっている。
俺を捉えるつもりでやってるなら、かなり無意味だと思うが指摘すると怒られそうなのでやめておいた。
「どうだ、これならば逃げられまい!」
得意げに声を張り上げる術者である。確かに周囲には氷柱が生えまくって移動の妨害にはなりそうだが、屋根はついておらず完全に囲われているわけではないので、溶解で一部を破壊し軽業で乗り越えれば脱出できた。
ともあれ逃げても追いかけて来そうな勢いなので、ある程度叩きのめして置いた方が良いだろう。
できれば穏便に済ませたいところではあったのだが。向かってくるなら対処するまでだ。
「何のようかは知らんが、話があるなら正面から来たらどうだ?」
「何か勘違いしているようだが、お前はロゼが気に入った素材だから生かして置いてあるだけの存在だ。家畜が自らの処遇に論議するなど、おこがましいと知るがいい」
うーん。やばい凄くめんどくさくなってきた。やはり話の通じない連中なのか。
できれば穏便にと考えていたが、どうにも無理そうだな。
「ただの人間が身の程を弁えろ」
スキルを変更して土魔術にポイントを振り込む。
大規模な操作は難しいが、ちょっと激しく揺さぶるだけならたぶんできるだろう。
凍り付いた甲板に両掌を押し当て創造を発動させる。
地面を激しく揺さぶるイメージで魔力を流し込むのだ。
甲板が激しく揺れる。振動が俺を中心に発生し、まるで甲板が波打つかのように広がった。
「なっ、なんだとッ!?」
凍り付いた甲板は無理な衝撃が加わり激しい音を奏でて悲鳴を上げる。
耐久度を超えた衝撃にあちこちで破壊が生まれた。同時に無数の氷柱が無残にも砕け崩れ落ちる。
初めてやったがおそらく甲板を操ったというよりも、氷の方に創造の魔術が作用したのだろう。
創造は土を操作する魔術だと思っていたが、どうも固形物を操作するものと言った方が認識が近いようだ。
お読みいただき、ありがとうございます!
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