閑話 悪夢を抱きながら2
「聖女様、大丈夫ですか?」
木戸を叩く音と共に、いつも世話をしてくれる侍女の声が聴こえてくる。
私は重い体を引きずるように、寝台からその身を起こした。
「ええ、大丈夫よ。ごめんなさい、疲れて少し寝ていたみたい」
扉を開けて侍女に声を掛けた。
若い侍女は安堵の表情を見せる。
「きっとパレードで疲れが出たのでしょう。明日は孤児院の訪問となっておりますが、お体の方は大丈夫でしょうか……」
その表情から純粋に私の心配をしてくれているのだというのが見て取れる。
「大丈夫。それまでには体力も戻るでしょう。でも、もう少し体を休めたいから食事はいいわ。部屋には誰も寄越さないようにして頂戴」
「わかりました。もしお腹が空いたら私にお声を掛けてくださいね。夜中でも何でも、ご用意致しますから」
「ふふふ。わかったわ、ありがとう」
侍女を送り出し、扉を締めて振り返る。
すると其処には1人の少女が立っていた。
長い銀髪を2つにまとめたツインテール。白肌に碧眼、人族の丸耳とは違う短いが尖った耳。
背は低く痩せていて、どこもかしこも細く華奢だ。
「あの方がお呼びなの?」
今まで1人きりだった部屋に突然現れた少女。
でも私に驚きはない。彼女はそういった存在なのだから。
少女は無言のまま、ただ小さく頷くだけ。
その顔に表情はない。まるで感情が抜け落ちているような顔だ。
「そう。わかったわ。着替えるから少し待ってて」
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遺跡と呼ぶにふさわしい年代を感じさせる石造りの廊下。
私は少女と二人でその道を進む。
廊下というよりは迷宮の通路といった趣だ。
「ミクスティア、貴方も人族に恨みがあるのでしょう?実験動物のように体を弄くり回されて、望まない力を勝手に与えられて……」
彼女は問いかけに答えない。
と言うより魔術師ギルドに幽閉されていたさいに行われた、度重なる過酷な実験が彼女の人間らしさ、感情の大部分を失わせたのだ。
我が主が助けださなければ、この少女も今頃どうなっていたことか。
私は彼女の返答をあきらめ先へ急いだ。
少し歩くと大きな扉にたどり着く。
月と太陽を主題とした彫刻があしらわれた荘厳な扉。
扉には門番のように2人のメイドが立ち並ぶ。
白いエプロンにロングドレス。シンプルで装飾の少ないデザイン。
その容姿は美しい人族の女性のように見えるが、正確に言えば人ではない。
灰色の肌に緋色の瞳。
主の呼びかけにより、冥府より舞い戻った亡者なのだ。
彼女たちは言葉を発しない。ただ静かに主に傅くのみである。
「お呼びでしょうか。アーシャ様」
部屋中は薄暗く、淡い光を放つ魔導具が光源として幾つか存在するのみ。
窓はなく天井も壁も石造りで、豪華な調度品がなければまるで城の地下牢のようでもある。
だが部屋の広さも天井の高さも十分にあるため閉鎖感はない。
そこに漂う空気は清浄で、埃やカビを感じさせない清潔さがあった。
「……近くに」
まるで王族の姫君が使用するような、豪華な装飾の施された天蓋付きの寝台。
そこから聞こえる声は、ひどくか細く注意深く備えていても聞き逃してしまう程だ。
私は静かに寝台に近づく。
「失礼します」
カーテンを潜り、主の横たわる寝台の脇へと跪いた。
「…………」
清潔な白い寝具。そこから伸びる手はあまりに細く弱々しい。
と言うよりも骨と皮しかないように見える。
指に輝く白銀の指輪。
その手はまったく生気が感じられなかった。
「はい。ええ……問題ありません」
私は主の手を取り、優しく両手で包む。
そして耳を研ぎ澄ませて、主の言葉を聞き逃さないよう務めた。
「…………」
「あぁ、もっと私の生命を分けて差し上げられたら、どんなに良いことか……きっと今よりも、随分と楽になるでしょうに」
「……良い。そなたの献身は十分に……これ以上は……」
「勿体無いお言葉、恐れいります」
「そなたの……は希少だ……そのスキルを……に使え……」
「はい、心得ております」
「……頼む」
側仕えのメイドが盆に葡萄酒と硝子の杯を携えて現れた。
寝台の側に備えてある小さな木製のテーブルに置くと、元よりテーブルに置いてあった金の小箱を開ける。
それはまるで女王陛下の宝石でも収められていそうな、職人の技が光る見事な細工を施された宝石箱。
中に収められていたのは、小指の先ほどの小さな緋色の水晶。
いくつか収められていたそれを、一つ摘み上げると慣れた手つきで硝子の杯に音もなく滑り落とす。
透明な硝子の杯に、緋色の水晶が収まりそこへ葡萄酒が注がれた。
メイドから杯を受け取り、私はそれを主の元へと届ける。
飲むことさえ難しい作業であるため、補助は欠かせない。
「…………」
「はい。……はい。わかりました」
「…………」
「ええ。アーシャ様の好きな赤色のドレスを用意しましょう。化粧品も最高の物を用意します。せっかく久しぶりにお姉様にお会いになるのですものね」
「…………」
私は主との束の間の会話を楽しんだ。
やがて体力の限界がきた主が眠りに付いたのを確認してから、後のことをメイド達に任せミクスティアと共に寝室を後にした。
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「おいっ、誰かいないのか!?わしを誰だと思っておる!薬師ギルドのマスター、ドミニク・ベルクヴァイン様だぞ!このような地下牢の如き場所に閉じ込めおって……くそっ、どうなっておるのだ……まさか、わしの命を狙う者達の仕業か……うむむ、誰だ。デイルのやつか、まさかギーヴか?いや、もしやアンドレアか!」
「おっさん結構恨み買ってるみたいっすね~。まぁ薬師ギルドってスゲー評判悪いから、さもありなんって感じっすけど」
「ぬおっ!?き、貴様、一体何処から……?」
「何処からって入り口から普通に入ってきたっすけど」
このあたりの区画は幾つもの部屋に分かれている。
そうした部屋の1つから男たちの声が聞こえてきた。
若い男と年配の男だ。
「ともかく、この拘束を解いてもらおう!今ならまだ許してやる。だがわしは気の長いほうじゃないんだ、怒らせないうちに行動したほうが見のためだぞ」
「……うーん。覚醒したことで記憶が曖昧になってるんすかねぇ……進行も遅いし、素質はありそうなのに、こりゃ期待外れっすかねぇ」
「なに?なんだ、何の話をしている?」
「テオドルス!」
私は部屋の入り口から、中の者に呼びかけた。
「うおっ!?あ、姉さん?」
「……アイツは何処にいる?」
「薬師さんですか?あー、自分が案内するっす」
テオドルスは拘束された年配の男を放置して、私の元へと駆け寄ってきた。
「お、おいっ!?ちょっと待て!私を置いて何処へ行く気だ?おい、待て私の話を聞け!おいっ、待ってくれ!待ってくれぇぇ――……」
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テオドルスの先導で辿り着いた場所は、今まで立ち寄った部屋とはまるで違った趣があった。
高いドーム状の天井を持つ、非常に広い円形の部屋。
天井の最上部には部屋を照らす魔導具が備えており、部屋の明るさを十分にしている。
だが一番の違いは部屋の床を覆い尽くす、毒々しい濃い紫色の花を咲かせる植物の姿だろう。
甘ったるい香りが部屋に充満している。
それはあまりの臭気によりむせ返るほどで、思わず顔をしかめてしまうのも致し方のないことだ。
「許可無くこの部屋に入るんじゃない、汚らわしい亜人が」
おびただしい数の花々の中に立つ、金髪碧眼の若い男。
黒い革手袋に黒い革のロングコート、高身長に整った顔立ち。
人族の若い娘なら誰もが振り向くであろう美丈夫であった。
「誰も好き好んで来ては居ない」
「ほう。まるで私に責任があるみたいな言い草だな」
「苗の管理は貴様にあるはずだ。逃がしたのは貴様の責任だろう。この森の騒ぎをどう責任取るつもりだ?今はまだ身を潜めるべき時期なのに」
「逃がしたのではない。逃げたのだ」
「同じことだ!」
私は込み上がる苛立ちを必死に抑える。
「私に課せられた仕事はこの花の栽培法を確立させること。そして薬の作成と改良だと聞いていたが。そもそも逃亡した奴を捕獲するのは、お前の部下の仕事ではなかったか?私に言いがかりを付ける前に、部下の不手際に対する処分を考えたほうがいいんじゃないのか?」
テオドルスは大きく肩を落とした。
「こんな広い森を1人で捜索とか無理っすよ……人員増やして欲しいっす」
「ともかく、貴様は主に対する忠誠がなってない!もしものことがあってからでは遅いのだぞ」
「ふん。私は奴の部下になった覚えはない。あくまで私の目的のために協力しているだけにすぎん。貴様こそ忠臣顔してるが、己の復讐の為に奴を利用しているだけではないか」
「なんだと貴様ッ!」
「どうでもいいから、早く出て行ってくれないか。この部屋に亜人がいると空気が汚れるのだ。お前の大事な主様のための花が萎れてしまうぞ」
この部屋の管理者である若い男は、冷笑を讃えて言い放った。
このような奴を主の側に置くことは到底我慢できないのだが、こんな奴でも今追い出すわけには行かない。
主の回復には、此奴の力が必要なのだ。
奴に忠義が無いことは承知の上。そのことは、もちろん主も理解している。
だが此奴の目的を考えれば、主を裏切ることは絶対にない。
まったくこの態度は癪にさわることだが、今しばらくは様子を見る他ないのか。
私は乱れる心を落ち着かせるよう自分に言い聞かせ、その場を足早に後にしたのだった。