閑話 ウルバス・ハントフィールド
「素晴らしいことだ。我らの集落から、これほどの術士が誕生するとは」
「彼ならば近い将来村長に。いや、いずれは族長に選ばれてもおかしくはない」
「あぁ、我らの集落から族長が選ばれる。これほど名誉なことが他にあるだろうか」
物心ついた時から、周囲から聞かされ続けてきた言葉。
僕にとっては当たり前のことが、皆には難しいことらしく、こうして事あるごとに賞賛される日々を送っていた。
「こんな幼い子が、すでに光魔術C級に達しているそうだ。まったく信じられない成長速度だな」
「本当なのか?まだ10歳にも満たない子供だぞ」
「長老が確認している。ハントフィールド始まって以来の天才かも知れん」
僕が魔術を使うと皆が驚き、そして褒めてくれた。
僕にはそれが嬉しかった。
「誰が魔術を教えているんだ?」
「ザフカ老が光魔術をゾーラ老が風魔術を指導しているらしい。お二人とも厳しい指導者だが、彼の成長に大変満足していると仰られているそうだ」
「あの長老たちが……となると、予てから言われている村長の話も現実味が増してきたな」
「あぁ、ハントフィールド始まって以来の最年少村長の誕生だ」
僕の毎日は日々魔術の訓練に費やされた。
村の若い衆に連れ立って、狩りも行くようになった。
僕は光魔術の治療が使えるため重宝されたのだ。
「まったくアルドラと同じ兄弟とは思えないな」
「ふふふ。それを言っては彼が可哀想よ。ウルバスは特別出来る子。アルドラは特別出来ない子なんだもの」
アルドラ……?聞いたことのない名前だ。同じ集落の者なのだろうか?
「集落の端に暮らしてるんだ。そうか会ったことは無かったのか。まぁ、それもそうか。アイツは何時も1人だからな」
「今頃は北の方の遺跡に篭ってるんじゃない?」
アルドラ……僕の兄らしい。一度も会ったことはないけど。
いや、見かけたことはあったかな……何時も1人でいるやつだ。そうだ、エルフのくせに1人だけ鉄の剣を担いでいる変な奴がいた。アイツがそうか。
エルフなのに魔術が使えないらしい。信じられない。
魔術なんて気が付いたら使えていた。治療だって誰かに習ったわけじゃない。母様が僕が転んだ時に癒やしてくれたのを見て覚えたんだ。
風魔術もそうだ。気がついたら空が飛べるようになっていた。別に誰かに習ったわけじゃない。
僕の父も母も優秀な魔術師だという。それなのに兄弟の彼が魔術が使えないだなんて信じられない。
「アルドラは特異体質だ。たまにいるのだ、そういったものが。エルフで魔術不能なんてのは初めて聞いたがな」
特異体質と言うのはそう珍しいものではないという。
脚力が自慢の獣狼族が鈍足であったり。
長寿の妖精種が短命であったり。
そのような普通とは少し違う者たちを、特異体質と呼ぶらしい。
「可哀想なやつだよ。エルフの私達がいくら体を鍛えても、獣人のような強靭な肉体は手に入らないだろうに」
アルドラはいつも1人だった。
何度か声を掛け、会話したことはある。話した内容までは覚えてない。
ただそんなに暗いやつではなかった。自分の境遇に絶望した、もっと屈折したやつだと思ったのに違ったようだ。
アルドラとは父は同じだが母が違う、つまり異母兄弟というやつらしい。
彼の母は彼を産んで直ぐ亡くなったそうだ。
僕の母は病弱ではあるものの健在だ。受け継いだ才能も含めて恵まれているとも思う。
「ウルバス、魔術を教えてくれよ」
「あなたは教え方が上手ね。きっといい指導者になれるわ」
「若手で魔術の腕前は1番だろう。この若さでこれなのだから、まだまだ伸びるぞ」
僕は自分の魔術の訓練をしつつ、求めるものに魔術の指導をするようになっていった。
最近では独自の魔術を開発するための研究も進めている。
そういえば近頃、アルドラの姿が見えない。
修行のためにと魔物の巣である地下遺跡に篭もることもあるそうだが、こう何日も篭っているものなのだろうか。
彼とは別に仲が良いわけではない。話したことがあるのも数えるほどだ。
だが一応血の繋がりはある。父が同じ人物なのだ。それを思うと無視しようにも無視できない。そういった思いが込み上げてくるのだ。
「アルドラは村を出たよ。広い世界を見て回るそうだ」
「はぐれエルフってやつさ。たまにいるのだよ、協調性の無い奴が」
「人の街に行くそうだよ。丁度いいんじゃないか?魔術の使えないエルフなんて、耳の長い人族みたいなものじゃないか」
「そうだな。案外幸せにやってるかもしれないな」
アルドラが居なくなったことを楽しそうに笑う村人達。だけど僕は笑える気分になんか成れなかった。
彼を追い出したのは君たちじゃないのか?彼は何時も1人だった。力を持たない彼を追い詰めて、村から追い出したのは君たちじゃないのか?
だけど気づいた。それは僕も同じだった。兄弟だからと言って気にかけているフリをして、何もしていなかった。同じだった。
僕は長い時間を魔術研究に費やした。
新たな魔術を開発し、自ら魔術書を作成したりもした。
その中にはエルフ族の掟に反する物もあった。そういったものは集落から遠く離れた地下遺跡に隠れ家を作り、そこで研究を進めた。
その場所は偶然発見したものだが、森のなかにはこういった場所が時々あるようだ。
精霊の隠れ家。
不思議と魔物の寄り付かない場所をそう呼ぶのだ。
僕が見つけたこの場所も、そういった類のものらしい。
何かに守られている。まるで結界が張られているような場所だ。
「アルドラが戻ってくるそうだ」
集落で噂が広がっている。
集落を出てから彼は1度たりとも、ここへ戻ってくることは無かった。
人の街に降り、冒険者という仕事をしながら剣の腕を磨いていたらしい。
今では英雄と呼ばれる存在なのだという。
「長老達が呼び戻したのだ。彼を次の村長に据えるのだという」
アルドラが……?次の村長に?
「村長はウルバスではなかったのか?すでに決まっているものだと聞いていたが」
「村長を決めるのは長老たちだ。長老たちの決定を覆すことは誰にもできない」
村長を引退した者達のことを長老と呼ぶ。つまりエルフの有力者たちだ。村長というのは集落の民を導く存在。その相談役とも言える立場であり、大きな発言力を持っている。
実際の地位は村長よりも上だ。
「アルドラよ、よくぞ帰ってきてくれた。我らは貴様が逞しく成長し、再びこの地に舞い戻るこの日を待ち望んでいた。今こそ次代の村長に就任し、若き民を導いてくれ」
長老たちはアルドラを村長に指名した。
今までアルドラに否定的だった者達は手のひらを返したかのように、彼を絶賛した。
「アルドラに剣を勧めたのは俺だ。まぁ、最初の剣の師匠と言っても過言ではないな」
「私は信じていたわ、彼は何か大きなことを成し遂げる者だって」
「アルドラ、人の街ってどんなところなの?旅の話を聞かせてよ」
「ほう。船に乗って北の海か。なに南の大陸にも行ったのか?それでその後どうなったんだ?」
人族との積極的な交流に否定的だった者たちも、長老たちがアルドラを村長にし人族との交流を持つことを決めると、次第に否定的な意見は少なくなっていった。
年寄りのエルフたちは保守派が多いようだったが、長老たちに意見できるものは居なかったのだ。
アルドラの存在が集落で大きくなるにつれ、僕の研究施設に篭もる時間は増えていった。
そして僕の生活の場が完全に研究施設に移行するまでに、さしたる時間は掛からなかった。
この研究施設は集落の誰にも、その存在を明かしていない。
おそらく見つかることは無いだろう。
僕が村長になることも、きっともう無い。
ならば思う存分に研究に没頭しようかと思う。
正直思うところが無いわけじゃない。だけど不思議と肩の荷が降りたというか、今はすっきりした気持ちでもある。
アルドラに関しても戻ってきたということは、やる気があるということだろう。
集落のエルフたちに怒りや恨みを感じているなら、村長を打診されても戻ってなど来ないはずだ。
ならば集落のことは彼に任せることにする。
いや、これは僕がどうこう語る立場ではなかったな。
僕は、ただのはぐれエルフだ。もう何者でもない。
そういえば父もはぐれだったそうだ。
母と関係を持ち、その後に姿を消した。
僕にははぐれの血が流れていたのだ。
ここには魔物が来ない。
何処にでも現れるというゴブリンでさえ、ここでは姿を見せない。
だけど僕の直感が危険を知らせている。
わからないが何かが近づいている。そんな漠然とした感覚が体の中を駆け巡る。
手をかざし、前方の藪に向けて30発前後の風球を撃ち込んだ。見えない何かを燻り出すために。
「うはは。だせぇー、気づかれてやがる」
背後から声がする。ん?背後?どういうことだ?
「うるせえな。俺は隠密系は苦手だって言ってるだろっ」
藪の中から図体のでかい深緑色の外套をまとった者が姿を現した。何かの魔術なのか声を聞いても性別を判断することは出来ない。種族も何故かわからない。妙な感覚だ。おそらく認識阻害か何かだろう。
背後からも同じような出で立ちの者が姿を現す。突然何もない空間から現れたような感覚。
「エルフの直感を舐めるなって言ってるだろうが。油断だよ、油断」
「油断じゃねぇ。俺の領分は本来こういうことじゃねぇの!」
「はいはい。わかった、わかった」
「むぎぎぎぎ……」
落ち着いて精神を集中させれば、感じ取れる。認識阻害はそこまで強力な影響を与えているわけでもないようだ。こいつらは人族の冒険者だろうか?
金次第ではエルフを攫い奴隷にして売るという商売もあるというのを聞いたことがある。僕の聞いた話では、その対象となるのは若い娘や幼子だということだが。
僕への注意がそれほど高くないようなので、魔術で牽制して脱出するか。
どう考えても森で遭難した者には見えないし、彼らをお茶会に誘った記憶もない。この来訪者は危険だ。
それぞれに手に高濃度に圧縮した風球を形成。同時に風刃の魔術を合成する。風で作った円盤状の板。高速で回転するこれに、切り裂けぬものはない。
瞬時に魔力を練り上げ、風刃を放つ。直撃だ。悪いが上半身と下半身にはここでお別れしてもらおう。
「おおおっ、あっぶねー。何かやったぞコイツ!」
「ばーか、ばーか!やっぱ油断してるじゃねーか!」
「うるせぇ!お前もやられてるんだよ!」
あれ?……効いてない?なぜ?僕の風魔術は完璧のはずなのに。
僕が有り得ない自体に困惑している最中、新たな来訪者が現れる。
「お前ら、さっさと仕事をしろ!何時まで遊んでるんだ!」
この者たちと似たそうな出で立ち。仲間か。
新たに現れた来訪者によって、2人の雰囲気が変わる。
もう逃げられるような隙がない。3人めもまったく気配を感じなかった。ここまで接近していて存在を感じられないのなら、逃げることは難しい。まだ他にも仲間がいるかもしれない。
それに魔術が効かない理由もわからない。
3人に距離を詰められ包囲される。逃げる術はない。
「はぐれエルフなら丁度いい。レベルも高いようだし、満足して貰えるだろう。おっと魔術は無駄だそ。無力化できるからな」
3人めの来訪者が外套のフードを外す。小柄な男だ。人族か。
「カミル、攫うのは人族の冒険者が中心じゃなかったのか?」
「能力の高そうな亜人も適当に攫うという話をしただろう。それにはぐれなら足がつきにくいから、丁度いいんだよ。あまり派手にしたくないそうだからな」
「ふーん」
カミルと呼ばれた男が僕の肩に触れる。
「悪いな。これも仕事なんだ、勘弁してくれ」