第122話 白猫館3
花街の女性たちが着ている衣は竜衣と言い、竜人族が古来より着用する伝統的な衣類らしい。
なんでも花街を最初に作ったと言われる人が、竜人族の友人と共に作ったのが始まりなんだとか。
「通気性がよく夏は過ごしやすくて良いですよ。この辺りの夏はとても暑いですからね」
獣牛族は寒さには強いが、暑さは苦手なので丁度いいらしい。
「もうすぐ夏なんですよね。いいですね。家で休むときはそういうのがあったら快適でしょう」
「よかったらジンさんの竜衣もお作りしましょうか?」
花街の竜衣は、とある決まった工房で作られている。
特殊な衣装であるため、知識のある限られた裁縫師でなければ作成は難しいのだ。
「おお、それはありがたい。お願いしてもいいんですか?」
「勿論ですよ。職人の方にも連絡しておきますので、後日ご紹介いたしましょう」
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「それにしても、ここの酒は旨いですね。つい飲み過ぎてしまう」
目の前に並ぶ豪華な食事。
透明な硝子の器に、硝子の盃。
透明な硝子というのは相当な高級品らしいので、それだけこの店の格が高いということなのだろう。
「お気に召されたようで、何よりです」
硝子の杯に透けて見える濁りのない青い透明の酒は、辛口でスッキリしており、喉越しもよく飲みやすい。
「海人族の作る醸造酒ですね。詳しい製法は知られていませんが、穀物を原料にしているというのは聞いております」
北の方の大きな河の辺りにも、僅かに海人族が暮らしているらしいが、直接は見たことがない。
この酒は北海の島々に住む海人族の街から船便で取り寄せているらしく、大変希少な品のようだ。
「いいんですか、そんな高そうな酒……」
今回の飲食代は店側が持つ事になっている。つまり奢りである。ご招待なのだ。
とはいえ話を聞くだけでも高そうだとわかるものを出されては、少々気が引けるというものだ。
「ただ置いておくだけでは価値はありませんから。ジンさんに飲んでいただいて、喜んでもらえれば価値があったということでしょう」
そう言いながらモクランは俺の杯に酒を継ぎ足した。
まぁ、相手が良いというのだ。堪能しても悪くはないか。
それにしても本当に旨いな。何処と無く日本酒にも似ている気がするし。
酒の肴に用意された料理の品々は、どれも手が込んでいて調理としての技術も高いように感じる。
ベイルの飲食店で提供される食事は味の濃い物が多い。ミラさんの手料理はそのあたりも考慮して、俺好みに調節してくれているのだ。
ここの料理も塩分控えめで極端に強い香辛料を使わない等、俺好みになっているので、もしやと思い聞いてみると「リザ先生にジンさんの好みを聞きました」と予め調査済みだったようだ。
「この焼き魚は、海の魚ですよね?」
ベイルからは海岸線まで馬車で七日ほど掛かるらしく、海産物はほぼ流通していない。あったとしても、僅かな乾物程度。
北へ行けば2日と掛からず大きな河に出るため、魚といえば川の魚なのだ。それすらも市場で見かけるのは魚の干物がせいぜいである。
「よくご存知で。私どもの店では特別な流通路を持っていますので、各地の珍しい素材が手に入るのです」
所謂ただの魚の塩焼きなのだが、それがこの酒に良く合う。
脂の乗った新鮮な魚を焼いてあるのだ。日常的に新鮮な魚を食べていた俺には、それだけでも感動があった。
日本酒に良く似た酒、魚の塩焼き、店の雰囲気や女性たちの名前、着物なんかを見ていると、なぜか懐かしい気分に浸れる。
まぁ、日本人顔の女性はいないし、店も着物もそれっぽいだけで和風かと言われれば、どれも偽物としか言えないのだが。
ざっくり言えば、外人が間違って得た知識でそれっぽいものを作った。そういったような雰囲気である。
ただ横に座る女性は間違いなく、最上級の美女だ。
彼女はすでに現役を退き、今は裏方として働いているのだとか。
話によると店長みたいなものらしい。
現役時代は最も人気のあった妓女だったのだとか。つまりNo.1ということだ。
「私も年を取りましたから。ジンさんも若い子のほうが、良かったですよね……」
モクランは俯き加減で大袈裟に手を目元へやり、悲哀を現す。
悪ふざけにしか見えないが、彼女自身衰えたとは思ってはいないのだろう。
今日の気合の入り方といい。自分に自信があるのがよく分かる。と言うよりも、女の武器をよく理解している。そういう感じだろうか。
「うーん、どうでしょうか。女性の魅力は若ければよいと言うものでも無い様な気がしますね。妻たちも若いから選んだという訳ではないので……若いことは素晴らしいことだとは思います。ですがモクランさんの美しさは、それだけの物ではないでしょう」
モクランの熱の篭った視線を受ける。
熟した体を寄せ、俺の手をとる。
「そうですね。若いことは素晴らしいことですよね。……ふふふ。ジンさんも若いはずなのに、そうでもないような気もしますね……不思議な人ですね」
柑橘系のような爽やかな香りが鼻腔を刺激する。
「ジンさんのために用意した香水です。どうでしょうか、こういったものはお嫌いですか?」
目の前にうなじが……これは目に毒だな。良い香りも相まって危険すぎる。
モクランは俺の目の前に手首を突き出す。小柄なシアンや抜群のスタイルを持つリザと比べると、背の高いモクランは大柄といえる部類だが、手首は細くしなやかで美しかった。褐色の肌もこれは、これで良いものだ。
突き出されたものを押し返すわけにもいかず、彼女の手を取り眼前に手繰り寄せた。
「ん。いい香りですね。俺は好きですよ。そんなにキツくないですし」
モクランの頬が仄かに染まる。
「私は体臭が強いほうなので……職業柄こういったものが手放せないのです」
「そうなんですか。この香水も微かに香る程度なので、きっと気になさる程のものではないとは思いますが……」
不意にモクランに抱きしめられる。
酔っているせいもあり、体制を崩し俺がモクランを押し倒す形になってしまった。
「おっと、すいません」
豊かな胸の谷間に顔が埋まる。
甘いミルクのような香りが微かに広がる。
柔らかいけど、しっかりした重みのある感触。
立ち上がるために、手を掛けようとするが間違えて彼女の胸を鷲掴みにしてしまった。
「あんっ、駄目ですよ。そんなに乱暴にしちゃ」
「あ、ごめんなさい」
モクランの腕の力が強まる。立ち上がれない。筋肉質な感じではないのに意外と力が強い。
「ああ、いい。やっぱり可愛いわ……」
浮ついた表情を隠し切れないモクランは、漏れるように言葉を発する。
「……え?モクランさん?」
「……アテュルです。私の本当の名前。ねぇ……アテュルって呼んで、ジンくん」
抱きしめられ動きが拘束される。ギリギリのラインを守っていた竜衣は、すでに守ることを放棄している。
力で抵抗しても封じられる。けっこう本気なのだが、押さえ込まれている。かなりの腕力だ。
スキルを使えば脱出できるかもしれないが、彼女を傷つけてしまう恐れのあることはやりたくない。どうしたものか。
「ちょっとモクランさん、どこ触ってるんですか!?」
「どこって?どこ?」
どさくさに紛れて俺の体を弄るモクラン。
拘束しているのは片腕になったのだが、それでも振り解けない。
「……惚けないでくださいよ」
「やだ、怒った顔も可愛いわ」
恍惚の表情を浮かべる今の彼女には、何を言っても無駄のようだ。
「アテュルって呼んでくれたら、解放してあげる」
俺もかなり酔ってはいるが、彼女も酔いが回って悪乗りしているだけだろう。そういう遊びなのだ。このノリに付き合ったほうが解決は早そうだ。
「アテュル、手をどけてください」
俺は静かに彼女の目を見つめる。
「……っ」
モクランさんは満足してくれたのか、言葉通り解放してくれた。
衣がはだけて大変なことになっているが、いたしかたない。見てはいけないのだと後ろを振り向くと、彼女は即座に背中に覆いかぶさってきた。
大きな物体が背中に当たる。
これはマズイ。獣人だからなのか、腕力は相当なものだ。俺も酒の旨さにかなり飲んでしまった。このままでは押し倒される。
独り身だったなら、むしろ押し倒されたい。望むところだ。だが今は2人の妻を持つ身である。
このまま流れに身を任せてはいけない。たぶん駄目だろう。いや、絶対駄目だ。
「若いって、素晴らしいですね……」
モクランは後ろから抱きつき体を弄りながら、熱っぽい声でそっと呟いた。
ふと気がつくと、部屋を区切る間仕切りがいくらか動いて、隣の部屋の様子が覗き込めた。
こちらから入り込む光と、魔眼の力で部屋の様子は良く見える。
見間違い出なければ布団が1つに枕が2つ……
うん。これはとてもマズイな。
「モクランさん、俺そろそろ帰りますね」
俺は危険を感じ、徐に立ち上がる。
だが凄まじい力で引き戻され、唇を奪われた。
彼女のねっとりとした舌が口内に侵入してくる。
「ダメよ。アテュルって呼んで」
悪女の様な妖艶な笑みを湛えながら、その蠱惑的な肉体を密着させてくる。
彼女に掴まれている部分も含めて、色々と本当に不味いのでそろそろどうにかしないと……
「仕方ないな……」
アテュルの肩を抱き寄せ、その厚い唇に吸い付く。
「んっ……あっ……」
舌を絡ませ、吸い寄せる。
闇魔術【魔力吸収】
口吻からアテュルに宿る魔力を強制的に吸いだした。
「ふうぅぅんんあああぁぁぁ!!?」
ご馳走様でした。
魔力を根こそぎ吸いだされたアテュルは、意識を失い床に伏せる。
「聞き分けのない女はキスして黙らせる……なんちゃって」