第120話 白猫館1
ベイルは旧市街、現在では中央と呼ばれる街の中枢と、新市街と呼ばれる中央を取り巻くようして作られた新たな居住区域によってできている。
中央を囲む城壁に、外周の城壁という2つの城壁である。
だがそれとは別に、この新市街には隔離された地区があった。
花街。
約500メートル四方の区画に、他地区とは異なる見た目の家屋が立ち並ぶ密集地帯。
この地区には西門と東門という、入口と出口が定められた2箇所があるだけで、それ以外は壁と水路で他地区とは完全に分断されている。
中の様子を伺うには門番が控える西門を潜るしか無い。
この門を潜るだけでも一定の金額を納めなければならないため、貧乏人には縁のない地域でもある。
「お話は伺っております。案内人がおりますので、どうぞあちらの詰め所に、声を掛けてお待ち下さい」
手に槍を持ち、金属の重鎧を身にまとった門番が、ギルドカードを確認した後に門を通してくれた。
「わかった。ありがとう」
今回の訪問が招待ということだからなのか、門を潜る際の通行料を払うこと無く無償で通れた。
他の通行者の様子を伺っていると、皆一様に支払っているので俺が特別ということらしい。
門を抜けて直ぐ側には、門番や花街の警備にあたる人間が待機している詰め所がある。
花街に並ぶ家屋と似たような作りの、木造3階建の古い建物。しっかりした作りで古いと言うより味があるといったほうが正しい。
貧民街の建物も大抵は木造の2、3階建てのものだが、それよりも凝った作りをしている。
いや、凝った作りというよりも、これは何処と無く和風の建物にも見える。何処か懐かしい雰囲気だ。何処がと問われると難しい所ではあるが。
「ジン・カシマ様でいらっしゃいますね。お待ちしておりました。今日はお一人様でございましょうか?」
ぼんやりと町並みを眺めながら、案内人を待っていると背後から声が掛かった。
50代の落ち着いた人族の男だ。
「ええ。今日は1人で来ました。直ぐ伺うつもりだったのですが、お待たせしたようですいません」
案内人の男が柔和な笑みを浮かべる。
「当店の小猫たちが待ち侘びている様子でしたよ。特にモクラン様が……いえ、私から言うのも無粋でしょうか」
小猫というのは白猫館で働いている女性たちの総称らしい。
酒と食事を提供し、泊まることもできる旅館兼料亭のようなものだという。
花街でも最高クラスの店。それが白猫館なのだ。
「もちろん提供するのは酒と食事だけではありませんが……」
小猫たちは芸に身を窶し、歌舞を始めとした様々な事を修得する。
訪れる客をもてなし、癒やし、日常を忘れさせて楽しませる。それが彼女たちの仕事だ。
案内人が先を歩き、俺はそれに追従した。
歩みはゆっくりしたもので、道すがらにこの地区の説明を受けた。
しばらく歩くと、立ち並ぶどの店よりも豪華な門構えの店にたどり着く。
案内人と別れ、店の門を潜ると獣猫族の年配の女性が出迎えてくれた。
「お待ちしておりました、カシマ様。お部屋の準備は出来ております。どうぞこちらへ」
女性に促され、履物を脱いで室内に入る。
入る際には女性従業員に足を洗われるサービス付きだ。
慣れないことをされて驚いたが、気持ちがいいし疲れが取れる。
それにしても、この世界に来て初めて靴を脱いで入る建物に出会ったな。
武器等もここで預けるようだが、俺は丸腰なのでそのまま通された。
冒険者の鞄は備えたままなのだが、それは問題ないらしい。
「通常は預けて頂きますが、カシマ様ならそこまでせずとも良いと指示を受けております」
女性は落ち着いた声で答えた。
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木造の建物は建てられてから、かなりの年月が経っているように見える。
だが細かい修繕を繰り返し、この美観を維持しているらしい。
3階建の大きな建物。長い廊下を歩くと中庭が見える。人工物を廃し自然の趣を活かした庭園は、かなりの広さがあるようだ。
「こちらでお待ち下さい」
通された部屋は20帖くらいの板間で、毛皮の絨毯が敷かれている。ふかふかとした肌触りが気持ちよく、このままここで寝てしまいたいくらいだ。
部屋を区切る板戸の間仕切りが見えるので、実際はもっと広いのかもしれない。ますます和風っぽい。ただ畳は無いようだが。
窓辺はベランダになっているようで、空いた戸から外の景色が見える。
いつの間にか時間が経ち日は落ちている。空は暗いが店の軒先に吊るされた明かりが、花街を色鮮やかに賑わしていた。
通りを歩く人々を眺める。夜が深けるにつれ人通りも増えてきたようだ。日本の着物によく似た装いの女性たちの姿も見える。
皆鮮やかな色合の衣で、女性たちを艶やかに飾っているようだった。
「失礼します」
部屋の外から声が掛る。幼さの残る若い女の声。
「はい」
俺が返事をすると部屋と廊下を区切る引き戸が開いた。其処に居たのはまだ幼い少女だった。
「白猫館へようこそお越しくださいました」
膝を突き深く頭を下げる幼い女の子。獣猫族の少女だ。
チセ 10歳
サヨ 8歳
1人かと思ったが2人いた。よく見ると顔立ちが似ている。姉妹かもしれない。
「モクラン姉様はもう少し時間を頂くことになりますので、それまでの間、私達がお相手致します」
「そうか。わかった」
こんな時、呼びつけておいて待たせるとは何事か。と怒ってはいけないらしい。
女は準備に時間が掛るものなので、男が待つのは当然の事なのだ。というよりも敢えて待たせて、待つ時間を楽しむというものらしい。
よくわからないが、こういった花街の流儀的なものが色々あるのだという。まぁ、これも1種の遊びということだ。ちなみに障りだけ案内人のおじさんに教えてもらった。
それにしても、ここではこんな幼い子たちも働いているのだろうか?
冒険者ギルドでも子供が受付をしているので、不思議ではないか……
いや、あれは子供ではなかったな。
2人の少女が部屋に食事を運んだり、酒を運んだりと用意を始める。
部屋の隅で香を焚く。食事の邪魔ではないのか?と一瞬思ったが、特にキツイ匂いがするわけでもない様だ。
「緊張を解して心を安らげる香だと聞いております。もしお嫌いでしたら片付けますが……」
「いや、いい。そういうわけじゃない」
紫雲香 薬品 D級
特に気になる訳でもないので、彼女たちに任せる。異世界の文化に触れるいい機会でもあるしな。
右にチセ。左にサヨ。
2人の幼女に挟まれる。なんだろうこの状況。
「ぜひ旦那様には一度お会いしたいと思っておりました。こうして叶うことになって夢のようです」
俺の話相手になってくれているのがチセ。幼いものの大きな目にハッキリした顔立ちで、将来は相当な美人になると予想される少女だ。
言葉遣いも大人のようにハキハキしていて、お店のお手伝いといった雰囲気ではなく、1人の従業員といったようなプロの雰囲気が漂っている。
しっかりしている。とでも言えばいいのだろうか。
隣に座るチセは小さいながらも女性らしい仕草で、しなだれるように俺に寄りかかり酌をしてくる。
なんか色々覚えちゃったんだな。率直に言うとそんな感想だ。
対してサヨはだんまりというか、無表情、無口を貫いている。
と言うよりも緊張しているのかもしれない。少々顔が強張っているようにも思える。
顔立ちはチセに似ているが、雰囲気は正反対だ。
黒というよりも深い青、濃紺といったような色合いの髪と瞳でチセは肩くらいまで長く、サヨは短く揃えている。
外を歩く艶やかな着物をまとった女性たちに比べれば、地味な色合いのシンプルな着物で身を整えている。装飾品の類も身につけてはいないようだ。