閑話 リュカの日常
※リュカ視点
「おはようございまーす。リュカ様、起きてますかー?」
木製の扉を打ち付ける金属製のノッカーが、来訪者を告げる打音を響かせる。
まどろみの中で手を延ばす。
枕元に置いた懐中時計を手元に引き寄せ、時間を確認した。
どうやらすでに約束の時間は過ぎているようだ。
頭まですっぽり覆っていた毛布を、勢い良く剥ぎ取る。
大きく伸びをして、縮こまった筋肉を引き延ばす。
重い足取りでテーブルに辿り着くと、置いてある水差しから水を注ぎ、乾いた喉を潤した。
「早いわね。いつもどおり頼むわよ」
玄関の扉を開けて、外に立つ人族の青年に声をかける。
「わかりました。リュカ様」
青年は浅くお辞儀をして、それに答えた。
「あのね。いつも言ってるけど、貴族じゃあるまいし、様なんて畏まった敬称やめてくれる?それに私は獣人よ」
やれやれと溜め息を吐きつつ、青年を室内へ招き入れた。
リュカが借りている部屋は、市民街の中でも高級な部類に入る地域に属している。
洗練された街の雰囲気からも、貧民街とは違う場所なのだと容易に理解出来るだろう。
だが街の雰囲気とは裏腹に、この場所は雑然とした様相を呈している。
簡潔に言うと、すごく散らかっていた。
「S級冒険者であるリュカ様は、下級貴族と同等の地位があると記憶していますが」
青年は澄ました顔で答える。
「領地があるわけでもないし、名ばかりの権利でしょ」
少なくとも長い冒険者生活の中で、貴族の地位が役に立ったなんて思ったことは1度もない。
「わかりました。それはそうとしてリュカさん、もう少し身なりに気を配って頂きたいのですが。流石にその格好はどうかと思いますよ」
そういう青年の指摘を受けて確認すると、リュカは寝間着のままのキャミソールにホットパンツといった様な出で立ちであった。
青年は澄ました表情を崩さないが、相手によっては確かに問題がある。
「……わかったわよ。ちょっと着替えるから待ってて。あと掃除はいつも通りお願い。鍵もいつも通りに」
「わかりました」
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「やあ英雄。調子はどうだい?」
「姫さま、いい肉が入ってるぜ。買ってかないか?」
「リュカさん、港から南の珍しい果実が届いたんだ。見てってくれよ」
道を歩けば次々に住人たちから声が掛る。
ベイルの住人たちは皆逞しく、街の復興は急速に進んだ。
仕事の早いドワーフたちが多く住んでいるのも理由の1つだろう。彼らは生来の職人気質を持ち、その能力を石工や大工、鍛冶師として遺憾なく発揮している。
「こんにちは。ビッケルいるかしら?」
職人街の片隅、古い工房を尋ねた。
お世辞にも綺麗とはいえない、年季の入った工房は屋根が少し傾いている。
ここに住む者同様に、色々とガタが来ているのだ。
「よお、よお、お嬢ちゃん。久しぶりだな!今日はどうしたんだ?あぁ、また魔剣の鞘を頼みに来たのか?」
右目を眼帯で隠した、白髪のドワーフがよたよたと足取りも悪く姿を見せる。
腰には革製の道具袋が下げられており、金槌やノミのような道具が確認出来ることから大工なのだとわかる。
「ガルドル、私2日前にも来たんだけど。そうじゃなくて、頼んでおいたものを取りに来たのよ」
「ほお、そうだったか?がはははは、年を取るといけねぇな。どうしたって忘れっぽくなっちまう」
豪快に笑うドワーフの老人の手を、虫を払うかのように軽く叩く。
「痛えな。なんだよ、お嬢ちゃん?」
「痛えな。じゃないわよ。私の尻は安くないの、勝手に触らないでくれる?」
叩かれた左手を大げさに庇う。
「老い先短い人生なんだ、冥土の土産に少しぐらいいいじゃねえか」
「その人生、今直ぐ終わらせてあげましょうか?」
何時何処から出したのか、いつの間にか握られている小剣にドワーフの老人は冷や汗をかいた。
「なんだよ冗談だろうが……」
がっくりと肩を落とし、老人は疲れた様子を見せた。
「なによ、ちょっと触らせてあげたでしょ」
「そんな固い尻じゃ、あんまり嬉しくな――」
ガツンと鈍い音が工房に響いた。
「痛え!?今本気で殴ったな!」
「私が本気で殴ったら貴方死んでるわよ……いいからさっさとビッケル呼んできなさい!」
「は、はい」
ガルドルは追い立てられる様に、工房の奥へと走っていった。
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「ジン、さぁ行くわよ!支度はできてるでしょうね?」
強く玄関の木扉を叩き、訪問の合図を送ると同時に勢い良く戸を開けた。
「……っ!!」
リビングに居たリザが、驚いた表情を浮かべて飛び退いた。
「おはようございますリュカさん。は、早いですね」
ジンも慌てて姿勢を正す。
「……その様子じゃ腕の方は問題無さそうね。さぁ、森へ行くわよ」
この二人が番になった話は聞いている。若者同士だし、元気なのはいいことだ。ただ訓練の前にやり過ぎると疲れが貯まるのでおすすめはしない。
「あぁ、それならいい場所があるんですが……」
ドーム型の天井。地下だというのにかなり明るい。直径100メートルはあるだろうか、広さも十分だ。
「街の地下にこんな場所があったなんてね……驚きだわ」
この街にはそれなりに長く暮らしてきたが、こんな空間が地下に存在していたとは知らなかった。
「訓練に丁度いいでしょう?音も外に漏れることはないだろうし、この遺跡の石材自体がかなり頑丈なので少々暴れても問題ないと思いますよ」
街の全体に広がっている地下水道も、古代の遺跡をそのまま利用しているという話だ。
もしかしたら、この場所はそういった遺跡の一部なのだろうか。
ゼストは知っているのだろうか?そういった話は聞いたことが無いが……
街の石畳や水路、一部の石壁、古い家屋に備えてある地下室の一部も遺跡なのだという。
この街には至る所に古代文明の面影が残されているのだ。
「もう終わり?まだまだ始まったばかりよ」
ドワーフの職人に作らせた特注の木剣。普通に振れば特に変哲もないものだが、魔力を僅かに込めることで重量と耐久性が大幅に向上する。
木剣とはいえ当たりどころが悪ければ、致命傷にもなりかねない危険な武器である。
「……ま、まさかぁ。まだまだ、これからですよ」
とは言え足元がふらついている。それでも軽口が言えるなら、まだ元気な証拠か。
「そうよね。大丈夫よ、今日は時間があるから、たっぷり付き合ってあげる」
「……わぁい」
そういうジンの顔は、これ以上ないくらいに強張っていた。
「それで、どうじゃジンの様子は?」
訓練を見るという名目で呼びだされたアルドラが、腕を組み立ち並んで質問してきた。
「悪くはないわね。これで剣を持ったのが最近なんでしょ?それを考えれば、相当な成長速度だと思うけど」
ジンは体力を使い果たし、今はミラの膝枕で休憩中だ。
疲れからか僅かな時間で眠ってしまったらしい。寝顔だけで見ればただの少年にしか見えない。黒髪、黒瞳、クセのある髪、幼さの残る顔立ち。
北方系の顔立ちではない。かといって南方系とも違う。少なくともこの辺りでは見ない人族の種だ。まぁ人族は獣人と同じく幅広く生息地を広げる種だ。この辺りでは見かけない人族も、遠方の地にはいるのだろう。
色々な事情から故郷を出て、新天地へと旅立つ。そういったことも珍しくはないと聞く。
「お主がそれほど評価するとはな。そりゃあ最高評価じゃないじゃろうか」
そういってアルドラは顔を綻ばせる。まるで自分の息子が褒められて、気を良くしているかのようだ。
「まったく……子供に甘いんだから……」
そういって自分の幼少期のことを思い出す。
父の友人、アルドラ。
エルフでありながら異端の存在。その全てが規格外。
何でも酒場で大喧嘩して以来、父と友人関係となり共に行動するようにもなったのだとか。
父の操る獣狼族特有の格闘術を修得するため、一緒に暮らしていた時期もある。
私が初めて会ったのは2歳くらいの時らしい。もちろんその辺りの記憶は、私には無いが……
「何か良いことでもあったか?」
アルドラが不思議そうに私の顔を覗き込む。
「……なんでもないわよ」
思わず顔に出てしまったらしい。僅かに頬が熱くなるのを感じた。
「それにしても、お主がジンの稽古を付けるなどと言い出すとはな。どういった了見じゃ?」
単にアルドラのお気に入りに興味が湧いただけ。などということはない。
勿論理由はある。
『ジンを鍛えてやってくれ』
ゼストに頼まれたことだ。
あのように真剣な顔で頼むときは何か理由があるときなのだが、それを安々と教えるような奴ではない。
言わないというより、言えないのだと解釈している。
『いいけど、1つ貸しよ』
『わかった』
ゼストに貸しを作って置くのは悪く無い。
私は暇が出来たらという条件で了承した。
「そんなことより、随分と気に入ってるみたいね」
視線を移すと、ジンがミラの手を握りしめ、それに嬉しそうな表情を浮かべるミラの姿があった。
「ええ。男の子って可愛いですよね」
ミラの2人の娘、リザとシアン。
ついこの間、身内だけの内々の結婚式を上げたのだとか。
「どうもリザの話では結婚式は2人のために、というより私のために、私を安心させるためにしようとジンさんが提案してくれたみたいなんです」
そういってジンの手を握りしめるミラ。
しかしその顔は娘の夫に向けるようなものでなく、まるで自身の恋人に向けるような恋する乙女のものに感じた。
ジンはというと今だ眠りに着いている様子である。
「……まさかとは思うけど、もう抱かれた?」
私の言葉の意図を理解したのか、ミラが焦りの色を見せて狼狽する。
「なっ……なにを言ってるの!?」
彼女は私の倍ほどは生きているはずなのだが、どうも見た目も相まって少女のようにしか見えないときがある。
精神の成熟が緩やかとされるエルフならではといえば、それまでかも知れない。
ともあれ今の彼女は、母の顔というより1人の女の顔といった様相だ。
まぁ私も一応は女だ。
女らしいことをしばらくした記憶はないが、ミラの心情にはある程度予測はつく。
「ほんと少年好きも大概にしておかないと、大変なことになるわよ……」
呆れ半分、諦め半分。
ともあれ今では彼女のことも、友人の1人だとは思っている。
であれば悲しい結末にはなって欲しくはないというのが、正直な心情だ。
「あ、あのねぇ……何をそんな……」
狼狽えるミラは言葉が辿々しい。
視線が泳ぎ、焦点が定まらない様子だ。
「あ、あれ?俺寝てました……?」
ミラがもごもごと口どもっている間に、ジンの目が覚めたようだ。
「ええ。少しの間ね。寝て体力も回復したでしょう。さぁ修行の続きをやるわよ!」
確かにこの少年には底知れない何かがある。
アルドラはその辺りに興味を惹かれているのだろう。ミラもリザもそうかもしれない。
そういう私もそうか。
この子の成長がどこまで行くのか、見てみたい気持ちはある。
そう考えると、確かに面白そうだ。
しばらく修行に付き合って、成長を見守るとしよう。