第119話 姉妹の結婚式
「結婚式ですか?」
唐突な質問にリザは疑問の色を見せる。
「ああ。そういうのはエルフでは無いのかな?」
ルタリア王国に広く布教されている宗教、女神教。
王族を始めとした貴族たちを中心に、ルタリアに住む人族のほぼ全てがこの教団に身を寄せていると言って過言ではない。
人々の精神的主柱、結束の中心にあるとさえ言われるこの女神教は、王国でも非常に強い影響力を持っている。
「人族は教会が取り持つというのは聞いたけど、エルフ族ではどうなのかなと思ってな。ほら……リザとシアンを妻とする事を決めた訳だが、何ていうか……ケジメとでも言うのかな」
リザのことは出会った当初から、そう言った話であったので唐突ということも無いが、シアンは勢いで……といった感じも否めない。
勿論軽い気持ちというわけではなく、俺なりに考えてのことだが。
結婚は勢いが大事ということもあるが、それはこの際置いておこう。
リザは美しい娘だ。
彼女を妻に。そう言われて断る男はいないだろう。まともな美的感覚があれば、同性愛者でなければ、欠点たる欠点の見当たらない誰もが羨む器量の良さである。
それでも俺がこの世界にたどり着いた理由がわからない状態で、結婚なんてものは考えられなかった。
仮に一晩限りの……そういったものなら考えたかもしれない。
しかし真剣に考えるなら、あやふやな状態での進展は難しい。
どういった力でこの世界に辿り着いたかわからないなら、いつ突然元の世界に帰るかわからないからだ。
彼女は真摯で、良い娘であればあるほど、誠実に接したい。しなければならないと、考えさせるのだ。
一応の所、元の世界に帰るという余地はない。今はそう考えている。俺もまたこの世界の住人。この世界で骨を埋めるのだと。
であれば何時までも彼女を待たせるわけにも行かないだろう。
「お母様に聞いてみます。そうですね……結婚式。いいですね……」
リザは小さく呟き、口元を微かに緩めた。
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エルフ族の結婚式、春の儀式は文字通り春の季節に行われる。
ルタリア王国、大森林、この地域にも四季があり季節の移り変わりはあるようだ。
ただ気候的には温帯に属するようで、冬とはいっても雪が積もる事は滅多にない。
「花の冠、エルロードという樹皮から作られるローブと杖を持って、詩と踊りで祝福されるのが春の儀式ですね」
ミラさんは昔を思い出すように教えてくれた。
大森林に住むエルフは、家族が幾つか集まったような小さな集落を築いて生活している。
春になると、その幾つかの集落が集まり春の祭り、新たな年の始まりを祝うのだという。
「普段あまり接触のない集落同士の情報交換の場でもありますね」
そういった場で、若い男女が出会い番になるのだという。
気に入った男性がいれば、若い女性エルフは自分の母に相談する。
母から父へ更に村長に伝えられ、相手方の方に話が伝えられ村長と父親とが中心になって話が進められていくものらしい。
「エルフの男性は消極的ですからね。大抵は女性の方から動きます。もしくは村長や父親たちが集まって、話し合いなども行われるそうですが」
春の儀式は村の者総出で、つまり家族で祝うのが通例なのだ。
「どうかなリザ、シアン」
彼女たちに向き直ると、それぞれに嬉しそうに頷いた。
家族で結婚式をあげようという話だ。
姉妹の結婚式。
ミラさんは村を出て、今は交流もない。アルドラもそうだ。
そういった訳で参列者はこの家の住人のみとなる想定だが、まぁそれもいいだろう。
「では、そのように準備を進めますね」
ミラさんが張り切っている。未だこの世界の文化、生活に熟知しているとはいえないが、母が娘を祝福したいという気持ちは、世界が違えど変わらないものなのだろう。
「私も調合の合間を見て、準備します」
リザはミラさんの薬の調合を最優先に、手が空いた時に儀式の準備を進めるという。
ちなみに儀式は俺の浅い知識を加えて、現代日本式+異世界エルフ式というハイブリッド結婚式となる予定だ。
「白無垢……兄様、私も着てみたいです」
「勿論だ。俺も二人の着飾った姿を見てみたい」
まぁ、白無垢なんてものはないだろうし、ウェディングドレスなんかも無いだろう。
という訳で白いドレスを探すことにした。1から作るとなると、まず製作者から探さないと行けない。街が混乱の中にある状態では、難しそうだ。
時間を掛けてゆっくり準備するかとも思ったが、女性陣が思いのほか乗り気なので今更無粋なことは言うまい。
俺はというと腕のこともあって、基本的に家で留守番である。
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「どうですか兄様?」
「ありがとう。まぁ何とか、頑張るよ」
しばらく安静にということだったので、俺は空いた時間でこの国の文字をシアンに習っている。
まぁ、獣皮紙に何度も書いて覚えるという単純なものだ。
とりえあえず数字は覚えた。十進法で文字数もそう多くはないので、すぐ覚えられた。
その後は王国で一般的に使用されるルタリア語に挑戦する。
32文字からなる象形文字のような記号である。
それからは文字の組み合わせからなる単語をひたすら書いて覚える。
文法は後回しで、一般的に、もしくは冒険者が使いそうな単語を中心に覚えていく。
これでギルドの依頼書、もしくは酒場のメニューくらいは直ぐ読めるようになるだろう。
魔術の教科書たる魔術書を読むには、これとは別に魔術文字というのを覚えなければならないそうだ。
魔術文字は人族の魔術師の手によって、エルフ文字を元に作られた。
人には理解しづらいエルフ文字を、人の魔術師にも修得しやすいように簡略化された物だそうだ。
文字1つ、1つに意味があり、それぞれに魔力が備わるのだと言われている。
「それにしても覚えることは、まだまだあるな……マスターするには、かなり時間が掛かりそうだ」
人生は死ぬまで勉強だ。なんて何処かで聞いたような気がするが、実際こうして見ると学生時代に戻った気分だ。
まさか異世界で異世界語を勉強することになるとは思いもよらなかったが。
「任せて下さい。私が全力で教えます!」
シアンは拳を握りしめ気合を入れた。
その姿が可愛すぎて、思わず抱きしめそうになるのをグッと堪える。
「お願いします。先生」
「先生?」
シアンは不思議そうな表情を見せる。
「勉強を教えてくれるなら先生だろ?」
そう言うと彼女はにっこり笑って「先生に任せなさい」とまんざらでもない様子を見せるのであった。
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数日後、いつものリビングでささやかな結婚式が開かれた。
ミラさん、アルドラ、それに俺とリザ、シアンと家族だけの祝である。
いつもより数段豪勢な料理が用意された。酒も手に入る限りの上等なものだ。
「リザ、シアン、二人共すごく綺麗だよ」
「ありがとうございます」
「兄様、嬉しいです」
生花を使った花の冠。ミラさんの手作りである。
二人が着ている白いワンピースのドレスは、街中を探して手に入れた。
アルドラとリザとで見つけ出したものだ。レースがふんだんにあしらわれた豪華なドレスである。
二人のデザインは微妙に違う。リザの背中は大きく開いていて、かなり扇情的であるし、シアンはかなりミニスカになっている。チラリズムがすごい。この世界にもミニスカって文化があったのかと感動を覚えた。
スカートの端がレースになっていて、シースルー的な感じになっているのが、また非常に良い。主に視覚的な意味で。
「わしはお主にやると言ったときから、すでに送り出したものとしておる。じゃから今更じゃな」
とは言うものの、姉妹の幸せそうな顔を見ればアルドラも目尻が下がる思いであるようだ。
姿は若々しいが、おじいちゃんみたいなものだしな。
アルドラが言うには、エルフには結婚という言葉はあるが、離婚という言葉はないそうだ。
死別は別として、例えリザやシアンと別れるようなことがあっても、彼女たちはお主を離れた地から思い続ける……
そうなっては不幸になるしかないので、末永くよろしく頼むということだった。
もちろん言われるまでもない。
彼女たちを手放すことなど、到底考えられないことなのだから。
しかしアルドラの言い回しが若干怖い。
「ジン様、これからもよろしくお願い致します」
「兄様、ずっとお側に居させてくださいね」
彼女たちに視線を送ると、そう言って晴れやかな顔を向けてくる。
……怖いなんて言うものではないな。
俺の人生に、これ以上の幸福など無いのだろうから。