第115話 巨人殺しの英雄1
徐々に覚醒する意識。
窓の隙間からこぼれ落ちる光が、既に日が高いことを知らせていた。
「今何時くらいかな……」
毛布を剥いで立ち上がる。傍らに居たはずの妻たちの姿は今はない。
大きく伸びをして、枕元にきちんと畳まれた着替えに袖を通す。石鹸の匂いのする清潔なものだ。
大きめのシャツと七分丈のズボン。麻のような植物で織られた服は通気性も良くて、着心地が良い。
「おはよう」
階段を降りて2人に声を掛ける。
「おはようございます。ジン様」
「兄様、おはようございます」
リザは食事の用意を。シアンはネロに餌の用意をしているようだ。
「ジン様、着替えなら声を掛けてくださればお手伝いしましたのに」
リビング備えてある椅子に腰を掛ける。ミラさんの姿はない。
「着替えくらい1人でも出来るよ。病人ってわけでもないし。体力も十分すぎるくらい回復したから、もう大丈夫だ。でもありがとう」
リザは少し残念そうな表情を見せて「もう少しジン様のお世話したかったな……」と小さく呟いた。
「それならたまに怪我するのも悪くないな」
正直に言えば、2人に甲斐甲斐しく世話を焼かれるのは良い気分だ。堕落しそうではあるが。
「それはダメです!それにお世話なら何時でも出来ますよね……」
リザは俺の世話を焼くのが好きみたいだ。
「そうだな。まぁこれから先も、互いに助け合うことは幾らでもあるだろう?」
「そうですね」
リザは微笑み小さく頷いた。
「私も兄様のお世話したいです」
シアンは井戸から汲んだばかりであろうよく冷えた水を、水差しからマグに注いで差し出した。
「ありがとうシアン。そうだな、そのときは頼むよ」
そう言って笑顔を向けると、シアンも嬉しそうに頷いた。
焼いた卵、ベーコン、野菜のスープ、パン。テーブルにはリザが用意した朝食が並ぶ。
とはいっても時間的にはもう昼だ。
昨晩は寝るのが遅くなってしまったせいもあって、起きるのが遅くなった。
3人で遅い朝食を取っていると、ミラさんが重い足取りで姿を現した。
「おはようございます。ミラさん」
階段を降りてきた所で声をかける。
「お、おはようございます。ジンさん」
気のせいだろうか。僅かに頬を赤く染め、動きも辿々しく何かおかしい。熱でもあるのかもしれない。心なしかいつもより疲れているようにも見える。
枯渇症の影響だろうか。であればリザに薬の作成を急いで貰ったほうが良いかもしれない。
「大丈夫ですよ。体に異常はありません。昨日は少し寝るのが遅くなってしまって、それで少し疲れただけです」
「そうなんですか?それならいいんですが……遅くなったっていうのは、片付けが大変だったからですかね。だとしたらすいません、手伝いもしないで」
「いえいえ、違うんですよ。部屋に戻ってから……そうだ、読み物!読み物とかしてたんです。それで遅くなってしまって……」
食事の後片付け等は姉妹で行ったので、確かに片付けるのが大変なものは無かったように思える。
シアンも本を読むのが好きなようだし、その母親なのだ。彼女の本好きはここから来ているのかもしれない。
「そうでしたか。ミラさんも食事にしますよね?起きてすぐだと無理そうですか?」
「いえ、頂きます」
「てっきりミラさんが朝弱いのは、枯渇症の影響なのかと思ってました」
ちょっとアンニュイな雰囲気のあるミラさん。体力があるようには見えないし、常に疲れたような気怠いような空気を身にまとっている感じだ。
必要以上に露出のある服を着ることはないし、服装で言えば若々しさもあって清楚なお姉さんといった風貌だろうか。
ただその憂いだ瞳は、なんとも言えない大人の色香を感じさせる。
ニット系のワンピースとか着ている日なんかは特に危険だ。
「母様は昔から朝弱いですよ」
俺の隣で一緒に食事を取るシアンが答えた。
「ええ、そうね。たぶん子供の頃から朝は遅かったかもしれません。……今よりはもう少し早かったかと思いますが」
エルフの村を出てからは冒険者をしていたということもあって、時間にルーズでも問題なかったようだ。冒険者というのは時間に縛られない職業らしい。
「エルフという種族自体が人族とは時間の感じ方、概念が少し違うのではないかとも思いますけどね」
というのはエルフの村でも暮らしたことのあるリザの意見だ。
確かに人族とエルフ族では寿命も違うし、時間の捉え方は違うのかもしれない。
人よりも寿命の長いエルフは、ゆったりした時間の中で生きているということか。
スローライフ的な。ロハスか。
森には魔物も出るから、あまり優雅な感じではないのかも知れないが。
彼女たちとの食事の時間を楽しんだあと、俺は自室で着替えを済ませ外出の用意を整えた。
戦闘用の装備ではなく、街着といったような軽装だ。
ちなみに外套は損傷が激しいので部屋に置いてある。
「ではちょっと出かけてくるよ」
あまり部屋に篭っていても気が滅入るので、ギルドの様子でも伺ってこようかと思う。
昨日は戦況を聞くこと無く戻ってきてしまったし、現在の状況くらいは把握しておきたい。
戦闘に参加云々という話ではなく、この街の住民として、といった感じだ。
「ジン様、私もお伴します」
側に来るリザを優しく窘める。
「いや、リザは薬の作成を急いでくれ。せっかく素材が手に入ったのだし、ミラさんの体調が悪化した時のことを考えても急いだほうがいいだろう」
彼女は少し考えたあと、俺の気持ちを汲んでくれた様で、小さく頷き了承してくれた。
「兄様、私は付いて行ってもいいですか?」
リザの後ろから姿を現したシアンが、飛びつくようにして腕を絡ませ密着してくる。
「街もまだゴタゴタしてるから、大人しくしていたほうがいいな。何かあったときの為にミラさんの側にいてくれ」
シアンは残念そうに頷いた。
彼女の足元に控えるネロに声をかける。
「留守を頼むぞ」
「にゃう」
ネロは誇らしげに一声鳴いた。
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待ちゆく人々は何処と無く疲れていた。
だがそれでも復興へと歩みは進めているようである。あちらこちらで、瓦礫の撤去に動いている人々を見かける。
同じ装備で身を固めたベイル守備隊の隊員たちも忙しそうに動きまわっている。
このような状況下であると、治安維持もいつも以上に大変なのかもしれない。
冒険者ギルドの屋舎に近づくと、やはり周囲の人影は少ない。何時もなら外まで人が溢れ、賑やかな場所なのだが。
屋舎の重厚な扉に手を掛け、屋内に入る。
するとそこには予想していなかった光景が広がっていた。