第106話 異常発生
俺はリザを背負い、ベイルへ向けて【疾走】【隠蔽】を発動させ走りだした。
【疾走】は魔力の消費も大きいが今は先を急ぐことを優先させる。
【探知】は常時発動させていた。S級で使用できる広範囲【探知】は高い集中力が必要なので移動中は難しい。そのため低級の【探知】だが、問題はないだろう。
いまは周囲を探ることよりも、安全にかつ素早く移動することが目的なのだ。
体の方も今のところ問題無さそうだ。傷口が開く気配もない。体力的には不十分だが、リザを背負って走るくらいは大丈夫だろう。
「あの、私は降りたほうが宜しいのでは?」
片手を失っている状態では、正直不安定なのは否めない。
無理しているのがわかるので、リザも対応に困っている様子であった。
「無理そうだったら降りてもらうさ。少しでも先を急ぎたいからな、そのあたりは臨機応変にいこう」
なんとかバランスを取れば、いけないことも無さそうだ。
周囲は視界の効かない高濃度の瘴気に飲み込まれている。通常であれば森歩きに慣れたエルフや獣人でも躊躇するほどだ。
「これがあって助かったな」
盗賊の地図 魔導具 C級
自分が歩いた箇所を地図として記録してくれる地図の魔導具だ。
これがあれば見通しの効かない瘴気の森も、迷子にならずに進む事ができるだろう。
「はい。アルドラ様もいいものを見つけて下さいましたね」
「そうだな」
後は魔物に見つからないように気をつけることだ。
だが今のところ【探知】は問題なく使えるし、体調の変化もないようだ。
「リザ具合はどうだ?高濃度の瘴気は害があると聞いたのだが……」
俺の背に掴まりながら、彼女は答えた。
「問題ありません。エルフの血が流れているせいでしょうか、人族よりは耐性があるような気はするのですが」
森が生活の拠点のエルフなのだから、そうなのだろうな。ともかく今のところ体調の心配はしなくて良さそうだ。
「ジン様は大丈夫ですか?」
リザはエルフの血が流れる自分よりも、純粋な人族の俺のほうが心配なのだろう。ただ俺が本当に純粋な人族なのかは、疑問が生じる所ではあるのだが。
転生してこの世界の母親の腹から生まれた訳でもないからな。ステータス上は人族なのだけど。
「俺も大丈夫だな。まぁ気分が悪くなってもリザの薬があるし、途中で休むより早く森を抜けたほうが良さそうだ」
【探知】が無数の魔力を感知する。
すぐ近くに巨人の集団が移動中のようだ。
濃い瘴気が霧のようにあたりを包んでいるため視界は悪い。そのためか巨人の姿は確認できないでいる。
「リザは何か感じるか?」
俺は走りながら聞いてみた。【探知】は正確に機能していると信じているが、瘴気はスキルや魔術、つまり魔力を使った行為を阻害する力があるとされている。
俺が違和感を感じなくとも、実は変調を来しているという可能性もある。
「いえ、わかりません。私にはすぐ近くにいるとは思えないのですが……」
巨人の集団が近くを移動しているなら、地響きや木や枝の折れ曲がる音が聞こえるはずだ。
それらが全くないということは、やはり俺の【探知】が正常に働いていないということか。
そう思った矢先に、それは起こった。
微かに地面が揺れる。
そして突然、目の前の地面が隆起した。
俺たちは突然の事に足を止め、近くにあった大木の影に身を潜めた。
「そうか、巨人は地下を移動していたのか」
地面から巨大な手が生える。
土砂を掻き分け、岩を土を木々を押しのけて、それは姿を現した。
サイクロプスだ。
僅かな間に大地から這い出るようにして、何体もの巨人たちが飛び出した。後から後から何体もの巨人が溢れ出てくる。
サイクロプス 妖魔Lv32
サイクロプス 妖魔Lv34
サイクロプス 妖魔Lv33
「地下遺跡でしょうか」
「だろうな」
ザッハカーク大森林の至る所には、数多くの遺跡が残されているという。その中には魔物の巣となっている箇所も多く存在する。
長く伸びた遺跡を通ってきたのだろうか。出口は土に埋まっていたようで、突き破って出てきたのだ。
「まえに訪れた雷精霊の祠もかなり長い間、人が入り込んではいない雰囲気だった。そういった知られていない遺跡が他にもあるのだろう」
魔物はそれを利用して、ベイルの冒険者や森の住人たちを欺いて移動しているということか。
「そんなことが、ありえるんでしょうか……」
リザが困惑の表情を浮かべる。
ありえるのか?と言っても、現実に起きていることなのだ。巨人は冒険者たちが言うように、脳みそスカスカの魔物ではないと言う事なのだろう。
「ともかく報告することが1つ増えたことは確かだな」
巨人に見つからないように、大きく迂回して進んだ。巨人は目が良いらしいが、感覚はそれほど鋭くない【隠蔽】を付与していれば、ほぼ間違いなく彼らの視覚を欺けるだろう。
だが立て続けに希少種に出会っていることもあって、慎重に慎重を重ねているといった具合だ。ここまでくると、どんな奴が潜んでいるか予想もつかない。
「ゴブリンの群れか」
深い瘴気の中、藪の中を移動中のゴブリンの群れに遭遇した。いつもの4~6匹といった群れではない。【探知】で大まかに知り得た情報であるため正確な数は不明だが、100は超えてるように感じた。
「ゴブリンも異常発生しているってことなのか?」
「わかりません。魔物の異常発生は数年おきに1~2回ほどあるらしいのですが、いつもベイルまで到達することはないそうです。事前に察知して、森の中で数を減らしたり境界で撃退してしまうそうなので」
異常発生の際に対処の中心を担うのは冒険者ギルドである。
リザはギルドに所属していないため、詳しい情報はわからないそうだ。
ゴブリン 妖魔Lv12
ゴブリン 妖魔Lv15
ゴブリン 妖魔Lv14
状態:興奮
ゴブリンの群れは高い興奮状態にあるようで、何かに向かって盲目的に突き進んでいるといった様子であった。
ゴブリン・アーチャー 妖魔Lv21
ゴブリン・ソルジャー 妖魔Lv22
ゴブリン・シーフ 妖魔Lv21
ゴブリン・リーダー 妖魔Lv23
この辺りに出没するいつものゴブリンと比べると、微妙にレベルが高い。
しかも希少種?なのか、普段みたことのない奴も混じっているようだ。
「亜種でしょうか。あ、いや上位種だったかな……」
リザは詳しくないのか、自信がないようだった。
亜種、上位種、希少種の違いもよくわからないらしい。なんとなく聞いたことがある程度だという。
まぁ、ともかく今はゴブリンの相手をしている時間も余裕もない。そのあたりのことは後でシアンにでも聞いてみよう。魔物好きな彼女なら知っているかもしれない。
レベルの高いゴブリンたちは、見た目で言えば通常のゴブリンと大差はない。深緑の肌にシワの深い、人族の老人のような顔。大きく尖った耳と鷲鼻を持ち身長120センチくらいの小柄な人型の魔物である。
あえて言えばレベルの高いゴブリンは、いくらか逞しい体付きと言えるかもしれない。
彼らは感覚の鋭いタイプではないので大丈夫だとは思うが、念の為に距離を取りつつ【隠蔽】【疾走】で危なげなく進んだ。
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そろそろ境界も近い。
周囲からは変わらず魔物の気配が多い。森へ侵入したときとは打って変わって、まるでゲームのように湧き出しているかのようだと感じた。
この世界はスキルや魔術、魔物が存在しゲームのような世界だと感じることもときにあるが、だがゲームではないのだ。
怪我をし血が流れば痛いし、死んだ人は教会で生き返らない。
魔物は生物である。ゲームのように倒したの後、自動的に再配置されるということもない。
繁殖し成長し、生命としての営みを教示している。
魔力の消耗も気になり始めた頃、まさに異常発生といえる光景を目にする。
「おぉ……すごいな」
グラスホッパー 魔獣Lv1
手のひらサイズの大型のバッタが、無数に飛び回っているのが視界に入った。
状態:興奮
それぞれ興奮状態にあり、それは先を進めば進むほど数を増した。
藪の中から無数のバッタが飛び立った。
「ジン様……」
ウッドラウス 魔獣Lv1
状態:興奮
同じく手のひらサイズの、ダンゴムシに似た魔物が地面を這いまわっていた。その数は地面を埋め尽くすほどで、もぞもぞと動く様はまるで地面が脈動しているかのように思えた。
俺は思わず足を止める。
すると其処へ1匹のウッドラウスが足へと登ってきた。
鋭い牙を持つ顎を、肉に突き立てる。
「……ちぃッ」
皮膚に僅かな痛みが走った。手を払い小型の魔物を叩き落とす。
【隠蔽】を付与しているが、接触すれば気づかれるのか。
空中を埋め尽くすバッタと、地面を埋め尽くすダンゴムシである。接触せずに通るのは不可能だろう。【疾走】で強引に通るか。俺1人ならそれもいいが、リザを抱えている。それを考えるとあまり気が進まない。
後でライフポーションを飲むか、ミラに【治療】してもらえば良いだろうとという考えは避けたい。
「私はジン様に従います。どうか気を使わないで下さい」
エルフの村で暮らした経験もあるリザだ。魔物の解体もできるし、森歩きにも慣れている。森には魔物は勿論、普通の虫なども多い。現代人の女性と比べれば、逞しいと言えるかもしれない。
目の前に蠢くそれは、普通の虫よりも遥かに凶暴で巨大ではあるが。
「わかった」
とは言っても強引な手段をとるのは、最後に取っておこうと思っている。
雷魔術【雷付与】
肉体に付与した雷が、飛来してくるバッタを撃ち落とした。正確に言うと、この身に取り付こうと足を伸ばした直後に、雷の反撃にあったのだろう。
武器に【雷付与】を施せば、雷に弱い魔物に効果的なダメージを与えることができる。時に麻痺を発生させることも可能だろう。
肉体に【雷付与】を施せば、接触しようとするものに雷の反撃ダメージを与えることができる。威力としては微々たるものだ。少々驚く程度。それなりに強い魔物には、全くの無力といっていいほど。その程度だ。
だが小さな魔物、矮小な存在であれば多少の効果も見込めるだろう。身に取り付く抑止力としての働きを期待できる。小さいとはいえ魔物である。場所によっては怪我の可能性もある。
数も尋常ではない程に多いのだ。そのための防御策である。
互いに【雷付与】【脚力強化】【耐久強化】を付与して進む。
【隠蔽】を付与しても、接触から見つかってしまう可能性が高いので外してある。この数の中を【疾走】するのも危険を感じて、防御に念を置いて2人で歩いて進むことにした。
ここを抜ければ、森の切れ目までもうすぐだ。