第103話 戦いの後に
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
体中が怠くて重くて痛い。鉛のように重い瞼をどうにかして開けると、そこは見た覚えのない様子が広がっている。
ここは何処かの洞窟だろうか。入り口も近く、奥の壁もすぐ側にあるので洞窟というより横穴といった感じだ。入り口の方に目をやると、既に雨はあがっているようであった。
薄明かりが射す中で、魔獣の毛皮だと思われる敷物を敷いて、毛布を掛けて寝かされているようだった。
光源の正体は焚き火だ。少し離れた位置で赤々と燃えている。時折パチパチと爆ぜる音が聞こえ、木の燃える匂いがした。
そこでふと気がついた。
「おはようリザ」
俺は彼女の膝枕で眠っていたようだ。
「ジン様っ」
声を掛けると、彼女は暗く落ち込んだ顔を見せて、その大きな目から大粒の涙がぽろぽろと溢れた。
「ど、どうした?大丈夫か?」
驚いて声を掛ける。
「大丈夫か?じゃないですよ!どれだけ心配したと思っているんですかっ!」
怒られてしまった。
「あぁ、まぁ悪かったよ……でも仕方ないだろ。アルドラも手こずる相手に生き残ったんだ、上等だろ?」
「そうですけど、こんな酷い怪我……」
リザの白く細い指先が、俺の腕に添えられる。
そうか、右腕なくしたんだっけか。
失った腕をぼんやりと眺めていると「痛いですか?」とリザが心配そうに声を掛けてきた。
「大丈夫だよ。まだ少し痛むけど、寝てればそのうち回復するだろう。それに腕のことはそれほど悲観してない。そのうち回復系のスキルでも取得できれば治せるだろ」
楽観的かも知れないが、無くしたもんはしょうがない。左手でも魔術は使えるんだし、なんとかなるだろ。あぁ、手は無くなったけど右腕でも魔術は使えるかも知れんな。傷が癒えたら試してみよう。
それに少なくともS級の魔法薬では再生できるらしいから、希望はあるはずだ。リュカさんあたりなら持っているかもしれない。
アルドラは魔力を使い果たし、今のところ復活できないでいる。鞄に保管してあった魔石もアルドラに全て預けたので、たぶん消費してしまったのだろう。
「リザだって魔人の前に出てきて……あの時は、相当焦ったぞ」
何とかなったからいいものの、違う結末になっていたかと思うとゾッとする。
「私も焦っていたんです!」
いつもは冷静で実直なリザだが、たまに無茶をするときがある。まぁ俺が頼りないせいもあると思うので、怒るに怒れないということもあるのだが……
「とりあえず今の状況を教えてくれ」
最後の記憶は黒い巨人を葬ったところで終わっている。
たぶんその後、気を失ったのだろう。
リザの話によると魔力も体力も限界が近かった俺は、安全に休める場所を求めて戦闘のあった場所から移動。しかし適当な場所が見当たらなかったので、土魔術【掘削】で壁に穴を掘って洞窟を作ったそうだ。
そこで魔力を使いきり倒れてしまったそうだ。
「覚えていませんか?」
「ぜんぜん覚えていないな」
安全な休息場所を求めての無意識の行動だったのだろう。
「それからジン様を寝かせて、焚き火で体を温めてました。雨や泥で汚れていたので……えっと……ごめんなさい」
そういってリザは頬を紅潮させて、もじもじと身を捩る。
理解の及ばなかった俺は、しばし思案して気がついた。
今の俺は全裸だった。
汚れた服や、装備を外して水魔術【洗浄】で綺麗にしてくれたようだ。
傷つき魔力を失った俺を、汚れたまま寝かせるのもしのびないと気を効かせてくれたのだ。
「体をお湯で拭いて、傷薬を塗りました。打撲などは2、3日もすれば全快できるかと思います。あとは勝手ながらライフポーションも飲ませました」
寝ている俺に上手く飲ませることが出来なかったので、口移しで少しづつ飲ませたらしい。記憶が無いことが悔やまれた。
俺は体を起こして礼をいった。
「いや、助かった。リザが居なかったらどうなっていたことか」
「私はジン様の妻ですから、当然のことです」
そういう彼女は気恥ずかしそうに僅かに俯く。頬を紅潮させ、自身の両手で頬を挟んで身悶えている。
「そうだな、でもありがとう」
リザも汚れた体を清めて、身に着けていた装具の類は【洗浄】したのだろう。
髪もその顔もいつもの美しさを取り戻していた。
動きやすいように髪をアップに纏めている。
今は寝間着のようなワンピースと下着だけといった様相だ。体を休ませるために楽な格好にしているのだろう。
襲撃に備えてスキルの設定を変更する。
そういえば初めて【溶解】をまともに使用したな。
食いちぎられた腕を捨てる覚悟で、体内にある魔力の殆どを水魔術【溶解】S級に注いで腕に込めた。
その場の思いつきだったが、上手くいってよかった。
また同じことをしろと言われても、できるかどうかはわからんが。
「それにしても焚き火の熱だけで、ここは随分と温かいな?」
いまは収まったようだが、雨も降ったし洞窟内だと湿気もあってひんやりとしていそうなものだが。
既に夜も深まっていて気温も下がってるかと思われる。
「あ、はい。焚き火で温めた空気を【微風】でジン様のもとへ来るようにしていました」
そういってリザは笑顔を向ける。リザだって疲れているだろうに、俺が倒れてから休む場所を作って焚き火を起こし、ずっと世話をしてくれていたのだ。
少しでも快適に休めるように魔術を使い続けてまで……
俺はたまらず、リザを抱きしめた。
「あっ……あの、傷口が開いてしまいますよ」
【闘気】やライフポーションで傷口が塞がったとしても、完全に回復するには時間がかかる。
激しい動きをすれば傷口が開くこともあるし、治療後は絶対安静が常識なのだ。
「リザを抱きしめてると、傷が癒えるような気がするんだよ」
「……そう……ですか」
2人の唇が重なる。
「んっ……魔力が足りなくなりましたか?」
「うん。少し回復させたいんだけど、いいか?」
「……はい。ジン様のお好きなだけ」
リザを押し倒すように、毛皮の敷物の上に寝かせた。
「凄い固いですね……まえに見た時よりも、逞しくなっているような……」
リザが潤んだような瞳で、俺の腹を優しく撫でる。
呼吸は荒く、頬は紅潮している。
今思いだせば、初めて会った時に一緒に風呂に入った記憶があるな。
その時に、ある程度見られていたらしい。
まぁ多少は鍛えられただろうか。
「……痛みますか?」
リザが触れている箇所は、魔人化したルークスに刺された場所だ。
「刺された時は流石に痛かったけどな。いまは大丈夫だ。【闘気】を使ってるとアドレナリンが出るのか、あんまり痛みを感じないんだよ」
リザのひんやりとした細い指先が、恐る恐ると言った具合に熱を持った部分に触れた。
「あー、それは生理現象というか何というか……命の危険があると、種を残そうとする雄の本能が働くというか……」
もごもごと口ごもる俺を、リザは大きな瞳でまっすぐ見つめてくる。
「まぁ……その、なんだ……いいか?」
まったくきまりの悪い俺の発言に、リザは愛らしい笑顔を浮かべて――
「……初めてですから、優しくして下さいね」と耳元で囁くのだった。