第102話 見えざる怪物6
光沢のない黒色の巨人。全てを飲み込むような漆黒。
他の巨人と比べると細いが、弱々しい感じではなく鋭さやしなやかさが感じられた。
余計な肉を削ぎ落とした、アスリートのような肉体。
巨人の顔を見ると骨が浮き出ていて、まるで単眼の髑髏を見ているようであった。
「ッ!?」
姿を消した巨人との戦闘にも慣れてきたのか、アルドラは姿は見えず存在を感じない相手とも十分に戦えている。
未知の敵との戦闘経験が、彼の感覚を成長させたのかもしれない。
誤魔化しきれない僅かな違和感を感じ取り、戦闘を成立させている。
彼は俺からの必要最低限の指示で、危なげない勝利を納めていた。
だがそいつは1段格上の相手だったらしい。
巨人の鞭のような腕が、鋭く伸びる。
まるで地獄から這い上がろうとする亡者の腕のようだ。
丁度こちらへ意識を集中させ、足場の悪い地形を踏破するために飛び上がり、体勢を崩したところであった。
「アルドラ様っ!」
「アルドラッ!」
アルドラは俺達の目の前で背後から迫る腕に捉えられた。
その漆黒の腕は植物の蔓と樹皮、魔獣の骨で防具のような装飾具を備えている。装飾品を付けた巨人は初めて見る。自らが上位種であるという誇示であろうか。
姿を隠していた黒巨人は、アルドラを捉えたことで【隠蔽】の術が解除されたようだ。
こちらには5メートル近い巨人がいまだ健在である。すぐには動けない状況だ。
「ぐうっ」
巨人の手の中に収まったアルドラはそのまま握りつぶされてしまった。
一度巨人の握力に捕まれば、その怪力から逃れることは難しいのだ。
グシャリと嫌な音が響いた。
更に間を置かずに黒巨人の大きな口がアルドラの頭部を食いちぎる。
「……ッ!!」
その光景にリザは絶句し、俺も目を離せなかった。
巨人はアルドラをバラバラに引き裂くと、その残った身を水溜りへと叩きつけた。
「ギャギャギャギャギャッッ!!」
俺達の方へと顔を向け、悪魔のような邪悪な笑みを浮かべて、高らかに笑う黒いサイクロプス。
サイクロプス・アサシン 妖魔Lv42
その傍らには5メートル近いサイクロプス。
サイクロプス 妖魔Lv34
黒い方は4メートルほどだが、立ち並んで威圧されるとその迫力は圧倒的だ。
その光景に思わず後ずさりしてしまう。
俺達の怯えたような行動が気に入ったのか、巨人たちは嬉しそうにギャギャと不快な声で鳴いた。
リザを側に抱き寄せ、ゆっくりと後退する。
巨人は勝ち誇ったかのような笑みを見せて、手を広げてゆっくりとにじり寄ってくる。
小屋の隅へと鶏を追いやるように、圧倒的な優位に立つ者の余裕の笑みを浮かべていた。
だがその笑みは長くは続かなかった。
黒い巨人の背後に飛びかかる影が1つ。
踏ん張りの効かない空中で、不安定な体勢のままの1撃。巨人の急所、首筋をさらけ出した黒い巨人は致命的な1撃を受けることになった。
「アアアアアアアアオああァァォォァっァァァァァァァーーーーーーーッッ!!?」
希少種ということで頑丈だったのか、高レベルであるが故にということなのか。
その1撃は首を断ちきるとまでには行かずに、3割ほど切り裂くに留まった。
鈍感な巨人も流石に堪えれるものではなかったらしい。
痛みというのは自分の命を守る上で危険を知らせるサインなのだ。
黒い巨人に備わる痛みという感覚が、彼が誕生して最大の危機を知らせていた。
状態:錯乱
傷口から止めどなく血が溢れ、その黒い体を濡らした。
理解できない状況から、黒い巨人は錯乱し近くにいた巨人を殴りつける。
体格差はあるものの、レベルや単純な強さでは黒いほうが上らしく、不意の攻撃もあったせいか殴られた巨人は顎を撃ち抜かれてよろめき地面に膝をつけた。
俺は狙いすましたかのように、膝をついた巨人へ走りよりその首元に飛び乗った。
曲剣の連撃が巨人に致命傷を与える。1撃で断ちきれなくとも、2撃3撃ともなれば大型の巨人もその生命を刈り取ることができるのだ。
魔石を消費して肉体を復活させたアルドラが黒い巨人に斬りかかる。
錯乱した黒い巨人の嵐のような攻撃を掻い潜り、その腕に、脚に深い傷を残した。
「ギイいいぃぃ……シネ!コロセッ!!」
黒い巨人が口角から唾を飛ばして喚き散らす。
「やれやれ……そろそろ大人しくなってくれんかのう」
先ほどのアルドラはあえて黒い巨人に捕まったようだ。
近くに潜んでいることは何となく感じていたようで、自らを使って誘いだしたというところか。
黒い巨人の動きに鋭さが増す。
いまだ錯乱状態にあるものの、鋭い鞭のような攻撃は他の巨人にはない速い攻撃だった。
手刀のような攻撃がアルドラを掠める。
「むう……これでは剣が持たぬ」
掠めるだけでも相当な威力があるようだ。剣で防ぐ彼の様子を見ればそれは明らかだった。
しかし満身創痍の巨人の様子を見れば、それが灯火消えんとして光を増すと言った状況なのだと理解できた。
そして僅かな一瞬、空気が揺らいだ。
黒い巨人にオーラが纏わり付くような錯覚を覚え、その存在が僅かに歪んだ。
一瞬の事だった。俺の視界からもアルドラの視界からも、黒い巨人の存在感が薄くなる。
そして気づいたときには、俺達は黒い巨人の手の中に収まっていた。
「……おぉッ!?」
「ぬうッ!何じゃと!?」
乱暴な扱いが、いつ握りつぶされるともわからない恐怖を与えてくる。
背筋に冷たいものが走った。
メキメキと自分の体から骨の軋む音が聞こえる。
どうにも逆らえない強大な力が、今まさにこの身を押し潰そうとしているのだ。
「あああああああッッ!!」
リザは奇声を発し無数の【風球】を撃ち出した。それは巨人の顔を含めた全身に命中していく。
黒い巨人は煩わしそうに顔をしかめる。
一瞬気が逸れたのか、アルドラの拘束が僅かに緩んだ。
「いい加減にせんかッ!」
片手が自由になったアルドラは【収納】から剣を取り出し、黒い巨人の単眼へと投擲する。
勢い良く放たれたそれは直線の軌道を描き、眼球へと深く食い込んだ。
「ギイイイイイイイォォォォぉッ!!」
首から血を流し、眼球に剣を突き刺したまま巨人は絶叫した。
そしてアルドラの半身を勢い良く食いちぎり、彼を彼方へと投げ捨てた。
次は俺の番か。
口を大きく開けた巨人の顔が、目の前に迫っていた。
覚悟を決めるべきかと思いかけたとき、ふと後ろで女の泣く声が聞こえた。
そうだった。俺は自分に最後まで足掻くんじゃなかったのかと叱咤を送る。
そのとき周囲からパァンと空気が弾けるような高い音を聞いた。
一瞬、雷精霊の魔力を感じたのは気のせいではないだろう。
ほんの僅かな差だった。
誤差といえるほどの小さなものだ。
少しだけ巨人が怯んだのだ。
視覚を奪われ、痛みから触覚も麻痺しているかもしれない。
その中で残された感覚の1つ、聴覚が鋭敏になっていたのだろうか。
そんな僅かな差が、攻撃のズレを生んだ。
アルドラの様に半身を食いちぎらんと迫る巨人の口は、大きく逸れて右腕の肘から先を食いちぎるに留まった。
「……助かった」
正確に言うとあまり助かってないが、ともかくこの状況は脱せそうだ。
腕を失ったのは痛いが、今は興奮しているためかそれほどでもない。
それに魔術やスキルのある世界だ。腕ぐらい何とでもなるだろう。楽観的かも知れないがS級の魔法薬では回復できるという話だし、その口ぶりからS級の魔法薬というものが存在しているという確証にも繋がる。
ともかく希望はある。生きていれば何とかなるだろう。
俺の腕を食いちぎった黒い巨人の動きが止まる。
手の握力が弱まりその拘束から解放されると、俺はよろめきながらも地面に着地した。
慌ててリザが駆け寄ってくる。
「ああァァァ……」
彼女の顔は雨と汗と涙といろんなもので汚れてぐしゃぐしゃだった。
綺麗な髪も乱れて、嗚咽により言葉も失っている。
「もう大丈夫だ。……でもこの場からは離れようか。少しでも安全な所で休憩しないと……」
安心からか疲れからか、それとも血を失いすぎたのか……体から急速に力が失われていく。
朧気な意識の中で振り返ると、黒い巨人が苦悶の表情を浮かべ悶絶し天を仰いだかと思うと、やがてダムが決壊したかのように巨人の腹部が溶解して破裂した。
巨人は崩れるように地面に伏し、それから二度と起き上がることはなかった。