第100話 見えざる怪物4
【縮地】の使用間隔が魔人化した後では確実に短くなっている。
魔人化というのはステータスが向上する効果でもあるのかもしれない。
人のステータスに表示される職業というものには、ステータス補正のような効果はない。
魔人化というのはある意味進化のようなものなのか。
ルークスの攻撃が一段と激しさを増す。
それに反して俺の体力は目に見えて消耗し、やがてその影響が足に出始める。
泥濘んだ地面に足をもつれさせ、体勢が崩れた。
「あっ、やべえ」
眉間を狙う鋭い突き。突きと同時に【伸縮】の効果により刃が伸びる。俺は必死に首を逸らして、攻撃を回避する。
頬が浅く切り裂かれた。
あぶねえ!今のはやばかった。しかし体勢は崩れたままだ。ルークスの追撃が来る。
汗が噴き出る。焦りが強くなり、体が強張る。
次の瞬間、俺と魔人の間を掠めるように風が通り抜けた。
リザだった。杖を突き出し、険しい顔で魔力を練る。
杖先に魔力が集まり【風球】が撃ちだされる。
空気を圧縮した無色透明の塊だ。
それが100キロほどの速度を持って、3発4発と間を置かずに発射された。
ルークスは【縮地】を使うまでもなく、バックステップで俺との距離をとる。
【風球】は俺とルークスの間を通りぬけ、その先にある木の幹に着弾した。
「ジン様から離れなさいッ!!」
背筋を伸ばし、油断のない険しい表情で杖を構える。
ルークスは無言のまま、リザへと顔を向ける。
背筋に冷たいものが流れた。
もう間もなくアルドラが【帰還】で駆けつける。であれば俺があと僅か時間を稼げば問題ないのだ。
リザは身を隠して、自分が狙われないようにしているのがベストだったはずだ。彼女がそれを気づかないはずがない。
彼女とてアルドラの実力も眷属のことも知っているはずなのだ。
アルドラの真の実力がどの程度なのかは俺も測りかねてはいるが、あの巨人を容易く葬った手並みを見ればその実力も窺い知れる。
ルークスがゆっくりとした足取りでリザの方へ向かう。
「リザ逃げろッ!!」
俺は叫び声を上げながら魔人へ向かって走りだす。
水飛沫が舞い、泥が撥ねる。
リザは声が届いていないのか、杖を構えたまま再び【風球】を発射した。
数発の【風球】が雨を撃ち抜き魔人へ向けて殺到する。
しかし【縮地】がその攻撃を全て無力にしてしまう。掠りもしなかった【風球】は虚しく通り過ぎ、遙か先で着弾した。
魔人がリザに迫る。その距離はあと僅かだ。
「うおおおおおあああああああーーーーーーーーーッッ!!」
みっともなく叫び声を上げながら、俺はルークスの袖口を引き寄せるべく手を伸ばした。
そして姿が掻き消える。【縮地】で移動した魔人は俺のすぐ脇に姿を現す。その手に持つ魔剣がギラリと光る。【警戒】が悲鳴を上げる。
奴は赤黒い瞳と邪悪な笑みのまま、その狂刃を突き出した。
ザクリという服を裂き肉に金属が食い込む音が聞こえた。
「ウッ……ぐぅぅううう……あれ?痛くない?」
思わず刺されたと思ったが、間に合ったようだ。
「遅くなったようじゃな。すまん」
時空魔術【帰還】で駆けつけたアルドラが俺と魔人の間に割って入った。
「……いや、助かった」
思わず安堵の溜息が漏れる。
「アルドラ様ッ!」
視線を落として見れば、アルドラの脇腹に深々と魔剣が突き刺さっていた。
アルドラは魔剣を掴む魔人の手首を強く握りしめる。骨の軋む音が聞こえるほどの強い圧力だ。
もう片方の手首も抑え、その動きを完全に封じる。その状態のまま、アルドラは魔人に頭突きを放った。硬いものがぶつかる鈍い音が聞こえた。
頭部に強い衝撃を受け、魔人が蹌踉めく。
動きを抑えられると【縮地】は使えないようだ。獣人は魔術の適性が低いかわりに、身体能力が高いのだという話を聞いたことがある。
【縮地】というのは魔術的な瞬間移動というより、技術的な高速移動みたいな感じなのだろう。
「……何じゃコイツは?」
アルドラはすぐに異変に気がついたようだ。
「魔人だ。俺の目の前で獣狼族の男が変化したんだ」
「なんと……」
アルドラも流石に驚きの表情が隠せないでいた。
「そいつは縮地という瞬間移動みたいなスキルを持ってる。絶対に逃がすなよ」
「あい、わかった」
アルドラの握る握力が更に強まる。ルークスの手から魔剣が離れる。俺はそれをすぐさま拾い上げ、自身の鞄に収納した。……泥棒ではない。敵の武器を取り上げただけだ。武装解除だ。
「して此奴はどうする?」
どうする?うーん、どうするか。リザの命も狙うような危険な奴は放置しておけない。何らかの事情はありそうだが、連れて帰るのも大変そうだ。まぁ、アルドラが拘束して、ギルドに連れて帰るしかないか……魔人の重要な情報源でもあるし、この場にマスターがいれば連れて帰って来いと言うだろう。目的の素材も手に入れたのだ、あとは帰還するだけだ。
「とりあえず縄か何かで簀巻にして、アルドラに担いで帰ってもらうか。武器は取り上げたし、武術系スキルは【剣術】しか持ってないから大丈夫だろう」
念のためにと捉えている両手首をそのまま握り砕いた。更に両膝を蹴り抜き破壊する。命に別条はないが、これでしばらくは動けないだろう。【闘気】の回復力はそこまで高く無いだろうし、魔人化して強化されているとしても時間は稼げるはずだ。
「ぐうううううううぁああぁああああっッッッ!!」
歯をむき出し、唾を飛ばし、獣の様に咆哮する。
血のように禍々しい瞳が狂気を感じさせた。
言葉を掛けるも、それに反応するような素振りはみせない。今ではルシーナのという人の名さえ忘れてしまったような印象を受けた。
もとよりまともではなかったようだが、今の状態はまるで気が触れてしまったかのようだ。
そんなやり取り中で再び【警戒】が危険を知らせる。
ルークスの状態を見れば、もはや抵抗する術はないと見える。だとすれば――
「アルドラなにか来るぞ!」
木が無理やり折れ砕かれる音、草や葉の擦れる音、土が抉れ泥の舞う音が暴力的に聞こえる。
荒れ狂う何かが、猛烈な勢いで迫る音。
アルドラは周囲を見渡す。彼の直感が働いていないようだった。
それはリザも同様のようだ。
俺は安全のために彼女を側に抱き寄せた。
「来たぞ!2時の方向、距離20メートル」
大木を押しのけて現れたサイクロプスは、5メートルちかい大物だった。
サイクロプス 妖魔Lv37
現れた巨人は1体。その発達した太い腕を伸ばしながら、こちらへと迫ってくる。
「また姿を隠したやつか!見えぬ!」
アルドラが吠える。
「目の前に迫ってる!近い!」
状態:隠蔽
魔術で姿を消しているのか。しかし隠蔽は音や魔力までは隠せない。ここまで接近してはエルフの直感を欺けないはずだが、コイツは俺の持つ【隠蔽】よりも強力らしい。魔力を遮断する隠密の能力も付与されているのだろう。
アルドラはルークスを蹴り飛ばし自分から引き離した。そして【収納】から剣を取り出す。俺の指示を頼りに見えない魔物へ上段斬りを放った。
巨人の大木のような腕に剣筋が走り、紅い血が空を舞った。
人差し指と親指を切り飛ばし、腕に深い傷を負わせたのだ。
「グギぃガアアァァァァァァァァーーーーーーッッ!!?」
巨人は絶叫と共にその姿を現した。
「ジン!リザを連れて下がるんじゃ!」
アルドラの声に焦りの色が交じる。
体の大きさ、肉付き、そこから放たれる雰囲気は、僅か前に見たあの6体を凌駕しているように思えた。
これが大人のサイクロプスか。
下半身よりも上半身が良く発達しているような体型。
特に腕のあたりは筋肉が盛り上がり、全体のバランスとして人のそれより腕が長いように見えた。
巨人の腕が地面を攫うように繰り出される。泥水や土石を巻き上げながら、手刀のような攻撃がアルドラに迫る。
アルドラはそれを飛び退いて危なげなく回避する。
だが空中に飛び上がったことを見越して、巨人は傷ついた腕でアルドラを地面に叩き落とした。
「ぐっッ!」
地面へ叩きつけられ、思わず声が漏れる。
俺は直ぐに行動を起こしていた。剣を抜いて巨人へと向かう。リザはその単眼へ向けて【風球】を1発放った。
風の塊が巨人の顔を掠める。巨人はそれを鬱陶しそうに顔をしかめた。
巨人の脇を通り過ぎるようにして走りこみ、すれ違いざまに脛を斬りつけた。
ミスリル合金の剣は、分厚い巨人の皮膚も切り裂くことが可能のようだ。
地面がぐらりと揺れた。
巨人が倒れ、地面を揺らしたのだ。
死んでいる。目を見開き喉を大きく切り裂かれて、水溜りに沈んでいた。アルドラの仕事だった。
「まだいる」
アルドラへ向けて叫んだ。だが彼の直感は敵の存在を発見できないでいるようだった。彼は周囲を睨みつけ警戒している。
俺はリザへと駆け寄った。
「ジン様!」
「悪い。魔力を分けてくれ」
「はい。勿論です」