乙女の童話『人魚姫』
今はもういない人魚姫の物語。
憎しみに溺れ、愛しい想いすら見失ってしまった可哀そうな子。
私の代わりにページを捲って、あの子の嘆きをわかってあげて。
私にはその資格は無いのだから。
むかしむかし、ではないけれど、あるところに、人魚のそれはそれは美しいお姫さまが、海の底に住んでいました。
人魚姫と呼ばれる彼女は、ある日、一人の王子さまと出会います。
王子さまはとても優しい人で、人魚姫を、暗く冷たい海の底から連れ出してくれたのです。
人魚姫はそんな王子さまの事をすぐに好きになりました。
しかし、王子さまには好きな人がいたのです。
人魚姫は、大変苦しみましたが、王子さまに幸せになってもらいたい一心で、二人の仲を取り持とうと頑張りました。
人魚姫は、二人の仲が深まる度に喜び、そして、悲しむのでした。
やがて、その努力が実を結び、二人は結婚する事になりました。
そして、人魚姫が二人の前から姿を消そうと考えていたとき、悲劇は起こりました。
王子さまの好きな人が、不慮の事故で亡くなってしまったのです。
王子さまは大変悲しみ、人魚姫も同じように涙を流しました。
それからは、人魚姫が王子さまを慰め、そして、望むままに尽くす日々が続きました。
しかし、王子さまは好きな人の事が忘れられません。
次第に、何でも言うことを聞く人魚姫を、自分のやり場のない感情のはけ口に、使うようになっていったのです。
そのたびに、人魚姫は傷つきながらも、自分は王子さまに必要とされているのだと、自分に言い聞かせていました。
王子さまと同じように、言葉の短剣で傷つけ返せば、王子さまから離れられ、元の自分に戻れたでしょう。
それでも、人魚姫は王子さまとの楽しかった日々を思い出し、耐え忍び、王子さまがいつかまた、あの笑顔を見せてくれると信じていたのです。
しかし、現実は無情なものです。
ある日、王子さまは人魚姫に言ってはいけない言葉を言ってしまいました。
もちろん、それは王子さまの本心ではなかったのですが、いつもの調子で、つい口に出してしまったのです。
その言葉に、深く傷ついた人魚姫は、王子さまの前から姿を消しました。
そして、そのまま海の泡へと姿を変えたのです。
泡になり消え行くさなか、人魚姫は思いました。
自分は王子さまにとって一体なんだったのだろうか。
どうして、自分がこんな惨めな思いをしなければならないのだろうか。
憎い……、あの人が憎い。
それは、深く愛しすぎたが故の感情。
しかし、後悔の海に沈んでいく人魚姫には、憎しみだけしか見えませんでした。
泡になって消えたはずの人魚姫は、自分が自分ではない存在になっていることに気がつきました。
そして、再び、王子さまに再会します。
王子さまは、人魚姫ではなく、今はもういない愛しい人を想って泣いていました。
そんな王子さまに人魚姫は慈愛に満ちた笑顔で手を差し伸べました。
反対側の手に、憎しみという名の短剣を隠しながら……。