人魚姫1
赤ずきんを破った翌日、僕はアリスとの約束を果たす為、人気のあるケーキ屋の前に来ていた。
「それにしてもこれは……」
混み過ぎではないだろうか?
店内は、女子高生、OL、主婦、そして、カップルでごった返している。
男一人の身で、この中に入って行くのは大変勇気がいる。
かと言って、木枯らしの吹きすさぶ中、いつまでもここに棒立ちしているのも、気まずいものがあった。
現に、店内に出入りする買い物客から、奇異の目で見られている。
このままでは、不審者として通報されてしまうかもしれない。
アリス、ごめん。僕は、根性なしだ……。
心の中でアリスに謝罪し、回れ右をして帰宅しようとする。
その僕の腕に絡みつく感触。
ギョッとして見やると見慣れない女の子……、いや、これはアリス!?
リボンカチューシャを身に付けた艶やかな黒髪は、背中のあたりまであり、サラサラと流れている。少し、気の強そうな細めの眉毛。睫毛の長いパッチリとした瞳は、ガーネットのように輝き、見つめられると吸い込まれそうだ。高くはないが整った鼻筋は、可愛らしさを強調させる。そして小さな口元からは、笑うと八重歯が覗く。
その姿は、淡いブルーのダッフルコートに、裾から除く、赤いチェックのミニスカート、黒いニーソックスに茶色ブーツを身に着けていた。
まるで、何処にでもいる『普通の少女』のような格好だった。
「なんで回れ右なんてしてるのよ。お店はこっちでしょう?」
僕を見上げながら、頬を膨らませるアリス。
「え、いや、その……、君はアリスなのかい?」
「零点の答えね……。そう言うときは『かわいい……』って声を漏らしたり、『どこの美少女かと思った!』って驚くところでしょう!?」
アリスは不満そうに僕の腕を掴み、左右にブンブン振り回す。
だんだんと周りの注目を集めてきた。
「ご、ごめん。と言うか、周りの人にもアリスが見えてるのかい?」
僕は、アリスに耳打ちする。これで周りの人にアリスが見えてなかったら、僕は、救急車を呼ばれるだろう。
「そうよ。赤ずきんを倒したから、短時間ならこうやって姿を現す事ができるわ。他の子も倒せれば、もっと長く……ね」
「もしかして、最後まで勝ち残るとずっと……」
「残念だけど……、そこまで親切ではないみたいね、このゲームの主催者は。たぶん、ご褒美のつもりなんじゃない? それか、目の前に吊された紐付きの人参か……」
自分の発想に思うところでもあったのだろうか、アリスは考え込む。
「その主催者って何者なんだい?」
「さあね、『声』としか言えないわ。男なのか、女なのか。どっちにしろマトモじゃないわ。悪魔なのかもね。それより、早くしないとケーキが売り切れる! 急いで!!」
アリスが僕の腕を掴んで、ぐいぐいとケーキ屋へ進む。
まだまだ疑問だらけなのだが、話は後にしよう。
「その前に……、アリス、その服よく似合っているよ。やっぱり君は世界一可愛いね」
僕の一言に、アリスはピタッと足を止め、
「お、遅いわよ、ばかっ。……、六十五点ぐらいね」
そう、振り返らずに言う。
しかし、後ろからでもわかるほどにアリスの耳は真っ赤だし、頬は緩みきっているようだ。
そして、僕の手のひらを握りしめ、また進み出した。
甘い匂いの漂う店内は、色とりどりのケーキが並べられ、それがなくなっては補充されるのを繰り返していた。
「すごい……。ここは天国か何かかしら? 私、ここに住む!」
アリスはショーケースの前にへばりつき、動こうとしない。
「ほ、ほら、アリス。他のお客さんの迷惑だよ」
「苺のショートケーキに、ガトーショコラ、フルーツタルトに、チーズケーキ。ああ、桃のパフェも捨てがたいわ……。ガナッシュケーキ、うむむ……、ハロウィン限定のパンプキンモンブランですって!? このラズベリームース、なんて美しいの……」
だめだ、アリスの意識は夢の世界にトリップしてしまったらしい。
周りのクスクス笑う声が聞こえる。
これは一人で来るより恥ずかしいかもしれない。
「アリスっ、三つ買ってあげるから、こっちの世界に戻ってきてくれ!」
「そうすると、アナタの分も入れて六つまで選べるわけね。くっ……、それでも非常に難しい問題だわ。あ、プチケーキセットなるものを見つけたわ。一つはこれにしましょう」
アリスは、大真面目な顔をして考え始める。
第一に、僕の分を入れてくれるのは嬉しいが、何故、合計六つになるのだろうか。
第二に、プチケーキセットを一つとカウントするのは、いかがなものだろうか。
僕は、アリスがお誕生日用のホールケーキを、チョイスしないことを祈るしか出来なかった。
結局、アリスは、自分の分として、苺のショートケーキ、桃のパフェ、プチケーキセットを、僕の分として、ガトーショコラ、ガナッシュケーキ、ザッハトルテを選んだ。
「待て待て、どう考えても、『僕の分』とは、建前じゃないか! チョコ系オンリーだよ! せめて、もう少し混ぜようよ!」
「あはは……、あ、ここイートインできるみたいね。せっかくだから、食べていきましょ♪」
僕に腕を絡ませ、鼻歌を歌いながら奥のイートインコーナーへ向かうアリス。
僕は、コーヒーを、アリスはココアを注文して席に着く。
周りを見るとカップルだらけだった。
ニコニコしながら、ケーキを取り出し、自分の前と僕の前に置くアリス。
僕は、目の前に置かれたガナッシュケーキを、一掬いして口に運ぶ。
う、うまい……。甘いだけじゃないほろ苦さが口の中で溶けていく。
アリスは、苺のショートケーキを一口食べるごとに身悶えしている。
そして、僕のケーキを見ると、こちらをじっと見つめ、あーんと口を開いた。
ドキリとさせられる表情に、目を奪われそうになった。
だが、アリスの意図を汲み、ガナッシュケーキを掬い、その口へ運ぶ。
僕から目線をそらさずに、スプーンを頬張り、幸せそうな顔をするアリス。
一方、アリスもショートケーキを掬い、僕の口元へ持ってくる。
しかも、そのスプーンの上には苺が載っているのである。
こ、これは食べてしまっても構わないのだろうか?
僕は意を決して、それを頬張る。
生クリームの甘さと甘酸っぱい苺の果汁が口の中に広がる。
この多幸感は、ケーキの美味しさだけではない、アリスの、ショートケーキの苺をも与えるという、聖母マリアも裸足で逃げ出す行為によって生み出されたのだ。
そんな僕の顔を見てアリスは、満足そうに頷くのであった。
ココアをちびちび飲むアリスは、ダッフルコートを脱いでおり、その下には白いブラウスを着ていた。
「そうだ、その服はいったいどうしたんだい?」
僕は先ほどから疑問に思っていたことを口に出した。
「これ? 私の世界から持ってきたの。あのドレスじゃここでは目立つでしょ。あれは言わば、戦装束みたいなものよ。まぁ、今の時期なら、ハロウィンの仮装ですむでしょうけど」
「そんなことまでできるんだ。童話少女って、結構すごい存在なんだね」
「命を賭けてるんだから、多少はね……。でも、これだって、向こうの世界で売っていたのを買ったのよ。何でも作り出せる訳じゃないんだから」
アリスは、苦笑しながら答える。
「アリスの世界のお店か……。お金とかはどうしてるんだい?」
ピタッと、アリスの動きが止まる。
僕は、何かまずいことでも聞いてしまったのだろうか。
「アナタは優しいから、多少の事では怒らないわよね?」
「えっ、ま、まぁ、アリスのする事なら……」
「そう、よかった……」
えっ、何その意味深な言葉は!?
「あの世界ではね、基本的に物々交換なの。私はこの服が欲しかった。そして、店主の帽子屋は……、そう、欲求不満だったの」
「なっ、まさか……、アリス、君は……!」
そんなまさか信じられない、アリスが、そんなことを……。
「ええ、売ったわ……。アナタのベッドの下にあった十八禁な絵本を」
「なんてことをッ! ……えっ? いや、ちょっ!? あ、あれを見たのかい!?」
「ええ、そうよね。男の人は、胸が豊かな女性の方が好きだものね。別にかまわないわ、気にしてないもの。あのイカレた帽子屋も『お前みたいなちんちくりんに用はない。そっちの本の方がよっぽど実用的だ』なんて言ってたしね。ええ、ええ、かまわないわよ。ハートの女王には『帽子屋がいかがわしい本を所持している』ってチクってやったから。今ごろ、首をはねられているかもしれないわね」
アリスからドス黒いオーラが漂っている。
「いやあ、その……。アリス、僕は君のその控えめな胸も好きだよ」
僕としてはフォローのつもりだった。
しかし、その言葉を聞いたアリスは、無言の笑顔で僕の足を踏みつけ、グリグリとやるのであった。
結局、ケーキを二つ追加して、アリスに許してもらった僕は、アリスと自宅で、次のゲームの相手について相談していた。
「そうね、狙い目としては『人魚姫』なんてどうかしら? トゥイードルディーの電撃でイチコロよ、きっと」
「そんなんでいいのかなぁ。『銃で撃たれたら、人間は死ぬ』くらい安直だと思うんだけど」
「な、なによ、人魚よ? 水属性ってやつでしょ。そしたら、雷が弱点に決まってるじゃない! 『雷で撃たれたら、人魚は死ぬ』完璧よ!」
まあ、その通りなんだけど、雷で撃たれたら、たいていの生き物は死ぬと思う。
「人魚姫が何をしてくるかも考えなきゃ。うーん、すごく速く泳ぐ……」
「それって、脅威になるのかしら……。まだ、尾ヒレでビンタの方が恐ろしいわよ」
アリスは肩をすくめて呆れる。
「じゃあ、歌を歌って船を沈めるとか……」
「それはセイレーンじゃないの? だいたい私たちは船に乗って戦う訳じゃないのよ! やっぱり考えても、らちがあかないわ。先手必勝、失敗したら逃げる! どうせ、人魚姫は陸に揚がってこれないんだから」
「でも、人魚姫って魔女の薬で声を失う代わりに、人間の足になって、王子様に会いに行くんだろう? アリスの世界まで追いかけてくるんじゃないか?」
「歩く度に、ナイフで足をザクザク刺される激痛が走るのに? そんな状態で戦えるわけないじゃない。それこそ、返り討ちにしてやるわよ」
アリスの自信は、揺るがないようだ。
僕が、心配性なだけなのだろうか。
「わかったよ。じゃあ、人魚姫の世界を探して、戦いを挑もう」
「それなら、もう見つけてあるわ。だからこその、人魚姫推しなんじゃないの。夜になったら乗り込むわよ!」
やる気充分のアリス。それはいいのだが、なにやら、今に見てなさい、とか、絶対に後悔させてやる、とか物騒な独り言を呟いているのは何故だろうか。
僕は、その事には触れずに、大人しく夜になるのを待った。
日付の変わる前に目を閉じ、アリスと共に人魚姫の世界へ向かう。
次に目を開いた時には、そこは太陽の輝く、一面の白い砂浜だった。さざ波の音が聞こえ、カモメが空を舞う。
僕は、久しぶりに浴びる日射しに目を細めた。
「眩しいな……、現実の昼夜は関係ないんだね。それじゃあ、人魚姫を探そうか……、って、アリス!?」
僕は、本当に夢でも見ているのだろうか。
僕の傍らに立っているのは、水玉模様のビキニを身に着けたアリスだった。
トップは、大胆にカットされた半円形で中心に可愛らしいリボンがあしらわれている。控えめ、だなんてとんでもない。その胸元は形のよい谷間が作られており、少女ではない、大人の色香が漂う。
その反面、ボトムはフリル付きの可愛らしいスカートになっており、少女らしさを前面に押し出したデザインになっている。ただ、スカート自体は短めなので、裾からチラリと覗くヒップが、小悪魔的な魅力を醸し出していた。
「な、なによ……、せっかく恥ずかしいのを我慢して着てきたんだから、何か言いなさいよ……」
固まる僕に、アリスはモジモジしながら抗議する。
モジモジする度に揺れ……、あれ……、揺れない二つの果実。
……いや、何も言うまい。
僕は、男だ!
そんな小さい事を気にしてどうする!
「アリスさん! 素晴らしいです! わたくしが間違ってました!」
僕の発言に、驚嘆の表情をするアリス。
そしてアリスは、にやけるのを堪えながら、
「誰の胸が控えめだったのかしら?」
「わたくしの目は節穴でした! アリスさんの胸は大変素晴らしいですッ!!」
「そ、そう……、それじゃあ……、せくしー……?」
「勿論ですッ!! セクシーさにおいて、アリスさんにかなうものなどおりません!!」
ふんふんと鼻息を荒げ、口元をゆるゆるさせるアリス。
アリスは今、自尊心を取り戻したのだ。
ドヤ顔で胸を張るアリス。パッドがはみ出てるのは内緒だ。
「これで目的の八割は果たしたわ。『勝利』ってこんなにも素晴らしいものだったのね」
すっかり気をよくしたアリスはスキップしながら僕の前を進む。
その度に、スカートはひらひら捲れ、お尻はふりふり揺れる。
「さっき自分の世界に行ってたのって、その水着を買う為だったのかい?」
「ええ、そうよ。アナタの本棚で、辞書のカバーを被せて偽装されていた十八禁な電磁的記録媒体を売っぱらって手に入れたわ。ええ、かまわないわよ、胸の大小なんて、広大な宇宙に比べたら些末な事だもの。あのイカレ帽子は『例え、お前がこの場でその水着に着替えようと、俺はこっちの画面から目を離す事はないだろうよ』なんて言っていたけど、ぜんっぜん気にしてないわ。勿論、ハートの女王にはチクっておいたから。今ごろ、首と胴体で楽しいパーティーでも開いているんじゃない?」
アリスから滲み出る黒いオーラ。
僕のお宝が売られた件には、言及しないほうがいいだろう。君子危うきに近寄らず、だ。
それでも、私はせくし~♪ なんて鼻歌を歌いながら進むアリスをみる限り、僕の作戦は功を奏したようだ。
その時、どこからかアリスのものではない歌声が聞こえてきた。
その、甘く、切ないメロディーは、脳に染み渡り、僕の心を激しく揺さぶる。
「来たわね、人魚姫! さぁ、どこにい……」
アリスが絶句する。
無理もないだろう、突き出した岩礁の上に座る人魚姫は、規格外の存在だったのだから。
紅珊瑚を思わせるような赤い髪は緩やかなウェーブを描いており、かきあげる指の間をスルリと抜けていく。優しげな表情を形作る眉に深海のような深い青の瞳。スッとした鼻筋に柔らかな笑みを浮かべる唇。太陽の光を反射してエメラルドの様に輝く尾ひれ。
そして、そして……、規格外のでかさのおっぱいだ!! 申し訳程度に貝殻で隠してはいるが、たわわに実った果実は今にも零れ落ちそうだ。
歌う人魚姫の息継ぎの仕草に合わせて上下にぷるんと揺れる。
アリスはわなわなと震え、トゥイードルディーを構える。
「覚悟しなさい、おっぱい姫!!」
涙を散らして、アリスは叫ぶ。
それを、僕は、後ろから羽交い締めにして、阻止した。
「ちょっ!? 何考えてるのよ、ふざけてる場合じゃないでしょう?」
「ふざけてるのは君の方だよ、アリス。僕は、あの歌をもっと聞いていたいんだ」
僕は、何をしている? 何を言っている?
もっと、あの美しい歌声を聞いて……、いってぇ!!
アリスは、ピンポイントに僕の足の小指を踏み抜く。そのまま間を開けず、お尻を突き出し、くの字になった所で僕を、投げ飛ばした。
地面に叩きつけられた僕は、肺の中の空気が吐き出され、息が止まる。
「ガッ、ハアッ、ッ……! アリス、ごめん! 僕は、いったい何を……」
「おっぱいに見惚れてるから、あっさり魅了されるのよ! ほんっと馬鹿ね! 気を引き締めなさい、次はないわよ」
僕は、アリスの罵声に深く恥入る。
身体を起こし、辺りを見回すと水の壁が僕らのまわりに張り巡らされていた。
そして、徐々に水かさが増してきている。
「ようこそ、アリス。私の世界へ。いきなり自分のマスターを投げ飛ばす子なんて貴女が初めてよ。しかも、水着まで着てくるなんて、本当に愉快な方ね」
口に手を当て、クスクスと笑う人魚姫。その仕草はどことなく優雅さを感じさせる。
「はじめまして、人魚姫。その余裕しゃくしゃくな態度、すぐに改めさせてやるんだから」
敵意を込めて人魚姫を睨み付けるアリス。気のせいだろうか、視線が胸元に向かっている様に見えるのは。
「アリス、トゥイードルディーは撃たないのかい?」
「誰かさんが邪魔をしてなかったら、とっくにぶっ放してたわよ。いま、私たちは水に浸かってるの。後は言わなくてもわかるでしょ!」
アリスはすこぶる機嫌が悪い。
周囲の水壁が回転し、水のフィールドに渦を作り出す。
僕は、もつれそうになる足に踏ん張りをきかせる。
だが、このままでは思うようには動けない。
「余裕、なのは貴女の方では? 敵を前にして痴話喧嘩とは、緊張感がないのですね。これから死ぬかもしれないのに」
人魚姫は、冷たい瞳で幾つもの水球を作り出す。
「なんか怒らせちゃったみたいだよ、アリス!」
「知らないわよ! だいたいこんなの痴話喧嘩でもなんでも……、ってそれどころじゃないわね」
アリスは、水球に狙いを絞り、トゥイードルダムを撃つ。
火球は水球にぶつかり、蒸発する。
しかし、一向に減る気配がない。
「アリス、あの水球がどうかしたのかい? ほっといて人魚姫を狙った方が……」
「バカね、あれに取り付かれたら最後、溺れ死ぬ事になるわよ。アナタは人魚姫の気を逸らす方法を考えて!」
そんな事言われたって……、クソッ! ある一点のことしか思いつかない。それは……、
「人魚姫さん! おっぱい、大きいですね!」
一瞬にして周囲の空気が凍りつく。
「なっ、なんなんですか!? 人の気にしている事を……、アリスッ! 貴女のマスター、最低ですっ!!」
顔を真っ赤にして胸を両手で隠す人魚姫。もちろん隠し切れていない。
「よし! チャンスだぞ! アリス……?」
「激しく同意するわ、人魚姫。マスター、アナタはここで海の藻屑となりなさい」
アリスは、僕に銃口を向ける。
「ち、違うって! そういう作戦だよ!」
そんな僕らを見て人魚姫は、深くため息を吐くのであった。
「あの……、実は私、あなた達で『乙女の童話』が揃うんです。ですから、もう少し盛り上げていただかないと、締まらないというか……。真面目にしてくれないと困るんです」
人魚姫は岩礁の上で尾ひれをパタパタさせている。
「どうしてくれるの? アナタの所為でバカにされっぱなしじゃない」
アリスは僕に文句を言ってくる。
実のところ、僕はある違和感を覚えていた。
そのせい、って訳でもないんだけど、どうしても調子が狂ってしまうのだ。
だが、その違和感を口には出さず、利用させてもらおう。
何故なら、相手はすでに五人の『童話少女』を殺しているからだ。
その気になれば、僕らのことも簡単に殺せる手を隠しているかもしれない。
だから、ここは……、
「アリス、トゥイードルダムを人魚姫の辺りにバラまくんだ、そしたら続けざまにトゥイードルディーを撃て!」
「えっ? わ、わかったわ」
アリスは戸惑いながらも指示に従う。
トゥイードルダムが吐き出す火球は水球を無視して、人魚姫のいる岩礁の周りに着弾し水を蒸発させる。
そしてトゥイードルディーから放たれた稲妻が逃げ場をなくした人魚姫に襲いかかる。
目を見開く人魚姫。だが……、
「全ては『海の泡』に……。危ないところでした」
あと少しの所で、稲妻は泡となって消えた。
人魚姫が仕掛けていた魔法陣を発動させたのだ。
クソッ! 失敗したッ!!
そして、干上がっていた岩礁は元通りになり、人魚姫は水中に沈む。
水球は漂うだけで、僕らに襲いかかる事はない。
「こちらの狙いを逆手に取るなんて、やっぱり貴女のマスターはいやらしい方ですね。それでは、予定とは少し違いますが、死んでください」
そう言うと人魚姫は両手を掲げる。
僕らを覆っていた水壁が人魚姫の背後に集まる。
その、膨大な殺気は先程までとは違う。
人魚姫は本気で僕らを殺すつもりだ。
「さあ、後悔の海に流されてしまいなさい!!」
「アリス、離脱するぞ!」
「わかったわ! 早く、手を!」
激流が僕らに押し寄せる。
上下の感覚がなくなり、手足が千切れそうになる。
だが、それでも僕は、アリスの手を決して離さなかった。