赤ずきん
ふわふわと、柔らかい感触に包まれ、意識が戻る。
とんでもない夢だった。妄想が現実になるなんて、どうかしてる。
半壊が全壊になっても変わりはしないか。
どうせなら、あのまま壊れて……。
「ねぇ、もう起きているんでしょう? そろそろ足が痺れてきたわ、どいて」
その声に目を開くと、こちらを覗き込んでいるアリスと目があった。
「やぁ、アリス、今日も可愛いね」
「どうも、アナタはもう少し、シャキッとしたほうがいいわよ」
どうやら、膝枕をされているらしい。
太ももの柔らかな感触が心地よい。
「あと、五分……」
そう言って、僕は、再び目を閉じようとすると……、バチンと頬を両手で叩かれた。
「痛いじゃないか」
「調子に乗る方が悪いのよ。もう二度としてあげないんだから」
アリスは立ち上がり、スカートについた草を軽く払った。
必然的に僕の頭は滑り落ち、アリスの払った草を顔で受ける事になる。
ペッ、ペッ! 草が口の中に入った。
「はぁ、素敵なドレスがしわだらけよ。まったく」
「ごめんよ。所で、なんで僕は草原にいるんだい?」
空を見上げれば、何処までも青く、緩やかに雲が流れている。
あの灰色の空とは大違いだ。
「ようこそ、私の世界へ。そして、ここが私たちの戦場。さぁ、始めましょう、願いを叶えるための醜い醜い争いを」
何かに陶酔するような表情を浮かべ、クルクルと踊るアリス。
可憐さと狂気が入り混じる、その姿を僕は、なぜか美しいと感じた。
「なんだか楽しそうだね、アリス」
「当然よ、あんな腐った世界、一秒だって居たくなかったもの。それに比べて、ここは素晴らしいでしょう? 生きてる事を実感できるもの」
「あはは、大袈裟だなぁ。確かに空は綺麗だし、空気もおいしいけどさ」
小鳥のさえずりが聞こえ、草花の香りが鼻腔をくすぐる。
ここで暮らすのも悪くないかな。そんな感想を抱いた僕だが……、
「はぁ? 何言ってるの? そんな事で生を実感できるわけないじゃない。さっきの話の続き、これから始まるのは願いを叶える為の殺し合いよ。私たち、『童話少女』はそれぞれ、命の代わりである『乙女の童話』という本を持っているの。お互いに殺し合ってそれを七種類……、ああ、一冊は最初から自分の分として持っているから、正確には六種類集めたらゲームクリアよ。見事、願いが叶ってハッピーエンド。それでね、この夢の世界で戦うのだけれど……、うふふ、せっかちなお客様が遊びに来たみたいよ」
話について行けず混乱する僕の後ろを指差し、まるで子供の様にはしゃぐアリス。
その先には……、頭までスッポリと覆う、フード付きの真っ赤な外套を身につけた人間が、こちらを見据えていた。
「アリス、あれはお友達かい?」
「あんな趣味の悪いお友達はいらないわ」
「こっちこそ、アンタみたいな口の悪いのはお断りよ」
女の子……なのか?
フードから覗くその顔は、まだあどけなさが残る少女の様であった。黄金色に輝くお下げにした髪、くりくりとした瞳に、うっすらと赤みの差した頬、ぷっくらとした唇……、目が奪われてしまう。
「鼻の下伸びてる。浮気者。死んじゃえ」
アリスの僕を見る目が怖い。
「マスターの方の美的感覚は、正常の様で安心したわ。気分がいいから、大人しくしていれば手は出さないでおいてあげる」
赤い少女は僕から視線を逸らし、アリスに一歩近寄る。
「マスター? よくわからないな。というか、もしかして、赤ずきんちゃん?」
「いやいや、そんな趣味の悪い頭巾をかぶってるのなんて、それしかないでしょう。ちなみにソイツは敵だから」
「敵って……、喧嘩はよくないよ。あ、そうだ! 頭巾と言えばマッチ売りの少女なんてのもあるよね」
雑談に持っていき、場を和ませる努力をする僕。
だが、自分がKY、いわゆる空気読めない、だと言うことをすっかり忘れていた。
「今、もしかして私のこと、馬鹿にしたの?」
人間、何が逆鱗に触れるかわからない。
赤ずきんの僕を見る目はありんこから、ゴキブリを見る目にランクアップした。
「あら? 実は気にしちゃってたのかしら、キャラ被ってるんじゃね、って」
「全然。だってその子なら、私のかわいいペットのおなかの中だもん。今頃、ウンコにでもなってるんじゃない?」
クックッと笑う赤ずきん。
「下品ね、口が悪いのはどっちなんだか。ほら、ボサッとしてないでこっちにきなさい。そこにいたら、その下品な生き物に食べられるわよ」
そう言って、アリスは僕に手招きをする。
ふと周りを見ると、いつの間にか狼の群れが僕らを取り囲んでいた。
「なっ!? いつの間に!?」
「まったく。ここ、ペット禁止なの」
アリスが手を振り払うと、狼の群れは無数の槍に串刺しにされ、グズグズと音を立てて消失した。
そこに立っているのは、トランプの兵隊だった。
「チッ、アンタ初心者じゃないわね」
赤ずきんが忌々しげにアリスを睨む。
「さあね! せっかくパーティーに来てくれたのに、主催者が右も左もわからないじゃ失礼でしょう?」
楽しそうに両手を広げ笑うアリス。
その手の動きに合わせ、トランプの兵隊が次々に産み出される。
「はぁ、失敗したわ。面白くない、まったく不愉快よ!!」
赤ずきんが外套をはためかせ、そこから巨大な狼が姿を現す。
「ソレがおみやげなのね! いいわ、いいわ! そうでなくっちゃ!」
アリスは子供のようにはしゃぎ回る。
しかし、楽しそうなアリスとは裏腹に、巨大な狼はトランプの兵隊をなぎ払い、アリスに肉薄する。
「アリスッ!! 危ない!!」
とっさに手を伸ばし、引っ張ろうとした僕のその手を、アリスは優しく握り、そのまま僕をワルツに誘う。
「愉しい、愉しいわ! 生きてるって、こんなにも愉しいものなのね。アナタもそう思うでしょう!」
アリスにとびきりの笑顔を向けられ、操り人形の様に無様ではあるが、初めてダンスを踊る。
この経験は、確かに、生きてる事を感じられた。
「ああ、楽しいよ。こんなの初めてだ!」
砲弾がとびかい、トランプの兵隊が打ち上げられ、狼の爪が、牙が、僕らを切り裂かんと乱舞する。
こんなイカレた状況なのに、何よりもこれが現実なのだと実感する。
「僕は、今まで生きていなかったみたいだ!」
「そうよ、そして今、ようやく生まれ変わることができたのよ!」
そして、ダンスが終わりを迎えた。
僕らは手をつなぎ、狼と対峙する。
「なかなかの余興だったわ。それじゃ、とっとと死んで」
赤ずきんが気怠げに手を振り上げる。それと同時に狼が飛びかかってきた。
死が実体をもって迫ってくる感覚に足がすくんで動けない。
「あ、アリッ……」
逃げろ、なんて言葉も間に合わない。
僕は、『アリス』の物だった右手を握りしめて立ちすくむ。
「あはっ、なにそれ? 結局、ソレでおしまいなの? チョーダサい!」
少女の嘲笑も耳に入らない。
『アリス』が死んでしまった。
いや、待て、なんでこんなものが『アリス』なんだ?
「次はそいつよ。その、うー、あぁ! なんなの!! イライラする!!」
ソレは苛立っているようだ。
でっかい化け物は、狂ったように『アリス』を貪る。
いや、だから、それは『アリス』じゃない。
ただの『石と土の塊』だ。
「は? なんでアンタ石ころなんて喰ってるのよ!? 私はアリスを喰い殺せって命令したのよ?」
赤ずきんは、自分の狼を信じられないものを見る目つきでみている。
「やっぱり、狼には石ころよね。美味しかったかしら?」
「アリス! よかった、生きていたんだね」
「よくない。なんでアナタまで私と石ころの区別がつかないの。あとでお仕置きだわ」
アリスはむくれている。
マズい、怒らせた!
当然だろう、よりにもよって石ころをアリスと間違えるなんて。
「そ、そんな事言っても、僕にも何がなんだかサッパリ……」
「ぷっ、あははは。わざとよ、わざと。『名無しの森』っていうのコレ。おもしろいでしょう?」
足元をトントンさせるアリス。
つられて足元を見ると魔法陣が描かれていた。
「これは……。さっきのダンスってもしかして……」
「そうよ。これを描いていたの。すごいでしょ?」
無邪気に笑うアリス。その笑顔につい見とれて……、
「ッ! そうだ! 赤ずきんは!?」
「もういないわよ。泡を食って逃げ出したわ。あはは、みっともない」
確かに、影も形も見当たらない。
トランプの兵隊もいつの間にか姿を消していた。
「助かった……、アリスってすごいんだね」
「そうでしょう? もっと褒めてもいいのよ。さぁ、ほら!」
ずいずいっと、迫ってくるアリス。
え、えっと、どうすればいいんだろうか。
僕は少し考えて、そっとアリスの頭に手を伸ばす。
「えへへ、すごく気分がいいわ。勝利の美酒ってこういうことをいうのかしらね」
髪をなでられ、気持ちよさそうに目を細めるアリス。
「これで、勝ち星を挙げたって事でいいのかな?」
「まだ、チェックの段階よ。言ったでしょ? 殺し合いだって。あの悪趣味で下品な女の首を撥ねるまで勝負はつかないの」
アリスは冷たい瞳で僕を見上げてくる。
先ほどまでの可憐な少女とは違う冷酷さがその瞳に覗く。
「だけど……、どうするんだい? あの子はもう、この世界から逃げてしまったんだろう?」
「当然、追いかけていくのよ。アイツの世界までね……。ちょうどいいから説明してあげる。このゲームのルールをね」
アリスが指を鳴らすとそこにイスとテーブル、そしてティーセットが現れる。
「お茶でも飲みながらお話ししましょう。まずは、さっきのゲームを例にして説明するわ。さっきは赤ずきんが攻めてきて、私が防衛にまわった。どちらが殺されてもそこでゲームセットよ。ただし、攻める側のメリットとして、マスターを連れてなくても構わないって事と、すぐに離脱できるって事の二点があるわ」
「なるほど、確かに一人だったし、すぐに逃げられてしまったね」
「いいのよ、それで。だってすぐ終わってしまったら、つまらないじゃない? 話を戻すわ。ただし、自分の世界じゃない分、発現させられる能力に制限がかかるっていうデメリットもあるわね。防衛側は自分の能力をフルに使うことができる、自分の世界だし、当然ね。ただし、マスター……、つまり、アナタがいなければそもそも世界を維持できないわ。だから、デメリットとして、マスターが死んだらソレでおしまい。あとは自分の世界だから逃げることはできない。こんな所ね。何か質問はある?」
アリスに言われて少し考える。思い付いたのは質問というよりは不安なのだが……、
「それじゃあ、アリスは赤ずきんの世界に行くときに僕を置いていくのかい? 足手まといだというのはわかってるけどそんなのは嫌だ」
視線を落とし、ティーカップを見つめる。中にはグリーンティーが注がれており、アリスの顔がゆらゆら反射している。
そのまま消えてしまいそうな錯覚。
その感覚に僕は恐怖を感じた。 いや、恐怖なんてもんじゃない、絶望だ。
「バカね、そんなに不安そうな顔しちゃって……。言ったはずよ、生きるのも死ぬのも一緒だって。嫌だって言っても、無理矢理連れて行くつもりだったんだから」
アリスが柔らかく微笑む。それだけで、胸の中を占めていた不安は、全て消え去った。
「ごめんよ、僕のわがままで、不利な戦いを強いることになって」
「そうでもないわ。私たちは、マスターあっての存在だから、近ければ近いほど万全の状態で戦えるのよ」
「つまり、密着してれば最強って事だね! 腕を組みながら戦うのはどうかな?」
「そろそろ目覚める時間みたいね。また、後で会いましょう」
僕の完璧な作戦はスルーされてしまったようだ。照れているのかな?
気がつけば世界が色あせていき、僕の意識は徐々に狭まってきた。
「また、アリスとあえるのを楽しみにしてるよ」
そこでプツンと世界は途切れた。
目が覚めると部屋の中は真っ暗だった。
「ん……、今何時だ? そうだ! アリス!」
存在するはずのない少女の名前を呼ぶ。
「はぁ、夢だもんな。居るわけないよ」
アリスは僕の妄想で、あれは夢の世界。
目覚めれば消えてしまうのは当然だ。
あの心躍る瞬間も幻だったのかと思うと胸が苦しくなる。
「お腹すいたな……。コンビニでも行ってこよう」
いつもと同じ独り言をつぶやき、パーカーを羽織り、部屋を出ようとする。
ちょっと、せめて顔と歯ぐらい磨いて行きなさいよ。
そうだったね、アリス。すっかり忘れていたよ。
妄想のアリスと会話をして、軽く身支度を整え再び部屋を出る。
外の風は少し冷たくて、まだはっきりしていなかった頭を、急速に覚醒させていく。
わかってるさ、こんな事していても何にもならないことくらい。
だけど、現実逃避でもいいじゃないか。
妄想だとわかっていても、僕はアリスの存在に救われているのだから。
コンビニに着くと、適当な弁当を選び、会計に向かう。が、ふとあることを思い出し、足を止める。
そう言えば、アリスはケーキと緑茶を買ってきてって言ってたな……。
どうかしてると思いながらも、二個入っているケーキセットとインスタントの緑茶も買って帰った。
真っ暗な部屋に戻ると明かりをつけ、弁当を広げる。
箸は一つ、フォークは二つ入っていた。
店員の気遣いなのだろうが、今の僕には悪意にすら感じる。
「イヤミかよ……」
そんな風に考えてしまう自分が嫌になる。
頭を振り、味気ない弁当を黙々と食べる。
お湯が沸いたようなので湯飲みを二つ用意してお茶を入れる。
なにやってんだ、僕は。
自分の奇行に苦笑しながら熱いお茶に口を付ける。
弁当をあっさりと平らげ、ため息を吐く。
ケーキも食べてしまうか。そう思い、ケーキに目を移すと……、ない。
開いた包装はちゃんとある。しかし、中身がないのだ。二つ有ったはずのケーキが一つもない!
「なんで? いつの間にか食べたのか、僕は」
ヤバい、非常にヤバい。全てがあやふやになってしまったみたいだ。
そうだ、何かの拍子に落っこちたんだ。
そんな風に自分に言い聞かせ、テーブルの下を覗く。
そこには何も落ちてなく、スカートからのぞく丸っこい両膝が見えるだけだった。
「えっち、覗き魔、さいてー」
何とも抑揚のない、しかし、ついさっきまで聞いていた少女の声が聞こえる。
「なっ!? がっ……」
僕は慌てて頭を上げようとして、テーブルが浮くほど頭を激しくぶつけた。
「ちょ、ちょっと大丈夫?」
その声は間違いなくアリスだ。
「まったく、湯飲みが空だったからよかった様なものの、中身が入ってたら、今頃、大火傷よ」
恐る恐る顔を上げると、そこにはあきれ顔のアリスが座っていた。
「ねぇ、聞いてるの? って、何よそのだらしない顔は。もしもし? 頭の打ち所悪かった?」
「僕は、夢でも見てるのかな?」
「頭、痛いでしょ。痛いって事は現実よ」
頬杖をついて、にんまりと笑うアリス。その口元にはクリームがついている。
「まさか、そこにあったケーキ、二つとも食べたのかい?」
何を言っていいのかわからず口にした言葉に、そりゃないだろ、と自分でダメ出しをする。
「な、なによ! 自分ばっかり、お弁当食べて! そうしたら、ケーキは当然私の分でしょ!? 何か文句でもあるの!?」
案の定、アリスは顔を真っ赤にして怒り……、あれ? 恥ずかしがってるのか。
「ごめんよ、アリス。アリスもお腹がすくなんて思わなかったものだから」
「なによ……。生きていればお腹だってすくわよ。ケーキだって、ずっと食べたかったんだから……」
アリスは俯いていじけているようだ。
責めてるつもりはなかったんだけど、アリスにそう思われてしまったようだ。
「ごめんってば。突然、ケーキが消えて、アリスが現れたから驚いただけなんだよ」
うーむ、まだしょんぼりしてるな……。
僕は、いじけているアリスを見て、ふとイタズラ心が湧いてきた。
そっと手を伸ばし、アリスの口元についているクリームを指で掬う。
そして、それをペロリ。
「うん、まぁまぁの味かな。今度はケーキ屋さんで、もっと美味しいのを買ってきてあげるよ」
今度は、アリスが呆ける番だった。
アリスは何が起こったのか理解すると、
「な、なっ! なに、アナタ! いつから少女漫画のヒーローになったのよ! それにそんな事していいって誰が許可したの!」
「あはは、アリス、顔真っ赤だよ。なんだかアリスも少女漫画のヒロインみたいだね」
「むー、まぁいいわ。ケーキ屋さんの美味しいケーキで手打ちにしてあげる。うふふ、楽しみだわ」
恋する少女のような表情で鼻歌を歌うアリス。
おそらく、山盛りのケーキでも想像してるのではないだろうか。
「とにかく、アリスが幻でなくて本当によかったよ。今までどこに行ってたんだい?」
「あの下品な女の痕跡をたどってたの。ケンカを売られた以上はきっちりお返ししなきゃ気が済まないでしょう?」
「ああ、そうだね。僕らの世界に土足で踏み込んで来たんだ。後悔させてやらなきゃね」
「言うじゃない。それでこそ、私のマスターに相応しいわ。それじゃあ、ガツンとお見舞い……、といきたいのだけれど、今日はもうお休みよ。殺し合いは一日一回までって決まってるの。それに世界の維持にはエネルギーが必要なのよ」
「ああ、それでケーキを二つも……」
しまった、と思った頃にはもう遅い。
僕の特技は口を滑らす事らしい。
案の定、アリスは、
「アナタは余計な言葉が多いのよ。その口、縫い合わせてあげようかしら。それに……ケーキたった二つで世界が構築できると思って? 錬金術も真っ青じゃない。だいたい……」
目が笑っていない笑顔で、水鉄砲を撃ったら、ガトリングガンで応戦してきた位の勢いでまくし立ててくる。
「ごめん、ケーキの話はおいておこう。それで、赤頭巾の世界へはどうやって……?」
「何よ、今からはなそうと思ってたんだから。誰かさんが話の腰を折るのがわるいんじゃない。……まぁいいわ。通常はマスターが眠っている時に、夢を介して対戦相手を探すのだけど、簡単には見つからないのよ。夢の波長だとか睡眠時間だとか……、そうね、解りづらかったら、テレビゲームとかのネットマッチングシステムをイメージしてくれればいいわ。
何も情報がない誰かとマッチングするのは難しいけど、赤頭巾のように一度戦ったなら、相手の情報が、私の世界に記録されているから、打って出るのも難しくないのよ」
「なるほど、ゲームのねぇ……。それにしても、アリスはゲームとかにも詳しいんだね。何処で知ったんだい?」
「アナタよ。アナタの中の情報は、私にも共有されるの。当然よね、私を生み出したのはアナタなのだから」
確かに、それはそうだな……、ん?
「アリスは僕の考えてることが読めるのかい?」
「いいえ。でも、頭の中で対話する時は、読めるってことになるのかしらね」
そうか、それなら、頭の中身が垂れ流し状態ではないと言うことか。
で、問題なのが……、
「そ、それじゃあ、アリスは僕が普段していることとか……」
「ふぅ、そろそろ眠くなってきちゃった。アナタも早く寝なさいよ。明日は赤ずきんの世界に乗り込んでやるんだから」
「なっ、ちょっと待ってくれ! アリ……」
瞬きをする間にいなくなってしまった。
いなくなってしまったのだが、胸の中が暖かい。アリスの体温を感じる。
「ここにいるってことか。それはともかく……」
うわあああああああ、気になるううううううう!!!!
……今日はアリスの言うとおり早く寝よう。
普段より早く寝たはずなのだが、起きたら普段通りの昼過ぎという悲しい現実。
まさに、ダメ人間のライフサイクルだ。
だが、カーテンの隙間から覗く空は相変わらずの灰色で、眠る以外の選択肢を与えない。
暗い。オレ、寝る。オヤスミ。
そして、目を閉じ、意識を闇に溶け込ませ……、
「私を放置して二度寝とはいい度胸ね。ほらっ! 顔を洗って、歯を磨く! 今日は楽しいピクニックの日なんだから!」
アリスに、布団をはぎ取られた。
「アリス、今日は天気も悪いし、外は寒いよ。お願いだから、布団を返して……。そうだ、今日は一緒にお昼寝をしよう」
僕は、ダンゴムシのように丸くなりながら、アリスに懇願する。
「お断りよ。と言うか、もう赤頭巾の世界とリンクしてるから、次眠ったときはアイツの世界の中よ。そんなだらしない顔でパーティーに参加しようだなんて、私に恥でもかかせたいのかしら」
「うう、それって夢の中なのに関係あるのかい? 普通、夢っていうのは寝る時の格好とか関係ないと思うんだけど」
「あの世界はね、夢と現実の狭間の世界なの。自分の姿形が現実に沿って反映されるのよ。昨日だって、着ていた服がそのまま反映されたでしょ?」
そう言われてみると、そうだった気がする。
だとしたら……、
「もしかして、全裸で寝たら、あっちの世界でも全裸になるのかい?」
「くっだらない事ばっかり気になるのね! ……まぁ、そうなんじゃないの。もし、そんな事になったらアナタの事は見捨てるけれども」
どうやらアリスに呆れられてしまったようだ。
見捨てられたくはないので、全裸で寝ることだけはしないでおこう。
「わかったよ、取りあえず身支度はキチンと整える。なんならタキシードでも着ようか?」
「ええ、是非ともそうして欲しいわ。なんてったって、この先アナタを、他の子の世界に連れ回す訳だし、ダサいマスターを連れ回してるやつがいる、なんて噂にでもなったら恥ずかしいもの」
アリスの毒舌が、グサグサ心に突き刺さる。
あの純情な、僕一筋のアリスは何処に行ってしまったのだろうか……。
いや、始めからそんな事はなかったか。
「わかった、わるかったって。ちゃんとするからあまりいじめないでくれ」
「人聞きの悪いことを言うのね。……まぁいいわ、さぁ、早く着替えてちょうだい」
ジトーっと、腕組みしながら僕を見張るアリス。
「アリス、僕は着替えるよ?」
「そんなのいちいち言わなくてもいいわ。着替える、じゃなくて着替えた、なら使ってもいいけれど」
うーむ、どこかで聞いたフレーズだな。
そうじゃなくて、見られてると着替えづらいんだけど……。
そんな事言ったらまた五分くらい罵倒されそうだしな……。
これ以上もたもたしていたら、また怒られそうなので、なるべくアリスの方を見ないようにしてズボンを脱ぎだした。
何も言われない……? まぁ、ずっと一緒に居るって事は、そんなの今更意識するほどでもないからなぁ。
おっと、そこそこ新しいパンツはアリスの後ろの方に……。
そこで無言のアリスの顔が目に入り……、
「ア、アリス? おーい、どうしたんだい?」
アリスは顔を真っ赤にして、立ったまま気絶していた。
下着姿で立ちすくむ青年と気絶している少女。間違いなく犯罪……、あ、起きた。
直後、ギャー、と言う叫び声と共に僕の頬に平手が飛んできた。
「痛いじゃないか、アリス」
「ばっ、ばっ、ば、ばっかじゃないの! なんでいきなりズボンを脱ぎ出すのよ! なんで下着姿で私の前に立ちふさがっているのよ! この変態!!」
フーッ、フーッ、と息を荒げる興奮状態のアリス。
「いやいやいや! 誤解だから! まずはパンツを……」履かせてくれ。
「パンツ!? いま脱ぐ必要はないでしょう!? はっ! ……ッ!! このケダモノっ!!」
聞く耳持たずとはこの事だ。
あとね、アリス、パンツはズボンの事で下着ではないんだよ……。
アゴにアリスの良いパンチを貰い、遠ざかる意識の中でそんなどうでもいい事を考えていた。
ここは、赤頭巾の世界、深く暗い森の中。聞こえてくるのはカラスの鳴き声、木々の擦れる音、狼の遠吠え、そして……、アリスの文句だ。
「ほんっと、ありえない! 最低だわ!」
さっきから、似たような言葉を繰り返しながら歩くアリス。
僕の服装はTシャツとジャージという超ラフな格好だ。
気絶寸前の僕にジャージを持たせるという、アリスのファインプレーのおかげで、パンイチで少女と共に森の中を練り歩く羽目にならずに済んだ。
それはいいんだが……、
「はぁ……、あの下品な女に馬鹿にされるんだわ。『パーティーにラフな格好で来ていいって言われて、本当にラフな格好で来ちゃうお馬鹿さん二人組のお越しだわ、まさにバカップルね』とか言われちゃうんだわ、ちょームカつく!」
などと、アリスの怒りは段々エスカレートしてくる。
どちらかというとそれはアリスが言いそうなセリフなのだが……。
僕は何も言えず、トボトボとアリスの後ろをついて行くだけだった。
その時、急に全ての音が止み、あたりの空気が凍り付いた。
「ようこそ、アリス。別に呼んだつもりはないけど。へぇ、どうでもいいけど、マスターを連れてきてるのね。しかも、もうそんなにボロボロだし」
赤ずきんの気だるげな声が、何処からともなく聞こえてくる。
「ほら! 馬鹿にされた! こんな格好で連れてきて失礼したわね!」
「格好? 別にそんなのどうでもいいわ。アンタのマスター、アザだらけじゃん。守れもしないのに連れてくるなんて……、まぁ、その方がチョロいからいいけどね」
赤ずきんはアリスをあざけり嗤う。
「いや、それは違うぞ! だいたいこれはアリスに……」
「わーっ! あははははは! 今から遊びに行くから楽しみに待ってなさい!」
僕の言葉を遮り、誤魔化すアリス。
「? ……まぁ、いいわ。遊んであげる。ただし、この世界の果て、私のおばあさんの家までたどり着けたらね」
再び世界が動き出し、森の中に騒がしさが戻った。
「おばあちゃんの家って……、なんともショボいお城ね。こんな辛気臭い所、さっさとお使いを終わらせて帰りましょ」
「そ、そうだね。先に進もう、アリス」
また、アリスの矛先が僕に向かない内に終わらせてしまおう……。
少し足を進めると、四方から狼のうなり声が聞こえてきた。
「アリス、囲まれてるみたいだよ。どうするんだい?」
「躾てやるのよ。コイツでね」
そういうと、アリスは何処からか取り出した二丁の拳銃を両手に構える。……いや、拳銃というより、昔、テレビの特撮で見た、ずんぐりとした楕円形の光線銃のようだ。
「トゥイードルダム、トゥイードルディー! どちらが多く仕留められるか競争よ!」
アリスが吠え、木の陰から狼が飛び出す。
トゥイードルダムが火球を吐き出し、トゥイードルディーが稲妻を撃ち出す。
狼は次々に飛び出してくるが、そのたびに黒こげになりながら、断末魔の悲鳴を上げ掻き消える。
体についた火を消そうと転げ回る狼に、感電し自分の意志とは関係なく跳ね回る狼。どちらもダンスを踊っているようだ。
「あはははは! もっと踊りなさい! もっともっと、私に愉しいものを見せてちょうだい!」
あたりには焦げたような臭いが充満し、息が詰まる。
だと言うのに、アリスはそれを意に介さないかのように、目を輝かせながらアチコチに銃を乱射する。
完全にトリガーハッピーな状態にあるアリスと、その傍らで頭を抱えうずくまる僕。
しばらくして、銃声が止む。
「お、終わったのかい?」
僕はアリスを見上げる。
「いいえ。どうやら、この間のワンちゃんがおいでになったようね」
アリスが、新しいオモチャを見つけた子供のような顔で、遠くの方でユラユラ蠢く巨大な影を見つめていた。
周りの狼がおとなしくなったと思ったらそういうことか。
ソレは、大地を揺らし、周りの木々を凪払いながら、こちらに向かって物凄い速さで迫ってくる。
「よっぽど、この間あげたご飯が美味しかったのかしら?」
「あれはどう見ても怒ってるんだよ、アリス! 石ころなんて食べさせるから……」
「お腹を裂いて石を詰め込むのに比べたら可愛いものじゃない」
「そんなの比較対象としておかしいよ! てか、もう目の前に来てる!」
アリスは僕の手をつかみ、宙へ跳んだ。
その下では巨大な狼が口を開き、待ち構えている。
「ヒィッ! もうだめだ! 僕らはあの狼のおやつになってしまうんだ!」
「もうっ! 情けないこと言わないで! 落とすわよ!」
アリスはスカートをはためかせ、地面で吠える狼に向けてトゥイードルディーを撃つ。
電撃は音を立てて狼を襲う……、しかし、毛並みに沿うように流れていき拡散して消える。
「チッ! このっ!!」
次はトゥイードルダムに持ち替え、火球を次々に撃ち出すが全て丸呑みにされてしまう。
「なによ、この食いしん坊! ちょっと、アナタも何か考えて!」
「ちょっ! いきなり言われても!! ああ、雷、炎、ううう、水! 水、水!」
「水って! もうヤケクソよ! 失敗したら一生恨んでやる!!」
アリスがポットを取り出し、傾ける。すると、そこから水が滝のように流れ出す。
しかし、勢いこそ滝だが、ポットから出ているわけであって、打たせ湯程度の水量でしかない。
当然、その程度、飲み干されてしまう。
「わー、ばかばかー! 水なんて呑ませちゃって! このまま食べられたら、お気に入りのドレスが水浸しになっちゃうじゃないのよー!」
「そのまえに石に火球で、焼け石地獄だったろ! それよりましだよ!」
どっちにしろ生きてはいられないだろう、というツッコミを入れてくれる人物は、ここには居ない。
僕らは為すすべもなく、狼の口に吸い込まれる。
その瞬間、ボフッと狼が口から煙をだし、突然、その巨体は破裂した。
僕らは狼の血と臓物の上に着地した。
やがて、それも地面に溶けるように消え、後には何も残らなかった。
「た、たすかった……。でも、いったい何が……?」
混乱している僕に、何かが飛びかかってきた。
ギュッと抱きしめられる感触に、花の蜜のような香りが広がる。
「すごい……、すごいすごいすごーい! ねぇねぇ、アナタいったい何をしたの!? ううん、なんだっていいわ! アナタって最高ね! カッコいいし、頼りになる! それにすごく面白い!」
興奮したアリスが、僕に抱きついたまま賛辞の言葉を並べ立てる。
思わず、鼻の下が伸びそうになるのをこらえて、原因を考える。
「あの狼の腹の中は、火の玉によって焼けた石が詰まっていた。まぁ、それだけでも充分ダメージはありそうだけど、火の玉を飲み込むくらいだしなぁ。とにかく、そこに大量の水が流し込まれ一気に蒸発した。その結果、水蒸気爆発が起こり、狼の胃袋をドカン。こんな感じかな?」
自分なりの推理を、アリスに発表してみた。合ってるかどうかはしらないけど。
「よくわからないけど、すごいわぁ! やっぱりあなたを連れてきて正解だったみたいね!」
そこまで言われると、なんだか誇らしい気持ちになってくる。
これで朝の分の大ポカは、帳消しになっただろうか。
「いやいや、アリスの行動が繋がって、あの狼を退治できたんだからね。偉いよ、よくやったね」
未だに僕にしがみついているアリスの頭を撫でる。
顔を赤くして、はにかむアリスは、さっきまでのトリガーハッピーとは別人のようで、なんだかドキドキしてきた。
「さ、さぁ、赤頭巾が次の手を仕掛けてくる前に先を急ごう」
「そんなのいいわよ。今日はピクニックだって言ったでしょ。実はね、お弁当作ってきたの♪」
「え? ウソ!? いつの間に?」
「アナタが眠りこけている間によ。だというのに、お昼寝しよう、なんて言い出すんだもの。本当にひどい人ね」
アリスが頬を膨らませる。
「ごめんごめん、言ってくれたら張り切って支度したのに」
「驚かせたかったのよ。まだまだ乙女心がわかってないみたいね」
アリスがクルリと回って指を鳴らすと、前にも見た事のあるテーブルとティーセットが現れる。
「そして、これが! 私のお手製、スペシャルサンドイッチよ!」
「おお! おおおおお!! ピクニックといったらサンドイッチというお約束を守る、正統派ヒロイン! 流石は僕のアリス!」
広げられたランチョンマットの上に並べられた、色とりどりの具材をはみ出させた三角形のサンドイッチ。良い香りをさせ湯気をたてるティーカップ。
そして、ドヤ顔で胸を張るアリス。
カンペキだ……、これ以上の贅沢が有るだろうか、いやない!
「そ、それじゃあ早速いただいても?」
「いいに決まってるじゃない! 早く感想を聞かせてほしいな……」
そういってモジモジするアリス。
これだけでご飯三杯はイケる!
「それでは……、いただきます!」
サンドイッチを手に取りパクりと……。
うまい……、シャキシャキした歯ごたえのレタス? とジューシーな肉汁溢れる蒸した鶏肉? が口の中に広がる。もう一つ口に運ぶとトマト? とハム、そしてコリコリとした歯ごたえのキノコ? がバラエティーに富んだサンドイッチを演出する。
「う、うまいよ、アリス! ぼ、僕は幸せだよおぉ!」
「ほんとう? うれしいっ!」
ぴょんぴょん飛び跳ね、喜ぶアリス。
ごめんねアリス。実のところ、こういうときのお約束として、とんでもない味のものが出てくるかも、なんてちょっぴり心配してたんだ。
無邪気に喜ぶアリスに、罪悪感を覚えながら完食する。
「ごちそうさま! とても美味しかったよ。アリスは良いお嫁さんになれるね!」
「もうっ……そんなにほめたって~、また作ってあげる♪」
ご機嫌なアリスを見ていると、僕まで幸せになってくる。
ここが敵地なんてお構いなしさ。
ここでふと、疑問が浮かんだ。
「そういえば、ハムとパンは有ったと思うけど、他の材料はどうしたんだい?」
「私の世界で捕ってきたのよ。大変だったんだから、野菜のくせになんかちょこまか動き回ったり、同じ所をすごい速さでぐるぐる回る鳥とか、あはは、なんか回ってる食材ばかりね」
「あ、あはは、大変だったんだね」
お約束その二、訳の分からない材料のものを食わされる。
こっちの方だったか!!!
大丈夫だろうか、大きくなったり小さくなったりしないだろうか?
ま、まぁ、気にしてもしょうがないよね。
食後のお茶を飲みながら、僕はアリスにある質問をした。
「願いが叶うって言うけどさ、アリスの願い事はなんだい?」
その質問に、ビクッと、肩を震わせるアリス。
もしかして、聞いてはいけない事だったのだろうか。
「そうね、世界中の、ありとあらゆるケーキを食べることかしら」
あっさりと、自分の願い事を話すアリス。
「あはは、欲張りなんだか欲がないんだか……、でも、アリスらしい願い事だね」
「もうっ、勝手に笑ってればいいわ。そう言うアナタはどうなの?」
「僕の願い事かぁ、そうだね、アリスとずっと一緒に居られますように、かな?」
半分冗談、半分本気で告げた僕の願い。しかしそれをアリスは感情を無くした声で、
「その願い事はきっと叶わないわ」
と、冷たく否定した。
「アリス……? いったいどうしたんだい?」
僕は、また何か怒らせるような事を言ってしまったのだろうか。
「なんてね、私はアナタの妄想よ? そんなの願わなくたって一緒にいるに決まってるじゃない。そんな事より、他の願い事を考えておきなさいよ」
ペロリと舌を出し、はにかむアリス。
いつもの冗談のようで、安心した。
だけど……、これは殺し合いのゲームなんだよな? アリスの願いは、本当にケーキなのだろうか?
いや、それよりも……、アリスは、本当に僕の妄想が生み出した少女なのか?
今の僕には、聞く勇気はない。
幸い、僕は大きくなったり小さくなったりすることはなかった。 道中も、狼の群が何度か襲いかかってきたが、アリスは難なく退け、森の出口に差し掛かる。
「ようやく、ゴールだね。『おばあさんの家』ってどんなのかな?」
「さあね、でも、こういう時って名前に反してスゴいものが飛び出してくるものじゃない?」
鼻歌混じりで進むアリス。まるで、プレゼントの箱を開ける時のようにワクワクしているのがわかる。
そして、木々が途切れ、視界が開ける。
目に飛び込んだのは、ログハウス風の建物と、ポツンと設置されている井戸であった。
これが赤ずきんの世界の最奥、『おばあさんの家』なのだろう。
「いわゆる、普通のログハウスだね」
「もっと、要塞みたいなのを期待していたのだけれど……、残念だわ」
僕は、そんなのがおばあさんの家だったら詐欺じゃないか、と思ったが、アリスとしては物足りないらしい。
「これ、入ってもいいのかな?」
「えぇ……、狭そうだし嫌だわ。そんな所で戦ったっておもしろくなさそうだし……。そうだわ、火を放って炙り出しましょうよ!」
そういうと、アリスはとても悪い笑顔でディードルダムを構える。
「アリス……、それは悪人の発想だよ。もう少し、お淑やかな方法で頼むよ」
「冗談よ、それにそんなのが通用するなら初めから森に火を放ってるわ。直接、相手の世界を壊すことはできないのが決まりだからね」
アリスは肩をすくめ、ディードルダムをしまう。
あれだけ火球を放っても、木や草花に引火しなかったのはそういう理由だったからなのだろうか。
「まったく、ガヤガヤと五月蠅い連中だわ。ムードも何もあったもんじゃない」
赤ずきんが、恨めしそうな顔で、扉から顔を覗かせる。
「何時までもそんな小屋に引きこもっているからでしょう? それに、罠かもしれないのに、飛び込む馬鹿なんていないわよ」
僕は一応、アリスに確認を取ったからな! 入ってみようかと思っただけなんだからな!
そう、心の中で抗議しておく。
「へぇ、以外と臆病ね。マスターを連れ歩くのも怖がりだから、かしら?」
薄ら笑いをしながら、赤ずきんは姿を現す。
「勝手に言ってれば? そういうあなたのマスターは、その小屋の中でガタガタ震えているのかしら? まったく情けないわね。辛気臭いアナタにお似合いだわ」
一つ言われたら倍以上にして返すアリス。
「決めたわ、簡単には殺してやらない。手足を切り落として、私のペットの慰み物にしてやるわ!」
余程、癪に障ったのか歯を剥いて睨みつける赤ずきん。
赤ずきんは外套から、身の丈ほどもある巨大なハサミを取り出した。
禍々しい見た目とは裏腹に、クロスされた刃が重なる度に鳴る音は、シャンシャンと鈴の音のようにも聞こえる。
「厭ね、お下劣だわ。その武器といい、品性を疑われるわよ」
アリスの言葉に、赤ずきんは何も応えず、飛びかかってくる。
アリスはトゥイードルダムとトゥイードルディーを構えるが、間合いを詰められ、一方的な防戦を強いられる。
赤ずきんのハサミを使った攻撃は多彩で、突き刺す、凪払う、挟み込む、とアリスに反撃させる暇を与えない。
アリスは、すんでのところで赤ずきんの攻撃をかわし続けているが、徐々に疲労の色が見えてきた。
逆に、赤ずきんは、と言うと、まるでハサミに重さなどないように、自在に振り回し続ける。
マズい、このままではいずれアリスは切り裂かれてしまう。
「アリスっ! 狙いはつけなくても良い! トゥイードルディーを撃つんだ! 撃ち続けろ!」
僕は、とっさに叫んだ。
僕の声が届いたのか、アリスはトゥイードルディーの引き金を引き絞る。
稲妻は滅茶苦茶な方向に向かって放たれるが、やがて、赤ずきんの持つハサミに吸い寄せられ、その刃に襲いかかる。
ハサミの刃から伝わる電撃を受け、赤ずきんは小さな悲鳴をあげ、その手に持っていたハサミを落とした。
「ッ!! よくもッ!!」
激痛に顔をしかめ、距離を取る赤ずきん。
「やっぱり、アナタって最高だわ! そして、チェックメイトよ! 黒こげになりなさい!」
アリスはとてもヒロインとは思えないセリフを吐き出しながら、トゥイードルダムの引き金を引いた。
その時、
「梓! 今だ、『寄り道』を発動させろ!!」
梓と呼ばれた少女……、赤ずきんは小屋から響く男の声に従い、魔法陣を発動させる。
その瞬間、赤ずきんと僕らの距離は永遠に引き延ばされ、トゥイードルダムの火球は、赤ずきんにたどり着くことなく消滅した。
「しくじったわ、挑発にのって頭に血がのぼってたのは、赤ずきんだけだったみたいね……」
アリスが歯噛みする。
「よかった、無意味に悪口を言っていたわけじゃなかったんだね」
「アナタ……、私のことを一体なんだと思ってたの? まさかとは思うけど、人をののしるのが大好きな性悪女だ、とか思っていたんじゃないでしょうね!」
「誤解だよ! というか、そんなこと思ったこともないってば!」
僕の失言に、アリスはジロリと睨む。
「殺し合いしてる最中に痴話喧嘩とは、余裕かましてくれるじゃねえか。梓、後は俺がやる。最後の一節をかけてくれ」
小屋の中から威圧感をはらんだ男の声が聞こえてくる。
最後の一節? 一体何のことだろうか。
僕には何のことだかわからなかった。
しかし、アリスは何か察知したようで、
「マズい、アイツの切り札って自分のマスターに作用する呪文なのね。しかも、最終節の手前まで入力済みだなんて!」
アリスは双銃を撃ち続けながら叫ぶ。
轟音をたてながら放たれる火球も、稲妻も、赤ずきんに届く前に失速し、消滅する。
「つまり、どういうことなんだい!?」
僕も、アリスの放つ双銃の轟音に負けないように叫ぶ。
「つまり! 大ピンチってことよ!!」
アリスは何度放っても届かない攻撃に苛立ち、赤ずきんとの距離を詰めようとする。
しかし、どれだけ進もうが、赤ずきんとの距離は縮まらない。
そして、赤ずきんは最後の一節を高らかに歌い上げる。
「愛しい愛しいアナタ、アナタの口はどうしてそんなに大きいの?」
その瞬間、『寄り道』の効果は消え失せた。
すかさず、アリスは双銃を連射する。
だが、
「それはな、俺達の敵を全て喰らい尽くすためだ!」
大地を揺るがすような声と共に、小屋から飛び出してきた黒い影にアリスの攻撃は阻まれた。
その黒い影は人の形をした狼……、狼男だった。
「俺の梓を随分と可愛がってくれたじゃねぇか、てめぇら、覚悟はできてるんだろうな?」
狼男はドスの聞いた声で僕たちに殺意を向ける。
僕は、明らかにガラの悪そうな口調におもわず固まってしまう。
「ア、アリス? あんな怖そうな人でも妄想の少女を愛でたりするものなのかい? しかも名前まで付けて!」
「知らないわよ! そんなことより、このままじゃアナタを守りきれないわ。悔しいけど離脱……、できないですって……?」
僕がアリスの驚愕する表情をみるのは、ここに来て初めてかもしれない。
「それよ! それ! その顔が見たかったのよ!! 『寄り道』はこっちまでの距離を引き伸ばすだけじゃなくて、応用として、相手の離脱する時間を引き伸ばす事もできるのよ!
つまり、アンタ達はもう逃げられないわけ。どう? 恐いでしょ? あー、いい気味だわ」
きゃっきゃっとはしゃぐ赤ずきん。
「あんまり、はしゃぎすぎんなよ? さすがに哀れってもんだ。てめぇら、安心しろ、すぐに楽にしてやる」
狼男はカギ爪をペロリと舐め、こちらを見据える。
「アナタってそんなゴミみたいな連中にも優しいんだね。ますます惚れ直しちゃう」
「ヘッ、続きは後だ。それじゃあな!」
狼男が消える、次の瞬間、アリスの目の前に姿を現す。
そして、その腕をアリスに振り下ろした。
アリスはとっさに双銃でその攻撃を防ぐが勢いを殺せず、弾き飛ばされる。
「アリスッ!! ッ、うわっ!」
アリスに駆け寄ろうとした僕に赤ずきんがハサミを投擲してくる。
「ほらほらっ、よそ見してるんじゃないわよ! 串刺しにするわよ!!」
そのうちの一つが僕の頬を掠り、血の筋を作る。
ビリビリとした痛みが走り、心臓が暴れ出す。
これは現実だ。かわせなければ死ぬ。
今更、そんな当たり前の事を自覚する。
横目でアリスを見る。
大丈夫だ、アリスはまだ立ち上がれる。
それなら、今僕にできるのはアリスを信じて死なないことだ。
赤ずきんの動きに注意する。
何か、打開策はないだろうか?
……、赤ずきんは相変わらずハサミを放り投げてはくるが、その場から動こうとはしない。
その足元を見ると魔法陣が描かれていた。
赤ずきんを魔法陣から動かす事ができれば、事態は好転するか……?
こうしている間にも、金属のぶつかり合うような音と、アリスの悲鳴とうめき声が聞こえてくる。
赤ずきんは『寄り道』を僕らの離脱を防ぐのに使っている。
それなら、一か八か、赤ずきんに駆け寄ることも出来るはず。
「くっ、ウオオオオォ!!」
僕は覚悟を決め、赤ずきんの攻撃の合間を縫って駆け出した。
赤ずきんは一瞬、不意をつかれ動きが止まったが、すぐに投擲を再開した。
顔面目掛けて飛んでくるハサミを、足を止めずに、腕でかばう。
ズブリという感触の後、激しい痛みが僕を襲う。
それを歯を食いしばって耐え、ついに、赤ずきんに飛び付く。
僕はもつれ合うように転がり、赤ずきんの小柄な身体を押さえつけた。
あ、ヤバい、この先の展開を考えてなかった。
少女のように見えて、赤ずきんは異能の存在だ。
僕が押さえつけようが、お構いなしに殺せる能力を持ってるかもしれない。
僕は、せめてアリスだけでも、離脱出きることを信じて……、
「嫌ぁああああ! 離せ! 離して!! 嫌、嫌だ! やめて……、嫌だ、嫌だよぉ、助けて……ゆうじぃ……」
半狂乱になりながら暴れる赤ずきん。
尋常ではない様子だが、逆に好都合だ。
「てめぇ!! 梓から離れろ!!」
狼男はそう言うや否や、僕の方に飛びかかり……、
「ほめてあげるわ、マスター。合格よ。……ジャバウォック! 食いちぎりなさい!!」
僕には何が起こったのかわからなかった。
おぞましい咆哮が聞こえたと思ったら、狼男の上半身が千切れ飛んできたのだ。
「アナタが二人を引きつけてくれたおかげで勝つ事が出来たわ。見られてると存在できないほど、恥ずかしがり屋なのよ、この子」
傷だらけのアリスは笑う、その顔を自分のものではない鮮血に染めて。
「あ、嫌、嘘でしょ……。ゆうじ? ゆうじぃいいいい!」
赤ずきんは僕を跳ね退け、狼から戻った少年に駆け寄る。
「わりぃ……、また、まもれ……な」
少年はそれだけ言うとうごかなくなった。
「いやぁ、こんなの、こんなのっ……。いやああああああああ!!」
赤ずきんの絶叫が響き渡る。
アリスは何も言わずに双銃を構える。
そして、赤ずきんと目を合わせ……、フラフラと動き出した。
「喉が渇いたわ……。水……、井戸水……」
アリスはうわごとを呟きながら、井戸の方に吸い寄せられるように歩いていく。
「死ねっ! 死ねっ! 溺れ死ねっ! アンタなんか、井戸の中で腐って死ねっ!」
赤ずきんはアリスに呪詛の言葉を吐き続ける。
「アリス! 正気に戻れ! クソッ!!」
僕は、アリスに駆け寄り抱き締める。
しかし、アリスはものすごい力で、井戸に向かって歩みを止めない。
このままじゃ、アリスは……。
その時、僕の足が何かを蹴った。
「これは、赤ずきんのハサミ……」
僕は、その巨大なハサミを拾い上げる。
そして、もう動く事もままならない赤ずきんに近付くと、その身体を巨大なハサミで刺し貫いた。
肉を切り裂き進むごとに、血を吐きながらビクビクと痙攣する赤ずきん。
きっとこの感触を僕は、忘れる事はできないだろう。
完全にうごかなくなった赤ずきんを見下ろす。
光を宿さない瞳で、虚空を見つめる赤ずきん。
その手は少年の手のひらを握りしめていた。
「これが、こんなのが、ゲームだというのか……?」
その時、何かが井戸に堕ちる音がした。
僕は、アリスの名を叫び、井戸に飛び込む。
まるで、石のように井戸の奥深く沈んでいくアリス。
ようやく、僕はアリスの腕を掴む。
そこで、世界は揺らぎ、形をなくし、消え去った。
気がつけば僕は、自分の部屋に戻っていた。
その傍らには倒れ動かないアリス。
一瞬、赤ずきんの姿と重なって見える。
僕は、アリスの名を呼びながら、身体を揺する。
こうなったら……。
僕は、アリスを仰向けにし、唇を重ねる。そして、息を吹き込み、胸を幾度か押し込む。
それを何度か繰り返すと、ゴポッと口から水を吐き出し、アリスは蘇生した。
「ゲホッ、ガハッ、うっ……、つはぁ……、……ぁ……。タツヤ……? ここは、……あぁ、また助けられたのね」
「アリス! よかった、目覚めたんだね! って……、僕の名前を?」
アリスに改めて自己紹介をした覚えはない。
そもそも僕は、ここ数年、自分の名前というものを意識してない。
僕は小鳥遊達也。年齢は二十五歳。好きなものはアリス。
自己紹介終わり。
「馬鹿ね、アナタの事なら何でも知っているわ。今更、なにをいってるのよ」
そう言って笑うアリス。
しかし、僕は、アリスの笑顔にどこか作為的なものを感じた。
「ア、アリ……、ん? アリス、その手にもっている物はなんだい?」
僕は、何かを言い掛けようとして、アリスに声をかけたが、他のものに注意を取られた弾みで、何を言おうとしたのか忘れてしまった。
「コレ? コレが赤ずきんを下した証よ。まずは第一歩ってとこかしら」
アリスが手に持つハードカバーの本。
これが、『乙女の童話』だろうか。
その本の表紙には『赤ずきん』と記されており、真っ赤な色をしていた。
僕の脳裏に、赤ずきんの最期が蘇る。
「アリス、僕は、赤ずきんを殺したよ」
「気に病んでいるの? それなら間違いよ。彼女達も、覚悟してあの場所に立っていたはずよ。それにアナタが赤ずきんを殺さなければ、私が死んでいたわ」
いつになく真面目なアリス。
少女というよりは大人の女性の雰囲気が漂う。
「アリス、君はいったい、何者なんだ?」
ふいに僕の口をついて出た言葉に世界が止まる。
赤ずきんはあの少年に『梓』と呼ばれていた。
そして、赤ずきんも少年の事を『ゆうじ』と……。
二人はこの現実世界でも何か関係があったのではないだろうか。
だとしたら、『童話少女』っていったい何なんだ。
僕の『アリス』は……、
「何を言ってるのよ、私は『アリス』よ。アナタの妄想の『アリス』。ふぅ……、今日はとても疲れたわね。アナタも大分疲れてるみたいだから、今日はもう休んだら?」
アリスは普段通りの口調で僕の『冗談』を受け流す。
確かに、いろんな事があって混乱しているだけなのかもしれない。
それに、僕は、アリスについてとやかく言える立場ではない。
なぜなら、僕は、この少女についての記憶を持っていないからだ。
「そうだね……。そうだ、アリス。明日はケーキを買いに行こう。とびきり美味しいのを買ってあげるよ」
気まずさを誤魔化すようにアリスに約束をする。
「本当!? じゃあ、初勝利を祝ってパーティーをしましょうよ!」
無邪気に、はしゃぐアリス。その笑顔は愛らしく、見ているだけで幸せになる。
今はそれでいい。
難しい事を考えずに『アリス』と生きるこの瞬間を楽しもう。
そうでなければ、罪悪感や、猜疑心、そして、恐怖という、様々な負の感情に押し潰されてしまうから。
こんな所で立ち止まってなどいられない。僕とアリスの童話戦争は、まだ始まったばかりだ。