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僕とアリスの童話戦争  作者: 海中海月
不思議の国のアリス
19/20

不思議の国のアリス

「杏里沙っ!?」

 僕は、慌てて飛び起きる。

 気がつけば、自室のベッドの上、隣には寝息をたてて、眠る杏里沙がいた。

 その姿は――――

「なっ!?」

 杏里沙が眠っている事を思い出し、慌てて自分の口を塞ぐ。

 驚きの声をあげてしまうのも無理はない。

 杏里沙は、淡いブルーのベビードールを身につけていたのだが、フリルのついたそれは、薄く透き通っていて、身体のラインが露わになっている。

 思わず、生唾を呑み込むが、自分の頭を両手でがっちり掴んで、無理やり、よそを向かせた。

――なんだって、杏里沙はこんな格好をしてるんだ!?――

 混乱する頭で、昨夜の出来事を思い出す。

 たしか、鐘の音が鳴り響いたと思ったら、頭の中のもやがかった部分が晴れて……。

「そうだ、僕は全てを思い出したんだ」

 その直後、杏里沙に眠らされた訳だが……。

 チラリと横目で杏里沙を見る。

「うぅん……」

 艶めかしい声を上げ、寝返りをうつ杏里沙。

 クラッとしそうな光景に頭を振る。

 眠らされたとはいえ、断片的に昨夜の記憶があるのは、杏里沙との繋がりのせいだろうか。

 嗜虐的な昴りと、『アリス』に対する激しい憎悪が、杏里沙を通して僕に伝わってきていた。

 そして――、世界が溶ける直前の――――

「――――ッ!? あれは……、僕の夢だったのではないだろか……」

 復讐を果たせる悦びが快楽の波となって押し寄せ、その熱を抑えきれず、杏里沙は自分で――――。

「いやいやいや! 最後のはどう考えたって、僕の妄想だ! だけど……」

 杏里沙が自ら奏でる音色が今でも、僕の耳に絡みついている。

 自然と僕の目は杏里沙の方に向けられる。

 格好のせいか、今の杏里沙は、少女ではなく、成熟した女性のように――実際、杏里沙は僕と同い年なのだが――見えた。

 無防備な肢体に、目は釘付けになり、動悸が激しくなる。

「う……。少し、頭を冷やしてこよう」

 僕は、そそくさと部屋を抜け出すと、何の当てもなく散歩を始めた。


 十年前――、僕らは『不思議の国のアリス』に敗北した。

 正確には、『アリス』の『名無しの森』によって、僕の記憶は飛ばされ『眠り姫』である杏里沙との関係を忘れてしまったのだ。

 基本的にマスターに直接攻撃する事はタブーらしく、その禁を破ったものには手痛いしっぺ返しを喰うことになる。

 杏里沙がカウンターで発動させたのが『眠れる森の夢』――禁を破った『童話少女』と共に眠りにつき、相手の童話の夢を見る事で、相手を封印すると共に、相手に成り代わるという魔法らしい。

 ……あの頃の杏里沙は、相手を倒す事に躊躇いがあった。

 その躊躇いが元で、『アリス』に土壇場でひっくり返されてしまったのだ。

――その結果が、杏里沙を歪めてしまった。

 仮に、『アリス』に復讐を果たしたところで、杏里沙は救われるのだろうか……。

 もちろん、僕は最後まで勝ち抜くつもりだ。

 しかし、漠然とした不安を払拭するとこができない。

 最後だって言うのに、迷ってばかりだ。

 そして、迷い着いた場所はいつかの公園だった。

「ここは……、まだあったのか」

 遊具はほぼ撤去されてしまってはいたが、杏里沙と初めて出会った公園で間違いなかった。

 僕は、ぽつんと取り残されたベンチに腰掛ける。

 未練はある。後悔なんてない。復讐なんてやめてくれ。杏里沙の望むままに。傍にいてほしい。さよならしなくちゃ。いやだ、そんなの。それでいいんだ。

 頭の中がぐちゃぐちゃになる。

 僕の決心なんて一日で揺らいでしまう程度の物なんだ。

「こんなところにいたのね。――懐かしいわね……」

 顔を上げると、杏里沙が以前着ていたダッフルコートを羽織り、僕の目の前に立っていた。

「杏里沙……。そうだね。まだ、この公園があったなんて驚きだよ。まぁ、だいぶ寂しくなっちゃったけどね」

「そうね……。あ、ほらっ、忘れ物よ」

 そう言って、杏里沙はネックレスを差し出す。

 よく見ると、杏里沙の胸元にも同じ物が光っている。

「ダメじゃない、ちゃんと身につけなきゃ。私と離ればなれになっても知らないわよ」

「――――ッ、そうだね……。――少し、話をしよう。隣、座ってくれないか」

「なに? 思い出話でもする?」

 杏里沙は笑いながら、僕の隣に座る。

「……僕は、全部思い出したんだ。君が『眠り姫』である事も、僕が『アリス』によって、記憶を封印された事も」

「やっぱり、そうだったのね。タツヤが廃人になっちゃうと思って、慌てて眠らせたのだけれど、杞憂だったみたいね」

 杏里沙は笑いながら、恐ろしいことを言う。

「いや、万が一があるからな。あれでよかったよ。……それでね、あの瞬間、どう言うわけか、……君と身体を共有していたみたいなんだ。まるで、君になる夢を見ていたように」

 杏里沙が固まった。顔色を青くしてみたり、赤くしてみたり忙しそうなのだが……。

「いや、その、杏里沙は復讐がしたいのかい? 僕は、愛しい人が復讐に溺れる様は見たくない。――見たくはないんだけど、それで杏里沙がスッキリできるなら、一緒に堕ちるのも悪くないかなって、そう思った。何を言い訳したって、醜い殺し合いなんだから……。君となら地獄の底にだって堕ちていけるよ」

 杏里沙がポカーンとした表情を浮かべている。

 僕だって、自分でも驚いている。

 一人で悩んでいたときはあんなにウジウジしていたのに、杏里沙が隣にいるだけで、どんな事でも受け入れられる。……のだが、さすがに飛躍しすぎたかな……。ひとりで堕ちてって言われたらどうしよう……。

――って、杏里沙が泣いてる!?

「えっ!? あの、何か傷つけるような事言っちゃった? そうだよね、地獄は流石に……」

「ち、ちがうの。わからない、わからないけど……。胸の中が暖かくなって、自然と涙が出てきたの。だって、あんな姿見られて、絶対嫌われたって思ったもん。それなのに、一緒に、堕ちてくれるって……。うっ……、ふ、ふえ~ん!!!!」

 まるで、子供のように泣きじゃくる杏里沙。

――――なんだ、杏里沙は何一つ変わっちゃいない。冷酷にならざるを得なかっただけだ。じゃなきゃ、心がとっくに壊れていた。

――――ああ、構わない。全部受け入れよう。君が怪物として振る舞うのなら、僕が本物の怪物になって君を守る。

「杏里沙、僕らの敵を殺しにいこう。徹底的に、一片の情けもかけずに……ね」

 僕は、杏里沙を抱きしめる。僕らの胸の中で、ネックレスが絡み合う。

 もう、事実から目を逸らさない。

 僕らがやっていることは最初から最後まで変わらない。

 ただの殺し合いで、ただのゲームだ。

 開き直りだって言われたって構わない。

 最後の最後だ、僕も杏里沙と一緒に、楽しむとしよう。

「ところで……、見た……?」

 杏里沙が、唐突にそんな事を聞いてくる。

 はて、『見た』とはなんのことだろうか。『見た』というより、『した』の方が正しいのだろうか。いや、あくまで一人称視点なだけなので『見た』の方が――

「う、うるさい、うるさい!! とぼけた振りして、辱めるなんて……! 言っておくけど、おあいこなんだから! 私の方がいっぱい見てきたんだからね! あら、私の勝ちじゃない! ばーか! ばーか!」

 杏里沙は茹で蛸のように真っ赤な顔をして、目を回しながら、支離滅裂な言葉を口にしている。

 いやー、いつのまにか、くちにでていたようだ、しっぱいしっぱい。

――――て言うか、やっぱり見られていたのか…………。

「……とりあえず、それについてはケーキを買ってあげるから手打ちにしてくれ。家に帰ったら、ケーキを食べながら、昔話でもしようか」

 まだ顔の赤い杏里沙は、黙ってうなずくと、僕の手を握り、手を引くように、歩き出した。

「そう言えば、なんでこんな所にいたの?」

 寒いのに……、と杏里沙が不思議そうに言う。

「頭を冷やしたかったんだよ。杏里沙があんな格好で寝てるから……」

「アナタって……、スケベなクセによくわからないわね。……襲おうとしないの?」

 往来のど真ん中でとんでもないことを言い出す杏里沙。

「あ、あのな……。……二十五歳の杏里沙なら、……我慢できなかったかもね」

 う、失言だったかもしれない。

 だが――――

「ふぅん…………。考えとく……」

「え? それって……」

 杏里沙の言葉の真意を聞きたかったのだが、それっきり黙り込んでしまった。


 満面の笑みでフルーツがたくさん乗ったケーキを頬張る杏里沙。

 前祝いということで、まさかのホールケーキのご指名であった。

 サイズはそれほどでもないのだが、二人で食べるには結構なボリュームである。

 そして、値段も……。

『なによ、乙女の秘密を覗き見たのだから当然でしょう? 文句あるの?』なんて言われた日には何も言えない。

 言おうものなら、百倍になって返ってくるだろう。

 まぁ、この笑顔の為なら安いものさ。

 例え、その先に白米生活が待っていようとも。

 昔話に花を咲かせながら、時間が過ぎていく。

 楽しい時間は過ぎるのが速いというが、こんなにもあっという間だとは思わなかった。

 気が付けば日付が変わろうとしていた。

「そろそろかしらね。……不思議ね、アナタといると憎しみとか、復讐とかどうだって良くなって来ちゃった。――さあ、泣いても笑っても、これが最後よ。もちろん、笑うのは私達だけどね」

 いつも通りの杏里沙。そのいつも通りの表情が、僕から迷いを取り去ってくれる。

 この戦いの先に待っているのはサヨナラなんかじゃない。

 だから今は、全力で勝ちに行くことだけを考える。

「当然だ。――行こう、杏里沙。僕らの童話戦争を終わらせに……!」

 僕らは手を繋ぎ、目を閉じる。

 どこまでも、どこまでも、落ちていく感覚。

 何もない宙に、大地が与えられ、僕らは童話の世界に降り立った。

――――開かれた目に映った世界は、とても歪なものだった。

 空は夕焼けよりも赤い色に染め上げられ、あちこちひび割れている。

 そして、大木ほどもある茨が大地を覆うように、這い回り、城や城壁を蹂躙し尽くしていた。

 無数に散らばる、切り裂かれた本の山。そこから染み出す、赤、赤、赤。

 その中心で楽しそうに、本のページを一枚、一枚、引きちぎっている、少女がいた。

 その少女――リボンカチューシャを身につけた長い髪は、ブロンドに輝いており、背中の辺りまで伸びている。眉毛は細めで少しつり上がっている。長いまつげに大きな青い瞳、高く整った鼻筋。小さめの口元は笑顔を絶やさない。そして、血にまみれた水色のエプロンドレスを纏っている――は、こちらに見向きもしないで、ただ、ただ、本を破り続ける。

 少女が、一枚千切るごとに悲鳴が聞こえ、辺りからはすすり泣く声が聞こえる。

 そして少女は、千切ったページを口に運び、ガムの様に咀嚼し吐き出す。

「嘘……、これ、全部『乙女の童話』なの……? 何なのよ……、ここは……」

 杏里沙は口元を押さえ、真っ青な顔をしている。

 おぞましいの一言に尽きる、その世界は、『不思議の国のアリス』の世界。

 世界の主の『アリス』がぬらりと顔を上げ、僕らを捉える。

 血に染まる『乙女の童話』を投げ捨て、にたりと嗤う。

「待ってたわ、眠り姫。ずっと、ずっと、ずうっとね。あなたが夢の世界に閉じ込めてくれたおかげで、私の身体はもう、バラバラになっちゃったの。お友達も、私のことなんか忘れちゃったみたい。でも、寂しくなんか無かったのよ。ほら、みんな遊びに来てくれたから。ふふっ、次から次へとやってきて、絶望に溺れながら死んでいったわ。――だって、『眠り姫』か『不思議の国のアリス』のどちらかがないと七種類の『乙女の童話』は揃わないんですもの。童話そのものになっている私に勝てる子なんていない。……でも、そろそろ飽きちゃった。あなたの心を食べて、あなたに成り代わるわ。他人の人生を送るのも楽しそうだしね!」

 アリスは、血に濡れた断頭台の刃のような大剣を構え、愉しそうに笑う。

「この状況……、復讐とか言ってる場合じゃなかったわね。タツヤ、一緒に踊ってくれるんでしょ? これ、使って!」

 杏里沙は、そう言うと僕に、ただの無骨な剣になり果てたヴォーパルソードを手渡す。

 結構な重さだが、扱えないほどではない。

「どうなっているのか知らないけど、アリスの肉体は既に存在しないのに、精神だけがこの世界に残っているみたい。それに、この世界……。どうやら、アリスは眠っていたのではなく、眠り姫として童話戦争に参加していたみたいね。つまり、お互いの手の内は知り尽くされているわ。――でも、大丈夫よ。私にはあなたがいるもの、負ける気がしないわ!」

 杏里沙が茨の刺突剣を構え、アリスに突撃する。

「ああ、二人で一気に片を付けるぞ!」

 僕は大剣を構え、駆け出す。

 杏里沙が、アリスの斬撃を受け流し、隙を作った所に、ヴォーパルソードの一撃を――――

「見てたわよ、眠り姫。よくもあんな偽物の魔法で戦ってこれたものね。私が本物を見せてあげる。――――原典・ジャバウォック。その男を喰らい尽くしなさい」

 僕は、振り上げた両手を、目の前に突如現れた、巨大なトカゲに、――――大剣ごと食いちぎられた。

 身体中を電撃が苛むような感覚。

 痛い、熱い、痺れる、熱い、痺れる、痛い、痛い、痛い。

「――――――! ――――!」

 杏里沙の叫び声が、耳鳴りで聞き取れない。

 そのまま地面に転がり、倒れ込む。

 必死に歯を食いしばる。

 立たなきゃ、このまま倒れていたら、確実に終わる。

 だが、両手が無いのに、何ができる?

「殺す! 殺してやる! 禁を破りし者に、我が呪いを解き放て! 『永久に眠りし森』!!」

 杏里沙は悲痛な声をあげ、制限解除された禁呪を放つ。

 だが、それは――――

「効かないわよ? 私は、『アリス』であり、『眠り姫』でもあるのだから、当然よね?」

 発動した禁呪はアリスに届く前に霧散してしまう。

 虚を突かれ、杏里沙は棒立ちになる。

 そこに、アリスの大剣が、杏里沙の胸を切り裂いた。

「――――ぁ、ごめん、タツ――」

 斬り伏せられ、膝をついた杏里沙に断頭台の刃が振り下ろされた。

 ――の、首が転がる。首のない――の身体をアリスが暴く。

 ――の切り裂かれた胸から心臓をえぐり出し、口に運ぶアリス。

 アリスは、まるで、果実でもかじるかのように、ソレを咀嚼する。

「あ……、ああ、ああああああああああああああああああああ!!!!」

 嘘だ、嘘だ、嘘だ! こんな、こんな事って! こんな……。

「ジャバウォック~? まさか、剣を呑み込んだぐらいで死んじゃったの? 本当に、歌の通り大したことないんだから。……どうしようかしら、コレ」

 感情のない瞳で、アリスは僕を見つめる。

 どうする、どうすれば殺せる?

 食いちぎられた骨で刺し殺すか?

 足で絞め殺すか?

 そうだ、僕には歯がある。これで噛み殺せる。

 なんだっていい、殺す殺す殺す。

「あら、いい眼をしてるわね。えぐり取ってあげようかしら。あなたの『眠り姫』、とっても美味しかったわよ。――あはは、なにそれ、犬の真似? そうだわ、這いつくばって、私の足をお舐めなさい。そうしたら、命だけは助けてあげる。いいえ、それだけじゃない。あなたをパートナーにしてあげるわ。二人であの世界をグチャグチャにするの! うんうん、すごく楽しそう! わかったら、早く、舐めて」

 アリスは、――の頭を蹴り飛ばし、僕の目の前に足を差し出す。

――――待て、何かがおかしい。

 なぜ、杏里沙は『乙女の童話』にならない?

 今まで、『童話少女』の最後は『乙女の童話』へと姿を変えていた。

 死体が残るはずはないんだ。

――――だとしたら、これは……。

 だが、どうやって抜け出す?

 この『悪夢』から抜け出すにはどうすればいいんだ?



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