シンデレラ4
――咄嗟にタツヤを眠らせたものの、もしかして、『十二時の鐘の音』でタツヤの『名無しの森』は解呪されてた……?
ま、いっか……。万が一って事もあるしね。
気を取り直して、私――『西園寺杏里沙』こと、『眠り姫』は、明らかに狼狽するシンデレラに向き直る。
「『やってくれたわね』って言えばいいのか、『ありがとう』って言うべきか悩むところね。ひとまず、残念でした。私は『アリス』の皮を被った『眠り姫』だったの。私のこの魔法、ちょっと厄介で自分では解除できないのよ。そうね、さっきの鐘の音は、『アリス』という夢から目覚める為の目覚ましのベルだったわけね。うん、まぁ、そういう事なら……。起こしてくれてありがとう、一応、お礼言っておくわ」
私はドレスの裾をちょんと摘み、一礼をする。
「な、なんですって……、そんな話聞いた事ないわ! 『不思議の国のアリス』が『眠り姫』!? こんなのって……、悪夢だわ……」
シンデレラは、青い顔をしてよろける。
ほんの少しだけ、申し訳ない気分になる。
勝利からの急降下だものね、まさに、絶望って感じ?
「切り札のエースをジョーカーで返されちゃったわね。どうする? 続ける? アナタのおかげで私の手札は増えたわけだけど。今ならお礼に、安らかに……、眠るように……、終わらせてあげるわよ?」
私の問いかけに、泣きそうな顔になりながら、シンデレラはガラスの剣を構える。
――うーん、どうも自分が悪役に思えて仕方ない。
でも、シンデレラの被虐的な瞳を見ているとゾクゾクするというか、悪役も悪くないかなって。
いや、そもそも、世界を滅ぼすなんて考えている輩に同情なんていらないでしょう?
私は、ヴォーパルソードを持ち上げようとしたのだけれど――やはり、『アリス』としてのリンクが切れているようで先程までの羽根のような軽さが嘘のように重い。
残念だけど、この重さでは振り回す事はできないみたい。
――となると……、別の武器ね。しかし、これは……、仕方ないよね。
私は手の中に、茨でつくられた鞭を創り出す。
殺傷――ではなく、痛みを与える事を目的としたこの武器は、私の趣味……、ではないわよ! 手持ちがこれしかなかったの!
――ほら、明らかに怯えた顔をする。
シンデレラは、そういう顔が嗜虐心を煽るって気がついてないみたいだわ。
…………、少しだけ、説得力が足りなかったわね……。
「これ……、痛いわよ? ほら、ちょっと触れただけでも血がにじむの。当たったら、皮が破れ、肉が裂け、骨が軋む……。掠っただけでもずるんといくでしょうね」
あれ? もっと、『こんな悲しい戦い止めましょう』とか、『復讐なんて何もならないわ』とか言うべき言葉が有ったはずなんだけど……。
――やっぱり、タツヤを寝かしておいて正解だったわね。
私は、鞭をしならせ、地面に叩きつける。
気持ちのいい音が響いて、シンデレラは、小さな悲鳴を上げた。
「わた、わたしはっ……! あなたなんかにっ――ひゃあ!」
口答えしてきたので、シンデレラの足元を狙って鞭を打つ。
「――ああ、話遮っちゃってごめんなさい。……続けて?」
シンデレラは、何もいわず、頭を抱え震えている。
反抗的な態度だったので、私は更に、鞭を打ちつける。
「いやああああ! 兄さん! 助けて!」
「兄さん……? あの辛気臭い男の事?」
「兄さんは……辛気臭くなんて、ないです! ひぅっ! やだぁ、なんなのこの人……。怖いよ……、助けてよ……」
シンデレラはとうとう泣き出してしまった。
しかし、なんなのと来たもんだ……、そんなにヘンかしら……?
「そこまでだ――、シンデレラ、何をしている。――――これは……、驚いたな、普通の少女では無く、別の『童話少女』になったとでもいうのか。魔法の重ね掛けか……? まぁいい、シンデレラ、やるべき事は何も変わらない。出し惜しみをする必要はない、全力で討ち倒せ」
私の背後から現れた男――シンデレラのマスターだ。コイツが兄さんって事ね――は、落ち着いて指示を出す。
「そう……ですね、私としたことが……。眠り姫、あなたを二度と覚めない眠りにつかせてあげましょう」
シンデレラは強い意志を秘めた瞳で私を睨む。
「ふふっ、できるもんならやってみなさい。さっきまでガタガタ震えてた癖に、男が出てきた途端に見栄張っちゃって、バカみたい」
煽るのも作戦のうちよ。
…………、べつに、さっき『控え目』って言われたことを根に持っている訳じゃないんだから。
シンデレラは眉をひそめて、私ににじり寄ってくる。
後ろの男を攻撃してもいいんだけど――――やっぱりね、何か仕掛けてあるわ。
男の周りで、僅かに光が反射している。
マスターとは、最大の弱点であると同時に、最悪のカウンタートラップを有しているもの。
赤ずきんの時は少し焦ったわ……。井戸に落ちるっていう単純な呪いだけど、全然抗えなかったもの。タツヤがトドメを刺してくれていなかったらと思うとゾッとする。
ちなみに、私のタツヤを殺した場合、この世界丸ごと百年眠らせてあげるわ。
――当然、アッチの身体は腐り果てることでしょうけど。
ま、そういう訳で、男は無視。
シンデレラの相手なんだけど……。そう言えば、こんなのもあったわね。
私は、手の中の鞭を編み、茨の剣を作る。――奇しくも、シンデレラの得物と同じ、刺突剣。……うん、いいわ。この方が盛り上がるでしょ。茨の鞭で相手を刻んでいくなんて悪趣味すぎるものね。
「あなたも、同じ武器で戦うというのね。いいでしょう眠り姫、私の最後の試練に相応しいわ」
何か一人で納得しているシンデレラ。きっと、内心ホッとしてるんだわ。また、鞭に切り替えたらどんな顔するのか見ものだけど――――遊ぶのはここまでにしておきましょう。
シンデレラが射程範囲に入る。
私は道を譲り、同じ高さになるように促す。
というか、階段で戦うなんて器用な真似できないわよ。
ここは夢の世界――ある程度は想像力がカバーしてくれるけど、それも万能ではない。
さて、フェンシングなんてしたことないのだけれど――私は、想像する。一閃のうちに相手を断ち切る技、目にもとまらぬ速さで突きを繰り出し、相手を穴だらけにする技。
――うーん、後者はイマイチね。
この剣、茨だから引っかかってしまうわ。酷い絵面になりそうだし。
やっぱり、この剣の利点を活かすなら、アレよね。
シンデレラが大きく息を吸い込み、吐き出す。
「緊張しているのかしら? ほら、もっとリラックスして」
「……行きます!」
ご丁寧に、かけ声をかけて踏み込んでくる。
何の面白味もない刺突――それを私はスパゲティでも絡み取るかのように手首を返し、茨の棘に引っ掛け、引きずり込む。
シンデレラの顔がすぐ目の前に来る。
驚きに目を見開き、唇を震わせている。
その瞳に映る私の顔は、とても楽しそうに笑っていた。
「どうしたの、シンデレラ? 私の顔に何か付いてる? そんなに見つめられると照れるわ。……あら、アナタ、もう『堕ちた童話』使ってたのね。――匂いで判るもの、カビた古書のような匂いと、――はしたない雌の匂い」
自分で自分に酔っている、フワフワした酩酊状態。
顔を紅潮させるシンデレラの唇を奪い、私は告げる。
「――まずは一回。あと二回で、アナタの意識は闇に堕ち、もう二度と目覚めることはない。ええ、アナタに安らかな眠りを与えてあげるわ」
シンデレラは私を突き飛ばし、唇を手で押さえる。
「なに……するんですか!? 兄さんの前でこんな……ぐっ、そういうことなのね……『眠り姫』」
目をこすり、必死で睡魔に抗おうとするシンデレラ。
そういうことなのです。決して、そっちの趣味があるわけではなく、単にそういう呪い方なだけなのです。
「お兄さんの前でズタズタに引き裂かれるよりいいでしょう? 女の子同士キスするなんて、お兄さん興奮しちゃうかもしれないけど――――そこのお兄さん、わざわざチャンスをあげてるんだから邪魔……しないでね?」
念の為、シンデレラのマスターに牽制をかけておく。
まぁ、飛びかかってくるぐらいの気概を見せてくれる方が楽しいんだけど……。
「くっ、バカにして! 後悔……、させてやる……」
シンデレラはそういうものの、足取りがおぼつかない。
――これは、もう一回くらいで堕ちそうだわ。
頭を振りながら、一歩一歩、近寄ってくるシンデレラ。
前髪から覗くシンデレラの目が私を捉える。
――――甘い、のよね……。
飛び込み、私の首を狙ったシンデレラの一撃を茨の剣で軽く受け流す。
そもそも、首を狙うのはトドメであって、当てやすいのは胴体、若しくは腕だと思うのだけど――――こんな風に。
剣の柄の部分をシンデレラの無防備なわき腹に叩き込む――あ、そう言えば、さっきへし折った肋骨は治ってるのかしら。
声にならない悲鳴をあげて、シンデレラは血の混ざった吐瀉物を吐き出す。
真っ青な顔をしてヨロヨロと立ち上がるシンデレラの顎をあげて唇を貪る。
「んっ、んんんっ……」
シンデレラは、抗議のうめき声にも力がない。
もちろん、横目で、シンデレラのマスターを盗み見るのも忘れない。
捨て身でかかってくるような真似はせず、ただひたすらジッと耐えている。
――きっと、まだ切り札を残しているのね。
私は、シンデレラの唇を嘗めとり顔を離す。
不快な筈の味も、この状況では甘い蜜のようにすら感じる。
シンデレラはもう、蕩けるような顔――微睡みの誘惑か、それとも……、私のキスで感じちゃった? ――で視点が定まっていない。
「――あと一回……。もういいのよ? アナタはよく頑張った。何も考えずに眠ってしまいなさい……」
私は、心にも無いことを口にして、シンデレラに微笑みかける。
「わた……しは……、この世界に……復讐……、こんな……終わり……、認め……」
うわごとを呟きながら、睡魔に抗う、シンデレラ。
「復讐ね……。甘美な響きだけど、きっと報われないわよ? 仕返ししたところで、無くしたものは帰ってこないもの。そんなのより、もっと前向きに――――できないから、今ここにいるんだけどね……」
思わず、ため息がでる。
結局、この戦いに参加しているのは、ネガティブで、弱者で、――どこか狂っている人間ばかり。
要は、似たもの同士が殺し合っているのよね。
『世界平和を望む』なんて高潔な人間は、きっと別な戦いを同じ様な高潔な人間と繰り広げているに違いないわ。
「私……はッ! 負けない……!」
歯を食いしばり、震える手で、シンデレラは自分の腿にガラスの剣を突き立て、ひねる動作を加え傷口を広げる。
傷口から溢れ出す血がガラスの剣を赤く染めた。
――うわ、痛そう。そんな事しても、あと一回なのは変わりないんだけど、それは黙っておこうかしら。
シンデレラはふらふらと後ずさりながら、再び剣を構える。
シンデレラの足元に、ぽたり、ぽたりと血のたまりができる。
「大した根性ね。解呪の鐘で『童話少女』を無力化して、弱いものいじめに勤しんでいたなんて、とうてい思えない程よ。ねえ、一つ聞きたいんだけど、無抵抗の相手を殺すってどんな気分なの?」
私は素朴な疑問を口にした。ただの興味本位で、決して皮肉ではない。
タツヤなら、『杏里沙は、侮蔑を含んだ表情で、シンデレラを断罪する』とか言い出しそうなものだけど――本当にぐっすり寝ているわね……、起きるのかしら、これ……。
「うるさい! うるさい、うるさい、うるさい! 私が全部終わらせるの! お前を、殺して! あんな、残酷な世界!」
――――残念、話が通じてないみたい。
まったく、そんなに嫌なら、私やタツヤみたいにひっそりとこの世を去ればいいのに。
説教する気もないので、無言で剣を構えて、シンデレラの出方を窺う。
どうでもいいけど、狂気に歪む顔っていうのは、どうしてこう心が惹きつけられるのかしら。
敵のはずのシンデレラが愛しく思える程よ。
――ああ、早く安らかな眠りを与えてあげたい。
シンデレラの刺突に合わせて、その剣を絡め――フェイント!? ――なんて、予測の範囲だわ。
シンデレラは引っ込めた剣を腰だめに構えて突撃してくる。
――ダメね、足を怪我してるせいで全然勢いがないじゃない。
私は、その捨て身の攻撃を軽くいなし、シンデレラの手を取りワルツを踊るように向き直らせる。
「つ・か・ま・え・た♪ ゲームオーバーよ、シンデレラ。それじゃあ、おやすみなさい」
「それは――どうでしょうか?」
脂汗を額に浮かべながら、不敵に笑うシンデレラ。
唇が触れる瞬間、背後に魔力の発動を感知した。
「なっ――――!?」
チッ、ふらふらしながら、ちゃっかり魔法陣を描いてたなんて……!
おまけに血で描かれたものは、割と強力な魔法って相場が決まっている。
鐘の音が逆再生のような音色で響き、シンデレラのドレスが煌びやかなものに戻る。
「再び『アリス』に戻りなさいな。あの大剣相手なら、もう遅れは取りません。今度こそ終わりよ――――どうして……、戻らないのよ!?」
シンデレラは絶望の色を顔に浮かべ、絶叫する。
逆再生の鐘の音は止んだが、私に変化はない。
「つまりね――――」
私は、有無をいわさずシンデレラにトドメを刺す。
「ぁ――――――」
甘くて、濃厚な蕩けるヤツを最大級の感謝と恨みを込めて。
唾液の糸を引きながら唇を離した時には、シンデレラの意識は二度と覚める事のない闇に堕ちていた。
「――――私にとって一番面倒くさくて、一番憎い敵が、目を覚ましたって事よ。――私はね、起きてる『童話少女』の夢を見ることは出来ないの」
もう、話す事も聞く事もできないシンデレラに語りかける。
シンデレラのマスターは、それを見て、階段から身を投げ、深い闇に消えていった。
――ふん、能力に頼りすぎているから、何も策が浮かばずに逆転できないのよ。つまらない男だわ。
こうして戦いの結末は私にとって物足りないものとなった。
でもいいの、私が『アリス』に戻らなかった以上、『アリス』はこの『童話戦争』に復帰しているということ。
タツヤの記憶を『名無しの森』で奪い、私に十年間の孤独を味わわせたアイツが――――。
「ふ、ふふっ、あははは、あはははははははははははははははははははははははははははははっ!! やっぱり、神様っているのね! 最後の最後にこんな素敵なサプライズを与えてくれるなんて! 待ってなさい『アリス』。アナタに十年分の――いいえ、百年分の屈辱を味わわせてあげるわ!」
私は、薄灰色の本を抱きしめ、心の書庫にしまい込む。
残りの空白は、一冊分――『不思議の国のアリス』の為の空白。
これが埋まればタツヤともお別れ……か。
穏やかに眠るタツヤの横顔をそっとなでる。
ごめんね、タツヤ。でも、私――――――――もう、戻れないもの。
消えゆく世界の中、私は一人、明日の戦いに恋い焦がれ、昴る熱を慰めていた。