シンデレラ3
そして、僕らは童話の世界に潜る。
――シンデレラが次の相手よ。……今更、作戦も何もないわね。私が全力でぶつかる。アナタが攻略法を閃く。……いつも通りよ――
数刻前のアリスの言葉を思い出す。
それだけ言うと、アリスは月時計で買ったネックレスを手に取り、ぼうっと眺めていた。
――結局、無くしたら嫌だとの事で戦いには着けていかなかったが……。
深淵を落ちた先は、満月の輝く夜の世界だった。
僕らは降り立った街道を道なりに進む。
不気味なほど静まり返った道の先には、ぼんやりとした光に照らされたお城が見えた。
あれがシンデレラの『拠点』だろう。
――『拠点』か……。
「そう言えば、『拠点』で『禁忌』を犯すと、『童話少女』は童話の真の姿を解放する事ができる――みたいな話だったけど、具体的にはなにをするんだい?」
僕の問いかけに、アリスの歩みがピタリと止まる。
「『堕ちた童話』の事? ……文字通り『禁忌』よ。童話としての在り方を失墜させる行為――残酷な儀式とか、アブノーマルな……、せ、性行為とか……」
僕は思わず吹き出す――いや、可笑しくて、ではなく、だって……嘘だろ?
確かにそんなもの、子どもに読み聞かせなんて出来たものではないが……、いや…………奈々枝!?
しかも、アブノーマル!?
い、いや……、止めておこう。
想像するのは、もはや、不謹慎ってレベルじゃない……。
しかし……、なぁ……。
「だって、その……、前回はそんな時間なかったよな? 他にも方法があるんじゃないか……?」
これは、奈々枝の名誉の為に聞いておかなきゃいけないんだ!
――誰に言い聞かせてるんだ、僕は……。
「さ、さぁ……、例えば……姉妹とかなら……、キスでも、『禁忌』になりかねない……、かもね。あとは、『童話少女』とその『マスター』の同調率が限界値まで達していないと発動できない――その点、あの二人は双子だったのだから、完璧だったのでしょうね。そうそうあることではないわ――だから、この話はおしまい! ……とはいえ、私も気になるところではあるのよ。……ばかっ! そういう意味じゃないわよ! 何故、『禁忌』で童話の真の姿が解放されるかって話よ! 『拠点』は童話の心臓部――つまり、オリジナルの童話世界そのものなの。オリジナルの童話って、結構残酷なお話が多いのよね……。だから、そういった『刺激』がトリガーになって童話を目覚めさせてしまうんじゃないか……ってね」
「そ、そっか……。童話って、改編されてるだけで、おおもとは結構ドロドロした話、多いもんな」
アリスの説明にひとまず納得する。
しかし、圧倒的なあの力があれば――
「まさか、『堕ちた童話』を発動させれば――なんて、考えてるんじゃないでしょうね。はぁ……、アナタって顔にすぐでるのよね……。――使用可能回数は、全ての戦いを通して、一度のみ。これはまぁいいわ。――問題は、下手をすると童話に取り込まれてしまうという事よ。心も身体も童話の登場人物になり、永遠にこの世界で生き続ける事になる。……あら、これだけ聞くと悪くなさそうって顔してるわね。――いい? 例えば、私なら『西園寺杏里沙』という人格が消滅して、……『アリス』という人格になるの。それって、一般的な『死』とはまた違う概念の『死』よね。『死』ではないのだから、生きている。でも、そこに私はいない。――結局、そうなったら私はどうなっちゃうのかしらね」
アリスは、複雑そうな表情を浮かべている。
『西園寺杏里沙』は死に、『アリス』が誕生する……のか?
輪廻転生のようにも思えるが、自分が自分で無くなるって事だから、多重人格障害?
――いや、でも、戻れなくなるんだろう?
……頭を悩ませた所で仕方がない。
「ま、そういう事ね。それが『終わり』で、『敗北』という事には変わらないんだから、考えるだけ無駄よ。安易なチートに頼らず、自分たちの力で勝ち残りましょ」
アリスは話をまとめ、また何もない街道を歩き出す。
『チート』か……、確かに『ヘンゼルとグレーテル』の世界で体験したあれは『チート』以外の何物でもなかった。
登場人物ではないものを消し去ったり、何もなかった空間に、さも最初からあったかのように、磔台を出現させたり……、まさに何でもありだった。
でも、それも『アリス』の――頭がズキンと痛む。
魔女の因子……? とか、言っていたな。
――頭痛が酷くなる、思い出すなという呪い。
酷い頭痛に、思わず呻き声が漏れそうになるが、すんでの所で呑み込む。
僕は、この先で待つシンデレラへの対処法に思考を切り替え、頭痛から逃げ出した。
「これだけの道のりに何も配置しないなんて、手抜きもいいとこだわ」
アリスは、長い街道の先に、待ち構えていた二人組に文句を言う。
「すみません。生憎、手札は残りわずかなんです。だって、今夜で全てが終わるんですもの」
プラチナに輝くロングヘアー――前髪をカチューシャで押さえてある――は、外側に広がるように波打っており、少女の動きに合わせて、さらさらと流れる。
ディープブルーの瞳は深海を思わせ、見ていると、どこまでも吸い込まれそうだ。
そして、ペリドットのような黄緑色の煌びやかなイブニングドレスに身を包んでいる。
その少女はシンデレラ――女の子なら一度は憧れるであろう夢のお姫様だ。
その傍らに佇む青年は、暗い眼差しで僕らを見ている。
「君は何を願い、ここに立っている? 願いに手が届きそうになった今更になって、他人が何を願うのか気になってね。もしよかったら、答えてくれないか」
青年は、冷たい顔で、僕に問う。
「他者の救済……とでもいうのかな。今の僕にはそれしか叶えたい願いがない。そっちはどうなんだ?」
杏里沙との約束で自分を騙し、偽りの願いを口にする。
答える義理などないと、斬り捨ててもよかったのだが、その暗い顔が何を望んでいるのか、つい気になり、応じる。
「救済か……。私の願いも救済だよ。ただし、そこには自分も入っているがね。私は、この醜い世界から救われたい。彼女も他の人たちも、救いあげたいんだ。人間の悪意に満ち溢れた穢らわしい心を昇華し、善性のみの世界を作る。
それが私の願いだ」
青年は、自嘲気味に笑う。
――馬鹿にするつもりではないが、正直、何を言ってるのかわからない。
「つまり……、どうしたいんだ?」
「滅びと再生だよ。この世界から、悪意を取り払った所で、その病巣は善意の人々まで蝕んでしまっている。白が黒に染まるのは容易い事――もう、我々に純白な心など残されていないのだよ。だから、悪も善も全て滅ぼし、その上で善のみの世界を作る。それが私の願いだ……」
この青年は、狂っている。
こんな願いは否定しなければならない――のだが、僕らは何も言えずにいた。
社会の慣習や、常識、嫉妬、侮蔑……、そういったものに嫌気が差し、社会から爪弾きになった僕。
そして、長い年月を他人からの悪意にさらされ続けた杏里沙。
お互い、一度は思っただろう――こんな世界無くなってしまえばいい――と……。
青年の言葉が、麻薬のように思考を侵す。
そんな結末も、悪くないのではないか。
どうせ、この戦いが終わった先に、未来なんてない。
だったら、彼の願いに縋っても――杏里沙を差し出すつもりか?
それは、どうせ死んでしまうのなら、殺されるのも一緒だと言ってしまうようなものだ。
――その二つの意味は全く異なる。
死を迎えるのと死を与えられるのでは、人生という旅路の終着点の意味が変わってくる。
僕は、自分の愛しい人の終着点を決められるなんてまっぴらごめんだ……!
「杏里沙、遠慮する必要はない。いつも通り、僕らの願いのために打ち負かしてやろう」
僕は、青年を睨むようにして言う。
「え、ええ! ……私はまだ、あのネックレスを着けてないんだから、こんな所で終わるつもりはないの! 残念だけど、終わりが望みなら、どうぞ、独りでご勝手に」
僕らの決意は固まった。
「そうか、十二時の鐘までには終わらせたかったのだがな。理解が得られなくて残念だよ――シンデレラ、後は任せたぞ」
青年の言葉と共に、シンデレラはガラスで出来た刺突剣を構える。
青年は、背を向け『拠点』の中に消えていった。
「私は、最初から理解されるとは思ってませんでしたけど。安穏としたあなた達にはどうせ理解の及ばぬ話。せいぜい無様にやられてしまいなさいな!」
シンデレラは、豹のようにしなやかに跳ね、アリスに刺突を繰り出す。
蜂の一刺しを思わせるその一撃は、アリスの心臓を狙ってのものだ。
だが、正確な狙い程、対処しやすいものはない。
アリスは難なくその軌道に斜めにヴォーパルソードの刃を入れる。
突き出されたガラスの剣は大剣によって音を立て粉砕され――何事も無かったかのようにアリスの胸に吸い込まれる。
アリスが踏み込まず、引くようにして切り払ったのが幸いしたのか、ドレスの布地を僅かに引っ掛ける程度で事なきを得た。
「ふぅん……、もっと大胆な方を想像していたのだけど……。剣だけを狙ってくるなんて控え目な方ね。まあ……、控え目アンド控え目のおかげでこちらは初手空振りに、終わってしまったのですけど」
腕を引く動作に合わせて、後方に跳んだシンデレラの憐れみの視線がアリスの胸に注がれている。
「――はんっ、どっちにしろ距離が足りてないのよ。腕が短いのか、踏み込む足の長さが足りないのかしらないけど、アナタには不向きな武器なんじゃない? ああ……、足りないのはその考えに至らない頭の方だったわね!」
言われたら倍以上にして返すアリス。
――そして、それは口げんかに限ったことではない。
アリスは、即座に大剣を振り抜くと、それは唸りを上げ、鞭のようにシンデレラに襲いかかる。
大剣という概念から大きく外れたその挙動に、シンデレラは目を見開き、転がるように回避行動を取った。
だが、大剣は意志を持っているかのようにシンデレラに猛追し、その無防備な背中を引き裂く――瞬間、魔法陣が発動し、シンデレラの身体はガラスのように砕け散った。
「騙し討ちみたいな真似をするなんて、気に入りませんね。見せ掛けで人を騙し、取り入り、貶める。私の嫌いなタイプの人間だわ」
粉微塵になり、キラキラと輝き舞いながら、シンデレラはアリスを非難する。
やがて、それは元のシンデレラの姿を形成し、さらに、それと全く同じものを作り出した。
二人のシンデレラは、寄り添うようにして、佇む。
「それ……、アナタが言えたこと? まったく――、被害妄想ばかりで自分が見えてないんじゃないの? そんなんだから、人類の滅亡なんて頭のおかしな願いに賛同できるの……よっと!」
アリスが再び、大剣を横薙ぎにすると、弧を描き、咆哮を上げながら、シンデレラに巻きつき締め上げる。
一方のガラスが砕け、もう一方のシンデレラも――砕け散った。
「しまっ――――」
「――ええ、その通り。自己矛盾は重々承知ですよ。だって、私の人生はそれの繰り返しでしたもの」
いつの間にか、アリスの背後に立っていたシンデレラは、アリスに刺突剣を突き刺し、その背を穿つ。
――それは幻視だ、なぜならそこにアリスの姿はなかったから――
虚空を漂う紫色の縞模様の尻尾が、ひらりと揺れ、溶けるように消えた。
「理解しながらも、あくまで被害者を演じたいって事ね。いいんじゃないの? やられ役にぴったりで!」
虚空から現れたアリスの近距離からの一撃は、シンデレラに直撃し、その身体を吹き飛ばした。
シンデレラは転がりながらも体勢を立て直すが、ダメージの大きさに膝を着き、激しくせき込む。
「チッ……、慣れないもの使ったせいで、手元が狂ったわ」
アリスは手首を押さえ、顔をしかめる。
大剣は確かにシンデレラを捉えていたのだが、平打ちの状態であったため、斬り伏せる事はできず、シンデレラの肋骨の二、三本をへし折る程度に止まっていた。
対して、アリスは右手首を捻挫――もしくは、亜脱臼してしまったようだ。
武器を振るう手を損傷した分、アリスは貧乏くじを引いてしまったと言わざるを得ない。
現実世界に戻れば消え去る傷も、童話世界にいる限り、治癒の魔法や自己修復の魔法でなければ、大怪我を瞬時に治すことはできないのだ。
シンデレラは、追撃がこないとみるや否や、『拠点』に向けてよろよろと駆け出す。
「待ちなさい! ――ッ!?」
追駆しようとするアリスの前に、カボチャ頭の雑兵が地面から多数生えてきて立ちふさがる。
「まさか、シンデレラも『堕ちた童話』を!?」
「その可能性が高いわ。早く止めないと!」
アリスは片手で大剣を薙払い、カボチャ頭を粉砕していく。
だが、両手持ちに比べて動作に無駄が出てしまい、殲滅速度は思わしくない。
「杏里沙! こいつらは無視だ! フックショットの要領で飛び越えられないか?」
「フックショット……? ――ええと、ヴォーパルソードを打ち出して、どこかに引っかければいいのね? わかったわ、ちょっと手伝って!」
僕らは、カボチャ頭から距離をとり、シンデレラを見据える。
――目標は、その脇に建ち並ぶ街灯だ。
僕は、後ろから抱きしめる様な格好で、杏里沙の左手に両手を重ねる。
「いくぞ! せーのっ!」
かけ声と共に大剣を大きく振りかぶり――大剣の刃が弧を描いて、虚空に伸びていく――そのまま、振り下ろした。
大剣が街灯に巻き付くのを確認し、僕らは、宙へ――飛んだ。
大剣の軌道を沿うように、僕らは、街灯に引き寄せられる。
ジェットコースターさながらの急降下、急上昇、きりもみ回転、――そして、大絶叫。
僕らは、滑るように階段の踊場に着地し、シンデレラの前に立ちふさがる。
「――タツヤ、後でもう一回!」
「勘弁してくれ……、うぷっ」
目を輝かせながら、興奮するアリスだが、正直、二度と御免だ。
右手首を回し、直り具合を確認したアリスは、大剣を両手で持ち、シンデレラに刃を向ける。
――その時、十二時を告げる鐘の音が、辺りに響き渡る。
「もう、夢の時間は終わりよ、シンデレラ。現実に戻って叶わぬ夢を見続けなさい」
シンデレラのドレスが、次第にみすぼらしい物に変化していく。
「そうですね、夢を見るのはもう終わりです。――あなたもね、杏里沙さん」
シンデレラは、『杏里沙』の名前を呼び、同情の目を向ける。
「なん――ですって……?」
「この鐘の音は、魔法を一段階打ち消す解呪の鐘の音。魔法は解けて、『シンデレラ』は『灰かぶり』に、――『不思議の国のアリス』は病院のベッドの上で眠る『無力な少女』に……ね」
勝利を確信し、シンデレラは冷たく嗤う。
アリスの身体は霧が晴れるように姿を変え、やせ細り、やつれきった『西園寺杏里沙』に――――
えっ? という声は誰の物だっただろうか。
『アリス』が姿を変えたのは現実世界の『西園寺杏里沙』ではなかった。
杏里沙は、煌びやかな青いドレスを身にまとい、王女の証である銀製のティアラ――大小様々な大きさのダイヤモンドがはめ込まれている――を付けていた。
「杏里沙……、その姿は一体――」
僕の目の前でパチリと杏里沙が指を鳴らした――直後、僕の意識は、ブレーカーを落としたように、闇に堕ちた。