第三話 いつものこと
高森君は学校に来なくなりました。
何が起こったのか、あの日学校を早退していた毒島さんは知る由も無いはずでした。毒島さんが高森君に利尿剤を盛ったという証拠なんてどこにもないわけですから、高森君の不登校の原因と毒島さんを結びつけて考えることなんてできないはずです。
でも、クラスの人はみんな毒島さんを疑っていました。
証拠もないのにハナから毒島さんしか疑っていませんでした。みんなが遠巻きに毒島さんを眺めながら、おびえたような顔をして、ひそひそとなにか噂しています。
それはなにも今に始まったことではありませんでした。
ウサギ小屋のウサギが死んだときは毒島さんが動物実験の末に殺したことになったし、学校に大量のバッタが侵入してきた時も毒島さんが仕組んだことになりました。多分、火事が起きれば毒島さんが火をつけたことになるし、地震がおきれば毒島さんがナマズの髭を引っ張ったことになるのでしょう。
……まぁ実際、そういった事件の中には本当に毒島さんが引き起こしたものも少なくはなかったわけですが。
しかし、これは毒島さんにとってはいい傾向でした。
こうやって不気味がられたり、恐れられたりしているうちは、みんな毒島さんを一人にしておいてくれるのです。そうでなければ自分はクラス中からイジめを受ける存在であることを毒島さんは分かっていました。
持ち物や机を汚されたり、あるいは暴力を振るわれたりするよりは、こうして距離を置かれたが百倍いいのです。それでなくてもあんな頭の悪い連中とつるむなんて毒島さんは願い下げなわけですけどね。
それはそれとして、高森君とほぼ同時期に学校に来なくなった人がいました。川崎さんと言って、とても愛想がよくて顔も可愛い、男子からも女子からも好かれる、毒島さんと対極に位置するような女の子です。
川崎さんは高熱を出して家で寝ているらしいのです。毒島さんは彼女になにもしていませんから、多分本当に病気で熱を出しているのでしょう。気味がいいなと毒島さんは思いました。
そして、やっぱりそれも毒島さんの責任になりました。
「ブス島が高森君と川崎さんに変な薬を飲ませたに違いないわ。だって二人ともクラスの人気者だから、あいつ嫉妬したのよ」
人気に嫉妬? ありえないことです。
毒島さんはどんな罪をなすりつけられても全然構いませんが、こんな風に『本当はみんなの仲間に入りたいけど出来ない奴』扱いされることだけは許せないのでした。私をお前らと同次元で考えないでくれ。
毒島さんがクラスの中心的な人物を二人も葬った(ことになった)ので、いつもは怖がって遠くから悪口を言うだけだったクラスメイトの中にも、段々不穏な空気が流れ始めました。
「俺、いくらなんでも、何もして無い奴らに毒を盛るなんて許せないな」
誰かがそういって、何人かが同意しました。
毒島さんはそれもまた聞いていました。誰も隠そうとしないのだから聞こえて当然でした。そういう正義漢ぶった考え方には吐き気がします。まるで自分たちは正しいということを前提にした考え。何もしてない奴に毒なんか盛るか、と毒島さんは心の中で毒づきました。
……だから、というわけではないのですが、度重なる理不尽に嫌気がさしてきたのでしょう。毒島さんは自分でも信じられないような行動に出ることにしました。その日の夕方、病気で寝ている川崎さんの家を訪れたのです。
「クラスメイトの者です。学校のプリントを届けに来ました」
そう言うと、川崎さんのお母さんはほとんど疑いもせずに毒島さんを通してくれました。ただ一瞬、風邪ひき用のマスクをしている毒島さんをみて怪訝そうな顔をしただけでした。
毒島さんは大手を振って川崎さんの部屋へと入ることができました。
ベッドの上で、川崎さんが押し入ってきた強盗を見るような目で毒島さんを迎えました。パジャマ姿で、ベッドの脇にはポカリスエットが入ったコップが置かれています。
川崎さんは本当に病気のようでした。顔を見ただけで毒島さんにはその大体の症状が分かりました。そして同時にこう思いました。
ああ、この子はかわいいな。こんな顔だったら人生変わっただろうな。
「あんたの病気……私が毒を盛ったせいらしいね」
と、毒島さんは言いました。川崎さんは震えるばかりで、何も答えませんでした。
「私には何の覚えも無いけど、もし私のせいで誰かが病気になったとしたら、それはとても心苦しいし、できることならなんとかしたいと思うわけよ」
うんうんうん、と壊れたロボットみたいな動きで川崎さんが頷きます。まるで私が脅しているみたいじゃないか。何をそんなに怖がることがあるんだ、そんな恵まれた顔をして。
毒島さんはそんな風に思っていることを少しも顔には出さず、マスクの下で不気味な微笑を浮かべながら、川崎さんにいくつか質問をしました。
熱はどれぐらいあるのか。
咳は出るか。
下痢は? 他の症状は?
のどの奥を見せなさい。
毒島さんのお医者様気取りの尋問に、川崎さんは言われるがままに答えました。診断が終わると、毒島さんは持ってきた鞄を開けました。その中には大小さまざまな薬瓶が入っていて、その中から、同じ形をした三本の細長い薬瓶が取り出されました。またしても瓶にラベルはなく、中は透明な液体に満たされています。
「毎食後、瓶の半分ずつ飲みなさい。医者にもらった薬があったら捨てなさい。その瓶がなくなるまでには全快しているから」
川崎さんはその瓶を受け取ろうとはしませんでしたが、毒島さんは構わずポカリスエットの脇に三つの瓶を並べました。
そして、毒島さんはまだ怯えて震えている川崎さんにさっさと背を向けました。でもドアを開けて部屋を出る前に、思い出したように振り返り、もう何年も人前で外したことの無いマスクを取りました。そうして針金みたいな前髪もどけると、部屋の明かりに照らされて、毒島さんの可愛くない顔がはっきりと見えました。
川崎さんが、息も出来ないほど驚いているのが遠くからでもわかりました。
無理もない、あんたはこんな醜いもの、後にも先にも見たことが無いだろうからね。そう思いながら毒島さんは、にっこりと微笑んでこう言いました。
「お大事に……」