第十七話 遅れた返事
見上げると、空は赤紫色をしていました。
西のほうにわずかに残った夕焼け空を、東側から黒い闇がじわじわと食い潰していきます。夜はもうすぐです。
毒島さんは歩きながら泣いていました。喉がカラカラになっているのに、涙はあとからあとから止まりません。
ずっと一人で生きてきた毒島さんは、今まで寂しいという気持ちを知りませんでした。生まれて初めて味わう孤独は、毒島さんが想像していたよりもずっと切なくて、でも同時にどこか甘美でもありました。
目を閉じると、川崎さんと笑いあった時間がまぶたの裏を飛び去ります。わずかの間のことだったのに、毒島さんの高校生活を全部あわせたよりも重みのある記憶でした。
ふと、毒島さんは違和感を感じました。通りの先が妙に騒がしいのです。そこは丁度毒島さんの家のあるあたりです。胸騒ぎがしました。涙を拭いて顔を上げると、毒島さんは早足で通りを抜けました。
ああ、悪い予感は当たってしまいました。毒島さんの家の前には、不吉な白と黒に塗り分けられたパトカーが一台停まっています。騒がしさの原因はそれを取り巻く野次馬たちでした。
玄関の前に毒島さんのお母さんが立っています。警察の人と話をしているようです。少し距離は離れていましたが、お母さんが顔を上げたときに目が合いました。
……お母さんは泣いていました。それで話の内容は大体察しがつきました。
毒島さんは、全身から血の気がさあっと引いていくのを感じました。そのまま走って逃げ出したい衝動に駆られました。でも、もうその時にはお母さんの視線の動きに気付いた警察官が、制帽の下の鋭い目で毒島さんを捉えていたのです。
毒島さんは、その場に立ち竦んで待つほかありませんでした。
しーんと静まり返った部屋に、突然場違いなほど陽気なメロディーが流れました。
携帯電話の着信音です。呑気な曲調と裏腹に、バイブレーション機能が急かすようにガリガリと机を打って激しい音を立てました。
ベッドの上の布団の塊の中から、にゅうと白い腕が伸びました。川崎さんの腕です。布団にくるまったまま手探りで机の上をしばらくまさぐっていましたが、指をぶつけて携帯を床に落としてしまったので、諦めてのそのそと顔を出しました。
……酷い顔でした。涙の跡でまぶたと鼻の頭が真っ赤になっていました。肌が白いのでそれが余計に目立ちます。ずっと布団にくるまっていたので頭の方もボサボサです。
川崎さんはその顔のまま、一つ咳払いをして声の確認をしつつ、携帯の通話ボタンを押しました。
「……はい」
自然な声が出せました。
「よう」
電話の相手は塚田君のようです。川崎さんはディスプレイをよく見もせずに電話を取ったことを後悔しつつ、ぶっきらぼうに応じました。
「何か用かしら」
「おいおい、なんなんだその態度は。一度は付き合った仲じゃないか」
「今忙しいから、切るわよ」
「フン、切る前に一つだけ聞け。聞かないと後悔するぞ」
「……何?」
「今日、毒島が逮捕されたんだが、知ってるか?」
「……」
「おめでとう。これで何もかもお前の思い通りになったと言うわけだ」
「そんなのが言いたかったわけ?」
「いいや、警告がしたかったのさ。お前はクラス中を味方につけてるつもりかもしれないが、実際は女子だけだ。男子のほうはお前を信じきってる奴ばっかりじゃないから、気をつけたほうがいいぞ?」
「……じゃあ、切るわよ」
「あーあーあー、悪いな、もう一つ思い出した」
「……」
「俺はついこの間お前に告白されたわけだが、そう言えば一度もお前に返事をしていなかった。せっかくだから今、返事を聞かせてやろう」
「別に、もうどうだっていいわよ」
「いいか? 俺はお前の相手なんか死んでもゴメンだ。お前より毒島の方が百倍いい」
「……」
「毒島は今でもお前を――」
川崎さんは通話を切りました。
……そして、静かになった通話口に向かって呟きました。
「自分でも、そう思うわ」