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翠蘭帝国宝石記~没落妃を救い、劇物茶師と共謀し、孤独な皇子に帝王学(麻雀)を教える勝負師の職人生活~  作者: 寝不足魔王


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第9話:監理監視官の眼光

 翠蘭帝国の宝石管理監の工房は、今日は驚くほどの静寂に包まれていた。

 上級妃への定期訪問が予定されていないこの日、レンは早朝から工房の奥に籠もり、数多の端石の研磨と、宿る精霊の魔力波長の微調整に没頭していた。窓の外では午前の柔らかい光が降り注ぎ、精霊の気配と香炉の煙が混じり合った独特の香りが、重厚な空気を作っている。


 その職人の領域を、刃物のように鋭い視線が常に射抜いている。

 レンの背後、正確に二歩半の距離。そこには近衛騎士であり監理監視官でもあるハクが、微動だにせず立っていた。彼は抜剣こそせず腕を組んでいるが、その琥珀色の瞳はレンの指先のミリ単位の動きすら見逃さぬよう、執拗に追い続けている。


「……管理監。その紅玉の右角、三厘ほど削りすぎではないか」

「うるさいわね。あんたは剣を振るうことだけ考えていなさい。これは精霊が呼吸をするための『隙間』を作っているの。削りすぎじゃなくて、これが最善の形よ」


 レンはハクを振り返りもせず、研磨用の極細のやすりを動かし続ける。

 ハクは短く鼻を鳴らしたが、その視線には隠しきれない畏怖が混じっていた。精霊の毒、すなわち常人の精神を狂わせる強力な魔力を無効化できる体質を持つ彼だからこそ、レンが行っている作業の「異常性」が手に取るようにわかるのだ。


 レンが宝石に息を吹き込み、精霊を宿す瞬間。

 ハクの目には、彼女の周囲の大気が歪み、命が凝縮される凄絶な光景が映る。一切の無駄を削ぎ落とした呼吸。精神を研ぎ澄まし、自らの生命力を石へと流し込むその姿は、極限まで磨き上げられた剣技にも似た、完成された美しさがあった。


(……この女、術を施すたびに命を削っているな。一分の隙もない集中力。これほどの技を、この若さで修得するのにどれほどの修羅場を越えたというのだ)


 武人として、ハクは職人としてのレンを高く評価していた。否、もはや尊敬に近い感情すら抱いている。己の専門領域に魂を捧げる者同士、通じ合う「強者」の気配。だからこそ、彼はこの至近距離での監視を、騎士としての最高の誇りとして受け入れていた。


 だが、その敬意が脆くも崩れ去るのは、決まって仕事が終わった直後であった。


「――っ、はぁーーー!! 終わった! 完璧! 今の調整、我ながら会心のツモだわ!」


 レンが突然椅子にふんぞり返り、職人とは思えぬだらしない姿勢で大きく伸びをした。

 たった今まで聖女のような静謐さを纏っていた術者が、一瞬にして不敵な笑みを浮かべる勝負師へと変貌する。彼女は卓の上に散らばった宝石の一つを、慣れた手つきで高く弾き上げた。


「……管理監。その『ツモ』とは何だ。また例の奇妙な独り言か」

「奇妙とは失礼ね、ハク。これは高揚感の表現よ。あんたも、立ち合いの後に狙い通りの一撃が決まったら、心が躍るでしょう?」


 レンは空中を舞う宝石の回転を楽しみながら、鮮やかな手つきでそれをキャッチする。その瞬間、彼女の瞳には、職人の誠実さとは全く別の、ギラついた野心が宿っていた。


「あー……でも、やっぱり工房の中だけだと、刺激が足りないわね。ハク、この後の調整時間、散歩に行くわよ。どこかに面白い『配牌』でも落ちてないかしら」

「配牌……? 管理監、貴殿は先程まで、神聖な術を執り行っていたはずだ。命懸けの術の直後に、勝負だの配牌だのと、不確定な運に縋るような言葉を吐く。貴殿の精神構造は、精霊の毒よりも解読不能だ」


 ハクは本気で呆れたように溜息を吐き、剣の柄に置いた手を組み直した。

 彼にとって、命を懸けた「技」は、規律と鍛錬によって確実に制御されるべきものだ。それに対し、レンは極限の技を振るった後に、あろうことか不確かな「運」や「勝負」を求めてニヤついている。


「あんた、分かってないわね。規律ガチガチなあんたの頭の方が、よっぽど窮屈で退屈に見えるわよ」

「私は規律に守られ、規律によって職務を遂行している。退屈などと感じたことはない」

「それが退屈だって言ってるのよ。たまには石を弾いて、精霊と一緒に『想定外の回転』を楽しんでみたらどう? 見える景色が変わるわよ」


 レンは挑発するように、再び宝石を高くトスした。精霊が喜びの火花を散らし、ハクの目の前を虹色の光が横切る。ハクは眉一つ動かさず、その光を琥珀色の瞳で射抜くように見つめた。


「御免被る。私は、あんたを監視し、護衛し、無事にこの一日を終えさせることにのみ興味がある」

「ふーん……。ま、せいぜいその無愛想な顔で、私の背中を見守っていなさいな。あんたが後ろにいると、何故かいい『引き』が来るような気がするから」


 レンはそう言って、再びニヤリと笑った。

 ハクはその言葉の意味を測りかね、ただ沈黙を返した。理解不能だ。だが、不思議と不快ではない。職人としての凄絶な凄みと、勝負師としての奔放な魅力。この相反する二つの顔が、一人の女の中で絶妙な均衡を保っている。


「レン様。明日の過酷な予定表をお持ちしました。四夫人のうちお二方への訪問、午後は中級妃の方々が十五名、工房へ参ります」


 セツが一切の容赦なく、新たな「盤面」を引き連れて工房へ入ってきた。レンは「げっ」と声を上げ、机に突っ伏した。


「セツ、あんたは本当に情け容赦ないわね……。配牌が地獄すぎない?」

「平坦な場を流すと仰ったのはレン様でしょう。職務に没頭しなさい。……ハク殿、管理監が夜更かしして宝石トスに興じぬよう、厳重に監視をお願いします」

「承知している。……行こうか、管理監。貴殿の言う『勝負』の前には、休息も規律のうちだ」


 ハクは再び仮面のような無表情に戻り、レンの背後へと付いた。

 レンは文句を言いながらも、懐で宝石を一度だけ力強く握り込む。

 ハクは、そんなレンの影を見つめながら、ふと思った。自分はいつから、彼女が次に何を弾き、どんな「和了」を見せるのかを、無意識に期待するようになってしまったのかと。


 夕闇に包まれる工房で、レンの弾く宝石の音が、規則正しいハクの足音と重なり合って、静かに、だが熱く響き渡っていた。

 後宮の嵐は、すぐそこまで迫っている。


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