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翠蘭帝国宝石記~没落妃を救い、劇物茶師と共謀し、孤独な皇子に帝王学(麻雀)を教える勝負師の職人生活~  作者: 寝不足魔王


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第56話:崩落の連鎖、出口なき深淵

 星読みの長という名の「古い重石」が消滅した瞬間、地下遺構を支えていた数千年の均衡は、音を立てて瓦解した。

 霊脈を強引に固定していた「伝統の柱」が、内側から爆ぜるように次々と砕け散り、広大な地下空間には、天地を問わず巨大な岩盤が降り注ぐ、死の豪雨が吹き荒れる。ガガガガッ、という、世界がそのものを噛み砕こうとするような凄まじい不協和音が、レンの鼓膜を物理的な質量をもって叩きつけた。


「……あは、いいわね。……卓が壊れるだけじゃ足りなくて、今度は盤面せかいごと、私たちを葬り去るつもり? ……上等じゃない、瓦礫の山から和了あがりを見つけるのは、私の得意分野よ」


 レンの声は、粉塵に咽びながらも、鋭利な刃の如き狂気を孕んでいた。

 石化の呪いから解き放たれつつある右腕は、まだ自身の意思を拒絶するように冷たく硬直している。レンはその動かぬ腕を左手で強引に引き摺るようにして、崩れゆく通路へと走り出した。彼女の視界を覆うのは、漆黒の闇と、岩が激突するたびに散る不吉な青白い火花。レンは、茶師の「命の雫」がもたらした異常なまでの知覚を使い、瓦礫の雨が描く僅かな「空白の軌道」を読み解き、死線を潜り抜けていく。


 そのレンの先陣を切るのは、限界を超えて駆動し続けるハクであった。

 ハクの肉体は、石化と再生の激しい連鎖によって、もはや修復不能なまでの負荷を強いられていた。彼の皮膚には無数の亀裂が走り、そこから噴き出す蒸気が、闇の中を白く切り裂いていく。ハクは、自らの身体を守ることを完全に放棄していた。


「――伏せろ! ここは私が抉じ開ける!」


 ハクの咆哮と共に、彼の右拳が、退路を完全に塞いでいた数トンの岩盤に叩きつけられた。

 ドォォォンッ、という、大気を震わせる衝撃音。ハクは自らの魔力耐性を「点」へと集中させ、肉体の破壊と引き換えに放たれる衝撃波を近距離で炸裂させたのである。岩盤が微塵に砕け、砂塵となって舞う。その一撃を放つたび、ハクの右腕からは骨が軋み、筋肉が断裂する凄惨な音が響く。だが、彼の琥珀色の瞳は、かつてないほどの透明な殺意を宿し、ただ一寸先の闇を照らす灯火となっていた。


(……止まれば、ここが我らの墓場だ。……痛みなど、規律を捨てた時に置いてきた。管理監が、この地の底に埋もれることだけは、わが魂の一片が残っている限り、断じて許さぬ)


 ハクの凄絶なまでの「盾」としての動作が、絶望的な崩落の中に、一筋の細い、だが確実な道を作り出していた。彼の背中から伝わってくるのは、もはや人間の体温ではない。それは、自らの存在を削り取って生み出される、純粋なまでの守護の熱量。ハクが踏み出す一歩ごとに、石床には彼の血と汗が混ざり合った「生」の痕跡が刻まれていった。


 セツは、ハクが切り拓く道の背後で、自らの記憶という名の「生きた帳面」を極限まで稼働させていた。

 真っ暗闇に包まれた迷宮。視覚が死に、聴覚が崩落音で塗り潰される中、セツは、自身の脳内に転写された「記録の裏側」――かつてこの遺構を築いた石工たちが、非常時の換気のために密かに遺した、地図には存在しない「空気の筋」を捉えようとしていた。


「レン様! 右ですわ! ……地脈が逆流し、冷気が吹き込んでいる場所がございます。そこが、建国時に廃された旧通路への入口です!」


 セツの声は、戦慄で上ずりながらも、論理的な確信に満ちていた。

 セツは筆を捨て、今は自らの指先で壁の湿り気を探り、岩の隙間から漏れる僅かな風の匂いを嗅ぎ分ける。記録者としての誇りは、今や「この場にあるすべての情報を生きるための牌に変える」という、勝負師の狂気へと変質していた。セツが導き出す座標の一つ一つが、レンの脳内の譜面に、迷路を打ち破るための「有効牌」として書き込まれていく。


 廃道の途中で、レンの足元が何かを捉えた。

 それは、茶師が長年愛用していた、あの歪な茶碗の破片であった。

 レンはその破片を拾い上げ、鼻を近づける。そこには、地下の毒素を一時的に中和し、神経を強制的に覚醒させるための「強烈な香」が塗り込まれていた。茶師が、もしもの時のために遺した道標。


「……まったく。……死に際まで、世話を焼かせるじいさんね」


 レンは迷うことなく、その破片を口に含み、自らの歯で噛み砕いた。

 ガリッ、という、顎が砕けるような不快な音と共に、口内に溢れ出すのは、猛烈な苦みと、脳髄を焼くような劇薬の熱。

 その熱量が、石化していた彼女の右腕の魔力を強引に再起動リアライズさせた。レンの指先から、黒銀の火花が散り、死んでいたはずの指が一斉に、獲物を求める獣のように脈動を開始する。


 ガガガガァァァァッ!

 背後で通路が完全に埋没する轟音が響くと同時に、三人は垂直に切り立った廃道を駆け上がり、ついには工房の床下、地下貯蔵庫の薄暗い天井を突き破った。


 瓦礫と共に地上へと這い出したレンを待っていたのは、かつてないほどに澄み渡り、そしてどこまでも静謐な、後宮の月光であった。

 レンは全身に泥と血を纏い、裂けた薄絹の端から血を吐きながらも、懐から取り出したあの白い石を、月に向かって静かにトスした。


「……掃除、終わったわよ。……お待たせ、陛下」


 そこには、すべてを察したかおで、崩れかけた回廊の縁に佇む皇帝と、ハクの気配を察して駆け寄るリン皇子の姿があった。

 皇帝の瞳には、レンたちが持ち帰った「地の底の真実」を測るような、深く、底知れぬ理知の光が宿っている。


「……宝石管理監。汝の打牌、地の底を揺らし、天の星をも動かしたか」


 レンは、月光に透かした白い石を、残酷なまでに美しく握り締めた。

 工房は瓦礫の山となり、伝統は砕け散った。だが、彼女の指先にある熱は、以前のどの対局よりも激しく、狂おしく脈動し続けていた。

 新しき時代。それは、誰も見たことのない牌が並ぶ、最も危険で、最も美しい対局の始まりに過ぎない。


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