芝浜ファンタジー(前編)
こんにちは。
もしも落語の『芝浜』の世界に、ステータス画面やスキルが存在したら? という妄想から生まれた短編です。
クズだけど憎めない主人公と、それを支える(騙す)献身的なヒロインの掛け合いをお楽しみください。
「……旦那様」
「うーん……むにゃ……」
「旦那様、起きてください。もうお日様は中天ですよ」
「うるせえなぁ……俺はまだ眠いんだよ……あと五百年寝かせろ……」
俺は薄汚れた毛布を頭から被り直した。
俺の名前は、カッツ。前世は日本の社畜。過労死して、女神様に「次は自由に生きたい」と願ったら、この剣と魔法の異世界に転生させてくれた。
もらったスキルはSランクの【強運(ラックS)】と【鑑定眼】。
これさえあれば、冒険者として無双してハーレム……なんて夢見た時期も俺にはありました。
現実は、甘くない。
強い魔物は怖いし、ダンジョンは臭いし、何より働くのがめんどくさい。
前世の反動ってやつだ。「働いたら負け」が俺の座右の銘になっていた。
「またお仕事に行かないつもりですか? 今日こそは海岸の『低級スライムダンジョン』で魔石を拾ってくる約束でしょう」
冷ややかな声と共に、毛布をひっぺがされた。
そこに立っていたのは、狐耳をピコピコさせた銀髪の少女、ハマーだ。
俺が気まぐれに借金を肩代わりして救った元奴隷だが、今ではすっかり俺の保護者面をしている。
「ちぇっ、わーったよ。行きゃいいんだろ、行きゃあ」
俺は渋々起き上がり、ボロボロの革鎧を身につけた。
腰には錆びついたショートソード。懐には小銭が数枚。
これが、転生して三年経った俺の全財産だ。
「行ってくるぜ、ハマー。土産は特上の『オーク肉の串焼き』でいいか?」
「……魔石を換金してから言ってください。行ってらっしゃいませ」
ハマーの呆れた視線を背中に感じながら、俺は長屋を出た。
◇
港町特有の潮風が鼻をくすぐる。
俺が向かったのは、街外れの海岸沿いにある初心者向けダンジョンだ。
ここは魔物も弱いが、実入りも少ない。
俺のようなその日暮らしの「Fランク冒険者」の吹き溜まりだ。
「あーあ、だりぃ。どっかに1億ゴールド落ちてねえかなぁ」
波打ち際を歩きながら、俺はあくびをした。
その時だった。
《スキル【強運】が発動しました》
脳内に無機質なアナウンスが響く。
次の瞬間、俺の足がつまづいた。
「おっと! ……ん? なんだこれ」
砂浜に、何かが埋もれていた。
波に洗われてキラリと光るそれを拾い上げる。
それは、古びた革袋だった。ずしりと重い。
恐る恐る中身を覗き込むと――。
「……は?」
そこに入っていたのは、拳ほどの大きさがある、青く透き通った宝石だった。
ただの宝石じゃない。内側にまるで海そのものを閉じ込めたような、神秘的な輝きを放っている。
俺は震える手で、【鑑定眼】を発動させた。
【名称:海竜王の涙】
【ランク:神話級】
【効果:所持者に『水属性完全無効』『海中呼吸』を付与。魔力回復速度+5000%】
【推定価格:測定不能(国家予算規模)】
「…………」
俺は一度、袋の口を閉じた。
深呼吸をする。
もう一度開ける。
【推定価格:測定不能(国家予算規模)】
「…………き」
「き?」
「き、きたああああああああああああッ!!!」
俺の絶叫が、カモメたちを驚かせて飛び立たせた。
神話級! 国家予算! 測定不能!
つまり、これさえあれば!
「遊んで暮らせる! 酒が飲める! 一生働かなくていいんだあああああッ!!」
俺は革袋を懐にねじ込むと、ダンジョン探索など放り出して、全力疾走で街へ戻った。
◇
「おやっさん! 酒だ! 店にある一番高い酒を持ってこい!」
俺が駆け込んだのは、冒険者ギルド併設の酒場ではなく、貴族も通う高級レストラン『金のグリフォン亭』だった。
普段なら門前払いされるような店だが、俺が見せた「海竜王の涙」の輝きを見た瞬間、支配人の顔色が変わり、VIPルームへと通された。
「ひゃっはー! 見ろよこの『ドワーフ殺し・50年物』の輝きを!」
俺は仲間――といっても、普段一緒に安酒を飲んでいるゴロツキ冒険者たち――を呼び集め、大宴会を始めた。
「おいカッツ! お前、こんな金どこにあったんだよ!?」
「山賊でも襲ったか!?」
「バッカ野郎! 俺様の【強運】を舐めんなよ! 海でちょいと『お宝』を拾ってな!」
俺は琥珀色の液体を喉に流し込んだ。
カァーッ! 喉が焼けるような刺激、その後に広がる芳醇な香り。
たまらねえ。これだ、これが人生だ!
「飲め飲め! 今日は俺の奢りだ! 料理もどんどん持ってこい! ドラゴンステーキだ! フェニックスの唐揚げだ!」
「うおおお! カッツ様万歳!」
「一生ついていきます兄貴!」
テーブルには山のようなご馳走と、空になった酒瓶が並んでいく。
俺の意識は次第にふわふわと高揚していった。
「へへ……ハマーのやつ、驚くだろうなぁ……」
あいつ、いつも俺に小言ばっかり言いやがって。
これで俺が大金持ちになったら、あいつも少しは俺を見直すはずだ。
いや、見直すどころか、泣いて喜ぶに違いない。
『旦那様、素敵です!』って抱きついてくるかもな。へへへ。
「おい、もっと酒だ! 酒を持ってこーい!」
俺は杯を掲げ、意識がブラックアウトするまで飲み続けた。
最高の一日だった。
これから始まるバラ色の人生を確信して、俺は幸せな闇の中へと落ちていった。
◇
「……きなさい」
「……んん……」
「起きなさいと言っているのです! このダメ人間!」
ドガッ!
「ぐえっ!?」
脇腹に鋭い衝撃を受けて、俺は飛び起きた。
激しい頭痛がガンガンと頭の中で鐘を鳴らしている。
視界がぐるぐると回る。
「いってぇ……なんだよ、朝から……」
目を開けると、そこはいつもの薄暗い長屋の一室だった。
目の前には、仁王立ちするハマー。
その背後には、九本の尻尾がゆらゆらと殺気を放って揺れている。
やばい、めちゃくちゃ怒ってる。
「旦那様。今は何時だと思っているのですか」
「え……? まだ朝だろ……?」
「もう昼過ぎです! 昨日、あれだけ『魔石を拾ってくる』と言って出かけたのに、帰ってきたのは深夜! しかも泥酔して、近所の野良犬と一緒に道端で寝ていたんですよ!?」
「はあ!? 野良犬!?」
俺は慌てて自分の体を確認した。
服は泥だらけ、酒臭い息。
昨日の高級レストランのVIPルームはどうした?
「ま、待てよハマー。俺は昨日、すげぇお宝を拾ったんだ。それで『金のグリフォン亭』で宴会をして……」
「……は?」
ハマーは底冷えするような声を出した。
「金のグリフォン亭? あの一食で金貨10枚は飛ぶ高級店ですか? 旦那様の懐には、銅貨が数枚しかなかったはずですが」
「だ、だから! お宝を拾ったんだよ! 『海竜王の涙』っていう神話級の宝石を!」
俺は懐を探った。
あの革袋があるはずだ。あれさえ見せれば、ハマーも信じるはずだ。
ガサゴソ。
ガサゴソ。
「……あれ?」
ない。
どこにもない。
財布の中身を確認する。
……空っぽだ。銅貨一枚残っていない。
「な、ない……! 俺の宝石が! 財布も空だ!」
俺は顔面蒼白になった。
まさか、昨日の宴会の支払いで全部使い果たしたのか?
いや、あんな宝石、一日で使い切れる額じゃない。
じゃあ、盗まれた? 酔っ払っている間に?
パニックになる俺を、ハマーは冷ややかな目で見下ろしていた。
そして、ため息交じりに言った。
「旦那様。……いい加減にしてください」
「え?」
「宝石? 神話級? ……そんなもの、最初からなかったんですよ」
ハマーは俺の額に手を当てた。ひんやりとして気持ちいい。
「旦那様、顔色が真っ青です。それにその目の焦点の合わなさ……。おそらく、海岸で『夢見茸』の胞子を吸い込んだのでしょう」
「ゆ、夢見茸……?」
「ええ。海岸沿いのダンジョンに稀に生える、強力な幻覚作用を持つ魔物です。その胞子を吸うと、『自分の最も都合のいい願望』をリアルな幻覚として体験すると言われています」
「そ、そんな……」
俺は絶句した。
幻覚?
あの宝石の輝きも、酒の味も、仲間の歓声も?
全部、幻覚だったっていうのか?
「で、でもよ! 俺は確かに酒を飲んだぞ! この二日酔いが証拠だ!」
「それは、帰り道に安酒場でツケで飲んだのでしょう。いつものことです」
ハマーは淡々と言い放つ。
「夢見茸の幻覚は、現実と区別がつかないほど精巧だそうです。大金を手に入れた夢を見て、気が大きくなって安酒を煽り、そのまま道端で寝てしまった……。それが真実です」
「嘘だ……嘘だろ……?」
俺は頭を抱えた。
嘘だと言ってくれ。
あんなに幸せだったのに。
一生遊んで暮らせると思ったのに。
「全部……夢、だったのか……」
俺の目から、涙がこぼれ落ちた。
情けない。悔しい。
何より、そんな都合のいい夢に溺れて、現実を直視していなかった自分が恥ずかしい。
ハマーが、しゃがみ込んで俺の顔を覗き込んだ。
その表情は、いつになく真剣だった。
「旦那様。……夢でよかったじゃありませんか」
「……え?」
「もし本当に大金を手に入れていたら、旦那様はどうなっていましたか? きっと、毎日酒に溺れ、身体を壊し、最後は廃人になっていたでしょう」
ハマーは俺の手を握った。
その手は小さくて、温かかった。
「旦那様には才能があります。【鑑定眼】も【強運】も、素晴らしいスキルです。それを正しく使えば、夢なんかよりもっと素晴らしい現実が、必ず手に入ります」
「ハマー……」
「私は信じています。だから……もう一度、やり直しましょう?」
その言葉が、胸に突き刺さった。
こんなダメな俺を、こいつはずっと信じてくれていたのか。
俺は、なんて馬鹿だったんだ。
俺は涙を拭い、ハマーの手を握り返した。
「……ああ。わかった」
俺は誓った。
酒はもう飲まない。
真面目に働く。
そしていつか、ハマーに楽をさせてやる。夢じゃなく、現実で。
「俺、今日から心を入れ替えるよ。死ぬ気で働いてみせる」
「はい。期待していますよ、旦那様」
ハマーはにっこりと微笑んだ。
その笑顔は、どんな宝石よりも輝いて見えた。
(後編へ続く)




