いじめっ子の弱さとは
学校でも企業や社会でも、いじめ問題が発生するたびに繰り返されるひとつの決まり文句がある。
「いじめっ子は本当は弱いからいじめるのだ。本当に強いやつはいじめなんかしない」
いじめる側の心の弱さゆえに、それが気に食わない相手への攻撃に変化するのだと。実は私はその話を聞き、人前ではその論旨に同調までしたくせに、ある一件まで、あまり体感としていじめっ子が弱いと思ったことはなかった。
生涯においてただ一回だけ、高校時代にいじめを受けたことがある。とはいえ世間を騒がせるような強烈なものなんかでは全然なく、対処を講じる前に訳あってそれは唐突に終わった。
あのいじめっ子の姿を、ぼやけて細部は思い出せないのだが可能な限り言葉にすれば、それは弱者のイメージとは全くかけ離れたものに見える。
野球部に入っていて試合ではスタメン入りの常連、高校1年生時に175cmという長身で、長年鍛え続けた肉体はいかにもスポーツマンという感じのマッシブさを感じさせた。おまけにルックスも悪くない。話術も常に誰かを貶めて傷つけることが得意だったが、それこそが人気を集め、学年内のヒエラルキーは高かった。
きっかけはたしか化学の授業だったか。点火した火力全開のガスバーナーで、学内でもとびきり内気で対人関係が苦手だった佐原君の頭を炙ろうとしたのを私が止め、気に食わないやつ認定を食らってそこから始まった……確かそう記憶している。
様々なことをされた。自転車に私の鍵とは別のチェーンロックを掛けて、外してほしければ卑猥な言葉を校庭のど真ん中で叫んでこいとか、下駄箱の室内用シューズを女子のものと取り替えて私を変態に仕立て上げようとしたり、授業中に私が先生から指名を受けて回答しそれが間違いだったことを休み時間中延々物真似してクラスの笑いをとったり。
これがいじめというものかとその時痛感したものである。奴はいじめ上手な男だったと思う。
「ただの冗談じゃん、何怒ってんの」
半笑いでそういう事を言う男だった。
いじめについて詳しく調べたわけではないが、いじめとは往々にして友達どうしの悪ふざけに擬態して行われるものだ。こんなものはただのクラスメイトへの愛あるイジりであり、これに怒った人間こそナンセンスでプライドばかり高い馬鹿なのであると。いじめっ子はそういう空気を構築するのがうまい。
イジりと暴力の境をあいまいにして先生に告発する側の人間があたかも悪人のような環境を作り上げる。たまに担任の教師がいじめを放置して重大な結果に結びついたとき、ニュースへの感想として教師の危機意識のなさを責める声が聞かれるが、私が思い出せる限り、ああいう手を使われたら教師がそれをいじめだと認識することは難しいのではないかと、今思い返してもそう思う。
話を元に戻そう。私が強硬な姿勢に出ないことで安心したのか、奴のいじめはある日とうとう一線を超えた。
その日、下校途中の私は歩道の信号待ちをしていた。田舎とはいえそれなりの交通量のある道で、私は、唐突に後ろから突き飛ばされた。
あのいじめっ子だった。私が下校していくのを見つけて見つからないよう尾行していたのだろう。
なんの警戒もしていなかった身体が車道にバッとはみ出て、私へ向かってくる軽自動車の、フロントガラス越しの若い運転手の驚愕した顔が今でも忘れられない。
急ブレーキの音が鳴り響いて、私は倒れた。ただし歩道側に。いじめっ子は私を強く突き飛ばした後、私のワイシャツの襟首を掴んで歩道側へ引きずり戻したのだ。
軽自動車に乗っていた運転手は怒って車を降りてきて、ふざけたことをするなと怒鳴った。私はその運転手に、奴に突き飛ばされた事を訴えたが、いじめっ子は大音声で、俺が助けてやったんだ!と叫び私の膝めがけローキックを繰り出してきた。奴のローキックは私の脛にクリーンヒットしてしまい、あまりの激痛に私はしゃがみ込んでしまった。
奴にかかると物事の善悪も綺麗にひっくり返る。運転手はたまたま奴が私を突き飛ばしたのを見てはいないようだった。奴が、いかにも男子高校生らしい爽やかな活力に満ちたその男が、真に迫る真摯な謝罪の演技で運転手に平謝りし、私がふざけて車道に踏み込んだかのような空気がものの数秒で構築された。私の訴えはついに、運転手に聞き入れられることはなかった。
次の日、私は登校して早々怖い生徒指導の教師に呼び出しを喰らい、昨日あわや事故になりかけた、その運転手から学校へ苦情が来ていた事を問い詰められた。
当然私はいじめっ子に突き飛ばされた事を報告した。が、あの運転手は当然、一緒にいた奴の方の演技に引っ張られ、私のほうを常識と分別のない幼稚な問題児として学校へ報告したようだった。その時の私の訴えは、それが事実だとしても、大人を信用させる力を持たなかった。
あのときの絶望感は今でも言い表しがたい。本当のことが何であるかというのは、その現場をみていない人間にとっては、イメージと理論の流れで作られていくものなのだ。私が何を言ったところで、もう先生方の中の「真実」は.、私がふざけて、あるいは注意力散漫で、赤信号の横断歩道を渡ろうとした、というものにほぼ決まっていた。
しかし。その日の昼前に掛かってきたもう一本の電話で、私は窮地を救われることになる。
おたくの生徒さんが、お友達を道に突き飛ばしているところを見た。事故まで起きそうになった。ちゃんと指導をしてほしい。と。
学校近くのクリーニング屋さんの店主からの電話だった。8割方決まっていた真実は、目撃者ひとりの証言でひっくり返った。
すぐに別室に奴が呼ばれ、昨日の出来事について学内一恐ろしい生徒指導の先生に激昂して詰められるのが遠く聞こえた。あとから聞いたところ、奴は最初しらばっくれようとしたらしいが、鬼のような形相の先生に一喝されて、泣きながら本当のことをしゃべったらしい。入れ替わるように私は解放された。出来事を誤解していたことの謝罪くらい欲しかったが、それは結局大人たちからは一言も無かった。尤も事実が明るみに出たことで私の溜飲はだいたい下がっていたのだが。
それからというもの、奴の私へのいじめはふっつりと止んだ。しつこいいじめがなくなったことで私は心底安心したものだ。しかしおかしなことに今度は、奴が無事ではなかった。
どうやら奴にとっていじめは生態であり、それなしではいられないほどに、人生に必須のものだったらしい。先生に目をつけられた以上、当然迂闊なことは出来ないわけだが、不思議なことに、その程度の我慢が大変なストレスであったようで、奴はみるみるうちに健康を失っていき、ついに適応障害を診断されて以後三ヶ月もの間、学校に来られなくなったのだ。
あの男が、いじめ以外はきらめく青春の典型を生きていた健やかなはずの男が、こんなにも脆く。私はその様を見て不可解な感慨を抱いた。
いじめをしないと、自分より格下で思いついた時サンドバッグにしてスッキリする相手がいないと、自分が健康でいられない。自分の心をいじめなして保てない。
それが弱さか。
その瞬間、文言では知っていた知識が、急に脳みそに深く染み込んで心臓を通り、全身に巡ってその体感を刻んでいく感覚を覚えた。何年も後に、アメリカではいじめっ子をカウンセリングするという話を聞いて、その体感はますます強くなった。
どれほど健康で身体が強い人間であっても、心の必須成分が反道徳的であるとき、その生態は社会の中でどうしようもない脆さを抱える羽目になる。私はその脆さがちゃんと見える形になった極めて稀なケースに立ち会うことができたのだ。
たぶん世の中の全てのいじめっ子のうち、こんなにもわかりやすく脆かったケースは少ないと思う。大概のいじめっ子は権力に愛される方法をよく知っているし、いじめがお咎めなしになる環境を整える力に長けている。やったことの重大さに反して、バチが当たるということもなく幸せに暮らしている元いじめっ子は決して少なくない。私の体験したことは実に貴重な学びになり、今も私の対人関係を考える時のひとつの柱となっている。
誰かをいじめることが人生に不可欠で、せずにいられなくて、無しでは自身の心の健康が保てない。そういう人が、確かに存在するということ。
それを念頭に入れておくと、集団生活している中で危険な人間の匂いをある程度、嗅ぎ分けることができるようになった。そういう人にはあまり近寄らないようにするし、後でやっぱりなと思う事も少なくない。
返す返すもあの一件は、もちろん私は悲しかったし苦しかったけれど、とても大きな学びになったように思う。
いじめっ子は弱いのだ。だっていじめをしなければ生きていけない心の持ち主なのだから。
実体験に基づく暇庭宅男なりのいじめ論。
この手の話はではどうすればいいか?というところまでちゃんと言うべきなのだが、あいにく私にはいじめ問題の解決方法がわからない。
どんなコミュニティにもいじめはあり得るし、それを全く無くすにはまだまだ人間全体の精神的余裕が足りない気がしている。
他人の気に食わない部分がいじめっ子の心を脅かすのは、いじめっ子の心の中に逃げ場がないからだと思う。それが実際にいじめに発展する前に、いじめっ子側の心の余裕を確保できればいいのだが…………