9.そろそろ南極の話をしようか。
モールの内部はところどころでひどく薄暗かった。
電力が復旧するまではフロア照明が機能しておらず、高い天井から降りしきる自然光も一階部分では恩恵が薄い。
そんなほのかな闇の中をパーティーは進んでいる。
ひとまずの目標地点として定めた『クソデカわくわくイベントホール』を目指して。
「……ん?」
先頭を歩いていたタローが、なにかに気付いて足を止める。
「P3CO、ちょっとここに光を当ててもらえるか?」
タローの指示に応じて、P3COが近くの壁にライトを照射する。
そこに貼られていたのは、かつてこの先のイベントホールおよびそのステージで催されたとおぼしき集会のポスター……なのだが。
「……にゃ……!」
「……そんな……!」
「……ピガ……!」
ポスターの中に描かれていたイラストに、各人一斉に息を呑んだ。
「……『なつやすみキッズフェス! みんなでとらごろうと遊ぼう!』だと……!」
記されていた魔界文字を読み上げたギンペーの声もまた、戦慄を孕んで震えていた。
ポスターに登場している『とらとらしまのとらごろう』のデフォルメされたキャラクターたちはみな、二足歩行する動物の姿で描かれていたのだ。
「……こ、これ、ケモミミ族だにゃん!」
マオの言葉に、全員が無言のまま肯く。
魔界にはびこる大量のゾンビたちは、これまで発見されている個体に関していえばどれも人間族に酷似した特徴をそなえていた。
しかし、各セクターから出土した『ひんやりミントガム』並びに『クール・シガレット』のパッケージにははっきりとペンギン族の姿が描かれていたし、『ウエディング・チャーチ』と呼ばれる宗教施設からは天使族を象った彫像も発見されている。
さらに、道路沿いや各種商店の内外には『自販機コーナー』『ハッピードリンクショップ』などの、村名だけを残して滅び去ったロボ族の集落遺構とおぼしき場所も散見される。
そこにきて、この『とらとらしまのとらごろう』である。
「……あの仮説を証明する有力なピースを、また一つ、俺たちの手で掘り起こしちまったらしいぜ……」
ギンペーの言う仮説とは、魔界調査の初期にペンギン族の研究者により提唱されたもの――『魔界ではかつて人類五種族が仲良く暮らしていた』との説である。
いまだその証明には至っていないものの、この説は魔界を調査する冒険者ならば誰もが頭の片隅に置いている。
「……まったく、これだから魔界は退屈する暇がねえぜ。
……よっし! とにかくイベントホールまで行って、そこで昼飯休憩にしようや! おいタロー、そのポスターは剥がして持ってくぞ!」
空気を切り替えるように言ったギンペーに、みんなが元気よく「おう!」と応えた。
※
イベントホールでは八体ものゾンビとそれを操るミュータントが一同を待ち構えていた。
だが、ここまでの道中のエネミーがそうであったように、この群れもまたパーティーの敵ではなかった。
「なるほど、ありゃ『ヤミバイト・ゾンビ』と『シジヤク・ネクロマンサー』だな。いいか、タローがゾンビをおさえている間にマオがネクロマンサーを討つんだ。可哀想なゾンビたちはそれで解放されるはずだ」
ギンペーが素早く作戦を立て、マオとタローがそれに従う。
いつも通りタローが大音声のスキルと共につっこむと、慌てたネクロマンサーがゾンビたちを仕向けてきた。
八つの肉弾となって殺到するゾンビを、しかしタローはパイプ椅子ひとつで造作もなくやり過ごす。
例の『電車ごっこサンブキョウ戦術』では十体以上のゾンビを同時に相手取ることも珍しくなかった、その経験が確実に実を結んでいる。
ついでにいえば、脅迫されて従っているだけの闇バイトは、あんまり強くなかったのだ。
「……イイカラヤレ、ゾンビドモ! コジンジョウホウ、ニギッテル! ニゲタラコロス!」
「そう、でもあんたは逃げる間も与えずに殺すにゃ」
タローがゾンビを引き受けている間に、マオはネクロマンサーを叩く。
すべての手駒を放って無防備となっている指示役に一気に駆け寄ると、まずは左右両の手の刃物で鋭く斬りつけ、続いて重たいヤクザキックで不埒者を蹴り転がす。
勇者の力を継承したマオは、いまや全身が凶器なのだ。
体勢を崩したネクロマンサーに刃の雨が降る。
そうして指示役は直ちに絶命し、支配されていた闇バイトたちにもようやく苦しみから解放されるときがきた。
――高額報酬なんて、嘘さ……。
――おいしい話には、裏があるんだ……。
――俺たちから、学んで……。
ゾンビたちが成仏していくとき、パーティーは確かにそんな声を聞いた気がした。
だが。
「おつかれさん、んじゃ、飯にするか」
勝利の余韻もゾンビたちの残した教訓もどこ吹く風とギンペーが仲間たちに言い、みんなも同じようなノリでピクニックの準備をはじめる。
ランク2ダンジョンでキンジローに苦戦していた頃の彼らは、もはやどこにもいなかった。
※
「――ふるべふるふるインフルエンサー」
エンジェラが祈りを捧げると、いつものようにゴシュインが輝いて結界が生み出される。
ただし、今回のこれは『サンブキョウ』ではなく『サキミタマ』、ジンジャ系のゴシュインを消費して発動する『インフルエン・サークル』のもう一つの霊験である。
敵への弱体付与の効果を持つサンブキョウとは対称的に、こちらのサキミタマは味方への体力回復と強化付与を行う結界を生み出す。
八百万の巫女となったエンジェラを囲みながらパーティーは食事を楽しんだ。
ダサイタマのときほど大がかりなランチボックスではないが、お弁当箱の中身は『全部抱きしめて』の女将が今日の為に用意してくれた特別仕様で、代金は顔なじみの常連客たちが割り勘でもってくれたのだ。
食事のあとでギンペーが一人物思いに耽っていると、すぐ隣にタローが腰を下ろした。
「弁当、美味かったね。なんていうか、友達みんなの気持ちが詰まってた」
「ああ、おろそかには食えねえってやつだ。お前さんはちゃんと食休みして残らず栄養にしろよ。……子猫ちゃんを反面教師にしてな」
食事後すぐに落ち着きなく動き出したマオを目で追いながらギンペーがぼやく。
タローはとりなすような苦笑を浮かべながら、きっとケモミミはああしてるほうが消化が進むんだよ、と言った。
そのあとで。
「ねぇギンペー」
「ん?」
「無謀なんかじゃないよ、全然」
唐突にそう持ち出したタローに、ギンペーは柄にもなく面映ゆげに「なんだよ、聞こえてたのかよ」と言った。
ゴブリン戦の直後にギンペーが言おうとして飲み込んだ呟きは、タローの耳にはちゃんと届いていたのだ。
「無謀なんかじゃないよ」
タローはもう一度言って、続けた。
「だってギンペーが居なかったら、いったい誰が複雑難解なダンジョンマップを解読してくれるのさ? 魔界文字はギンペー以外の誰にも読めないんだよ? そうなったら俺たち、どうしていいかわからなくて立ち往生しちゃうよ」
「――そうですよ。タローさんの言うとおりです」
そこでエンジェラが会話に参加してきた。
タローと二人で挟み込むような形で、彼女もまたギンペーの隣に腰を下ろす。
「ギンペーさんがいなかったら、作戦を立ててくれる人だっていないんですよ? そしたらわたし、きっともうゴシュインを使い果たしちゃってます。その場合、二階のフードコートではオバケに取り憑かれちゃいますね」
「――ピガガ、ギンペーヌキデハ、ソモソモ2Fマデタドリツケマセン」
今度はP3COが入ってきた。
「ギンペーハ、|Pillar of strength、ワレワレノ『セイシンテキシチュウ』デスカラ。ミンナ、タヨリニシテマス」
「――そうにゃんそうにゃん! つまり、だにゃ!」
いつの間にか食後の運動を切り上げていたマオが、後ろからギンペーに抱きついた。
「ギンペーあんちゃん抜きにゃんて、そっちのほうがずっとずっと、無謀ってことにゃん!」
最後に出てきておいしいところをかっさらったマオのまとめに、他の三人が苦笑しつつも賛同を示す。
ペンギンの伊達男はうつむき、それから、スジモンたちとの戦いで手に入れた『0番のサングラス』を取り出して装着した。
薄暗い屋内でサングラスなど意味がないはずなのに、誰もそれについてつっこんだりはしなかった。
「あー、しかしなんだろう、いっぱい食べちゃったなあ!」
そのとき、しんみりした空気を打ち消すように、タローがわざとらしく言った。
「あんまりいっぱい食べちゃったから、もう少し消化に時間がかかるなぁ!」
「あ、マオもだにゃ! 食べたあとすぐに運動したから、お腹いたくなっちゃったにゃ!」
タローの意図を読み取ったマオがこちらもわざとらしく腹を押さえ、エンジェラとP3COが大げさに心配してみせる。
「ということで、ギンペー。あと少しだけ休んでから出発したいんだけど、そのあいだ、なにか面白い話を聞かせてくれないか?」
タローが言い、他の三人が『サンセー!』と声を合わせる。
ペンギンの伊達男は愛する仲間たちを見渡したあとで、ようやく涙を隠す役目を果たし終えたサングラスを外して。
「……おう、そんじゃ、こんなときのためのとっておきを話してやるよ」
そう仲間たちに笑いかけて、続けた。
「こいつはな、どっか別の世界にある『南極』って場所にまつわる物語だ」




