3.ケモミミ嵐
魔界と名付けられたその大陸から、各種族国家はそれぞれ手痛い洗礼を受けた。
尊い自国調査隊の犠牲と少しも尊くない他国調査隊の犠牲を目の当たりにして、もはや魔界の領有を夢見る気概はいずれの種族にも残されていなかった。
しかしそうにもかかわらず、『我々が手を引いたあとで他の種族に魔界を支配されてしまったらどうする?』との懸念は、これもまた五種族が共に抱いていた。
ことここに至ってもまだ、人類に和解と団結の発想は生まれていなかったのである。
そして条約が結ばれる。
相互の信頼ではなく、相互不信によってそれは締結された。
『第一条.魔界大陸は中立地帯であり、いずれの種族の領土でもない。領有権の主張は禁止とする。』
『第二条.魔界大陸での人類同士の戦闘、および種族間の勢力争いは禁止とする。』
互いに抜け駆けを禁止して縛り合う為の一条と二条。
そして最後に、五つの心にいまだ燻っていたわずかな野心が、結びとなる三条目をここに追加させた。
『第三条.上記一条と二条に違反しない限り、魔界大陸の冒険・調査は誰もが自由に行ってよい。』
※
――魔界大陸、セクター『ダサイタマ』
頭上には透明な半円アーチ屋根、ストリートの両サイドに軒を連ねるのはシャッターを閉じた個人商店の数々。
そんな昼なお薄暗いアーケード街で、パーティーはモンスターの群れと相対している。
「マオ、準備はいいか?」
タローがパイプ椅子を構えながら相棒に聞いた。キンジローとの戦いで損耗してしまった街頭看板に代わって導入した中型盾。新しい盾は前の盾よりもカバーできる範囲で劣るが、その分強度と取り回しやすさで優っている。武器として扱う場合には『プロレスラー特攻』の特殊効果も発動するらしい。
「にゃふふん、あたりきしゃりきだにゃん」
前方を見据えた視線の外で、隣に立つマオが不敵に答える。
それが戦闘開始の合図だった。
セオリー通り、まずは守備役がモンスターたちを引き寄せる。
大声のスキルを発動させてつっこんでいくタローに、ゾンビ/マダム系の下級エネミー『ネザー・オバタリアン』たちの敵視が集中する。
その横を風のように駆け抜ける、一陣のケモミミ。
五種族最高のバネにより瞬き一回の間に最高速度に達したマオは、先行するタローを難なく追い抜き、追い抜きざまに『蝶の刃』を抜刀している。
バタフライナイフの薄い刀身が手品のように現れ、オバタリアンたちに刺突と斬撃の五月雨となって降り注ぐ。
「マオちゃん、もう完全に蝶の刃を使いこなしてますね」
「そりゃそうだ。手に入れてからこっち、暇さえありゃ刃を出したり引っ込めたりしてたからな。……最初のうちはいつ指を切るかとハラハラしっぱなしだったぜ」
「マオサン、Great、スゴイデス! ソレニ、タローモ!」
見事な連携でオバタリアンたちを屠っていく前衛二人の活躍を、後衛の三人はまったく暢気に見守っている。
実際問題として、今日の冒険は危険とは無縁なのだ。
この『ダサイタマ』は拠点都市のある『サンフランシスコ』からすぐ隣のセクターで、出現するエネミーは低レベルなモンスターばかり。いわば初心者用のフィールドで、新しい武器の試し切りの為にソロで足を運ぶ冒険者すらいるほどだ。
五人の本日の目的は、現在いるアーケード街を抜けた先から接続する危険セクター『サウス・フィンランド』の封印に綻びがないかを確認すること。
ギルドで引き受けたその依頼をこなす他には、あとはついでにピクニックというようなのんびり遠足気分だったのである。実はお弁当まで持ってきている。
「しかしなんだ、素早さのステータスがそのまま火力に乗っかるあの武器は、マオにはまさに鬼に金棒だな。見ろよ、あんなにいたオバタリアンどもをあっという間に殲滅しちまったぜ」
「ふふ、『心の闇ボーナス』のほうは宝の持ち腐れですけどね」
エネミーの最後の一体が倒れるのを見届けながら、ギンペーとエンジェラが朗らかに言い交わした――そのときだった。
談笑する後衛三人に向かって、すぐ横にあった花屋からなにかが飛び出してきたのだ。
「Yoshikooooooo!!!!!!!」
ゾンビ/スジモン系の最下級エネミー『レッサー・ドチンピラ』であった。こいつが花屋になんの用事で? みかじめマネーの徴収か、それとも看板娘に恋でもしてたか? 鳴き声からしておそらく後者であろう。
とにかく、この不意打ちは完全にパーティーの虚を突いた。
「あぶない!」
凍り付いた時間の中で、最初に動いたのはエンジェラだった。
天使の少女は向かってくるドチンピラに立ち塞がり、後衛の残り二人、ギンペーとP3COを守るように大きく両手を広げたのだ。
次の瞬間、ガラの悪いアロハの男が、心まで純白な天使を押し倒していた。
「エンジェ――!」
タローが引き攣った叫びをあげる。
だが、人間族のリーダーが天使の名を呼び終えるよりもさらに早く、再びケモミミの疾風が駆け抜ける。
否、それは、あたかもケモミミの颶風であった。
怒り心頭に発したマオは限界速度で彼我の距離を詰め、勢いもそのままにエンジェラからドチンピラを引っぺがした。
そして。
「……」
一声とあげずに無言のまま、アロハのゾンビを滅多刺しにしはじめたのだ。
「こ……」
「コ……」
「心の闇……」
これまで見たことのなかった猫娘の顔に、全員がしばし言葉を失った。
「……い、いやそれより。エンジェラ、大丈夫かい?」
「……あ、はい」
ややあってから、思い出したようにタローがエンジェラを助け起こす。
「わたしは全然、大丈夫です。ちょっと転んじゃっただけで、怪我だってしてません」
「そっか。よかった」
ほっと胸をなで下ろすタロー。
そんなリーダーに、「それより、聞いてください!」と、やや鼻息もあらく天使の少女が言った。
「いまのでわたし、功徳たっぷり、いただいちゃったみたいです!」