03 邂逅、皇太子
私が皇宮で暮らすことになって一週間。死を覚悟して此処に足を踏み入れたのにも関わらず、平穏な日々を過ごしている。
「アルベラ!もう今日の練習は終わったの?」
「うわ、びっくりした!急に飛びつかないでよ…練習は今日はもうお終いにしたわ。散歩でもしようと思って。」
彼女は平民出身のメイドのエリー。私と同い年で、皇宮に来てからのお部屋の案内を担当してくれた少女だ。今は手に箒を持っているから、どうやら掃除の途中だったらしい。
「いいなぁ、アルベラは庭園の出入りも許可されてるんだもんね。本来は皇族か皇宮に来た貴族しか入れない所なんだよ。」
「えっ、そうだったの?!」
確かにそう易々と入れそうな場所ではなかったけど。私の踊り…というかバレエがいたくお気に召したらしい皇帝は、平民である私に皇宮のどんな所であっても出入りを許可してくれているのだ。
そういえば、庭園と聞いて一番に頭に浮かんでくるのはあの青年だ。
「ねぇ、エリー。此処に銀髪の…」
「うわっ、ねぇなんか此処ら辺匂わない?」
二人組の侍女が此方をちらちら見て鼻を摘み、わざと聞こえるような大きな声でそんなことを言い始めた。
「本当ね、くっさーい。何でかしら?」
「さぁ?何処かに下賤な踊り子でもいるのかしら?」
「男と寝てばかりでちゃんとお風呂に入っているのかしらねぇ全く。」
「…」
「アルベラ…」
エリーが気遣わしげに此方を窺う。侍女はメイドと違って貴族のお嬢様がなる職なので、私達が迂闊に反論できるような身分の人ではないのだ。
いくら皇都で“ディヴァナスティアの妖精”なんて称賛される踊り子でも、皇宮ではこんな汚いもののような扱いを受けることは珍しくない。貴族からすれば踊り子なんてただの娯楽道具であり、娼婦と同じような認識なのだ。
なのに私が皇帝に気に入られ、一介の侍女なら出入りすることのできない場所にも入ることができるものだから余計疎ましいだろう。
「…じゃあ、私そろそろ行くね。」
「う、うん。」
余計なことを言ってしまう前にさっさとこの場を去ることにした。背後から「あら、逃げてるわ。」「自分が臭い自覚はあったみたいね。」などと聞こえるが無視である。
庭園につくと、すぅと深く息を吸い込んだ。体の中の澱んだ空気が澄んだ空気に入れ替わり、気分が良い。散歩しながら、姉は今頃どうしているだろうかと考える。
「大丈夫、私のことは心配しないで。アルベラの美しい踊りが皇帝にも評価されたのだから、こんなに嬉しいことはないわ。」
そう言って姉は笑って送り出してくれた。幸い皇帝は私に定期的に莫大なお給金を払ってくれるみたいで、私の代わりに姉を看病するお手伝いさんも雇うことができたから、そこは安心して良いだろうけど…。体調が良くない時、私はよく姉の手を握って励ましていた。それを姉はよく嬉しい、安心できる、と喜んでいたから、それができないのが心苦しい。
「…お前」
そうだ、姉に手紙を書こう、と考えついたところで、凛とした声が響いた。声をした方を振り返ると、あの日見た青年が立っている。
「…えっ、私?ですか…?」
「…」
彼はずんずん此方に近づいてきて、ぶつかるかと思われたが直前で静止し、至近距離で私を見てきた。
「…」
「…?」
前世からの職業柄、私は美しいものや目を惹くものに非常に惹かれてしまう性質を持っている。つい私も彼の顔をじっと見つめる。
あの日と変わらない髪と、眼と、顔立ち。今日見て気がついたのは、それに加えて長いまつ毛に毛穴一つない肌を持っていること。
少しして、ようやく彼は目を逸らした。そんなに長い間見つめあっていたわけではないが、彼が美しすぎたせいか私にとっては永遠の時間のようだった。
「お前、名前は?」
「ア、アルベラです。」
「名字は?」
「名字はありません、平民なので。」
「は?平民?なら何で此処にいる。」
途端に彼が私を見る目が不審者を見るようなそれに代わり、少しカチンときた。
さっきの侍女達もそうだが、身分の高い人というのはどうしてこう上から目線なのだろうか。目の前の彼は私に質問してばかりで、自己紹介一つしていない。私はきちんと皇帝から許可を得て此処にいるのに。
「…そんなに質問攻めにする前に、名前くらい名乗ったら如何でしょうか。」
相手の身分が明らかに高いことは確かなので、あくまで礼節を守ってそう言うと、意外に青年は嫌な顔一つせずにすぐに応じた。
尤も、彼の名前を聞いて私はこれから自分の態度を死ぬほど後悔することになるのだが。
「それもそうだな。俺の名はフィリックス・ロチェスターだ。」
「…え」
フィリックス・ロチェスター。小説の男主人公であり、帝国の皇太子だ。
「っも、申し訳ありません!まさか皇太子殿下とは知らずにとんだ無礼を!」
そこからはとにかく必死だった。小説で、フィリックスは皇帝同様、残酷無比な性格で描かれている。それは婚約者と母である前皇后を亡くした悲しい過去により傷ついた心が原因で、ヒロインのコーデリアがそんな彼の心を徐々に溶かしていくのだが、私が皇帝に呼び出された時期を考えると小説はまだ序盤であろう今、彼はまだ残忍な心のままと言うことになる。
つまり、私が今此処で不敬罪で切り捨てられる可能性もあるということだ。私はとにかく必死で、此処には皇帝から許可が出ているから来たこと、不快なようだったらすぐに去ることを伝えた。すると、フィリックスは予想外に微笑んで言った。
「いや、構わない。俺も暇していたところなんだ、此処に人が来るのは珍しいから。」
「そうですか…でも、私のような者がいたら不快では?」
「?そんなことはない。それよりアルベラは踊り子何だろ?あっちで何か踊って見せてくれないか?」
それとも、父上の命令じゃないと聞けないか?と彼はテラスを指差しながら言う。何だろう、彼は小説に書かれていたことと違って残忍性なんて欠片も感じないが、有無を言わせぬ物言いとかが皇帝にそっくりだなと思った。
「いいえ、そんなことありません。しかし音楽がありませんが…」
後日命令をしてくだされば、正式に殿下のお好きなところで幾らでも踊らせて頂きます、と言ったが、彼は首を振って「なら君が歌えば良いだろ」と言った。
「えっ、私歌はあまり上手くないのですが…」
「別に構わない。」
「えぇ…」
皇太子の命令に逆らう訳にもいかず、結局私は歌いながらバレエを踊ることにした。前世から数えても初めての経験だ。そもそも私はあまり歌をうたわないし、踊りながらだから段々息が切れて息遣いも荒くなる。
結局、歌にも意識を削がれたせいでバレエの質も下がってしまっただろうし、お世辞にも美しいとはいえないパフォーマンスをする羽目になってしまった。
パフォーマンスが終わると、フィリックスは足を組んで顎に指を当て、ふむ、と言った。
「上手くはないな。」
「だっ、だから言いましたのに…!」
「だが、それでも美しい。」
【フィリックス・ロチェスターは笑わない。彼が笑ったところを、知り合って間もないコーデリアは勿論、家族である皇后ですら見たことがないと言う。】
小説にそんな内容が記載されていたのが頭に浮かんだが、やはり小説だからか多少誇張して書いているんだろうな、と私は思った。フィリックスだって時折面白いことがあったら笑ったり、礼儀上貴族令嬢に笑いかけたことくらいはあったに違いない。
だって、彼は今、私に天使の如く美しい微笑みを向けているのだから。
「ところでさっき、君は『自分のような者が不快ではないか』と俺に聞いたよな。」
「?はい、聞きましたが…。」
「それは自分でそう思っていたのか?それとも、誰かからそう言われたからそう思ったのか?」
「それは…」
真っ赤な瞳が射抜くように此方を見ている。その瞳が、ほんの一瞬だが、まるで氷のような…静かな残忍性の色を帯びているように見え、ぞっと寒気がした。
「…」
私が咄嗟に皇太子であるフィリックスに自分の存在が不快でないかどうか聞いたのは、そのすぐ前に侍女達から受けた侮辱が原因だ。しかしそれを今のフィリックスに言っていいものなのか迷った。
何も言えずに思案していると、彼が「どうした?」言って私の顔を覗き込んできた。目の前で銀髪がさらさらと揺れている。
心配してくれているのだろうか、此方を見る瞳は優しい。さっき一瞬感じた悪寒はもう感じない。
「何か困っていることがあるなら俺に言え。これから此処で暮らすことになるんだろう。」
「…はい。」
一部の侍女から侮辱を受けたことを話した。侮辱されたのは何も今日だけのものではなく、皇宮に来てから一週間の間に嫌がらせも受けたことがある。
例えば私の部屋にバケツの水がぶち撒けられていたり、運ばれてきた食事に虫が入っていたり。それでも、家にいる時に大雨が降って雨漏りした時よりはマシだったし、昔その日食べる物にも困っていた時よりも豪華で清潔な食事をすることができているから、深刻に思い悩むほどではなかったが。確かにこれから此処で暮らすなら、ずっとこのままと言うのも困る。
「…そうか。」
フィリックスは俺から注意しておこう、と約束してくれた。うん、やっぱり皇帝とは違う。皇帝ならこの時点ですぐに死刑になるだろう。
「一週間、よく耐えたな。これからは困ったことがあれば俺に言え。何とかしてやる。」
「え?い、いいんですか?」
「あぁ。」
彼はまた笑った。全くやはり小説は設定を盛りすぎだと思う。皇太子が注意してくれれば嫌がらせも侮辱も落ち着くだろうし、彼に相談して私自身も心が軽くなったから本当に良かった。
その後は、仲良くなったメイドのエリーがいると言ったらその話を聞きたがったので、エリーといて面白かったことを話した。
雨の日に洗濯物が干しっぱなしだった時、エリーが大慌てで取り込んでいるのを手伝ったらエリーが喜ぶあまり傍に落ちた物干し竿に突っかかり、洗濯物を持ったまま泥水に突っ込んでしまった話をしたら苦笑していた。
「でも大丈夫です、汚れた洗濯物は幸いいつもエリーを虐めるメイド長の物だけだったので。エリーは汚れたままメイド長の部屋にこっそりしまってきていました。」
「ははっ、それは傑作だ!」
結局、その日は日が暮れるまでフィリックスと話した。話しているうちに何度か敬語が外れそうになったが、それでも死刑にされなかったのでフィリックスは優しい。
「では、今日のところはありがとうございました。」
「いや、俺こそ。」
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遠ざかっていく先程まで話していた女を見送り、フィリックスは部屋まで戻ると執事を呼びつけた。
「お呼びでしょうか、皇太子殿下。」
「早急に侍女を集めろ。全員だ。場所は…そうだな。アルベラの部屋は何処だ?」
「アルベラ…、陛下が王宮に住まわせている踊り子でしょうか?西の一番奥の部屋でございます。」
「なら、東の一番奥の廊下だ。其処に侍女を集めろ。」
「仰せのままに。」
そこからフィリックスがしたことは、侍女の断罪だ。彼はまず、アルベラを侮辱した侍女を炙り出した。侮辱の現場を目撃した者は名乗りでなければ同じような目に遭わせる、アルベラ本人に聞けばいいから犯人はすぐに分かることだと脅すとすぐに犯人は判明した。
「おっ、お許しください皇太子殿下!!」
「どうかご慈悲を…!!殿下があのような下賤の者のためにお手を汚す必要はございません!」
「“あのような下賤な者”だと?お前、余程死にたいようだな。」
フィリックスは涙を流し命乞いをする侍女達を、冷たい瞳で見下ろした。アルベラが感じたような寒気を感じさせる瞳であった。
「お前達がアルベラを疎ましく思うのも分かる。」
「!で、では…!」
「しかし、お前達はこの場で殺す。今後アルベラを侮辱したり嫌がらせをした者への見せしめだ。」
「ひっ!あぁ、嫌ぁ…!!」
「あぁぁぁっ!!」
他の侍女達は、息を呑んでその様子を見ていた。辺りに鉄臭い血の香りが漂う。中には恐怖のあまり失神する者もいた。
「皇太子殿下、死体はどう処理致しましょう。」
「適当に獣の餌にでもしてやれ。あぁ…ただしアルベラの目につかないように。」
「かしこまりました。…皇太子殿下、無礼とは存じますが、質問することをお許しください。何故そこまであのアルベラという踊り子を…?」
「…余計なことを質問するな。次似たような質問をしたら今度はお前が獣の餌になる番だぞ。」
「っ申し訳ございません。」
「分からないか?この皇宮で、俺を幼い頃から知っている数少ない人物であるお前なら。」
「…いえ。」
フィリックスを幼い頃から知っている執事…クレイグはそれ以上は何も言わず、頭を下げた。薄々感じ取ってはいたが、それが皇太子の今の言葉で確信に変わった。
似ているのだ、まるで生き写しのように。彼が失った婚約者と、あの踊り子は___。




