02 皇宮での初仕事
「アルベラ!ようやく目が覚めたのね、本当によかった…!」
硬いベッドに、蜘蛛の巣が張り付いた天井。紛れもなく私の家だ。姉が心配そうな顔で私を覗き込んでいる。
「お姉ちゃん…?寝てなくて大丈夫なの?」
「もう、今は自分の心配でしょ!」
姉はか細い腕で私の頭に乗っていたタオルを水に浸して絞った。姉は病弱で、悪い時にはベッドから起き上がれないほどだから、今日は幾分体調が良いらしい。
私は姉と違い体が丈夫だ。三日も休んですっかり回復したため、止める姉を押し退けて朝食の準備を始めることにした。
幼い頃両親を亡くし、これまで踊り子として働きながら家事もこなしてきたからか、何もせずゆっくりしているのはどうも落ち着かない。
「ごめんね、朝食くらい私が用意するのに。」
「いいのよ。お姉ちゃんは普段から謝りすぎ。」
「だって…私も外に出て働ければ、貴女だって踊り子なんてしなくて済むのに。」
「お姉ちゃんだって家で内職の針仕事してるじゃない。それに、私は踊りが好きだからいいのよ。」
そう言うと、姉は驚いたような表情で私を見た。
無理もない、今までの私は踊りなんて全く好きじゃなかった。踊り子が一番稼げるからやっているだけで、それ以上の稼ぎ口ができたらきっぱりやめるつもりだった。
だから、この“踊りが好き”というのは私の前世の感情だ。
あの日、私は前世の記憶を思い出した。
私は日本出身のバレリーナだった。世界的トップバレエ団で、一番のバレエダンサーの呼称であるプリンシパルとなった。しかしキャリアの最高潮を迎える頃、私はステージで照明の下敷きになり呆気なく死んだ。
そうして今度はこの世界で踊り子として生まれ変わった訳なのだが…、想定外なことが一つ。
何とこの世界、私が前世で読んでいた小説の中の世界なのだ。しかも私は小説に登場すらしない、皇帝の残忍性を強調するためだけに存在するエキストラ。
【「また陛下が人を何人も殺したって?」
「ええ、何でも踊り子を十人ですって。中には“ディヴァナスティアの妖精”もいたらしいわ。」
「それまたどうして…」
「踊りが陛下のお気に召さなかったみたい。」
「皇都で一番の踊り子が気に食わないだなんて、ただ人を殺したいだけに違いないわ…」
「しっ!誰かに聞こえたらどうするの、私達まで殺されるわよ…!」】
私の存在は唯一メイド達の会話から匂わされるのだが、そこから推察するにきっと小説の中の私は三日前あの場で皇帝に殺されていたのだろう。
前世の記憶を取り戻し、この世界にはまだないバレエを披露したからこそ今の私の命はあるということだ。知らぬ間に死亡フラグを回避していたとは、なんてラッキーなんだろう。
「ところで、アルベラが皇宮から帰ってきたら日に皇帝の臣下だというお方が来てね、目が覚めたらすぐに皇宮に来るようにって命令が下されたのだけど…。」
姉の言葉に、皇帝に最後に言われたことを思い出す。
『ではアルベラ、貴様を皇宮直属の踊り子に任命しよう。その素晴らしい踊りを他の皇族や貴族にも見せてやらねば。』
『まさか、断るなんてことはなかろう?』
あ…。
「お姉ちゃん、私の部屋のタンスにもしもの時のためのヘソクリがあるわ。私に何かあればそれを使って。じゃ、皇宮に行ってくるね。」
「?!ちょっ、ちょっとアルベラ!それってどういう…」
皇宮直属の踊り子になるということは、まだ死亡フラグを完全に回避したというわけではなさそうだ。
小説の主要人物や貴族ならまだしも、私はただの平民の女で踊り子のエキストラ。しかもとっくに死ぬ運命だったのだ。ハエを殺すのと同じようにいとも簡単に殺されるかもしれない。
一度でも気に食わない踊りをしたら死刑、ミスをしたら死刑、無礼を働いたら死刑、当然このまま国外逃亡しようものなら死刑に決まっている。
「こ、皇帝陛下の命令で参りました。踊り子のアルベラです…。」
城門の前で衛兵に声を掛けると、話は伝わっているらしくあっさり門が開かれた。クロッカスやビオラの花が咲き、噴水が噴き上がるよく手入れされた美しい庭園が目の前に広がる。
三日前も同じ景色を見たが、まさか前世を思い出していなければ死んでいたなんて当然予想もしていなかったので、呑気に綺麗だなぁと思っていたっけ。
今日もしかしたら私は死ぬかもしれない。ならば最後に見るのはこんな風に美しい景色がいい。しっかり目に焼き付けておこうと思って見ていると、庭園に一人の青年がいるのに気がついた。
銀髪は光に透け、赤い瞳は絢爛たる美しさを放っている。何より顔立ちがまるで精巧な芸術作品のようだ。身なりは貴族のそれだし、何処か良いところの令息なのだろう。
思わずじっと見つめていると、青年とパチリと目が合った。その瞳は驚いたように目を見開いた後、数回瞬きを繰り返す。
な、何だろう。私何かおかしかったかな。平民が皇宮にいるから珍しく思っているんだろうか。
青年が見ているから私も目を逸らせずにいると、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。見るとあの日も皇帝の隣に控えていた、老年の執事らしい身なりの人が立っている。
「皇帝陛下がお呼びです。私についてきてください、アルベラ嬢。」
「え、あ、はい。」
皇宮で皇帝側近の執事なんて、間違いなく高位貴族の出身だろうに、私のような平民にも丁寧に接してくれるので何だかむず痒い気持ちになる。
両親がいなく、幼い頃から踊り子として働いている私は周りから白い目で見られることが少なくなかった。踊り子から娼婦になる女性なんて数え切れないほどいたし、卑しい職業とされていたから。
どれだけ美しく踊っても、“ディヴァナスティアの妖精”なんて異名をつけられるほど実力をつけても、そんな風な視線を感じることが無くなることはなかった。だから私は、私を惨めにさせる踊りが嫌いだった。
「では此方でお着替えし終わりましたらお呼びください。陛下の元へ案内致します。」
「わぁ…!」
思わず感激の声を上げるほどには、目の前に用意された衣装は素晴らしかった。お腹が露出した短いトップスと、極薄い生地の長いスカートはこの世界の典型的な踊り子の衣装の型だが、上質な生地に金の刺繍がとても綺麗だ。加えて数々の宝石があしらわれたヴェールを纏い、鏡の前に立つと、着飾った美しい西洋の少女が映った。
前世の記憶を取り戻したからか、これまでは何とも思っていなかった自分の容姿に多少の違和感を抱く。
まるで金糸のような髪に、青い瞳。抜けるような白い肌。
前世、私が喉から手が出るほど望んだ容姿。この姿でまたバレエを踊ることができるなんて。
「皇帝陛下と…、皇后陛下に、ご挨拶申し上げます。」
「よく来たな、アルベラよ。今日は皇后にもお前の舞を見せてやろうと思ってな。」
皇帝の横の席には、黒髪黒目の美しいが前世でよく見た東洋の顔立ちをした女性が座っている。十中八九彼女が皇后、カンナ・ロチェスターだろう。
作中で皇后はヒロインを手助けする主要キャラクターとして登場する。ある時異世界から急に現れ、聖女として帝国を救った後皇帝と結婚した聖女だと描かれていた。
「話は陛下から聞いているわ。期待していますよ。」
「はい、ご期待に添えるよう頑張ります。」
皇后はにっこり笑いかけてきた。さすが聖女、皇帝とは違う。
皇后は確か日本出身だったし、バレエも知っているだろうが、作中の彼女の性格を考えると「私が独自に思いついたものです」と押し切れば信じてくれるだろう。
案の定、私が踊り始めると皇后はみるみるうちに顔色を変えていった。私が踊り終わる頃にはすっかり驚愕に満ちた表情をしており、立ち上がって私の肩を掴んで掴んできた。
「こ、これを、バレエを、何処で…」
「…?私独自のものですが…」
「本当に?本当なのね?」
「ええ、嘘は申しません、皇后陛下。」
「そう…今言ったことは忘れて頂戴。少し勘違いしてしまったようだわ。」
皇后はふぅと息を吐くと、ようやく席に戻っていった。そんな彼女を皇帝は意外そうな顔で見る。
「皇后がそんなに取り乱すほど感動するとは。ふむ、やはりお主はとても興味深い。」
「ありがたきお言葉です。」
「これは初任給だ。受け取れ。」
金貨が大量に詰まった小袋を渡された。き、金貨だなんて、今の私の何ヶ月分の稼ぎになるんだろう。皇都一の踊り子である今だって決して少ないわけじゃないのに。
でもこれだけあれば、姉にもっと良いものを食べさせてあげられるし、ゆくゆくは家だってもっと快適なものに建て替えられるかもしれない。
皇帝も案外悪い人じゃないかも…と思っていたが、今度は予想外の提案という名の命令を下されることになる。
「ではそろそろ、私は失礼させていただきます。」
「何を言っている、お主は今日から此処に住むのだぞ。」
「…え?」
「皇宮直属の踊り子が皇宮に居なくてどうするのだ。わざわざ使いをやってお前を呼び寄せるのも面倒臭い。」
「し、しかし私には姉が…」
「余言うことが聞けぬと言うのか?」
前言撤回である。やはり皇帝は悪魔だ。




