第5話(ルーカス視点)
家に向かう途中、僕はゆっくりと馬車の揺れに身を任せていた。街の賑やかさは次第に薄れ、やがて貴族街の並木道が見えてくる。青々とした木々が夕方の光を浴び、長い影を落としている。整然とした道を進むにつれ、僕の胸はぐっと重さを増した。
我がグレイフォードが治めるのは、王都から馬車で3日ほどの距離に位置する中規模の領地である。特産品は鉱山資源で、宝石や貴金属の採掘なども盛んである。そのため、家は比較的裕福だ。
入り婿である父は、王都と領地を頻繁に行き来しているため、滅多に顔を合わせることはない。鉱山周辺は、お世辞にも治安がいい場所とは言えないため、いつも領地の管理に忙殺されている印象だ。
母はその間、王都のタウンハウスで家政を取り仕切りつつ、領地で採掘された宝石を使用した宝飾品の広告塔として、社交もこなしている。社交術においては一切の妥協を許さない辣腕の持ち主だ。冷徹な判断と鋭い洞察力で父を圧倒しており、我が家の事実上の権力者は母である。
そして、グレイフォード家の嫡男として生まれ育った僕も、当然、家の期待に応えなければならなかった。専ら幼少期から厳しい教育を受け、次期当主としての責任を常に課せられてきた。誰よりも優れた成績を残し、優雅な立ち振る舞いを学び、家の名に恥じない存在となるように育てられた。そして、それが僕の役割であると常に自分に言い聞かせてきた。
だからこそ、母と会うときはいつも気が重い。母は僕に対して冷淡でこそないが、厳格な態度を崩すことはない。僕がどんなに優秀であろうと努力を重ねても、彼女の目にはそれが当然のこととして映っているのだ。
馬車が邸宅の門を通り過ぎ、石畳を進んでいく。僕は大きく一息つき、心の準備をしようとした。扉が開き、執事が待ち構えている。
「お帰りなさいませ、ルーカス様。奥様が書斎でお待ちです。」
(やはりか……。今日は特別、社交の予定はないと聞いていたから、きっと顔を合わせるだろうとは覚悟していたが、帰宅早々に呼び出されるとは。)
少し気が重くなりながらも、僕は執事に目で合図し、執務室へと足を向けた。母が僕を呼び出すときは、決まって何か重要な話がある時だ。そしてそれは、往々にして僕の将来についての話である。
執務室のドアをノックし、静かに開ける。中には、優雅にソファに座る母の姿があった。彼女は手元の書類をそっと置き、僕に目を向けた。
「ルーカス、待っていたわ。」
タウンハウスの執務室は、領地の本邸に勝ることもないが劣ることもないほど重厚な造りをしている。マホガニー製の机が奥に鎮座し、その上には様々な書類が置かれていた。
母が僕に腰掛けるように促すと、執事が音もなく紅茶を淹れた。
僕がソファに腰を下ろすと、淹れたての紅茶が目の前に置かれた。ほのかに苦い。少し濃い渋めの淹れ口が母の好みだ。ひとくち口にすると、母はすぐに本題に入った。彼女の目はいつものように冷静かつ鋭い。
「ルーカス、学院でいい方は見つかったかしら?」
母の言葉に僕は少しぴりっと背筋を伸ばした。こうした話が出るのは予測していたものの、母の問いかけはあまりにも直球だ。僕は少し考える振りをしながらも、返答を探していた。
「まだ具体的には……ですが、何人かの令嬢と話す機会はありました。」
母は、僕の言葉に軽く頷いた後、少し間を置いてから続けた。
「そう。それならいいのだけれど。あなたももう充分に大人だし、そろそろ我が家にふさわしい女性を探してほしいのよ。例えば……そうね。ラクロワ家のお嬢さんがあなたの学年で唯一の女子特待生だと聞いたわ。」
母の口からその名前が出た瞬間、胸の中で何かが小さく揺れた。アメリアのことは、以前から母が気にしているようではあったが、実際にこうして口にされると、思っていたよりも圧力を感じる。
「ラクロワ家のお嬢さん……アメリア・ラクロワですね。ええ、彼女とは少し話す機会がありました。」
「そうなの。あのお嬢さんはそれなりに見目も整っていて、優秀だと聞いたわ。あなたとの将来を考える上でも、彼女なら我が家にふさわしいのではないかしら?」
母は微笑みながら、僕を見つめた。その視線には、どこか核心を突くような圧力を感じる。まるで、すでに僕がアメリアと将来を見据えて動くことが決定事項であるかのように。
僕は少し戸惑いを感じながらも、何とか平静を保った。
「彼女は確かに優秀です。勉強もよくできるし、話していても……とても知的な方だと思います。」
「それは何よりだわ。ラクロワ家なら家柄も当家に釣り合うから問題ない訳ですし。彼女ならあなたの妻として、そして我が家の女主人になる人物としても申し分ないでしょうね。」
母の言葉は、冷静でありながらも明確な期待を帯びていた。僕がどのような女性を選ぶべきか、その基準はすでに母の中で固まっているのだろう。
「もう少し彼女とお話をする機会を作ってみます」僕はそう言って、何とかその場を切り抜けようとした。
母は満足げに頷いた。
「それがいいわ。あなたが誰を選ぶにしても、将来のためにしっかりと考えて行動しなければならないのよ。ラクロワ家のお嬢さんをもっと知って、彼女が本当に我が家にふさわしいかどうか、見極めてみることね。また、何かあれば聞かせてちょうだい。」
「はい、それでは失礼します。」
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自室に戻るとやっと緊張を解くことができ、少し考えをまとめる余裕が出てきた。
アメリア・ラクロワ――学年でただひとりの女子特待生。
栗色の髪は没個性的なようで、艶のあるその髪がさらりと風になびく様子はとても美しい。伏し目がちなフォレストグリーンの瞳は、思慮深くおとなしい印象ながら、知的好奇心を向けるものに対しては深い輝きを放つ。
女性にしてはすらりと背が高く、清楚な雰囲気も相まって「目立たないように」という本人の努力は決して実らないと思われる。
さらにラクロワ家というのも彼女のその努力を台無しにしている要因のひとつだ。
ラクロワ家は領地を持たない王都貴族ではあるが代々優秀な文官を輩出し、当主はかなり上位の役職についている。現にアメリアのお父上も現在、財務官の副職を務めており、何かと軋轢を生みやすい財務とその他の部門との折衝を担当しているとか。
領地がない歴史ある侯爵家なのだ。その手腕は疑う余地がない訳で、だからこそラクロワ家の令嬢が特待生であることに誰も疑問は持たないのである。
だから、入学式でも、もちろん彼女は目立っていた。俯いていようと、高位貴族であることは変わりがなく、何より学年でただひとりの女子特待生である。目立たないはずがない。
だから最初の印象は「あまり高位貴族令嬢らしくない、目立ちたくない令嬢」という評価であった。自由恋愛が推進されていることもあり、昨今、高位の令嬢は、爵位や身分関係なく見目のいい男性を連れている傾向にある。男性側も高位貴族とのパイプづくりになるため、メリットはあるのだ。
ラクロワ家は領地こそないが、王城で勤務するには有り余るコネクションを持っているため、アメリアは、文官志望の男性からすると垂涎の的である。さらに、彼女の楚々とした雰囲気に惹かれ多くの兵が声をかけようと試みたようだが、早々と散っていったようで、現在、彼女は仲の良いバートン嬢やその他の何人かの令嬢としか話しているところをみたことがない。
そう言う「良い意味で高位貴族令嬢らしくない」のがアメリアである。
そんな彼女とたまたま第2図書館で会わなかったら、仲良くなるチャンスはなかったかもしれない。
学院の最奥、ほとんど人も寄り付かない静かな図書館は、やたら話しかけてくる令嬢を撒いて逃げ込むにはちょうど良かったのだ。入口までの雰囲気が少し薄気味悪いこともあってそれこそ女子生徒は全く近づかない。あの日、彼女はそんな場所にいた。
光を通した普段より少し明るい茶色の髪がサラリと落ちる様は、その音さえ聞こえてきそうな図書館の静けさに相まって、幻想的で思わず見惚れてしまった。チラリと目に入ったノートの字は、優美と言うよりかは、実直な形で非常に読みやすく好感が持てた。
入学前から母が僕に何を期待しているのかは一目瞭然であったし、ラクロワ家とのコネクションとしても彼女とは、お近づきになりたいとは思っていたが、図書館で初めて会った日は、とても警戒されていたこともあり、再び彼女に会いに行くことにした。
案の定、第2図書館に向かうと、彼女は復習に取り組んでいる。試しに前回より距離を詰めてみたが、少しは警戒は解かれているようだった。
会話もそこそこに、たまたま机の上に自分も読んだことがある本が置いてあったので、軽い気持ちで彼女に感想を尋ねてみた。
するとどうだろう。自分の想像していた何倍もの熱量でアメリアが語っているではないか。
正直、おとなしい印象の彼女がこんなによく話すとは驚きである。自身の考えを語っている彼女は、その深いグリーンの瞳に、きっと僕には感じることのできない何かを映しているようで、彼女の話を聞いていると、少し苦い気持ちが胸に広がった。
ある意味本当に高位貴族らしくない感情がむき出しの彼女の言葉に触れ、僕のペースが崩され、飲み込まれるような感覚を覚えた。
彼女は楚々としているように見えたが、それはあくまで表面的な部分であり、自分の道を自分自身で見つけようとし、その道を貫こうと思っている。彼女には、僕が持っていないもの――真っ直ぐで揺るぎない意思と決意、何より強さがあるように感じた。
そんな彼女を「見極めなさい」という母の指示にもあり、僕は少なからず動揺していた。複雑な感情が胸の奥でくすぶり続け、どうしたらいいのかが、まだ明確に答えが見つからないまま、自室の窓から夜空を見上げる。
彼女とこれからどう向き合うべきか、その答えを探している自分がいた。
次回更新は2024年9月28日予定です。