第29話
競技祭後半、注目が集まる男子競技「コルティス」が始まろうとしていた。広々とした芝の競技場には、複数の「スフィア」が一定間隔で設置されており、それを守る守備と、狙う攻撃の熱が入り混じっている。
「コルティス」は、バットに似た専用の杖でボールを打ち、指定されたスフィアにボールを通すことで得点を競う。競技は戦略と技術が試されるチーム戦だ。味方同士の連携、読み合い、そして何より冷静さが勝敗を分ける。
アレクシオ率いるチームと、ルーカス率いるチーム。偶然にも準決勝を勝ち抜いた両者が、決勝戦の舞台で激突することとなった。
試合前、両チームが整列すると、会場の熱気は一気に高まった。
「……まさか、君と決勝でぶつかるとはね。」
「光栄に思っていいのかな?」
短い言葉を交わしながらも、アレクシオとルーカスの視線は火花を散らしていた。互いの想いがその奥に潜むことを、観客はまだ知らない。
アメリアは実行委員として観戦席の端に立ち、試合の進行を見守っていた。けれど、その手に持つ記録用の筆が、いつの間にか止まっていたことに気づく。胸の奥がざわつく。アレクシオとルーカス、それぞれがこの一戦に込めている想いの深さが、痛いほど伝わってきた。
審判の笛が高らかに鳴り、決勝戦の幕が上がる。
–
鐘の音が鳴り止むと同時に、コルティス決勝戦が始まった。
試合開始直後から、アレクシオとルーカス率いる両チームは一歩も譲らない接戦を繰り広げる。フィールド上には、それぞれのスフィアを守る守備陣と、相手スフィアを狙う攻撃陣が目まぐるしく動き、ボールの軌道が空を切るたびに観客席から歓声が上がった。
アレクシオは、仲間の動きを巧みに読み、連携プレーで得点を重ねていく。
「ナイスショット。」
フィリップの冷静な守備と的確なパスも、チームの強みを支えていた。
一方のルーカスは、チームの中でも一歩前に出て、自らボールを奪い、鋭いショットをスフィアへと打ち込んでいく。観客たちは息を呑んでその一投一投を見守った。
(本当にすごい…….。)
アメリアは観覧席から二人の動きを追いながら、思わず息を飲んだ。どちらのプレーにも目が離せない。
そして、誰よりも勝利を目指しているその姿が、どこか切なくもあった。
──しかし、試合は終盤に差し掛かったところで思わぬ展開を見せる。
ルーカスが鋭いパスを受け取り、反転しながらスフィアへ向けて踏み出したその瞬間――
「っ……!」
右足を滑らせるようにして捻り、そのまま地面に崩れ落ちた。
「ルーカス様!」
「大丈夫ですか!?」
観客席から悲鳴が上がる。アメリアは驚き、思わず立ち上がった。
試合は一時中断。ルーカスは仲間に支えられながらゆっくりと立ち上がったが、その表情には明らかに痛みがにじんでいた。
審判の判断により、ルーカスのチームは人数不足となり、そのままアレクシオのチームの勝利が宣言される。
アレクシオは勝者として拍手を受けながらも、表情は険しかった。勝った喜びよりも、ルーカスの怪我が気になっているようだった。
(あれほどの集中力で動いていたのに、あんな転び方をするなんて……。)
アメリアは実行委員として、すぐさま医務室へルーカスを付き添う決断をする。一方で心が揺れるままに、アレクシオと視線が交わった。
アレクシオは軽く頷いた。
「行ってあげて。」
その一言に背を押され、アメリアはルーカスのもとへ駆け寄った。
–
競技場を離れ、アメリアは実行委員のリボンを付けたまま、ルーカスの腕を支えて医務室へと向かっていた。
中庭を抜ける小径は、試合の熱気をよそに、しんとした静けさが満ちていた。草木の香りが風に乗って漂い、踏みならされた土の匂いがほのかに香っていた。
アメリアは、彼の歩調に合わせるように、一歩一歩を確かめるように歩く。
「無理なさらないでください。足元、気をつけて。」
そう声をかけると、ルーカスは少しだけ笑って、首を横に振った。
「大丈夫。君が隣にいるから、平気だよ。」
医務室の前まで来ると、扉は半開きになっていた。アメリアがそっと扉を開けると、陽射しが差し込む静かな空間がそこに広がっていた。柔らかなリネンの香りと、少し鼻につんとくる消毒薬の匂い。カーテンで仕切られたベッドが並ぶ中、奥の一つにルーカスを座らせる。
手当を終えた校医が「捻挫のようですね。湿布をして様子を見ましょう」と言って部屋を後にした後、室内にはふたりきりの静寂が降りた。
アメリアはベッドのそばに腰を下ろし、ルーカスの足元に視線を落としたまま、口を開いた。
「こんな形で終わってしまって。悔しいですよね。」
ルーカスは天井を見上げながら、ふっと短く笑った。
「悔しいけど……。後悔はしていないよ。アメリアの前で、少しでもかっこいい姿を見せたかったから。」
ルーカスは視線を落として呟いた。
「ありがとう、付き添ってくれて。」
「いえ。私は実行委員ですし、それにルーカス様のこと、心配でしたから。」
アメリアは目を伏せて、小さく言葉を落とす。
そんな彼女に、ルーカスはしばらく黙っていた。やがて、静かに口を開く。
「僕はね、ずっと家のことばかりを考えて生きてきた。」
アメリアがそっと彼を見上げる。
「グレイフォードの名に恥じぬように、次の代を支える者として、誰よりも優秀でなければならない。ふさわしい伴侶を選び、完璧な未来を築かなくちゃならない……。そう信じてた。」
彼の瞳が揺れていた。
「君に近づいたのも……最初は、その一環だったんだ。君は誰が見ても非の打ち所がなくて、聡明で、慎ましくて……。まさに理想の女性だったから。」
そして、ほんの少しだけ自嘲気味に続けた。
「でも、実際に君と話してみると、全然違った。君はいつも誰かのために一生懸命で、自分のことを後回しにしてしまうところがあって。優秀なのに、意外と頑固で……そのくせ、どこか危なっかしい。」
ルーカスの薄水色の瞳がアメリアを捕らえた。
「気づいたら惹かれていた。最初の目的なんて、もうどうでもよくなってた。君のことが、ただ知りたくて。そばにいたくて。」
そして──
「好きだよ、アメリア。」
その一言は、誇りでも義務でもなく、ただ一人の青年の、素直な心からの叫びだった。
アメリアは、胸がぎゅっと締めつけられるような痛みを感じながらも、静かに口を開いた。
「ルーカス様はとっても素敵で……。第2図書館でのふたりの時間も、とても穏やかで、心地よいものでした。たくさんのことを教えてくださって、本当に優しくて……。きっと私を、幸せにしてくださる方だと思っています。」
彼の手が微かに動いた。アメリアはその様子を横目で確認しつつもそっと確かに言葉を続ける。
「ただ──私が、幸せにしたいと思った人は……違ったのです。」
その言葉に、ルーカスの肩がかすかに揺れる。
アメリアは、少し俯きながらも真摯に頭を下げた。
「ごめんなさい。」
沈黙が落ちる。やがて──
「……そうか。」
ルーカスはぽつりと呟いた。けれどその声は、どこか空っぽで。
アメリアが顔を上げた時、彼は遠くの床を見つめながら、ぎゅっと唇をかんでいた。
「……やっぱり、僕を選んでは……くれない?」
それは、まるで迷子の子どもが母の居場所を尋ねるような、か細い声だった。
アメリアは言葉を失い、そのまま数秒、彼を見つめていた。
(ああ……これが、本当のルーカス様……。)
何もかも完璧で、自信に満ちているように見えた彼の仮面の下にあったのは、こんなにも不器用で、傷つきやすい少年のような姿だった。
胸が締めつけられる。
けれど──
「……ありがとうございます。ルーカス様の気持ちは、本当に嬉しいです。」
アメリアは視界を涙で揺らしながら、小さく微笑み静かに言った。
「でも、私は自分が自分らしくいられて、どうしようもないくらい幸せにしてあげたい人がいるんです。本当にごめんなさい。」
ルーカスは、ほんの少し、目を伏せて、苦笑を浮かべた。
「……そう、か。なら……。もう、言わないよ。それでも、最後に一つだけ。」
「アメリア。君が選んだ人が……君の涙を見ることがないように、願ってる。」
アメリアはそっと立ち上がった。彼女の髪がさらりと揺れ、ルーカスの視界の端にその柔らかな動きが映る。
彼女の指先が、その髪を耳にかける――その何気ない仕草すらも、彼には胸に焼きつくように感じられた。
ふわりと香った石鹸のような優しい匂いが、ルーカスの胸を一瞬だけ強く締めつける。
アメリアは静かに一礼し、扉へと歩き出す。
その背を見つめながら、ルーカスはほんの少しだけ、膝の上に置かれた手を震わせた。だが――伸ばさない。
(手を伸ばせば、届いたのかもしれない。)
けれど、伸ばすには遅すぎた。
「……アメリア。」
その名前だけが、喉から零れ落ちた。呼び止めるでもなく、ただ、自分の胸の奥に刻みつけるように。
扉が、そっと閉じられる。
音のない医務室に、ただ午後の光と、ほんのり残された香りだけが、いつまでもそこに漂っていた。




