第26話
競技祭の実行委員を選ぶ旨が告げられたのは、突然のことだった。教師が代表者の名前を読み上げると、クラス内がざわつくこともなく、自然と静まり返った。選ばれたのはアメリア。特待生が選ばれることに対して異を唱える生徒はいなかった。
「よろしくお願いします。」
アメリアは少し緊張した面持ちで微笑みながら応じた。
(競技祭の実行委員か……。クラス全体のまとめ役みたいなものね。)
少し気を引き締めながらそう考えていると、隣の席のエミリーがすかさず肘で小突いてきた。
「ミーなら大丈夫よ!今回もきっとうまくいくわ。」
「ありがとう。できる限り頑張るわ。エミリーにもぜひ、頼らせてね?」
アメリアが答えると、エミリーはニコッと笑った。そのやりとりに周囲のクラスメイトたちも微笑んでいるのが見える。
(信頼してくれている人たちの期待に応えなくちゃ。)
そして、午後の授業が終わった後、各クラスから選ばれた実行委員たちが会議室に集まった。アメリアは会議室を見回し、すかさず端のほうの席に着いた。
そうして、会議の開始を待っていると、少し室内がざわついた。喧騒の先をたどると、視線の先にルーカスの姿があった。彼が隣のクラスの代表に選ばれていたことを知ったのはほんの数分前。軽く息を整えて冷静さを装ったが、心の奥では少しざわつくものを感じていた。
「隣、いいかな?」
その低い声に顔を上げると、ルーカスが穏やかな微笑みを浮かべて隣に立っていた。
「ええ、どうぞ。」
静かに返事をすると、ルーカスはアメリアの隣に座った。何事もなかったかのように会議の資料を先読みしている。
(ルーカス様……。)
くだんの告白の後、こうして至近距離で会話をするのは初めてで、そのことを思い出すと、アメリアは内心かなり焦っていた。しかし、今は大事な実行委員会。意識を無理やり引き戻して、手元の資料に目を向けた。
(役目に集中しなきゃ……。)
会議が始まると議長の教師が当日の競技内容や注意事項を説明し、各クラスごとに役割分担や練習時間の調整についての話し合いが進む。アメリアも必要な部分についてきちんとメモを取りつつ、クラスへ戻った際にすぐ報告できるように考えを巡らせていた。
ルーカスもまた、メモを取る手を止めることなく話に耳を傾けている。
(競技祭、思ったより大変だわ。練習日程を皆に周知するだけじゃなく、当日の他学年の競技の手伝いも募らないと。クラスの皆は協力してくださるだろうけど……。私がしっかりとリードしなきゃ。)
そんな思いを抱えたまま、やがて会議は終了し、生徒たちは一人、また一人と会議室を後にしていった。
アメリアも荷物をまとめて立ち上がろうとしたその時。
「アメリア、少し話せる?」
控えめな声に、息を整えて振り返った。
「はい。」
ルーカスは静かに立ち上がり、人ひとり分を空けてアメリアに向き合った。少し日が傾いた窓の外からは、帰宅していく生徒の声が聞こえる。会議室はふたりきりだ。
「こうして話すのも久しぶりだね。」
「……そうですね。」
どこかぎこちない沈黙が一瞬流れた後、ルーカスは視線をそっとアメリアに向けた。
「競技祭、楽しみだよ。君とこうして一緒に準備ができるしね。」
ルーカスの淡いブロンドがさらりと耳から落ちた。透けるようなブルーの瞳がじっとアメリアを見ている。
発された言葉に隠された真意を、アメリアは察しつつも聞き流すことしかできなかった。
「私も、頑張ります。クラスの皆が安心して参加できるように。」
「やっぱりアメリアは本当に優しいね。責任感があって。」
甘く熔けるような笑顔を浮かべ、ルーカスは自身の髪を耳にかけた。
アメリアは気まずくなって「あ、あの!それでは私はお先に失礼いたします!」と、急ぎ教室を出た。
熱っぽい視線を背中に感じながら。
–
翌日、学院の運動場は賑やかさを増していた。競技祭の練習が始まり、各クラスごと分かれて競技の練習をしている。
競技祭は学院の伝統行事で、夏季休暇後の比較的天候が穏やかな季節に行われる。各学年ごと男女別にそれぞれ決まっている種目を行い、クラス対抗となっている。1年時の男子種目はコルティス、女子種目はリュノールである。
男子が競うコルティスは、貴族の間で古くから行われている戦略的な球技である。選手たちは、ターゲットとなる「スフィア」を巡って攻防を繰り広げ「ネクサス」と呼ばれる特別なエリアが試合の戦略の中心となる。知略とチームワークが試される競技である。
女子の競技、リュノールは、貴族のたしなみとされるアーチェリーの技術と、戦略的な判断力を競う種目だ。的は同心円ではなく、陣地を模した配置で並び、点数の高い場所は狭く、より的の奥に設置されている。遠く離れた的の一角には金と銀の旗が立ち、そこを射抜けば高得点だが、矢は一人五本まで。力任せに放っても勝てない。技術と駆け引き、そして冷静さが要求される競技だった。
アメリアは的の前に立ち、呼吸を整えて矢を放った。狙いを定めたものの、矢は狙った陣地の隣の草むらに突き刺さった。
「惜しいな。もう少し肩の力を抜いてみたら?」
振り返ると、アレクシオが軽く髪をかき上げながら近づいてきた。彼は笑顔を浮かべつつも、その瞳はどこか真剣だった。
「うん、意識してみるわ。」
アメリアはアドバイスを受け入れ、再び弓を構えた。呼吸を整えながら矢を放つと、今度はギリギリではあったが陣地内に命中した。
「さすがだね。」
アレクシオが感心したように拍手しながら近づく。アメリアの右耳にふっと吐息がかかった。
「君がどんな勝負でも手を抜かないところ、僕は好きだよ。」
彼女の肩越しに的を眺め、囁くように言った。そのささやきに、アメリアは一瞬息を飲んだが、すぐに距離を取って彼に向き合い、平静を装った。
「もう、からかわないで。」
アレクシオの赤みがかった柔らかなブラウンの瞳に、耳先を赤くして少し泣きそうな顔をした自身が映っている。泣きぼくろに影を落としている彼のまつげが少し震える。
「からかってなんかないさ。本気だよ。」
アレクシオは意味ありげに微笑んで、軽く彼女の髪に触れるような仕草をした。
アメリアの胸は高鳴っていた。でも嫌な感じはしない、むしろ心が温かくなるような――。
「それより、アレク。男子の練習は?」
そこではたと気がついた。そう、ここはリュノールの練習場。コルティスのチーム練習をしているはずのアレクシオがここにいるのはおかしい。
アメリアが目を細めて訝しげにアレクシオを見ると、アレクシオはアメリアの髪をぱっと離して両手を掲げ飛び退いた。
「いいのいいの。僕、運動神経には自信あるから。ほら?商会の仕事のおかげで体力だってあるし。でも、そろそろフィリップに見つかるか、ジョージに呼ばれるだろうから行くね。」
そう言ったアレクシオは最後に何かを思いついたかのような顔をした。そしてアメリアとの距離を詰め、矢を射るために手袋をしている右手をとり、指先に口づけた。
「アメリア、怪我しないでね。大好き。」
去り際に誰もがうっとりとしてしまうような蠱惑的な笑みを浮かべ、アレクシオは練習に戻っていった。隣の的で練習をしていたエミリーがにやにやしながらやってきた。
「ミー?大丈夫?顔、真っ赤だよ?」
「もうっ、エミリーまで!」
(私、どうしちゃったのかしら。)
アメリアは自分の心に問いかけながら、次の矢を構えた。しかし、その答えはもちろんすぐに見つかるわけもない。そしてアメリアの心を表すかのように、彼女の射る矢も次々とあちらこちらに刺さっていく。
その日の練習が終わった後も、アメリアの胸にはまだ整理できない感情が渦巻いていた。
–
その夜。アメリアは自室の窓辺に座り、静かに夜風に当たっていた。
(さすがに2人の気持ちに気づかないほど鈍感ではないわ。家のこと、私のこと、色々と考えなければ。)
月は雲間から顔を覗かせ、白く淡い光が絨毯に落ちている。少し開けた窓からは、遠くで鳴く鳥の声と庭の草木のざわめきが、世界を包み込んでいた。
(……こんなふうに、色々と考えてしまうのは、夜だからかしらね。)
アメリアはふぅ、と小さくため息をついた。そして、もう一度繰り返す。
「どうして、こんなに心が揺れるのかしら。どうしたらいいのかしら。」
そう呟いた声は、とても小さく、夜の空気に溶けて消えた。
月明かりだけが、彼女の頬をそっと照らしている。
アメリアはそのまま目を閉じ、静かに息を吐いた。
自分の心の奥にあるものを、まだ言葉にするには時間が必要だった。




